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2013年1月29日火曜日

無言歌(‘10)     ワン・ビン



「約束された衰弱死」によって失われる、感受性の劣化を怖れる男の尊厳が弾けたとき



 1  「毛沢東の大飢饉」の土手っ腹での不条理



パソコンや携帯電話などエレクトロニクス製品に不可避な材料である、レアアースの世界最大の鉱床として名高いバイユンオボ鉱床。

しばしば「戦略物質」として利用される、このレアアースの鉱床の所在地は、中華人民共和国の北沿に位置する内モンゴル自治区である。

そのバイユンオボ鉱床を懐に抱える内モンゴル自治区と隣接し、ここからモンゴル国にかけて、標高1000メートルを超える高原であるゴビ砂漠が広がっている。

世界有数の広さを持つゴビ砂漠は、米国ユタ州のブライスキャニオン国立公園のように大陸性気候であるが故に、高緯度であるにも拘らず、夏季の最高気温は40度を超える一方、寒風吹き荒む厳冬期にはマイナス40度にも及ぶ、80度以上の年較差を特徴づける乾燥した砂礫の大地である。

そして、その内モンゴル自治区北部に位置するのが甘粛省(かんしゅくしょう)。

 本作で描かれた壮絶なる世界の物理的背景となった、乾き切った砂礫の大地である。

近代文明の最先端をリードする希少資源を圧倒的に保有する乾燥地域が、容易に人間の生存を許さない、厳しい大陸性気候の砂礫の辺境の大地と共存しているのだ。

文明と非文明が、時を隔てて、砂漠の懐深くで近接する現実のアイロニーは、本作の物語の破壊力を目の当りにすると、苦笑すら許容されないシビアな現実によって、立ち所に一蹴されてしまうだろう。

―― 物語の世界に入っていこう。

収容される「政治犯」
黄砂の一大供給源でもあるゴビ砂漠の一画の甘粛省に、多くの「政治犯」が放擲された

特定の個人が放つ「権威」の強大な影響下にあって、その個人が掌握する権力によって、「右派」とラベリングされた人々が放擲された乾き切った砂礫のスポットの名は、「労働教育農場」という耳心地の良い棲み家だが、その実態は政治犯の収容所であった。

剥き出しにされた土肌の、穴倉深くまで掘られた地下壕の隙間に射し込む一条の光線によって、昼夜を識別し得る狭隘な通路の暗欝な空間の中に、「右派」とラベリングされた男たちの「生活」が辛うじて繋がっていた。

 因みに、ここに「反右派闘争」について言及した有名な著書から引用したい。

 そこで書かれた現実に、私たちは驚愕せざるを得ないだろう。

「百花斉放政策のもとで、約一年のあいだ、社会はリラックスした雰囲気だった。やがて一九五六年春になって、党は知識人に対して、上から下まであらゆるレベルの党員批判を行うよう要請した。(略)のちに毛沢東は、共産党批判を勧めたのは罠であり、自分に対立する可能性のある人間を一人のこらずいぶり出すためにそろそろ百花斉放を終わりにしようと言う他の指導者の声をおさえて意図的に延長したのだ、という意味のことをハンガリーの指導者たちに語っている。(略

毛は講話のなかで、『右派分子』が共産党と中国の社会主義を傍若無人に攻撃した、と述べた。右派は知識人全体の一パーセントから一〇パーセントほどにあたり、これらのものたちを粉砕しなければならない、とも言った。話を簡単にするために毛沢東のあげた数字の中間を取って、知識人の五パーセントを右派として告発することになった。この『割り当て』を満たすためには、母は自分の監督下にある組織から合計百人の右派を告発しなければならない。(略)意見を言うように勧められて、というより『要請』されて発言した人を罪に問うのは公正なやり方ではない、という思いも母のなかにあった。それに毛主席も、発言を理由にとがめられる心配はない、とはっきり保証したではないか。母自身にも、遠慮せずに批判を口にするよう、みなに勧めた責任がある。母のようなジレンマに悩んだ党員は、中国全体で何百万人もいたにちがいない」(「ワイルド・スワン」第十一章「右派以降、口を開く者なし」より・ユン・チアン著 土屋京子訳 講談社)

 特定の個人が掌握する権力の爛れ方に、ただ身震いする思いである。
  
  閑話休題。
 「労働改造局」の決定で、「労働改造」という名目のために放擲された、「反革命思想」を抱懐する「右派」の男たちに与えられた「労働教育」の内実は、土壌改良なしに不可能な痩せた砂漠の地を開墾すること。

 「食べ物と交換できそうな物は、ズボンとシャツしか残ってないが、換えたら、来年の夏に着る服に困る」
 「そんな先の心配よりも、今を生き抜くのを考えることさ」

 男たちの会話の断片であるが、前者は、後に上海から訪ねて来る妻を持つ董(ドン)である

一日250グラムの配給しかない「政治犯」にとって、「食」の確保だけが、自らの命を繋ぐ唯一の生存戦略だが、折しも、「一九五八年から六二年にかけて、中国は地獄へと落ちていった」という言葉から開かれた「毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災 1958-1962」(フランク・ディケーター著 草思社)で人口に膾炙(かいしゃ)されている「大躍進政策」の時代の土手っ腹にあった。

大躍進政策・農家の庭に造られた炉ウィキ)
「4500万人が本来避けられたはずの死を遂げた」と言われる「毛沢東の大飢饉」によって、その「栄光」に輝く生涯を通して唯一の自己批判を余儀なくされた毛沢東の、生来的な権力闘争への拘泥が極まったこと ―― これが、本作で描かれた「反右派闘争」において如実に露呈されたのである。

土壌改良なしに不可能な痩せた砂漠の地を開墾することは、神々の怒りを買った挙句、大きな岩を山頂に押して運ぶという罰を永劫に繰り返す、アルベール・カミュの「シジフォスの神話」にも似て、全く希望の持ち得ない人生の不条理そのものだった。

収容所長に、食糧は自分で調達しろと言われても、作物が育たない砂漠の地では、死を覚悟で毒草に手を出す方略しかないのだ。

現に、枯れ草に張り付く種子を採って、それを粗末な器で煮佛し、食べた老囚は、その日のうちに息を引き取ってしまう。(トップ画像)

息を引き取た老囚は、持参の布団ごと包まれて、三人がかりで荒野に捨てられるに至る。

野鼠を捕捉して食べる男もいれば、下痢で苦しみ、その嘔吐物から固形物の欠片を漁って食べる男もいる。

 彼らにとって、今や死は、普通の日常のありふれた事態でしかなかったのである



 2  「革命の継続的闘争」という大義名分が隠し込んだ、権力への果てしなき欲望



 「どういう訳で右派になったんですか?」
 「“百家争鳴”で言論の自由が提唱されたとき、わしも意見を出して、こう述べた。“プロレタリア独裁という言い方はダメだ。意味が狭すぎる。全民独裁と言うべきだろう。国は全国民ののだから”と」

労働教育農場の責任者に呼ばれて、うどんを食べる陳班長
 これは、土木建築を専門にする学者の老人・駱(ルオ)と、彼を尊敬する公安局出身の陳(チェン)班長との会話。

前述した、特定の個人が掌握する権力によって、「右派」とラベリングされた人々を放擲した強大な影響力を放つ「権威」の主が、毛沢東であることは言うまでもない。

1956年に惹起した、ソ連共産党第一書記ニキータ・ フルシチョフによる「スターリン批判」が契機になって出来した、中国共産党に対する批判を歓迎する「百花斉放・百家争鳴」によって、思惑以上の批判の氾濫に驚嘆したのか、この実験的で、多分にパフォーマンスの様相を帯びた〈状況〉に翻意した毛沢東は、翌年には、党の独裁体質を厳しく指弾した知識人を「右派」と断定し、「大躍進政策」を批判した政治局常務委員(中国共産党の最高意思決定機関)の朱鎔基(しゅようき)副首相の左遷や、1959年の廬山会議での毛沢東批判の急先鋒であった英雄的軍人・彭徳懐(ほうとくかい)の失脚(後に、文革で紅衛兵によって虐待死)に象徴されるように、「右派」狩りが猛威を振るうに至る。

当然の如く、「プロレタリア独裁」⇒「全民独裁」と提言した土木建築の学者が、「右派」狩りの犠牲者になった経緯の背景は、常に「革命」という大義の下に遂行した、以上の「毛沢東の反転攻勢」によって了解し得る文脈である

思うに、カール・マルクスの革命戦略の組織論の基本命題である、「ゴータ綱領批判」(1875年)で提示された「プロレタリア独裁」という物騒な概念に象徴されているように、権力が特定の組織、階層や勢力に集中していて、且つ、その組織や勢力を束ねる特定の個人が放つ「権威」の強大な影響下にあって、権力を恣意的に運用してくことの怖さは、必ずしも社会主義独裁政権というラベリングされた「悪」のうちに矮小化されるものではないだろう。

問題なのは、特定の組織や勢力、そして、それを自在にコントロールし得る特定の個人に権力が集中してしまう社会体制というものを、時として、切に求める者のように作り出してしまう人間の根源的な脆弱性にこそ、この厄介な問題の本質がある。

 作り手のワン・ビン監督は語っている。

「自分としては、純粋に政治的なものとか、何かについて抗議をしたいとか反抗したいとかそうした意図はまったくありません。私としては、内なる心の世界をきちんと撮っていく、そして人と人との関係性がどうなるべきかということ、いまどういう状態にあって、どうなっていくかということに興味があって映画制作をしています」(ワン・ビン監督は映画の最も根幹に遡る - webDICE

 本作で描かれた「内なる心の世界」とは、特定の個人に権力が集中してしまう社会体制の中で、その特定の個人の「権力闘争」への「狂気」が発現された、常軌を逸した〈状況〉の中で翻弄され、苦吟し、彷徨し、希望の欠片をも拾えない人々のクローズドサークルの絶望的時間の累加の世界であった。

反右派闘争のパレード(ウィキ)
 「右派」とラベリングされた一群の人々に、希望の欠片をも拾えない絶望的時間の累加の世界を強いた、特定の組織の特定の個人による恣意的な権力運用の、正視できない程の凄惨さこそ、「革命の継続的闘争」という大義名分が隠し込んだ、権力への果てしなき欲望に憑かれた人間の脆弱性の爛れの様態であると言っていい。

 人間はここまで堕ちることができるのだ。



3  渺茫たる冬の砂礫の大地を、彷徨する女の慟哭が木霊して



「もし、ここ数日のうちに僕が死んだら、僕の布団で体を巻いて、この壕の奥に置いてくれ。何日か経って、妻がやって来たら伝えてくれないか。僕の亡骸を上海に運んで欲しいと」

これは、衰弱している董(ドン)が、囚人仲間の李(リー)を起こして、ダイイングメッセージの如く、覚悟を括って頼み込むときの言葉。

かつて二人は、上海の病院に勤めていた仲睦まじい夫婦であったと言う。

董(ドン)が、この依頼をした理由は、地下壕の中で遺体の一部を喰ったカニバリズム(人肉食い)の事実が発覚し、それに関与した三人が縛られていく「事件」が惹起したからである。

董の言葉通り、彼の死後、まもなく董の妻が夫に会いに、遥々上海からやって来た。

董の妻の名は、顧(グー)。

顧と
予期していたととは言え、突然の顧の訪問に驚き、その死を伝えられない李。

「自分がいなければ李を訪ねろ」と言う夫から、全幅の信頼を寄せられていた李の誠実さは、さすがに董の死の報告には逡巡した。

「夫はどこにいるんですか?」

この顧の当然の発問に対して、「外へ行ってるんだ」としか反応できず、顧の真剣な表情を正視できないのだ。

執拗に尋ねる顧の強い思いに負けて、董の死を正直に告白する李。

慟哭する顧。

「董さんは苦しまずに死んでいきました・・・」

それだけ言うのが精一杯だった。

墓まで案内して欲しいと懇願する顧に、土饅頭の場所が分らないなどと反応し、一貫して及び腰の李の態度に、同囚の仲間が難詰する。

その間、「管理係の所に行けば分るかも知れない」と答えた李の言葉に従って、一人地下壕を出て、顧はよろめく体を引き摺るように、管理係の方に歩いていく。

「数日前に墓地の前を通ると、野ざらしにされている董さんの死体が見えた。衣服は削ぎ取られて、布団もなかった。無残なことに、董さんの尻の肉は抉り取られていて、ふくらはぎも削り取られた痕が…」

自分を難詰する同囚の仲間に対する、嗚咽交じりの李のこの吐露の内実が、顧に遺体の場所を教えなかった理由の全てだった。

一方、管理係の詰め所にやって来た顧は、「夫の遺体を探してくれるまで、ここを動かない」と慟哭するばかり。

そんな顧の意固地な態度に不快を露わにする管理係の男は、顧を激しく罵倒する。

「だったらそうすればいいさ。地下壕に泊るように手配してやる。上海の職場の指導者に手紙を送り、連れ戻しに来てもらう!あんたたち都会の奥様連中は、反動思想で労働教育中の夫と縁を切るどころか、面倒を起こしに来る!政治的立場の問題だ。政府とプロレタリア独裁に盾をつくのか!」

罵倒されても、顧の思いは変わらない。

地下壕で夜を明かしても、顧の涙が乾くことがないのだ。

地下壕の隙間に射し込む一条の逆光の光線が、疲弊し切った顧の体を駆動させていく。

夫の遺体を求めて冬の砂礫の大地を彷徨する
彼女は当てもなく、渺茫(びょうぼう)たる冬の砂礫の大地を彷徨する。

何としてでも、夫の遺体を捜そうと彷徨するのだ。

顧を追い駆けていく李は、止めても聞かない彼女に、せめて土饅頭が無数にある方向だけを教える。

土饅頭をひとつずつ確認していく顧の行動が非合理的であっても、彼女には他に為す術がないのだ。

こうして、一日が過ぎ、翌日もまた、昨日と同じ行為に流れていく。

食も摂取せず、充分な睡眠をとらない顧の執念が、遂に夫の遺体に辿り着き、慟哭の極点に達する。

夫の爛れ切った遺体を荼毘に付す李の行為の中で、顧の慟哭も完結点を迎えたようだった。

天を焦がす炎が何もかも燃やし尽くし、傷心の女は、夫の遺骨を抱いて上海に帰っていく。

何もかも燃やし尽くしたのは、傷心の女ばかりではない。

師匠と仰ぐ駱(ルオ)と共に脱走を決意した李の心もまた、この夜を転機に大きく振れていく。

老いた駱を背負いながら、渺茫たる砂礫の大地を這っていく。

「俺を師匠と思うなら、逃げて行け」

体力の限界を自覚する男が、李を一人で逃がそうとするのだ。

一人で砂礫の大地を進んでも、師匠を一人で放置するに忍びず、戻って来て、自分のボロの外套を被せながら号泣する。

「このままじゃ、凍え死んでしまう!でなければ、僕も行かない!」

師匠と呼ぶ男の反応が途絶え、嗚咽の中で、歩き出す李の孤独な一歩が重く、最後の命の一滴を振り絞り、振り絞り切って、「労働教育農場」という耳心地の良い棲み家からの全人格的解放を具現せんとするのだ。

党の責任者たち
二人の脱走を知った党の責任者は、駅に公安の手配をすることで、「労働教育農場」に残っている者たちの動揺を抑えようとするが、「労働教育」の限界が時局の変動に繋がっていく。

「党の会議で、お前たちの問題が解決に向かった。近日中に家に帰るように手配する」

夾辺溝での死者の絶えない現実が、「反右派闘争」の継続力を根柢から揺さぶったのである。

帰宅を許されたのは、未だ体力の残っている健康な男たち。

そんな中で、所長は班長の陳を呼び、自分の片腕となって働いてくれと依頼した。

季節が移り、数万の人間が夾辺溝に移送されてくる来春の事態を想定する所長の依頼に、陳が拒絶すべくもない。

ラストシーン。

懊悩する陳班長
他人の布団を盗んだ者を陳に告発する囚人に対して、誰からも慕われている陳は、柔和な眼差しを崩すことなく答えたのだ。

「仕方ないよ。外の村へ持って行き、食物と換えればいい。死んだ者より生きている者が大事だ」

決して声高にならないこの言葉が、映像の決定力を生み出したと言っていい。

一人、陳が占有する地下壕のベッドで、ゆっくりと布団の中に包(くる)まるカットの長回しのうちに、物語が閉じていった。

そして、印象的なエンドロール。

一人の老人が嗚咽しながら、伝統的な歌舞劇である「蘇武牧羊」を唄うのだ。

漢の忠臣 蘇武(スーウー)は
北海の畔にて
辛酸の限りを
嘗め尽くし
胸の痛みに耐えかねて
悲嘆の涙にかきくれる
昔を思えば懐かしや

これは、紀元前一世紀の漢の時代、内乱が絶えない劣悪な環境にあって、蘇武は敵に拘束され、漢を裏切るよう求められたが、敢然と拒絶した。

 大雪の舞う真冬の寒さの中で、残虐な拷問を受けても、最後まで強権を恐れず、飢えに耐え、信念を貫徹した男の物語なのである。

 政治による理不尽な環境に置かれても、自らの拠って立つ尊厳を貫いた漢の忠臣の物語を唄うエンドロールの挿入の意味は、もはや説明の必要すらないだろう。



4  「約束された衰弱死」によって失われる、感受性の劣化を怖れる男の尊厳が弾けたとき



「約束された衰弱死」によって失われる感受性の劣化。

これが、李と「師匠」の脱走劇の心理的風景に横臥(おうが)していると言っていい。  

顧の訪問に立ち竦む
董の妻の顧の「止むことのない慟哭」を全身に浴びた李は、彼女の中に劣化し、未だ摩耗していない人間の本来的な感情を見たのである。

夫の所在を求めて、自分を伝手(つて)に訪ねてきた顧に対して、秘密にせねばならない由々しき現実を隠し込んでいたが故に、遂に、爛れ切って原形を留めない董の遺体を探し当て、慟哭する女の真情を目の当りにしたことで、奇麗事の一欠片(ひとかけら)すらも通用しない地獄の日常性を繋ぐ空しさに、李は嫌というほど気づかされるに至ったのだろう。

どうせ死ぬなら、人間らしい感情を劣化させることのない、「自由への逃避行」に振れていく気持ちの昂ぶりを抑えられなかったに違いない。

人間の極限状況を冷厳な筆致で描き切った本作の中で、最も物語的な挿入の色濃い、この一連のシークエンスこそ、「人間の尊厳」の在りようを問う映像の骨格を支え切っていて、観る者に深い感銘を与える秀逸な作品に昇華したのである。

ここで言う、「人間の尊厳」とは何か。

拠って立つ個我の、そこだけは守りたい自己像の在りよう。

これが、私の定義である。


ドルトン・トランボ・非米活動委員会の聴聞会にて

この「人間の尊厳」という由々しき問題を考えるとき、私は常に、ドルトン・トランボ監督の「ジョニーは戦場へ行った」(1971年製作)を想起する。

ここで、「人生論的映画評論」と銘打った、「ジョニーは戦場へ行った」の拙稿の一部を、少し長いが引用してみる。

以下、モールス信号という、唯一の言語的コミュニケーションの手段を手に入れたジョニーが、自分の思いを表現する重要なシーンである。

モールス信号でジョーの額を指で叩いて、通信員はゆっくりと言葉のシグナルを送っていく。

それに対して、ジョーは「僕が・・・何を・・・望むか?」と反芻し、心の中で答えていく。

モノローグである。

 「・・・新鮮な空気を浴びたい。人々に囲まれたい。ダメだ・・・僕を外に出すと、費用がかかりすぎる。だが一つだけ、僕が自分で稼げる道がある。本当の方法があるんだ!僕を見せ物にすれば、皆が見に来る。窓のある箱に入れ、金を払った客に見せる。・・・あなたや僕や隣人が、入念な計画と莫大な費用で宣伝し ろ。頭で話をする肉の塊だと。それでダメなら、軍隊が人を創ると信じた最後の男だと旗の下に集まれ。何の旗でもいい。旗には兵士が必要で、軍は人間を創る!」

僕は”“外に”“出たい”“皆が”“見られるように”“僕が何であるかを”“僕を出してくれ”“カーニバルの・・・見せ物に”“皆が僕を”“見られるように”“外に出してくれ

 この一連のジョーの心の訴えは、この鮮烈な映像の中で最も印象深く衝撃的なものである。

彼はサーカスの見世物になっても、この管理された空間を脱出したいと叫んでいるのだ。

 そんな彼の叫びに、スタッフは、「今は外には出せない」と伝えるのみ。

ジョーは、最後に残された叫びを上げる。

 「もし”“あなた方が”“僕を”“皆に”“見せたくないなら”“いっそ・・・殺してくれ

 これが、一切の自由を奪われた男の、それ以外にない最後の選択だった。


ジョニーは戦場へ行った」より

彼は尊厳死をこそ望んだのだ。

 この最後の叫びによって、映像の作り手が伝えようとした反戦のメッセージを相対化してしまったのである。

そもそも、「人生」が成立するのは、「人生」を成立させる、少なくとも、四つの要件が前提になると私は思う。

 それらは第一に、「人生」を営む主体としての人格であり、第二に、その人格が展開する表現空間、第三に、そこで展開された表現を記憶に繋いでいく時間であり、そして第四に、その人格が、別の人格との間で何某かの関係を繋いでいく社会性である。

 即ち、「人生」とは、固有の人格が固有の時間の内に、社会的繋がりを視界に入れて、特定の空間で展開される固有の表現的営為であると言えようか。

 思うに、映像で描かれた若者には「人生」が成立したと言えるのだろうか。

 モールス信号による意志伝達が遮断され、管によって生命を保障されただけのその後の闇の時間にも、果たして、彼には「人生」と呼べる価値のある何かが成立したと言えるのか。

彼の存在はそもそも、「人生」の主体としての人格であると言えるか。

モノクロの陰陰滅滅たる映像に、その剥ぎ取られた肉体を晒した冒頭の描写から、既に彼の自我は「絶対孤独」の状況に搦(から)め捕られているのだ。

 「絶対孤独」とは、私の把握によれば、自我が空間的にも時間的にも弧絶された状況に捕捉されていて、それが自らの意志によって変えられない内的状態のことである。

 従って、人は「絶対孤独」の闇で呼吸を繋ぐことはできても、その闇の深奥で、「人生」と呼べるものを築くのは甚だ困難であると言う以外にないのである。

以上の引用文で、なぜジョニーが、サーカスの見世物小屋に出してくれと叫んだか瞭然とするだろう。

彼にとって自己の存在性の根拠は、単に「生体実験」の格好の何ものかでしかなかったのだ。

ジョニーは戦場へ行った」より
自殺すら遂行し得ない、この「絶対孤独」の闇の中で、心的苦衷の果ての死を迎えるよりも、サーカスの見世物小屋に出ることの方が遥かに価値のある生き方だった。

なぜなら、そこには「人生」が存在しているからである。

自分がそこに存在することを確認できる唯一の手段が、ジョニーとって、見世物小屋の「好奇の視線に晒らされること」になる方略以外になかった。

それでも良かった。

それは、拠って立つ個我の、そこだけは守りたい自己像の在りようとは乖離しても、自己の存在確認を可能にしてくれるのである。

その意味で、「人間の尊厳」とは、人間の普遍的な問題であると言うよりも、寧ろ、極めて個人的な、〈生〉の在りようについての概念であると考えるべきである。

だから「人間の尊厳」とは、形成的な自己像の在りようと言ってもいい。

形成的な自己像には、当然の如く、「人生」の存在が不可避である。

「人生」が存在しない「物体」であるより、「人生」が存在するサーカスの見世物小屋を切望するジョニーの叫びが、反転して、形成的な自己像の在りようと乖離しても、「人間の尊厳」に関わるときの最も重い一撃と化した所以である。

だからこれは、途轍もなく凄い映像になった。

以上の文脈で、李の脱走劇の本質が、「人間の尊厳」を死守せんとする男のエピソードであることが瞭然とするだろう。

「約束された衰弱死」の世界に向かう者たち
「約束された衰弱死」によって失われる感受性の劣化。

彼は、これを怖れたのである。

その恐怖はジョニーと違って、拠って立つ個我の、そこだけは守りたい自己像の在りようと乖離してしまうのだ。

この感受性を復元させてくれた董の妻の顧の「止むことのない慟哭」を全身に浴びた経験は、彼にとってあまりに重い凝縮された時間だったのである。

だから彼は、「約束された衰弱死」に最近接した「師匠」の死のイメージを確認しても、それがなければ凍死するかも知れない恐怖に打ち勝って、自分のコートを被せ、「約束された衰弱死」によって失われる自己像の在りように寄り添っていったのだ。

「自由への逃避行」に振れていく凍死の方が、「約束された衰弱死」によって失われる自己像の崩壊よりも、彼にとって遥かにマシだったということである。



5  人生に目的を持って生きている者の言葉



「これはもう50年以上も前のことですが、当事者は何を忘れないでいたかで、それを取り出し、そこから映画の輪郭を見つけ出していきました。普通の歴史物ではなく、さまざまな人の記憶の断片を重ね合わせて、この映画を作ることにしたのです。そういう意味で重要なのは、ラストシーンです。数多くの人を訪ねたけれど、ある人は多くを語ってくれなかった。でも暫くすると、突然彼は、自分の感情を制御できないかのように、『初めて死体を埋めた時の感覚が君に解かるか?』と言った。当時人が亡くなると、布団や衣類をはいでしまって裸にし、谷間に行って埋めたようです。埋めようとした時、死体を狙う鳥の声がして、恐怖と共に、自分たちが運んでいるのは動物ではなく人間なんだと、強烈に意識したそうです」(太秦からの映画便り・映写室「無言歌」ワン・ビン(王兵)監督合同会見)

ワン・ビン監督
これは、ワン・ビン監督の言葉。

一貫して感傷に流されることのない映像の決定力に、私は言葉を失った。

圧倒的なリアリズムの筆致を繋ぐ確信犯的映像の凄みに、私は言葉を失ったのだ。

「中国国内で作品が上映禁止になっていることを、どう感じていらっしゃいますか。
もうね、いいんです。そういう状況には慣れてるから(笑)。私が撮っているのは商業的な映画でもないし、お金を儲けようとして撮っているわけでもないので、中国で観てもらいたいということはあまり考えないようにしています。私は自分の時間を無駄にしたくないし、撮りたいものを撮りたい」(Realtokyo・ワン・ビンさんインタビュー)

これも、ワン・ビン監督の言葉。

 「私は自分の時間を無駄にしたくない」

 人生に目的を持って生きている者の言葉を視界に収めたとき、思わず液状のラインが私の頬を濡らしていた。

 中国人民解放軍総参謀部が2013年の軍事訓練に関して『戦争にしっかり備えよ』と全軍に指示していたことが分かった。14日付の軍機関紙・解放軍報が一面トップで伝えた。沖縄県・尖閣諸島や南シナ海などの問題を念頭に、軍事衝突も想定して、軍の準備を加速させる狙いがあるとみられる」(時事通信 1月14日配信)

「このところの中国国内のテレビドラマも、抗日歴史ドラマのオンパレードだ。『民兵葛二蛋』『向着炮火前進』『平原烽火』『銃神伝奇』『干的漂亮』『殺狼花』『神銃』『戦旗』・・・。テレビのチャンネルをひねると、これでもかというほど、朝から晩まで抗日ドラマが溢れている。 これらドラマのほとんどが、悪辣な日本兵が罪もない中国人民を殺戮し、共産党パルチザンが復讐に立ち上がるというワンパターンのストーリーだ。しかも、ドラマは共産党員が日本軍を撃退するシーンで、最高潮に盛り上がる。まるで『中国版忠臣蔵』(?)の世界だ。 このようなドラマばかり毎日見ている中国人が、『憎き日本にいつか復讐してやる』という気分になるのは当然のことだろう。ちなみに中国では、大学入試でも『共産党抗日史』は必須である」(現代ビジネス 日中開戦・「習近平新政権にとって、後退するという選択肢はない」2013年01月14日 近藤 大介

 今や、ウクライナより購入した空母ワリヤーグ(遼寧)を保有するに至った、中国海軍の挑発的言辞が連射される状況下にあって、こんな物騒な記事が配信されてくるほど、太子党のエース第5世代の習近平体制を動かす軍部の圧力が日増しに増強される印象を受ける日々の中、ワン・ビン監督のように検閲網を潜って、本作のような映像を世界に向けて発信・提示してくる男たちの「民主化」の、うんざりするほど時間を要する闘いに期待する外ないのかと、青臭く、感傷含みで唸ってしまう今日この頃である。

(2013年1月)

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