1 渺茫たる自然の一角で生業を繋ぐ家族の懐に、異文化が闖入して来た
「エトルリア文化が香る土地。昔ながらに生きる皆さんと、素敵な宵をご一緒に。神秘的な古代墓地で、生と死の狭間で、美味しいハムやソーセージ、チーズを味わいましょう」
「ふしぎの国」という名のテレビ番組の撮影で、女王に扮した美しい女性・ミリーが語るセリフである。
その美女から小さな髪飾りを髪につけてもらい、喜びが隠せないジェルソミーナは、今、幼い妹たちが裸で水遊びをする中で、裸になることを恥ずかしいと感じる思春期初期にあった。
男児のいない家庭にあって、最も頼りになる労働力として期待されるジェルソミーナの心情は複雑だった。
「『ふしぎの国』のコンテストにご参加を。選ばれた7家族の中で、伝統文化に最も貢献する家族に、優勝賞金と“クルーズの旅”を」
ジョイアという友達の家のテレビで、アピールするミリーの言葉に、ジェルソミーナは真剣に見入っていた。
両親と3女・4女 |
ドイツの「少年更生プラン」の紹介で、マルティン少年が一家に厄介になったのは、その直後だった。
しかし、イタリア語が話せないハンデもあり、コミュニケーションの手段が口笛しかない物言わぬ少年に、あろうことか、「家長」としての地位を形式的に与えられているジェルソミーナが、養蜂を教えるのは至難の業だった。
また、行政機構の農業政策の近代化に不満を持ち、農協が指定する農薬を「猛毒」と決めつけ、隣家の農薬散布に言いがかりをつけるほど、ヴォルフガングの独善的な性格は、彼の家族が6人の女たち(妻と4人の娘、ココ)に物理的に囲繞されている現実と無縁ではなかったように思われる。
妻・アンジェリカの本音である。
一方、コンテストが近づく中、未だ、父親の許可を得られないジェルソミーナのストレスは、思春期初期の少女のささやかな抵抗に具現される。
父親との会話も少なくなり、それを感受する父親もまた頑固であるが故に、空気の澱みが生まれる。
そんな折、遠心分離機の不注意で、次女のマリネッラが手を切るという事故が発生するが、コンテストに勝手に応募したジェルソミーナが呼んだ、蜂蜜を作る製造現場を見に来たテレビ局の選考員に、改装中という名目で、ココがイニシアチブを発揮し、満足を与えて、その場を凌ぐ。
ところが、父親が稼いだ金を使い果たした一件で、「お前たちのためにも別れる」と怒り捲るアンジェリカに、ココは、コンテストに出て優勝すれば資金を調達できるという提案をし、意に染まないながらも、コンテストに参加することになった。
かくて、女王・ミリーの司会で始まったコンテスト。
極上の蜂蜜作りの極意を聞かれたヴォルフガングは、古代エトルリア人の格好をして、緊張しながらも、ゆっくり言葉を選びつつ、そこだけは明瞭に答えていく。
「蜂蜜は天然で…純粋で…自然だ。何も加えない。ミツバチを花のところへやる。…言いたいのは、金で買えないものがある。俺たちは蜂蜜を作ってるが…今、世界は終わりつつある…」
自分の言いたいことを言い切ったところで、ミリーに遮断され、話題を変えられてしまう。
「まだ、終わってないの。隠し芸があるの」
ジェルソミーナのこの一言が出たのは、養蜂一家のパフォーマンスが一方的に切られた瞬間だった。
それを見て、思わず、嗚咽を漏らすココ。
父親は反応しない。
当然、「世界は終わりつつある」と言った養蜂一家が、優勝する訳がなかった。
そればかりではない。
思春期盛りのジェルソミーナとマルティンを強引に接触させようとしたココの暴走によって、マルティンは闇の向こうに消え去り、それを必死で追うジェルソミーナ。
マルティンの行方が不明になった事実を知ったヴォルフガングは、ジェルソミーナに激怒する。
翌朝から、マルティンの行方を捜すジェルソミーナ。
チェルヴェーテリとタルクイーニアのエトルリア墓地遺跡群(ウィキ) |
湖畔で一夜を明かした家族の元に戻って来たジェルソミーナは、傍らにいるラクダ(アンジェリカを怒らせたヴォルフガングの、「アンチ近代」の蕩尽のシンボリックな存在)にも聞こえるような口笛を吹き、それが、渺茫(びょうぼう)たる自然の一角で生業(なりわい)を繋ぐ家族が依拠し、既に、廃屋と化しつつある生家に別れを告げるシグナルとなっていく。
少年は本国に戻っていくだろう。
2 歴史の時間と「個人の秘密」が溶融し、人間の営為の「絶対的個別性」を生きた少女の永遠の価値
「快・不快」の原理でしか動けない妹たちの世話をしながら、家族の重要な収入源となる養蜂業の貴重な戦力になっていた。
一つは、現代文明の快楽装置の象徴とも言うべき、テレビ番組のクルーたち。
さながら「女王」を彷彿させる、「ふしぎの国」という番組の司会者である、匂い立つ美女・ミリーの出現は、ジェルソミーナの心を鷲掴みにする。
ほんの僅かなカットの切り取りでありながらも、「女王」からのプレゼントの小さな髪飾りこそ、思春期初期という、既に卵胞ホルモンの分泌を開き、初潮を終えた二次性徴が完成しつつあるナイーブな時期の少女にとって、未知の世界との邂逅(かいこう)の物理的シンボルだった。
自明のことだが、ジェルソミーナが「ふしぎの国」のコンテストへの参加に拘泥するのは、優勝賞金が目的ではなく、変わらぬ日常性に馴致していた少女を固く施錠していた心の風景を、鮮度の高い風景に変容させる思いの強さである。
二つ目は、マルティンの闖入的出現。
少女は異国の少年を意識し、少年も少女を意識する。
それを遠方から見る少女の父。
共に物理的に近接しつつ、心理的に排除しない。
いずれも、独断専行的で自己基準で生き、適応力の欠けたヴォルフガングにとって、容易に受容し得るものではなく、共に切り離さねばならなかったが、彼には、もっと切実な問題があった。
蜂群崩壊症候群・巣箱に入るミツバチ(ウィキ)
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そんな「父の不在」を利用し、闖入してきた風景と戯れ、密かに心を躍らせる。
際立って感受性が強い少女の思春期スパートは、馴致していた変わらぬ日常性を内側から揺さぶり、少女のひと夏を、非日常の時間に目映(まばゆ)く彩色していくのだ。
暗闇のシーンから開かれ、暗転して閉じていくこの映画の訴求力は、この一点に尽きる。
「思ったの。家には、何かの秘密を隠しておくべきよ。遠い将来に、その秘密を誰かが見つける」
「遠い将来」に、「その秘密を誰かが見つける」まで、「何かの秘密」を隠し、それを大切に保持し続けていく。
古代エトルリア遺跡に吸収された少女は、夢を見る。
夢の中で、少女は少年と共に、その小さなスポットを目一杯、体を伸ばし、弾けるのだ。
情感感度の高い、羞(は)じらいを知る繊細な少女が、物理的・心理的に囲繞する大人たちのリアルな相克の空気を払拭するかのように、存分に弾けるのだ。
洞窟の壁に投影される、影絵のように切り取られたこのシーンは素晴らしい。
まるで、古代エトルリア遺跡がひっそりと隠されているように、気の遠くなるような歴史の時間と、少年と少女の淡い初恋の時間という「個人の秘密」が溶融し、大自然に包摂される人間の営為の「絶対的個別性」もまた、その「個別性」を生きた者の永遠の価値と化し、大切に守られていくようだった。
この物語は、若き日の決して忘れられないひと夏を、マルティンと二人だけの洞窟の特化された小さなスポットに象徴される、古代エトルリア遺跡への深い郷愁に抱かれつつ、甘酸っぱい時間を、作り手がノスタルジック含みで回想する映画だったのか。
そう思われるのである。
観る者に一切を委ね、想像力を喚起させる良い映画だった。
(2016年7月)
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