1 個の生物学的ルーツと心理学的ルーツが乖離することで空洞化した、屈折的自我の再構築の物語
本作は、個の生物学的ルーツと心理学的ルーツが乖離することで空洞化した自我を、日常的な次元の胎内の辺りにまで、深々と引き摺っているような一人の若い女性が、その空洞を埋めるに足る相応の自己運動を継続的に繋ぐ熱量を自給し得ない、「絶対的喪失感」に絡みつかれた自己像に関わる矛盾を、心理の奥底に張り付く「唯一の柔和な思い出」の渦中に、自己投入するための内的過程を開くことで、絶望的に乖離した屈折的自我を統合し、再構築する物語であると同時に、そのような乖離した自我を作ってしまった「母なる女」たちの、その「母性」の有りようを、相当程度において極端な物語設定の中で描き抜いた物語である。
個の生物学的ルーツとは、夫の愛人に、乳児である娘を奪われた女のこと。
その名は、秋山恵津子。
奪われた乳児の名は、秋山恵理菜。
そして、乳児を奪った女の名は、野々宮希和子。
希和子によって命名された薫こそ、母と信じる女と、4年間、「母子カプセル」の如き、母子癒着の原型イメージと思しき関係を繋いだ恵理菜の乳児名である。
秋山恵津子は、我が子の、乳幼児期における最も重要な発達課題に関与し得なかったばかりに、「母性」の発現を穿(うが)たれてしまい、形成的な「母性」の発現を奪った誘拐犯である女を憎み続けただけでなく、「母性」の発現を穿たれてしまったことで、「血を分けた他人」でしかない娘との心理的距離を埋められず、「愛しているよ」と言いながら、娘の「良い子戦略」を見透かし、結果的に突き放すという、殆どダブルバインド的な愛情欠損の母子像を作り上げてしまったのである。
彼女こそ、本作の中で、娘の恵理菜と同様のレベルにおいて、甚大な心的障害を負った女性であると言えるだろう。
本作のオープニングシーンの、冥闇(めいあん)の法廷場面が、それを端的に表現していた。
以下、稿を変えて再現してみよう。
2 悲哀なる者 ―― 汝の名は秋山恵津子なり
「必ず、夜中に目が覚めました。4年間、毎晩です。眠っていると泣き声が聞こえるんです。悲鳴のような赤ちゃんの泣き声です。私に助けを求める声です。眼が覚めてみると、恵理菜ちゃんは、どこにもいない。私は母親なのに、抱いて慰めることもできないんです。あの子が戻って来るまで、本当に気が狂いそうでした。私たち夫婦にとって、恵理菜ちゃんは、かけがえのない宝物でした。戻って来た恵理菜ちゃんは、私たちの子に間違いありませんでした。けれど、4歳の恵理菜ちゃんには、私たち夫婦が本当の親であることが分りませんでした。自分を誘拐した犯人を本当の母親だと思い込み、愛していたんです。それがどれだけ苦しくて、悲しいことか分りますか。あの女は、私たち家族から全てを奪いました。私たち家族の苦しみは、恵理菜ちゃんが戻って来ても、ずっと続いているんです。あの女は、恵理菜ちゃんの体だけではなくて、心も奪いました」
この冥闇の構図から開かれワンカットの中に、彼女の心的障害の一切が凝縮されていた。
「私がこの子を守る。あの笑顔に慰められたような、赦されたような、そんな気持ちでした。お腹の中の赤ちゃんを殺してしまったことや、奥さんのいる人と結婚しようとしたことや、そんなことを全部、この子は赦してくれている。そう思いました」
野々宮希和子 |
無論、希和子の「乳児連れ去り行為」は、「未成年者を略取又は誘拐したる者は三月以上五年以下の懲役に処す」という、刑法第224条の全文に相当する、「未成年者略取又は誘拐の罪」の中の「未成年者略取罪」である。
「未成年者略取罪」の刑事被告人となった、希和子の陳述は続く。
「逮捕されるまで、毎日、祈るような気持ちで生活していました。今日一日、明日一日、どうか薫と生きられますように、それだけを祈り続け、暮しました。4年間、子育てを味わせてくれた喜びを、秋山さん夫婦に感謝しています」
被告人の最終弁論である。
「謝罪の言葉はないんですか?」と裁判長。
「お詫びの言葉もありません」
誤読しかねない希和子の言葉を拒絶する恵津子の心には、「謝罪」という言葉がない事実に対して、過剰に反応するに余りある憎悪が氾濫していた。
「死んでしまえ!死ね!」
それは、既に「秋山さん夫婦に感謝しています」という、挑発とも受け取られかねない発言を感情的伏線にした、恵津子の憎悪の氾濫であるが、本来は、「深い謝罪」の含みを持つ希和子の言葉が、空気の澱みが浄化されずに、淡々と吐露されたことで激発した憤怒の身体表現だった。
秋山夫婦と恵理菜 |
子宮内癒着(注1)によって治癒困難な不妊症となったことで、「空っぽのがらんどう」を身体化した運命を逃れられない希和子に対して、ここでは、心理状態の空虚さを含意する「がらんどう」を、己が自我の中枢に作り上げてしまった絶望感こそが、恵津子の全てだったと言っていい。
何もかも失った恵津子には、一生恨み続け、呪い続け、それを、諸悪の根源でありながら、覚悟も意気地も甲斐性もない夫の丈博に、封印し切れない鬱憤を晴らしていくだけの後半生の暗欝なイメージが待機する、その未来像において二重に絶望的なのだ。
然るに、個の生物学的ルーツであるはずの恵津子が、「お母さん、ごめんなさい」と謝る態度に象徴される、「良い子戦略」を駆使するしか術のない実の娘を、ソフトランディングさせていく方途が全くなかった訳ではない。
その心情は当然理解し得るものだが、奪われた時間を性急に取り戻そうという感情傾向の強さが、自らを囲繞する〈私的状況〉をコントロールする能力を、いつも少しずつ、しかし確実に超えてしまうという、このような性格傾向の尖りの強さによって、恵津子をして、気の遠くなるような時間をかけて、母子を隔てる不可視なる障壁を砕いていく関係への地道な行程を塞いでしまったという見方は、正鵠(せいこく)を得ていると言えるだろう。
同情を禁じ得ないながらも、敢えて客観的に言えば、精神科医などの心のケアのサポートを受けつつ、相当程度の努力をすれば可能であったとも思えるのに、それを具現できなかった恵津子の人格構築力の相対的な脆弱さが、そこに垣間見えるのである。
ここで考えてみたい。
恵津子が、自分に心から懐いてこない娘・恵理菜の心の中に見たのは、自分から「母性」を奪い取った野々宮希和子の幻影だった。
そんな恵理菜が、「お母さん、ごめんなさい」と言って、自分に擦り寄って来る態度に鋭敏に反応した恵津子は、いよいよ、恵理菜の中に希和子の幻影を執拗に見せつけられてしまうのである。
家出する恵理菜 |
自分以外に自分の行為を抑止し得る何ものなく、且つ、眼の前に、自分に対して卑屈に振舞う下位者の自我が映るとき、Aという答えしかあり得ないのに、Aという答えを絶対に表出させない禅問答の迷路に追い詰めたり、AでもBでもCでも可能な答えの中で、いずれを選択しても、必ず不安を随伴させずにはおかない迷妄の闇に閉じ込めてしまったりという心理構造を、グレゴリー・ベイトソン流のダブルバインドと呼ぶなら、それこそ、人間の残酷の極みと言っていいが、無論、恵津子は、その類の愚昧なる「負の構造」の完成形を作り出した訳ではない。
しかし、これだけは言えるだろう。
この特殊な状況下に搦(から)め捕られた母子の、「支配・服従」という一定の「権力関係」の形成は、希和子によって奪われた「母性」の発現の継続的機会を、自らの手で立ち上げて見せるという急拵(ごしら)えの自己像の崩壊 ―― それが、恵津子の内側で激発的に惹起されたのである。
それによってのみ縋っていきたいものの基盤を根柢から崩された恵津子にとって、もはや、「復元された母性」に包摂される、「あるべき母子関係」へのソフトランディングという、それ以外にない柔和な文脈が剥落していく絶望的な時間の中枢に立ち竦む以外になかったのである。
思うに、娘の恵理菜に対する恵津子の、「復元された母性」の新たな立ち上げの深層には、血の繋がりのない「空っぽのがらんどう」と痛罵した女によって、理不尽にも代行された「空白の4年間」を破壊するという、極めて情感的な文脈が、下方に沈み切った澱みを貯留させていたに違いない。
奪われた「母性」の絶対的復元力の凄みを、眼に見える形で検証して見せたかったのだろう。
それが、呆気なく瓦解してしまったのである。
娘の恵理菜が、薫という「記号的人格」を纏(まと)った「他者」でしかないと認知したとき、柔和なる愛情交換の「ギブアンドテイク」の確保が幻想と化し、「復元された母性」のイメージを仮構する振舞いに限界を感じ取ってしまったのだろうか。
その性急さが、急拵えの自己像の崩壊に繋がったのである。
ある意味で、愛情とは「受け取る愛」であり、情愛とは「届ける愛」である。
関係が成熟するとは、それらがバランスよくキャッチボールされたものである。
恵津子は、情愛より愛情の方に大きく振れてしまったのではないか。
敢えて穿った見方をすれば、届けることよりも貰う方ばかりが気になって仕方がない心理には、奪われた「母性」の絶対的復元力の凄みを検証することで、薫という「記号的人格」の破綻を、その「記号的人格」の欺瞞を繋いだ女への唯一の報復と信じたからではなかったのか。
それだけが、「母性」を巡る深刻なキャットファイトの、それ以外にないウイナーになる手立てと考えたのではないのか。
それもまた、裏を返せば、「母性」への心理圧を過剰に求める文化の中で、脆弱過ぎる男たちの致命的瑕疵の尻拭いばかり負わされている、この国の女たちの宿命とでも言うかのようだった。
「主観の暴走」の類だろうが、そうも思われるのである。
哀れなる者 ―― 汝の名は秋山恵津子なり。
そう言う外にないのだ。
(注1)子宮内膜が子宮以外の器官などに癒着を起こす症状で、不妊の原因の一つとも言われる。
3 物語を変換させた逃走者 ―― 汝の名は野々宮希和子なり①
ここでは、野々宮希和子について言及したい。
秋山恵理菜という戸籍名を剥いで、薫という「記号的人格」の欺瞞を繋いだ女である。
同時に、それは、秋山恵理菜の個の心理学的ルーツに決定的に関与した女でもある。
子宮内癒着によって、「母性」の発現の継続的機会を奪われた、もう一人の女である。
それを奪った者の名は、秋山丈博。
ごく一部の例外を除けば、欠陥亭主の秋山丈博は、その女性観に限定すれば、タイ、韓国等への買春ツアーの爛れの現状に象徴されるように、この国に掃いて捨てるほど存在する男たちの、その象徴のような人物であると言っていい。
振り返って思えば、我々は、この国の「偽のヒーロー像」ばかり描き続けてきた黒澤明ではなくて、「頼りにしてまっせ、おばはん」と言い切った、豊田四郎による「夫婦善哉」(1955年製作)の柳吉のような「確信的依存者」ほどではないとしても、「正真正銘のダメ男」を描き続けてきた成瀬巳喜男や、今村昌平の映像世界のリアリズムを嫌というほど見せつけられてきて、その説得力ある「日本の男たち」の実像に馴れてきたはずである。
ところが、相変わらず、「国家の品格」で紹介される、「武士道精神」の復元を本気で信じるアホな連中の、口先だけの虚栄の城砦にしがみ付くだけの、張子の虎の胆力なき男たちの多くは、依存するに相応しい女と懇(ねんご)ろになって、「自発性パラ ドックス」(注2)のリスクを怖れるあまり、「横一線の原理」という特段のルールに便乗して駆動する、競争回避と鋭角的闘争回避のメンタリティの持ち主ではなかったか。
安定成長期の時代なら、それでも身過ぎ世過ぎを繋いでいけたかも知れないが、時代の大きな転換点を迎えている変容期にあっては、秋山丈博基準の男たちの引け腰の器量では、とうてい、秋山恵津子のような「悲哀」を託(かこ)つ女性のパートナーにはなり得ないだろう。
まして、「母性」の発現の機会を求める野々宮希和子という、男の度量を超えた愛人を充足させるのは、おこがましいとしか言うべき言葉がない。
さて、その野々宮希和子のこと。
子宮内癒着によって、「母性」の発現の継続的機会を奪われるという絶望の日々にあって、秋山恵津子が懐妊し、出産した事実を知るに至った。
「赤ちゃんが産まれたと知って、一目だけでも赤ちゃんを見たいと思いました。見たら一切、諦めがつくと思いました。今までのことは全部忘れて、仕事も住まいも変えて、父が残してくれたお金で、新しい人生を始める。そう心に決めていました。けじめがつけられる」
それが、法廷における希和子の陳述だった。
秋山夫婦の外出を確認する希和子 |
泣き止まない赤ん坊に最近接し、暫時、その愛くるしい表情を、ベビーベッドの上から覗き込む希和子。
「薫…」
希和子の存在を感知した瞬間、泣き止んだ赤ん坊に、思わず、優しい声をかける希和子。
赤ん坊から笑みが零れた。
所謂、「誘発微笑」(注3)である。
相手が特定できなくとも微笑む、赤ちゃん特有の現象である。
恐らく、希和子は、この「誘発微笑」を誤読したのである。
と言うより、オプチミスティックな主観のうちに、都合良くインスパイアさせてしまったのだろう。
「微笑の交歓」によって、希和子の心に、異次元のゾーンに踏み込んでいく行為へのスィッチが入ってしまったのだ。
このシーンで重要なのは、自分を「空っぽのがらんどう」と痛罵した恵津子への敵意を想像させる感情が、眼前の赤ん坊に対して転嫁されていないという複雑な心の機微である。
あり得ないことではないが、人間の心が非常に複雑に絡み合って形成されていることの証左であると、ここでは受け取っておこう。
何より彼女には、「空っぽのがらんどう」という、決して容易に認知し得ない人格総体のうちに、過剰に累加された心理的空洞感が張り付いていて、それを引き摺っているのである。
この心理的空洞感を埋めるのが、寧ろ、「空っぽのがらんどう」という身体性を認知せざるを得ないが故に、「薫」と命名した命の息吹を吹き込むことで、それを「我が子」に変換させる違法行為以外ではなかったということだった。
然るに、この違法行為を「不徳的行為」というオブラートに包んで、身体表現に流れていく危うさを潜在的に感受していたとしても、「空っぽのがらんどう」と痛罵した恵津子の愛児を「我が子」に変換させるには、そこに至る心理的プロセスのうちに、相応の「モラルの媒介」が不可避だった。
成文化されたルールとしての法律と異なって、モラルとは、その構成員によって広く形成された、社会的に支持された規範体系の指針である。
だから、法的拘束力がない。
「一目だけでも赤ちゃんを見たいと思いました」
これが、希和子の自我が準備した「モラルの媒介」の内実である。
恵津子の愛児を、「我が子」に変換させるに至る心理的プロセスによる防衛機制は、この種の「モラルの媒介」が必要だったということだ。
希和子の陳述でも明らかなように、恵津子の愛児を「我が子」に変換させる行為を、初めから彼女の意識の中で明瞭に捕捉させないこと ―― これが、そのときの彼女の率直な思いだったに違いない。
然るに、「モラルの媒介」による希和子の防衛機制は、赤ん坊が送信する「誘発微笑」に強く反応することで、呆気なく自壊してしまったのである。
この心理的文脈の中に、「母性」の入り込む余地があったかどうか問われるところだが、少なくとも、生物学的特性に留まらず、女性の成長過程で形成されていく精神的・社会的特性をも包括する概念として「母性」を把握する「母性看護学」(注4)の見解を受容する限り、希和子の内側には、単に、占有感情の発動というエゴイズムの問題に収斂し切れない、未成熟だが、「母性」の反応形成を読み取ることが可能である。
「自分に笑みを返報した赤ちゃんを占有したい」
それにも拘らず、これが、彼女の心を支配していた基幹感情であるに違いない。
かくて、彼女の、「母子カプセル」の如き、母子癒着の原型イメージの濃密な逃避行が開かれたのである。
物語を変換させた逃走者 ―― 汝の名は野々宮希和子なり。
ここもまた、そう言う外にないのだ。
(注2)言い出しっぺが損をするという含みを持つ、一種のパラドックスのこと。
(注3)赤ちゃんの微笑のプロセスには、生後2、3日以内の「生理的微笑」 ⇒「誘発微笑」⇒生後4、5ヶ月からの「選択的微笑」の3つのレベルがあると言われる。
(注4)次世代の健全な発育を視野に、女性の生涯を通して、その健康の保持に関与する学問。
4 物語を変換させた逃走者 ―― 汝の名は野々宮希和子なり②
母子癒着の原型イメージの濃密な逃避行が、漸く辿り着いた大阪の街。
世間を怖れ、隠れ潜み、そして、苦労の果てに見つけた女性限定の「駆け込み寺」だ。
「手放すことによってのみ、私たちは解放される」
このパンフレットの文面を読んで、希和子は「エンジェルホーム」に身を寄せたのである。
そこは、三重県津市を拠点に、全国に多くの「社会実顕地」(ヤマギシズムの考え方を実際に顕わす地という意味)を有する、「ヤマギシ会」をモデルにしていると言われる、自給自足のコミュニティを形成する女性限定の「ユートピア」であった。
「私は、この子と生きていきたいんです。助けて下さい」
「薫・命」の希和子の、ホームへの全人格的参加を認めた「エンゼルさん」は、「ここは天使の家やからな。アホなことする人間を見捨てんと、助けてやらなアカンのよ」と言って、嗚咽交じりの希和子の思いを受容する。
かくて希和子は、長期間に及ぶ、特化された生活に身を投じるに至る。
映像は、無所有・共生を行動原理とし、農産物の販売に従事する女性限定の「ユートピア」らしい、白い作業服に身を包んだ「清潔感」のイメージを映し出していく。
思うに、「清潔感」の本質とは「異物への拒否感」である。
「異物への拒否感」を貫流する「排除の原理」によって、拒絶される対象は、この女性限定の「ユートピア」に、身も心も預けねばならない事情を惹起させた男たちである。
男性に対する「排除の論理」の遂行は、実は、大都市の一角を占める「ユートピア」の本質が、丸ごと、一つの大きな「カプセル」を形成してしまっているという、その由々しき現実を炙(あぶ)り出していくのである。
「母子カプセル」を延長させていた希和子が、そのカプセルをも包括するコミュニティという名の、もう一つの大きな「カプセル」のうちに吸収されてしまったのである。
無論、このような自給自足のコミュニティの存在を否定するものではないが、しかし、看過し難いのは、男性を排除することで作られる子供の自我が、極めて歪んだ様態を作り出してしまうということである。
男性からの性的虐待とは無縁に、女性限定の「ユートピア」で育った幼・児童期の特殊な経験が原因で、極端な男性恐怖症に陥るトラウマを抱えたことで、恵理菜との旅を通して、人生の再構築への目的意識を共有し得た千草のケースこそ、「異物への拒否感」を貫流する「排除の原理」によって成る、理念先行のコミュニティの犠牲者でもあった。
ここで想起するのは、「排除の原理」によって拒絶された男たちによる、「信者奪還運動」をなぞるかのようなエピソード挿入のモデルとなった、「イエスの方舟事件」の千石剛賢(せんごくたけよし)氏が、かつて自らの思考が逢着したであろう、「摂取性の原理」という独自の概念である。
それは、「不快な他者」を受け入れる原理であるが、如何にもキリスト者らしい実践的原理であるだろう。
然るに、この実践的原理は、「不快な他者」に「馴れる」ことによってしか貫徹し得ないと言っていい。
然るに、この実践的原理は、「不快な他者」に「馴れる」ことによってしか貫徹し得ないと言っていい。
言葉で言うのは簡単だが、その実践の継続の難しさは、多くの人が経験的に学習済みであると思われる。
思うに、近代社会で私たちが獲得した「匿名特権」の代償として喪失した最大のメンタリティは、私たち自身のうちに部分的に受け継がれてきた「摂取性」の心理である。
思うに、近代社会で私たちが獲得した「匿名特権」の代償として喪失した最大のメンタリティは、私たち自身のうちに部分的に受け継がれてきた「摂取性」の心理である。
この社会では、プライバシーは保証してくれるが、その代り、「皆、好き勝手に生きろ」と突き放されて、それを秩序付ける大原理も大物語も提供してくれないのだ。
恐らく、それで良いのだろう。
「私権の拡大的定着」を具現した社会の中では、「生き方」や、そこに脈絡する物語のサイズ、有りように至るまで、自らが依拠する国家に保障してくれと懇望する方がどうかしているのだ。
ただ、このような振幅の大きい文化の流れ方は、人々の差異化感情が収斂されていく方向を容易に持ちにくいから、しばしば徒(いたずら)に、その差異化現象の社会的拡散が巷間を過剰なまでに騒がせるに違いない。
このように、人々の私権が暴走するかの如き社会になお呼吸を繋いでいくなら、その覚悟だけは固めておくべきだろう。
恐らく、それで良いのだろう。
「私権の拡大的定着」を具現した社会の中では、「生き方」や、そこに脈絡する物語のサイズ、有りように至るまで、自らが依拠する国家に保障してくれと懇望する方がどうかしているのだ。
ただ、このような振幅の大きい文化の流れ方は、人々の差異化感情が収斂されていく方向を容易に持ちにくいから、しばしば徒(いたずら)に、その差異化現象の社会的拡散が巷間を過剰なまでに騒がせるに違いない。
このように、人々の私権が暴走するかの如き社会になお呼吸を繋いでいくなら、その覚悟だけは固めておくべきだろう。
「気になる他者」に「馴れる」ための学習から、私たちはますます遠ざかり、「摂取性の原理」を呆気なく相殺し得る「排除性の原理」が、なお「愛と平和」を語って止まない、欺瞞に満ちた振舞いを捨てられない人々のメタメッセージの内に含意された厄介な微毒として、和やかに、緩やかに、しかしそこだけは譲れないもののように半ば確信的に身体化されていくのか。(拙稿 「心の風景 摂取性の原理」より部分抜粋)
この社会では、「死者」が隠され、「病人」が隠され、「老人」が隠され、そして「人格障害者」との「パーソナル・スペース」が絶えず測られ、その安全距離の維持が選択的に確保されていく。
閑話休題。
「エンジェルホーム」にて |
自分が占有したと信じる愛人の娘とタコツボの中に潜り込み、一貫して、他者の視線の劇薬の放射を怖れた挙句、そこもまた出奔するに至る風景は、ここから一転する。
それは、物語の風景の決定的な変容を意味する。
小豆島の中山千枚田 |
経験によって成熟した「母性」がフル稼働していくのだ。
小豆島 ―― 言うまでもなく、「二十四の瞳」の舞台となった、寒霞渓の渓谷美や、オリーブや素麺の生産で有名な、瀬戸内海に浮かぶ温暖な島である。
「エンジェルホーム」でサポートしてくれた沢田久美の母、昌江の紹介で、夫の雄三が経営する素麺工場で働き出した希和子の表情から、それまでなかったような心底からの笑みが零れ、その笑みに後押しされて、多くの友達に囲まれた薫の表情にも、本来の無邪気な子供の天真爛漫さが弾けていく。
それは、父性の媒介のない「母子カプセル」の狭隘なゾーンから、それぞれが自律的な律動感を刻み始めていく解放系の時間が静かに開かれていくようだった。
かつて、「娘」に母乳を与えらないことで、「母性」の身体表現を繋げなかった空洞感を補完して余りある、「無限抱擁」と思しき「母性」が全開し、それを受容する「娘」もまた、この島と出会うためにこそ、「エンジェルホーム」との別離があったと思わせる、至福に満ちた時間のボリューム感が躍動していたのである。
寒霞渓鷹取展望台 |
それは、忍びながら、伝えねばならない言語を全く不要とする、非言語コミュニケーションの持つ、感情や意思をメッセージ化する自在性に満ちていて、物理的な距離感によって結ばれた「母子カプセル」の狭隘なゾーンから解かれた、自由なる心理的距離の最近接が放つコミュニケーションの威力を、それぞれの心の奥深くに鏤刻(るこく)されていくのだ。
屈託がない母子の、海辺での無邪気な戯れ。
「母」と「娘」の心が溶融し、拓けた大地の懐に抱かれて疾駆していく。
小豆島の行事である、豊作を願いつつ、島の人々が松明を灯して歩く「虫追いの行事」の幻想。
「中山農村歌舞伎舞台」という名で有名な、農村歌舞伎に見入る島の子供たち。
中山千枚田に象徴される、天をも突き抜ける大地の解放感。
しかし、それは、その直後に惹起する最悪の事態への、存分に溶融し切っていた、大地と天からの贈り物でしかなかったのか。
その疾駆がピークアウトに達したとき、物語を変換させた逃走者であった女は、自らが拠って立つ自我の安寧の絶対基盤を失ったのである。
小豆島を去る前に、嫌がる「娘」を連れて、「母」が寄った古風な写真館での画像を残したまま、警察に捕捉される女。
「その子は、まだ、ご飯を食べていません!」
女が放った叫びだ。
それは、そこに未成熟な母性行動が張り付いていたとは言え、どこまでも、自己基準で動いた澱みの渦中で奪い取った女の内側に、いつしか、「無限抱擁」と思しき「母性」が頂点に達した瞬間だった。
同時にそれは、それ以外に選択肢がないと考える余裕すらなく、衝動で突き抜けた犯罪を延長させ続けた逃走者への、法治国家の当然過ぎる司法警察活動の一環でしかなかったであろう。
司法警察活動の法治行為に捕捉されたことで、物語を変換させた逃走者であった女の、たった一つの人生に全てを賭けた時間が終焉したのである
5 「八日目」の黎明を抉じ開けんとする者、汝の名は秋山恵理菜なり①
うんざりするほど長い、「知らない女」である実母の、殆どダブルバインド的な感情過多のアプローチは、「良い子戦略」によってしか守れない幼児期後半の自我を、決して望む事態でなかったはずの狭隘な関係様態の世界に押し込めていく。
そこに惹起された継続的な緊張関係こそ、ある意味で、精神的虐待であると把握できる何かだろう。
個としての自我のルーツである、「愛すべき母」と信じた女との別離は、幼い自我が、そこにのみ拠って立つ、絶対的な安寧の基盤を崩されるに等しい行為であった事実を思うとき、薄弱でありながらも、殆ど精神的な幼児虐待とも思しき「権力関係」の固定化の中で、娘の恵理菜が失ったものは看過し難い何かだったのだ。
それは、唯一、「愛すべき母」と信じた希和子から引き剥がされ、連れて来られた「実母の家庭」に捕捉された不安と緊張のゾーンの中で、幼児期後半の自我に張り付くトラウマティックな負の感情が、否が応でも支配する由々しき文脈だった。
累加されていくばかりのトラウマティックな負の感情は、基本的な愛情関係を構築し得ない実母との、歪(いびつ)に捩(ねじ)れた関係様態の中で、「母から愛されない子供」という自己像を加速的に形成した幼児自我の漂流感を胚胎させていく。
「人を愛する心」の有りようを、十全に学習し得ない裸形の現実が露わになっていくのである。
「自分なんか生きていても、大した価値がない」
人間の尊厳に関わる厄介なアポリアが、成育環境の只中で張り付けられてしまうとき、そのトラウマティックな負の感情は児童期にまで延長され、こんなネガティヴな自己像をも必至にするだろう。
既に、薫という「記号的人格」が剥がされた秋山恵理菜は、「トラウマ」⇒「愛情」⇒「尊厳性の崩れ」という、幼児虐待の中枢的な克服課題を全人格的に負ってしまったのである。
人を愛せない娘は、一切の諸悪の根源でありながら、決して自分を叱らない父親をモデルにした異性観を形成した挙句、妻子ある予備校教師である、岸田のような無責任な男の下半身の処理にされ、その子を身籠るに至ってしまう。
些かご都合主義的な設定に興醒めするものの、そんな彼女の前に、千草という曰く付きの女性が出現しなければ、秋山恵理菜は、「失敗のリピーター」であることを止めなかったかも知れないが、妊娠した事実を受容した後の彼女の行動の振れ方を見る限り、「自立走行」を駆動させていくパワーの供給が断たれていなかった強さを感受し得るものだった。
然るに、そんな恵理菜が極端に屈折した人格障害に捕捉されずに済んだのは、そこに「善悪論」を媒介させることなく言えば、「未成年者略取罪」の刑事被告人となった希和子による、4年間に及ぶ、「無限抱擁」と思しき「母性」の包括力を推進力とする愛情関係の成果であると考えられる。
充分に他人を信頼できず、愛することもできない彼女にとって、唯一の救いは、自分を誘拐した女が有り余るほどの愛情を注いでくれたことで、屈折的自我の致命的自壊に至らなかったというパラドックスが、そこにある。
血を分けていない者からの愛情によっても、すくすくと子供は育つという一つの検証が、そこにあるのだ。
岸田 |
その辺りの会話を再現してみよう。
「もしさ、あたしに子供ができたらどうする?」と恵理菜。
「え?」と岸田。
「だから、もしもよ」
「だって、恵理ちゃん、まだ学生だろう?それに・・・」
その言葉を遮って、間髪を容れず、恵理菜は畳み掛けていく。
「産んでって、言う?それとも、堕ろせって言う?」
「そりゃ、勿論、産んで欲しいけど、今すぐってのは、現実的に難しいと思う」
「じゃ、いつかならいいんだ」
「そりゃ、そうだよ。だって、俺、恵理ちゃんと暮したいんだもん。恵理ちゃんが卒業して、ウチのチビがもう少し手がかからなくなったら、その内、ちゃんとするって。何度も言ったでしょ」
笑みを浮かべる恵理菜が、その理由を説明する。
「言ってることが、ウチのお父さんみたいだったから」
「できたの?」
「だから、もしもの話だってば。びっくりした?」
不安に慄(おのの)く男の表情を、恵理菜はとうに見透かしている。
「そりゃ、するよ。脅かさないで」
話題を変えようとする男の表情を、悪意なき恵理菜は柔和に見続けるばかりだった。
もう、覚悟ができているのだ。
「岸田さん、あのね。今まで言えなかったことを言うね」
「今度は何?」
攻勢されっぱなしの男は、不安を隠すのが精一杯なのだ。
「あたしは普通じゃない家に育ったんだ。誕生日をお祝いしてもらったり、花火大会に連れて行ってもらったり、サクラ見に行ったり、クリスマスパーティしてくれたよね。そういうの、何もしてもらえない家に育ったから、全部、岸田さんと初めてした。岸田さんは、私に色んなこと教えてくれた」
「じゃ、今度はどこへ行く?」
「もう、逢わないよ。終わるなんて、絶対ないって思ってた。でも、もう逢わない。今までありがとう…何度も好きだって言ってくれて、ありがとう」
涙交じりに吐露し終えて、軽く頭を下げる恵理菜。
覚悟を括った女の、別離の宣言が閉じていった瞬間である。
映像は、もう、男の表情を映さない。
想像できるからだ。
この会話は、極めて重要である。
ヒロイン恵理菜は、その表現の内実を男に知らせることなく、固い決意を結んだのである。
彼女にとって、とうに、男の抱擁力の欠如を見抜いていた。
そんな男に縋りつく女になることを、妻子ある男の子を身籠った今、恵理菜は頑として拒絶したのである。
この決意がラストシーンの重要な伏線になっているが、何より由々しきことは、恵理菜にとって、愛人でしかない男との子供を分娩することで、自我を微分裂させた二人の「母」、即ち、恵津子と希和子が果たし得なかった、本来的な「母性」の発現による喜びを手に入れることが可能になったのである。
そのような負の感情に拉致されたことで、普通の子供が普通に過ごす、天真爛漫なる遊戯の世界に全身を預け入れる時間が削られてしまった分、児童期以降の恵理菜の自我は、実母の顔色を必要以上に察知し、追いかける時間に吸い取られることで委縮し、屈折していったに違いない。
そんな彼女が、今、この未知のゾーンに踏み込んでいくのだ。
それ以外に、微分裂した彼女の自我を復元させ、再構築していく手立てが存在しないからである。
その括りが、彼女を決定的に駆動させていったのだ。
旅の重さに弾かれ、それでも捨て切れない思いを繋ぐために、彼女は決定的に駆動したのである。
「一緒なら、出て行けそうな気がする。恵理ちゃんと会って、そう思ったんだ」
男との会話の直後の、千草の言葉である。
ここから、二人の若い女の重い旅が開かれていくのである。
ここで初めて、フリーライターを自称していた千草は、自分が育った「エンジェルホーム」時代のことを、恵理菜に告白する。
二人が仲の良い友達であった事実を鮮明に記憶しているのは、千草の年齢が恵理菜より上回っていたからに他ならない。
希和子と過ごした、児童期以前の恵理菜の過去を遡及する重い旅を開くに至る、決定的契機となった二人の交叉が、この行程を共有することで深々と重なったのである。
6 「八日目」の黎明を抉じ開けんとする者、汝の名は秋山恵理菜なり②
自宅に帰った恵理菜は、愛人との子を妊娠し、且つ、堕胎する意思がないことを、母に告白した。
「あたし、子供産むよ。あたし、空っぽになんかなりたくない」
そう言い切ったのだ。
かつて堕胎した希和子を「人殺し」と罵倒した恵津子が、娘に、「堕ろしなさい」と命じる母の矛盾を詰(なじ)った恵理菜は、大学を止め、千草と共に旅に出る決意を結んだのである。
それは、20年経っても過去を引き摺る、母と娘の心理的距離が埋まらない現実を炙り出す。
個の生物学的ルーツと心理学的ルーツが乖離することで空洞化し、絶望的に乖離した屈折的自我を統合し、再構築すること。
それが全てだった。
旅の行程については、希和子と過ごした4年間を遡及するもの以外ではない。
「物語を変換させた逃走者」である希和子の、移動に振れた時間を遡及する旅の重さを追体験することである。
それは、端的に言えば、「エンジェルホーム」から小豆島への旅をなぞることであるが故に、その詳細な言及は、今や不要であるだろう。
今は廃墟と化した、「エンジェルホーム」の無機質な空間からインスパイアされる何ものもなく、過去を遡及する二人の旅は、児童期以前の恵理菜のパラダイスの地であった小豆島に向かう選択肢以外になかった。
千草の旅の本質が、恵理菜の随伴者になり切ることと同義であるから、恵理菜の苦衷(くちゅう)に寄り添えれば、それで充分だったのだ。
かくて辿り着いた最終スポット ―― それは、又しても、移動に振れざるを得ない希和子が、小豆島からの移動を嫌がる幼少時の恵理菜と記念に撮った写真館だった。
そこで写した、20年前の古い写真を印画紙に拡大し、焼き付けられた一枚の画像。
移動を嫌がる幼少時の恵理菜を宥(なだ)めすかし、笑みのポーズを作り出した一瞬を捕捉する画像だった。
既に、5年前に写真館を訪ねた希和子もまた、この画像を見に来たという話を聞いていた恵理菜は、もう、封印しても封印し切れない思いを吐き出すしかなかった。
「憎みたくはなかったんだよ、お母さんのことも、お父さんのことも。この島に戻りたかった。本当は戻りたかった。でも、そんなこと、考えちゃいけないと思ってた。あたし、働くよ。働いて、色んなもの見せてあげるよ。可愛い服着させて、おいしい物食べさせて。何にも心配いらないよって教えて上げる。世界で一番好きだって、何度も言うよ…あたし、何でだろう。もう、この子が好きだ。まだ、顔も見てないのに」
嗚咽の中で、一切を吐き出す恵理菜は、それでも、腹の中の胎児に、この世を見せることに希望を繋ぐことで、絶望的に乖離した屈折的自我を統合し、再構築する物語への思いの深さを吐き出し切ったのである。
その物語を共有することで、男性恐怖症に陥ってしまった千草のトラウマもまた、幾分救済されるだろう。
新たな自己の物語を構築しようとする女の強さが、そこで存分に弾けていたからだ。
「八日目の蝉はさ、他の蝉には見られなかった何かを見られるんだもん。もしかしたら、それ、奇麗なものかも知れないよね」
自我のルーツを遡及する旅の行程の中で、恵理菜に語った千草の言葉が、本作の基幹メッセージと言っていい。
然るに、ここに至るまでの、恵理菜の曲折的な文脈を考えてみよう。
恐らく、「あの女は『死刑』に値する凶悪な犯罪者である」という類の物語を、恵津子にインプリンティングされ続けながらも、なお恵理菜の内深くに残る、小豆島での柔和な思い出を消し去ることができなかった。
恵津子による執拗な刷り込みを観念的、且つ、一方的に受け取るばかりの、児童期以降の彼女の自我の中に、そこだけは眩く照射する柔和な記憶を払拭することが叶わず、この微分裂した屈折的自我の捻(ねじ)れを、その覚醒に待機して、そこで心地良く就眠している辺りにまで届く、根源的な修復を潜在的に志向する強い思いが心理的推進力と化して、全人格を駆動させるに足る、懐かしき大地への「自立走行」への旅のプロセスによって最終的に浄化されたのである。
子供の3割が胎内記憶を持つという近年の研究を援用せずとも、既に、幼児期後半に差し掛かった子供の、その内深くに張り付く忘れ難い情報の束を、大人の浅知恵による感情過多な刷り込みによっては、とうてい削り切れない何かが存在するのだ。
そのことを示唆して閉じていく物語の括りは、殆ど、この国の邦画の多くがそうであるような、「予定調和の感動譚」に流れ着いていくしかなかったということだろう。
7 「希望」と「愛」に回帰するという不文律への冒し難さ ―― 「喪失のペシミズム」の風景の中で
削って、削って、削り切ってもなお余分なものが残ってしまうとき、それでも更に削り切って、見えない辺りにまで押し込んだものが、バックラッシュするところで寸止めにする。
これが、私が最も好む映像モデルである。
中々、そのような映像モデルと出会えない諦めの念が付きまとっているとき、私の懐深くに飛び込んできた一本の映像。
ダルデンヌ兄弟の「息子のまなざし」(2002年製作)だった。
極端に削り切った台詞と、音楽の導入を拒絶した映像の実質的なラストカットに、私は、ただ打ち震えるばかりだった。
そして、一連のミヒャエル・ハネケ監督の作品。
必要以上なものは決して語らない。
だから、全てのカットが肝心なものになる。
映像を、ゲームの世界に決して譲り渡さないのだ。
観る者の心構えが問われる映像宇宙に忘我し、陶酔する暇もなく、緊張感が張り詰める。
「隠された記憶」より
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平気で観客を置き去りにし、製作費の回収に貪欲な姿勢を見せることを拒絶するかの如く、作家性の濃密な映画が、少なからず存在する。
これらの映像に出会うとき、いつも私は思う。
全ては、この意地の悪いラストカットから始まるということを。
そこから、我が鈍感なる知的過程が開かれて、時には、置き去りにされた気分でへとへとになる。
それでも私は、そんな映画を求めることを止められない。
主義主張が違っても、彼らの作品には、観る者の知性や感性を恫喝し、挑発してくるような表現が、いつも見えない辺りで騒いでいて、私はそれらを肯定的に受容する。
饒舌な語りの中に、無駄なカットを拾うことなど、殆ど困難である。
しかも、ベルイマンの描く映像の厳しさは、しばしば、観る者の受容感度を平気で超えてくるから、それを捕捉するのに、相当の熱量を自給することになる。
それこそが、ベルイマン映像の、独立峰としての光彩を放つ、圧倒的な表現宇宙の拠って立つ所以なのだ。
アンジェイ・ワイダ監督もまた然り。
「カティンの森」より |
そんな私が、しばしば「圧倒的な感動作」と称される邦画を観るとき、いつもそこに、うんざりするほどの距離感を抱いてしまってから久しい。
これでもか、これでもかと連射する「感動譚のエピソード」に、嫌というほど付き合わされて、そして最後には、決まって「予定調和の軟着点」に流れていく。
自ら問題を映像提示し、それを自らの手で解決してしまう、自己完結型虚構世界の狭隘さ。
それが、この国の邦画に貫流するゴールデンルールと言っていい。
残念ながら、本作もまた、その例外ではなかった。
決して悪くはない。
近年の邦画ラッシュの中では、心理描写も相応の説得力があり、構成力と主題提示力の均衡感に特段の破綻も見られなかった。
何より、出色の出来栄えに唸らせられた女優陣の、気迫ある演技を引き出した演出に感嘆したのも事実。
とりわけ、野々宮希和子を演じた永作博美には、本作に賭けていると思わせる圧倒的な訴求力があり、それが本作を根柢から支え切っていた。
しかし、それだけだ。
全てを語り尽くし、提示し尽くし、そして、いつものように「予定調和の軟着点」に流れ着く。
例えば、秋山恵理菜が訪ねた写真館でのシーン。
無理だった。
本作のテーマが、ヒロインの自我の再構築という視座にあることが映像提示されているから、そのあとに待機する、決定的な感動譚は既に予約済みなのだ。
「未知のゾーンへの希望」を意味する、「八日目の蝉」についての、千草の語りのカットなど全く不要である。
千草の語りなしでも充分に想像可能な「余白」を、観る者から奪ってしまう表現の瑕疵は、結局は、ナルシズムの報酬の高さを相対化できないトラップに搦(から)め捕られた者でなかったとしたら、「半身営業者」の弱みを突き抜けられない表現者の宿命であるのか。
或いは、この作り手もまた、観る者に全ての情報を提示させ、腹一杯にさせることで、「賞取りレース」に成就したと考えているに過ぎない、普通に貪欲なだけの御仁であるのか否か、私には全く不分明である。
と言うより、ゴールデンルールを崩すという「壊れ方」など、この国では、あってはならない事態なのであろう。
映像表現者として、失ったものの大きさよりも、得たものの小ささに振れてしまうほど、自己相対化できないナルシストであるとも思えないが、要は、連射されるカットの洪水に辟易する心地悪さを、趣味の違いとして処理する浮薄さのうちに流したくないだけのことだ。
例えば、希和子が赤ちゃんを宥め、抱き、あやし続ける執拗な描写。
そこには、赤ちゃんの泣き声に不快感を示す、希和子の表情が全く拾われることはない。
「(乳が)出ないよね」と言って、共に泣くというカットばかりが連射されるのだ。
確かに、希和子の振舞いには、未成熟な母性的行動の発現が垣間見られるが、しかし、それが母性本能による振舞いでないことは確かである。
そうであるならば、一人の未成熟な女性の、この母性的行動には、当然、その発現を妨げるに足る状況が惹起されるのは必然的なことだ。
一日一リットルの母乳を出すプロラクチンの分泌を供給できない彼女にとって、泣き止むことを知らない乳児の本能的行動に狼狽(うろた)え、時には、状況をコントロールし得ないネガティヴな感情によって、その遣り切れない思いを炸裂させるのは当然のことである。
それが、常にポジティブ志向を貫徹し切れない人間の本来的な脆弱さである。
乳児に与える乳房をも隠し込むカットからは、「リアリズム」が捨てられているのだ。
「リアリズム」とは、厳しいテーマを抱えたシリアスドラマを、単に残酷に描き切ることではない。
そのような状況に置かれた厳しさを、安直にファンタジーに譲り渡すことなく、有りのままに捉えようとする冷厳なる自然さの、インバランスに流れない映像提示の中に、「リアリズム」の本領がある。
これが削られているのだ。
だから、一方的な母性的行動の悲哀だけが拾われてしまうのである。
これで良かったのか。
或いは、恵理菜と岸田の絡みのシーン。
そこでは、明らかに、「演じている」という印象を拭えなかった。
それによって失ったものの大きさを知るべきである。
たった一人の男によってのみ愛された、孤独の際(きわ)で喘ぐ恵理菜の、その心象風景の殺伐さを、映像の中でリアルに切り取ることによって、初めて、「これほど感謝の気持ちが強いけれども、別れねばならない」という心情が、観る者に伝わってくるのである。
極めて難しい役どころを、ほぼ完璧に演じた表現力を評価するのに決して吝(やぶさ)かではないものの、しかし、少しずつ大事な何かが、削り落とされてしまったという印象だけは拭えないのだ。
削り落とされたのは、ごく普通のサイズで、充分に主題提示可能な「リアリズム」である。
それを削り落とすことによって、「希望」と「愛」を過剰に拾い続ける物語を観ていると、この国の多くの映画監督が、ごく普通の「リアリズム」の、ごく普通の冷厳さから回避して久しい、その現実の惨状を垣間見ざるを得ないのである。
この国の人々が「リアリズム」を嫌う傾向は、今に始まったことではないが、それにしても、失ったものの大きさよりも、得たものの小ささに吸収されていく事態を糊塗(こと)してしまう、「認知的不協和」の脱出の心地悪さに鈍感になり過ぎていないのか。
そう思われて仕方のない感懐が、なお私の中で燻(くすぶ)っている。
観なければ良かったとまでは言わないが、3.11直後に公開された、この映画のビジネス戦略は、首尾良く嵌ったということなのか。
それもありだろうが、日本中で「絆」の大切さが声高に叫ばれている中での、作品公開が成就したかどうか、私は知らない。
私が「喪失のペシミズム」(注5)と呼んでいる、この国の現在の状況にあって、最後は、「希望」と「愛」に回帰するという不文律を犯してはならないのだろう。
どうやら、それだけは確かなようだ。
(注5)以下、拙稿「心の風景 優しい文化」から引用する。
「相次ぐ凶悪犯罪の連日の報道によって、人々は『安全神話』に疑問を持ち始めてきたのである。この国の人々が一度このような疑念を持ち、それを刺激的に過剰に膨らませるメディアの恣意的な報道によって情報が固められてしまえば、その疑念は大いなる不安に直結する。すると、この国の人々の、その免疫力の稀薄な様態がセンシブルなまでに晒されて、一種のパニックのような現象が招来することになる。これを私は、『喪失のペシミズム』と呼んでいる。今や、この『喪失のペシミズム』が、この国を深い霧の中に包み込んでいるのである」
8 特定他者との深い愛情関係の構築による幼児自我の形成の重要性
「三歳児神話」という言葉がある。
生後3歳頃までは、実の母親によって養育されなければ、子供の情緒の発達に重要な影響を与えるという考えだ。
1998年の「厚生白書」で、この言葉が否定されたことでも有名である。
但し、その直後、厚生労働省自ら、肯定も否定もできないと修正した、曰くつきのエピソードが張り付いていたのは、如何にも「二枚腰」の官僚らしい態度だった。
では現在、この「三歳児神話」の問題提示はどうなっているのか。
相変わらず、「藪の中」なのである。
しかし、少なくとも、これだけは言える。
乳幼児期における最も重要な発達課題が、特定他者との深い愛情関係の構築による幼児自我の形成にあることだけは間違いない。
E.H.エリクソン(ウィキ) |
基本的信頼関係も、愛情関係も同じことである。
確かに、子供の自我を作るのは母親である。
できれば、それがベストであろう。
しかし、母親のいない家庭では、父親が「母性」を代行することになる。
子供との愛情関係=基本的信頼関係が構築されるなら、幼児自我を形成する主体が父親であっても一向に構わないし、当然、祖父母であっても構わない。
仮に祖父母がいなければ、働き蜂などの利他行動の進化を説明するための概念である「包括適応度」の仮説に縛られることなく、全く血の繋がりのない特定他者が代行することも充分可能である。
授乳の際の吸啜(きゅうてつ)刺激によって、脳下垂体前葉から分泌されるプロラクチン(男性にも分泌)なしに、幼児自我の正常な発育が保証されないという指摘は、どこまでも根拠の希薄な仮説であり、殆ど検証困難な次元の問題であるだろう。
要は、愛情関係=基本的信頼関係の構築による幼児自我を保証するという関係が、恐らく4.5歳児頃までに形成されていること ―― それに尽きるだろう。
「三つ子の魂百まで」という諺の含意が、「三歳児神話」と切れている事実を認知せねばならないのである。
また、「母性愛」こそ至上の愛である、という手強い物語が近代の発明であることは、18世紀のフランスの研究の中で、全階層における里子の習慣の広がりを通して、パリに生まれた子供の多くが、実母によって育てられていない事実を指摘した、エリザベート・バダンテールの著名な「母性という神話」(筑摩叢書)によって、もはや自明である。
私が遣り切れないのは、こういう物語を作らなければ子供を愛することができない母親が出現してしまうという、その冷厳な現実それ自身である。
「母は善なり」という、浮ついた俗言に深入りすべからず。
命をかけて愛児を守った母の話も、被爆直後の死屍累々の惨状の中で、我が子を踏みつけて走り去った母の話も、人の世界では、当然の如く真実であって、それらを特殊化する感覚の貧しさに一縷(いちる)の救いが窺えようとも、自らがその状況に置かれれば、自然なる振舞いを刻む身体表現の答えのイメージに近づいてしまうのだ。
我が子の危難に愛情に目覚めた母がいるかも知れないし、愛児を残して去った母が深々と悔いる可能性も高い。
咄嗟の判断による行為のみを切り取って、それを物語化する着想の中から胚胎された俗説には近寄らない方がいいのだ。
「母は善なり」ではなくて、「母もまた人なり」の方が正解なのである。
「無償の愛」などという、如何にも耳心地の良い神学概念に包括される「母性愛」という「本能」を、私たち人間が持ち合わせていないことくらいは、子供を育ててみれば経験的に分かりそうなのに、それでもこの物語に固執するのは、可愛くない子供を育ててしまった恐怖を中和する防波堤にしたいからとも考えられるのだ。
この類の概念のうちに収斂される物語は、言ってみれば、情緒不安定な若い母親を家庭から逃亡させないための巧妙なトリックとも言える。
優しさとか思いやりの感情は、何よりも成熟した自我から生まれるのであることを確認しておこう。
ティンバーゲン(左)とローレンツ(ウィキ) |
コンラート・ローレンツや ティンバーゲンによって、本能的行動は「生得的解発機構」という概念が提唱されているが、反射を作動させる解発によって惹起する「生得的解発機構」と呼ばれる、「本能行動」 という最大の能力を持つ他の動物と異なって、著しくその能力を欠く人間の場合、恐らく、 前頭前野に中枢を持つと思われる自我によって、一切の生物学的、社会的行動の代行をしているので、それが人間の生存・適応戦略の羅針盤になっているに違いないというのが、私の仮説。
これは、「睡眠欲」、「食欲」など、「生存」に関わる欲望に限定されるが、「本能的行動」を部分的に残している現象すらも否定するものではないということである。
以上の文脈で、本作を読み解くと、母性的行動に関わる、野々宮希和子の振舞いには、前述したように、些か極端な設定の仮構が垣間見られるとしても、認知し難い程の、特段に指摘すべき瑕疵がなかったことだけは事実である。
いずれにせよ、特定他者との深い愛情関係の構築による幼児自我の形成の重要性 ―― これに尽きるのだ。
(2012年5月)
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