1 「寄り道」のエピソードの中で心理的近接が深まっていくヒューマンコメディの情感濃度
「大学8年の秋、俺は3色の歯磨きを買えば、この最悪の状況から逃れられるような気がしていた」
法学部に所属する大学8年生の、竹村文哉(以下、文哉=ふみや)のこのナレーションから始まる映画は、いきなり文哉のアパートの乱雑な部屋に入って来た中年男から、口の中に靴下を突っ込まれるシーンで観る者を驚かす。
「どうだ、塩味か納豆味か。人に借りたものをな、返さないとこうなるんだよ!80万くらいの金、何ともなんないのか。体売るか!」
この中年男の名は福原愛一郎(以下、福原)。
両親に捨てられたという文哉に、84万の金を貸している男である。
3日間の猶予を与えられた文哉には為すべき何ものもなく、ゲームセンターで時間を潰すばかり。
「町で岸部一徳と会うといいことがあるって」
文哉がゲームセンターで耳にした言葉であるが、これがコント劇の集積のようなヒューマンコメディの伏線になっていくことは容易に読み取れる。
その文哉を尾行していた福原が、文哉の借金を返す方法を提示する。
「犯罪の匂いがするが、犯罪じゃない。100万ある。これをお前にやる。その代わり、俺に付き合え。東京散歩。東京の町を散歩する。俺が行きたいところへ行き、お前はそれに付き合う、それだけだ。一応、目的地は霞が関。期限はない。俺が満足いくまで歩く」
「犯罪の匂いがするが、犯罪じゃない」と言われても、あまりに美味し過ぎる話に、ダメ学生の文哉が躊躇するのは当然だった。
「何だか、とてつもなく嫌な感じがした。約束の時間を過ぎても、男は現れなかった。やはり、俺はからかわれたのか」
この文哉のナレーションの直後、待ち合わせ場所の井の頭公園に現れた福原との、男同士の「東京散歩」が開かれる。
紅葉の東京の美しい風景のワンシーンを見せたあと、物理的距離を確保しながら、不安含みで歩く文哉の根っ子には、当然ながら、福原の目的が全く読めないことにある。
「話す場所は、もう決めてある。俺の話を聞くか聞かないかは、お前の判断に任せるが、聞いた以上は最後まで付き合ってもらうぞ」
動機を尋ねる文哉への、福原の反応である。
この時点での文哉の行動の選択肢は、福原の「東京散歩」に同行する以外になかった。
だから、嫌々ながらも、福原との物理的距離を確保しつつ、ただ単に、徒歩を繋いでいく。
しかし、初日から、文哉は福原の目的を知らされることになる。
「話す場所」に辿り着いたからである。
場所は調布飛行場。
広々とした空間のスポットでの告白である。
「俺は人を殺して来た。女房だ。人間って、あんなに簡単に死ぬんだなぁ」
ここまで聞いて、福原の本気度を見せつけられた文哉との会話に、初めてシリアスな風景を映像提示する。
「どこで殺したんです?」
「自宅のマンションだ。かっときてぶん殴ったら、死んでしまった」
「だったら殺人じゃなくて、傷害致死ですよ」
「どっちだって同じだろ。問題は、俺が女房を殺してしまったということだ。だから分っただろ。俺が霞が関に行く訳が。正確に言うと、目的は桜田門の警視庁。自首するんだよ」
「自首するんなら、最寄りの警察に行けばいいじゃないですか」
「どうせなら、一番立派な警察にしたいじゃないか」
「俺達夫婦は、二人で東京の町を、目的もなくぶらぶらと歩くのが好きだった。老後はそうやって、余生を送ろうって話していたんだ」
「なぜ、僕を誘ったんですか?」
「一人じゃ、寂しいからかも分んないな」
ここで、岸部一徳を見つけるシーンがあるが、この伏線の回収は未だ不分明である。
死体が見つかる前に、刑が軽くなるから自首しろと勧める文哉に対して、「俺は刑が軽くなるから自首するんじゃない」と言い切る福原。
この辺りから、二人の距離は心理的に近接していく。
「原因は、奥さんの浮気ですか?」と文哉。
「まあな。あいつは俺がいない時、渋谷や新宿で若い男を漁ってたらしい」
今度は、文哉が自分の過去の一端を語っていく。
「俺、大学に入学した時、自分の持ってる写真、全部燃やしましたからね」
「卒業アルバムもか?」
「卒業アルバムもです」
両親に捨てられたと語る文哉にとって、「思い出」という名の過去は唾棄すべきものでしかなかった。
コスプレイベントで、小学校時代に、唯一、誕生会に呼んでくれた尚美と再会する小さなエピソードが挟まれるが、決して文哉の過去には心地良い「思い出」がなかった訳ではない事実を物語る。
この後、幾つかの小ネタの連射で、「寄り道」のエピソードが繋がっていく。
但し、この「寄り道」のエピソードの中で、福原と文哉の心理的近接が深まっていく現象が、大したことも起こらない物語にヒューマンコメディの情感濃度を高めていく。
2日目の夜に、福原と別行動した文哉が、約束の時間になっても福原が戻って来なかったので、本気になって新宿の町を探し回るのだ。
だから、突然現れた福原に腹を立て、初めて感情を剥(む)き出しにする文哉。
「まだ怒ってんのか、お前。よくそんなに長く怒ってられるよな」
「いや、何年かぶりに怒ったんで、収め方が分んないっていうか・・・」
明らかに、福原に対する甘えの感情が、そこに垣間見える。
このことは、文哉の乳幼児期に、普通のレベルの甘えが形成されていたことを意味するだろう。
親に捨てられたと言っても、その親か、またはその親に代わる大人に、少なくとも、ネグレクトされていなかった事実を検証すると言っていい。
「女房とさ、時々、日曜日の最終バスに乗ってさ・・・」
「なぜです?」
「寂しくなりたかったから。絶妙に寂しいんだよ。寂しいと、お互い愛おしく思ったりするだろ。俺たちは、好きっていう気持ちだけが頼りで、一緒に暮らしてたからさ。好きっていう気持ちはすり減るだろ。だからさ、お前みたいなのでもさ、息子がいれば、そんなことなかったんだろうけど・・・」
この「息子」という言葉が福原から放たれたことで、この二人の関係に「疑似父子」のイメージが被(かぶ)さっていく。
一方、福原の妻が勤める職場では、3日経っても出勤してこないので、心配する3人の同僚たちが様子を見に訪ねていくが、そこに至るまでの3人によるコント仕立ての掛け合いの会話は絶妙だった。
あまりに自然過ぎる掛け合いには、職場の風景の日常性が見事なまでに切り取られていて、本線とパラレルに展開する物語の生命線を維持していた。
2 「何かいいことある」という残像を張り付けて閉じていく物語の心地良き着地点
なお、バカなことをリピートする福原は、知人である麻紀子のもとに厄介になるに至った。
無論、文哉も一緒である。
「文哉も座って食べなさい」
麻紀子の家で泊り、朝食の際に、いきなり麻紀子から放たれた言葉である。
その直後のシーンは、深まっていく晩秋の動物園。
その公園のベンチで、麻紀子と文哉が語り合っている。
「似てます?俺、福原さんに」
「うん。顔とかって言うより、雰囲気が似てる。最初会った時、息子さんかと思っちゃったわよ。いや、あの人、前に子供がいたことがあったって言ってたから」
「福原さんに?」
「そう。男の子だったんだけど、産まれてすぐに死んじゃったんだって」
それがどこまで事実か不分明だが、敢えて陽気に振る舞う、福原の内面世界の一端が垣間見える。
まもなく、麻紀子の姉の娘・ふふみが麻紀子の家にやって来て、そのふふみに、福原と文哉が夫・息子として紹介され、ここに一つの疑似家族が誕生する。
「福原に自首を止めるように言おうかと考えていた」(文哉のナレーション)。
その夜、福原を「親父」と呼び、福原を感激させる文哉の心に、明瞭な変化が浮き彫りになっていく。
2日目の夕食がカレーと聞き、福原との「別離」のシグナルを知って、文哉の中で覚悟が求められた。
「幸せはきてることに気がつかないほど、じんわりやって来る。でも、不幸はとてつもなく、はっきりやって来る。俺はこのまま、チャツネを持ってどこかへ行ってしまおうと考えていた」(文哉のナレーション)。
そんな中で、文哉だけが心の底から楽しめない。
「日曜日の夕飯を食べると、最低の時間がやって来る。サザエさんの音楽が終わって、月曜日までの最低の時間。でも、ダメな胸騒ぎも、何だか出てくる涙も、どうすることもできなかった」(文哉のナレーション)。
カレーを食べ始めた文哉が、突然、泣き出したのだ。
その涙を、福原だけは理解できている。
理解できているから、何も言わない。
その日がやって来て、二人は、黄葉が真っ盛りの神宮外苑の静かな朝の「散歩」を繋いでいる。
「お前さ、しばらく麻紀子のところにいたらどうだ」
「いや、いいですよ。俺、自分が一緒にいたいと思った人が必ず消えちゃうタチですから」
「お前さ、そういうのは、タチって言わないんだよ」
「え、何で?」
「言わないの」
「別離」に向かう歩行の中で、なお会話を繋ぐ二人。
「あのさ、何かいいことあったか?」
「何の話?」
「岸部一徳と町で会うと、いいことあるって言ってたじゃないか」
この福原の問いに、ほんの少し「間」を開けながら、笑み含みの表情で文哉は答えた。
「俺はあったかな」
その直後、福原から受け取った一万円札が風に飛ばされて、それを拾いにいった隙に、福原が走っていく後ろ姿を見た文哉は、立ち竦みながら、「何だよ」と嘆息するのだ。
ラストカットである。
しかし、「疑似父子」の関係が予定調和の世界で自壊しても、文哉にとって、「何かいいことある」という残像を張り付けて閉じていく物語の心地良き着地点は、今、ここから始まる若者の時間のイメージを印象づけるものだった。
3 「不在」の父親と「非在」の息子が仮構した「疑似父子」の物語
この視座を前提に批評したい。
何より、小ネタやギャグの連射もいいが、私が最も気になったのは、物語に自然に吸収されていくものばかりでなく、物語をいたずらに拡散させてしまうだけの不自然な小ネタが散見されたことである。
表層的な人間観察力で切り取った上澄みを掬(すく)い、それをデフォルメした小ネタに変換し、そこに余分な台詞を張り付けても、大袈裟にデフォルメした分だけ却(かえ)ってシラケてしまい、少なくとも、私は殆ど笑えなかった。
その典型的なエピソードを一つ。
横断歩道で信号待ちしているOLの集団が、肘を曲げ、片手で財布を上向きに掲げたポーズを、散歩の二人が出くわしたシーンがあった。
以下、そのときの会話。
「OLってのは、何で財布を上に上げて持ってんのかな?」
OLの集団を見た福原は、その直後、文哉につまらない質問を吹っ掛ける。
「あん中で、誰が一番可愛い?答えないと、100万やらないぞ」
プレッシャーをかけられた文哉は、6人のOLを見ながら、「右から二番目かな」と答える。
「あ、俺と同じだ。ハッピーお返しなし、ストップ」(注)
弁当を買うためなのか、確かに、こういうOLたちを、昼休みの時間帯に見かけることはあるだろうが、「街角ウォッチング」という風にさりげなく挿入するレベルなら許容範囲だが、それをわざわざ、独立的なエピソードとして台詞にしてしまうシーンに違和感を持ってしまうのだ。
要するに、観る者の笑いをとるためにインサートされたことが見え見えなので、全く笑えないエピソードになってしまうのである。
あまりに見透かされるようなデフォルメした小ネの連射は、物語を不必要に拡散させてしまう不自然な印象しか残らないのである。
物語の本線が、「帰宅を前提にした自由気ままの一人旅」ではなく、「帰宅を前提にしない束縛的な一人旅+同行者付きの旅」であるが故に、だからこそ、その物理的な制約下で「寄り道」を作り、妻との人生の思い出を追体験し、恐らく、それまで封印していた感情を発散することで、主人公の中年男・福原が自己の半生を括っておきたい心情が理解できるからこそ、この映画は、小ネの連射によるコントの集積の物語を突き抜ける効果を発揮すると、私は考えている。
この「帰宅を前提にしない束縛的な一人旅+同行者付きの旅」の中で、存分な感情発散の手立てとして、小ネタの連射が物語に自然に吸収されていくから、単に、「コントの集積劇」に収斂されない「人情コメディ」のうちに自己完結するのである。
思うに、この映画は、妻との「思い出」の場所を辿ることで、それを「弔慰」に変換させる中年男と、一切の「思い出」を焼却した若者との、ゴールラインを設定した一回完結の旅である。
同時にそれは、「我が子」を持ち得なかったばかりに乱行に走った妻を殺(あや)めた中年男が、自分の人生に一つの決定的な区切りをつけるために、せめて、「我が子」を疑似的に作り出し、男の人生の未知のゾーンの中で、自分の感情系の一切を吐き出し尽くす旅でもあった。
だから、男は饒舌になる。
存分に饒舌になる。
「お前みたいなのでもさ、息子がいれば、そんなことなかったんだろうけど」と男に言わしめたことで分るように、どうでもいいような、あらん限りのことを喋り、疑似的に作り出した「我が子」を煙に巻く。
「我が子」とのキャッチボールを楽しみたいのである。
更に、「我が子」の過去に拘泥し、その「思い出」の場所を聞き、無理強いして、若者をそこに連れていく。
それでも良かった。
しかし、充分ではなかった。
男には、もっと吐き出したいものがある。
だから男は、人には言えない自分のプライバシーを、少しずつ小出しにする。
疑似的に作り出した「我が子」には、それを聞き、受け止める能力があると踏んだからだ。
絶妙な寂しさ故に、妻と日曜日の最終バスに乗った話をする男の心情は、それまでの浮ついた饒舌と切れていた。
なぜなら、男にとって、この「東京散歩」は「弔慰」に変換させる旅なのだ。
この辺りから、若者もまた変容していく。
「不在」の父親と「非在」の息子。
元々、中年男は、時計屋にお節介で口を挟んで、相手を怒らせるような行動に振れる性格の持ち主ではなかったと、私は思う。
しかし、殺意なしに女房を殴打し、死なせてしまった中年男は、あってはならないこの暴行致死事件でダメになった。
腹を括った中年男は、自らの罪に決定的な区切りをつけるための「弔慰」を経由しつつ、妻との関係が壊れていった時から失われていたであろう、「他愛もない会話」や「さりげない心の触れ合い」などの欠落感による空洞を埋めるために、一気に炸裂させねばならなかった。
バカになってもいい。
そうしなければならないほど、彼は孤独の極点にまで追い詰められていたのだろう。
だから、疑似的に作り出した「我が子」を同行する、一回完結の旅に打って出たのではないか。
そして、「思い出」という名の過去を唾棄すべきものでしかなかった若者もまた、いつしか、「同行者」という枠組みを超えて、「我が子」というイメージに近い「何者か」になっていく。
「我が子」というイメージに近い「何者か」になっていった若者は、「別離」のシグナルであるカレーを前に、忘れていた「涙」を流してしまうのだ。
そして、「別離」の現場に直面する時、何が起こったか。
何も起こらないのである。
表面的には何も起こらないが、「何かいいことある」と言わしめる程度の「何か」が起こったのだ。
中年男もまた、自分の犯した罪を全人格的に受け止めて、霞が関の「桜田門」(警視庁)に我が身を預け、国家機関の施設で贖罪の時間を引き受ければいい。
「弔慰」を終え、「疑似父子」の関係を仮構して、「他愛もない会話」や「さりげない心の触れ合い」の欠落感による空洞を埋めた男には、もう、娑婆(しゃば)での未練がないのだろう。
一切が終焉したのだ。
―― 以下、【余稿】。
「僕のリアリティっていうのは、ある種の曖昧さだったり、一定じゃない感じにあるとのかと思います」
私もそう思う。
確かに、現実と虚構の境界線の曖昧さを無視し得ないが故に、リアリティの曖昧さは、いつでも日常・非日常の世界で、私たちの感覚世界を混乱させ、時には、病理のような異界に持って行かれることもある。
だから、自在性を手に入れた映画の虚構の世界において、本作のような極めて個性的な作品が製作され、一般公開されることは意味があるに違いない。
結局、最後は、「好き嫌い」という「評価的反応」である、観る者の「感情濃度」の高低の問題に尽きることになる。
それでいいのだろう。
―― 稿の最後に一言。
オダギリジョーの作品の中で、私は、この映画が一番好きである。
演技が自然で、共感を覚える。
相米慎二監督の大傑作・「台風クラブ」(1985年製作)で、「金八先生」とは真逆な数学教師を演じ切って、映画デビュー作の「伊豆の踊子」(1974年製作)以降の好青年のイメージを完全に払拭した演技力に驚かされたことが、今でも鮮烈に焼き付いている。
更に言えば、本作の前年に出演した、山下敦弘監督の「松ヶ根乱射事件」(2006年製作)のダメ親父役は圧巻だった。
凄い俳優に化け切ったものである。
(注)「ハッピーお返しなし」とは、二人の人間が、同時に同じことをした時に口にする、「ハッピーアイスクリーム」の遊びをルーツにしていて、この言葉が最初に流行した昭和20年代前半に、「ハッピーお返しなし」と言われていたということ。(BIGLOBE・「小ネタ集」より)
(2015年8月)
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