1 「そばにあると思うだけで心強い。一度、回転木馬に乗ったら簡単に降りられない」 ―― アルコール依存症者の悶絶
「金曜から月曜まで、のんびり田舎暮らしだ」
「長い週末だ」「お前の体のためだ」
10日も禁酒している33歳の売れない小説家・ドン・バーナム(以下、ドン)が、断酒するために、N.Y.から兄・ウィックの田舎に行くその日、兄の目を盗み、アパートの窓に吊るしたウィスキーの瓶を引き上げ、一気に飲もうとするが、しくじってしまった。
この冒頭のエピソードが、本作を支配するテーマとなっていく。
その間、ドンが隠したウィスキーを見つけ、早速、ウィックを困惑させるのだ。
二人が出かけた直後、給金を受け取りに来た家政婦の金を掠め取り、忽ちのうちに、その金を酒に換えてしまうのだ。
かくて、本人が言う、10日間の短い禁酒生活は頓挫するが、その間も、兄の目を盗んで、少量ずつでも、酒を体内に流し込んでいた事実が判然とする。
手に入れた酒を自宅に持ち帰り、それを隠し込むドン。
出発の時間に遅れたことで、田舎行きをすっぽかしてしまうのである。
怒った兄だけが、一人で田舎へ行ってしまうのだ。
以下、バーのマスターのナットに、自分の過去を吐露していく。
「酒びん」という名の、酒に溺れた男の告白の書を小説化しようと考えているドンだが、中々、筆が進まないのもまた、その酒が原因だった。
オペラを観に行って、レインコートを間違えたことで、ヘレンと出会い、恋仲になっていく。
「治ったと思った男は、真剣に結婚を望んだ。だが、早計だった。まだ、酒の誘惑が待ってた。彼女の両親が相手の男に会いに来て、N.Y.のホテルに宿泊した。男は両親に紹介すると言われ、ロビーに行った」
その後、男は両親が自分のことを期待する話を傍で聞き、プレッシャーを受け、その場を抜け出してしまった。
恐怖感で抜け出した男は酒を飲み、結局、ヘレンの両親と顔を合わせることなく、酒漬けになってしまった。
アルコール依存症で入院経験がある男が、兄に語った言葉である。
更に厄介なのは、泥酔した状態をヘレンに見られたことだった。
緊張すると酒に逃げてしまう男の弱さが曝け出されてしまうのだ。
「出会ったとき、本当の姿を見せるべきだった」
ヘレンに語った男の言葉。
しかし、ヘレンは、そんな男の弱さを認知しつつも、彼の病気を治してあげようと意を決するのだった。
以上が、ナットに語った自伝小説の内容だった。
その小説を書き始めていくドンだったが、あえなく頓挫する。
そればかりではない。
人の金を盗んでも酒を飲もうとしたが、その一件がバレ、店を追い出される始末。
酒を求めて、街を徘徊する男。
自分の商売道具であるタイプライターを売ろうとするが、何もかも儘ならない。
挙句の果てに、見知りのバーの女から金を借りるものの、階段から落下し、気絶してしまう。
気が付いたときは、禁酒法時代からの患者を抱えている、アルコール依存症者の病院のベッドだった。
アルコールの血中濃度が高かったからである。
開店したばかりの酒店に押し入り、恫喝してラムを手に入れたドンは、アパートに戻って来るが、今度は幻覚に襲われる。
ヘレンがやって来たのは、その直後だった。
「帰ってくれ」
理性を失った男は、最も醜悪な姿を恋人に見せてしまうのだ。
それでも、必死に介抱するヘレン。
翌朝、そのヘレンのコートを質に入れたことが彼女に知られ、ヘレンの忍耐も限界点に達していた。
「3年経って、やっとあなたが見えた。ただの大酒のみだって分った。飲むためなら嘘もつく。裏切りもする」
その直後、質屋で、ドンの行為がピストルと交換するためだったという事実を知ったことで、慌ててアパートに戻るヘレン。
自殺を懸念したからである。
ヘレンがやって来たのは、ドンが遺書を書き終え、ピストル自殺を図ろうとした時だった。
ドンの振舞いを読み取ったヘレンが、あろうことか、彼に酒を勧める。
「悪いけど、帰ってくれ」
「好きなだけ飲んで。飲んでも死ぬよりはいいわ」
「生きて!あなたの望みを果たすのよ」
「今から、どうやって!」「お酒を断つの。体を治すことが先決よ!」
「無理だ!」
「できるわよ!」
「僕に何がある」
「才能と野心よ」
「両方とも、酒に溺れた」
「そんなことはない」
「書くテーマさえない。君は奇跡を求めてる!」
相手を想う女の心と、それを素直に受容できない男の喧嘩腰の議論を収束させたのは、バーのマスターのナットの唐突な訪問だった。
川に浮かんでいたという、ドンのタイプライターを届けにやって来たのだ。
それでも、簡単に本来の仕事に入り込めない男を、執拗に女は励ます。
「悩みを吐き出すの」
ナットに話した、例の「酒びん」というタイトルの自伝小説を書くことを求めるヘレン。
「この週末の出来事を書こう」
2 ラストシーンから再び開かれていくアルコール依存症の破壊力
有名な「禁酒法」が、アメリカで施行されたのは1920年から1933年。
捜査員によって下水道に廃棄される密造酒(ウィキ) |
「身体依存がなくとも精神依存により薬物摂取への欲求、渇望が起こりうることが判明し、1964年にWHOによってそれまでのaddiction(嗜癖)やhabituation(習慣性)に代わって、dependence(依存)の用語が提唱され、現在に至る」(WEBサイト・「脳科学辞典」より)
この一文が示すように、身体依存がなくとも精神依存による薬物摂取への欲求・渇望が起こり得ることが判明し、アルコール依存症という概念が定着したのが1964年である事実は重要である。
「信じろよ。立ち直ろうと努力してるんだから」
映画の中で、主人公のドンが、恋人のヘレンに言った言葉である。
そう言いながら、部屋の中に隠し込んだウィスキーを必死に探すドンの行動には、明らかに、離脱症状の中核である「振戦譫(せん)妄」(後述)が現出していた。
「そばにあると思うだけで心強い。ないと不安だ。やたら欲しくなる。一度、回転木馬に乗ったら簡単に降りられない」
ナットに吐露した言葉が、アルコール依存症者の本質を象徴していると言える。
ビリー・ワイルダー監督 |
何より、主人公のドンの滑舌が明瞭過ぎて、アルコール依存症特有の陰翳が映し出されても、それがレイ・ミランドの作為的な演技力の所産であると印象づけられてしまうのだ。
深いテーマ性を持った良い映画だが、愛の力によって、あまりにも、簡単に「予定調和」のハッピーエンドに流れてしまうのは頂けない。
「リービング・ラスベガス」より |
従って、私自身、「離脱症状」の破壊力によって、この映画はラストシーンから、決して完治することのないアルコール依存症の地獄が、再び開かれていくと読み替えている次第である。
2 アルコール依存症は「死に至る病」である
ここでは、現時点で確認し得ている情報をもとに、アルコール依存症が飲酒行動を自己コントロールできず、強迫的に飲酒行為を繰り返す精神疾患であるが故に、アルコール依存症が「死に至る病」であるという厄介な現実を書いていきたい。
これは、我が国のアルコール依存症に対する定義である。
「具体的には、飲酒のコントロールができない、離脱症状がみられる、健康問題等の原因が飲酒とわかっていながら断酒ができない、などの症状が認められます」(同上)
「軽~中等度の症状では自律神経症状や精神症状などがみられます。重症になると禁酒1日以内に離脱けいれん発作や、禁酒後2~3日以内に振戦せん妄がみられることがあります」(同上)
この「振戦譫(せん)妄」こそ、「離脱症状」の中核を成す異状である。
重度な依存症のケースでは、「離脱症状」からの「解放」のために、却って過飲状態になるから、この負の循環が肥大化し、「死に至る病」の決定的因子と化す。
この状況下では、もう、自分の意志で酒を断つことが殆ど不可能になる。
ここで、アルコール依存症の進行プロセスを紹介する。
「習慣飲酒」が始まる(機会あるごとに飲むから耐性の形成)⇒ 「精神依存」の形成(酒量が増え、ほろ酔い程度では飲んだ気がしない。ブラックアウト=「記憶の欠落」が起きる。生活の中で、飲むことが次第に優先になる)⇒ 「身体依存の形成」(寝汗・微熱・悪寒・下痢・不眠などの軽い離脱症状が出現し始めるが、自覚しないことが多い)⇒ 「トラブルが表面化」(酒が原因の問題=病気やケガ、遅刻や欠勤、不注意や判断ミス、飲酒運転での検挙などが繰り返される。
家庭内のトラブルが多くなる)⇒ 「人生の破綻」(アルコールが切れるとうつ状態や不安におそわれるため、自分を保つために飲まざるをえない。連続飲酒発作、幻覚(離脱症状)、肝臓その他の疾患の悪化により、仕事や日常生活が困難になる。
家族や仕事、社会的信用を失い、最後は死に至る。
この「進行プロセス」は、市民団体ASKのHPからの引用だが、アルコール依存症が「死に至る病」であることの確認になると思われる。
アルコール依存症に関する誤解と真実について、ここでも、ASKのHPから引用しておこう。
「飲酒をコントロールできないのは、意志が弱いからではなく病気の症状。また、酒が切れると離脱症状(禁断症状)が出てくるので、それがつらくて飲んでしまうのです。医学的に『依存症になりやすい性格』はありません。ただし『依存症になりやすい体質』はあります。飲んでも赤くならず二日酔いしにくい(アセトアルデヒドの分解能力が高い)
気持ちよい酔いが味わえる(脳の「アルコールへの感受性」が高い)人です」(「アルコール依存症に関する誤解と真実」より)
因みに、アセトアルデヒドは、アルコールが体内に取り入れられ肝臓で分解される際に発生するもので、アセトアルデヒド脱水素酵素の働きによって無害なものへと分解される、毒素成分が強い有害物質。
繰り返すが、アルコール依存症は「死に至る病」である。
本作の主人公がそうであったように、アルコール依存症者は安寧な日常的秩序が保持できず、充分な睡眠時間の確保のラインを簡単に突き抜けていく。
アルコールは肝臓で分解されるが、 肝臓の分解能力には限界があるが故に、痛みを感じることなく、静かに、しかし、確実に死に向かって蝕まれていく。
徐々に脂肪がたまり、肝硬変の状態にまで悪化していく。
今や、アルコールを分解する能力が喪失してしまうのだ。
アルコールの乱用によって耐性が劣化し、いつしか、感受性が亢進していく。
感受性の亢進は「再燃性」を準備し、少量の飲酒でも酩酊し得る現象が起こる現象 ―― これを「逆耐性現象」と呼ぶ。
この「逆耐性現象」は、飲酒プロセスの最終段階としてのアルコール依存症の極点である。
ここから、視座を変えて言及していく。
「複雑酩酊」と「単純酩酊」という言葉がある。
「単純酩酊」とは、普通に酔うことで、通常のタイプの酩酊(正常酩酊)である。
それに対して、酒乱と呼ばれる酔い方である「複雑酩酊」とは、酩酊状態の中でブラックアウト(一時的な記憶喪失)に近い状態になり、気分が高揚しやすく、著しい興奮が出現することで、性格・行動の変容が見られるような酩酊(異常酩酊)である。
他に、「異常酩酊」には、非常に強い興奮状態の中、理解し難い言動を身体化し、見当識障害が現出する「病的酩酊」があるが、未だに出現のメカニズムが解明されていない。
ともあれ、神経耐性が不安定になること ―― これが、過度な飲酒の引き金になる「複雑酩酊」の厄介な所以である。
従って、「複雑酩酊」を常態化しているにも拘らず、飲酒を続けていれば、極めて高い確率で、「死に至る病」であるアルコール依存症を発症するだろう。
「抑制不能飲酒」という飲みっぱなしの状態を放置する、この「酔い方の異常」を、決して舐めてはならないのだ。
アルコール依存症の発症は50歳がピークと言われるが、一度、アルコール身体依存が形成されると、その履歴現象のために、途端に飲みっぱなしの状態になってしまう。
一度、アルコール依存症に陥ると、もう、普通の酒飲みには戻れないのである。
回復しても、完治はしないのだ。
断酒することによってのみ、生存率が高まるだけある。
以上、現時点で、化学的因子の分析で判明している事実の中に、アルコール依存症の破壊力が、却ってリアリティを持つ事態について言及した次第である。
【ここまで読んで頂いて、心から感謝します】
(2016年11月)
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