<世俗世界の裸形の様態を、限りなく包括的に拾い上げる「人間賛歌」の傑作>
1 自己の分身を外在化させた「うなぎ」との不離一体の関係という防衛機制
ごく普通の真面目な印象を受けるサラリーマンの山下拓郎が、妻の不倫の現場を目の当たりにして、激しい憤怒を炸裂させ、その場で妻を刺殺する事件を起こしたのは、1988年夏のことだった。
妻の不倫の事実を知ったのは、それを告発する差出人不明の手紙を受け取ったからである。
その山下が再犯の怖れがない等々の理由で、刑務所を仮出所したのは、事件後8年のこと。
仮出所した山下は、保護司である、千葉県佐倉市の住職・中島の世話で、利根川沿いに小さな理髪店を開業するに至った。
これが、冒頭のシークエンス。
妻を殺害した後、自転車に乗って、「夜霧よ、今夜も、ありがとう」などと歌いながら、警察に自首する男の心理を支配するのは、明らかに、忌まわしい事件に対する後悔の念が全く存在しないことを意味している。
その意味で、仮出所の重要な要件の一つである「悔悟の情」が欠落しているが、その辺りは中島の機転で巧みにクリアしたのだろう。
だから当然、中島自身も気づいていたのは事実だが、潔癖過ぎるほどの山下の生真面目な性格を評価する思いが強かったに違いない。
ではなぜ、山下は妻殺しというおどろおどろしい行為に走ったのか。
深く愛するが故の嫉妬が、激しい憤怒による情動炸裂に結ばれたのか。
潔癖過ぎるほどの生真面目な性格が、理性系を抑制できなかたのか。
明瞭に説明できないところが、人間の分りにくさとも言える。
少なくとも、自らの行為に深い後悔の念を垣間見せなかったのは事実だった。
むしろ、一過的に浄化する気分に近かったと思われる。
それは、彼にとって、愛する妻に長い間裏切られていた行為に対する正当な報復であって、それ以外の何ものでもなかったのだ。
だから刑務所でも、強い贖罪観念に悩まされることなく、その本来的な生真面目な性格で、囚人としての非日常の日々を淡々と繋いでいたに違いないことが想起される。
今村昌平監督 |
今村昌平監督がその辺の事情を全く描かないのは、既に、提示された映像のみで、観る者は理解できると考えているからだろう。
ここで興味深いのは、女性の声でボイスオーバーされる、妻殺しの男に届いた匿名の手紙を書いた者が、一体、誰であったかについて、最後まで分らないということである。
自らが関心を持たない対象をエピソードに結ぶことを嫌う今村昌平監督にとって、手紙の犯人探しのサスペンスなどは、近所の好奇心旺盛な主婦であるという印象を持たせるだけで、どうでもいいことだったのか。
「手紙なんか最初からなかった。お前の嫉妬が生んだ妄想なんだ!」
山下の幻想の中に現出する、この刑務所仲間の高崎の物言いのカットに引っ張られやすいが、この分りやすいカットの挿入で、むしろ、山下の妄想というよりも、彼自身が、妻殺害の決定的契機になった匿名の手紙のリアリティに対して、疑心暗鬼の心理に捕捉されている現実を検証するものと考えられる。
従って、ここは、否応なくインボルブされる外的状況に、山下の自我が制御し得ない内的状況の混迷を表現しているのだろう。
いずれにせよ、極端に人間不信になった潔癖な男が、それでも生きていくには自我をスモール化して、在るがままに受け入れてくれる存在を必要とするだろう。
ここで言うスモール化とは、生存を除く人間の根源的営為を排除することである。
山下の場合、具体的には、特定他者との「共有関係」と「性的関係」である。
彼は、この人間の根源的営為を排除することで自我をスモール化し、特化されたスポットで呼吸を繋いでいった。
生殖と無縁な一匹の〈生〉の限定的対象に一方的に語りかけ、それを全面的に受け入れてくれる自我防衛の戦略は、自己の分身を外在化させることであった。
「うなぎ」は、山下自身の分身であると言っていい。
「俺はここが気に入った。お前はどうだい?ムショの池より、よっぽど気分がいいだろ」
利根川の河辺に住むことが決まったときの、山下の語りかけである。
「うなぎ」のように、余計なことを語ることなく、誰とも共存・共有せず、限定的な小さなスポットで静かに呼吸を繋いでいくこと。
それだけで充分だった。
「話を聞いてくれるんです。それに余計なことを喋りませんから」
保護司の中島に語った山下の言葉である。
だから、人好きのする隣家の船大工・高田に誘われ、鉄製の突き刺し具の「ヤス」で突くうなぎ漁に対し、「この漁は、あまり好きになりません」と反応するのは当然だった。
自身の分身である「うなぎ」を傷つけることなど、あってはならないのである。
その夜、山下は「うなぎ」の悪夢にうなされる。
そこまで彼は、「うなぎ」と一心同体になっているのである。
この心理を、「防衛機制」と説明してもいい。
防衛機制とは、自我が傷つくのを防ぎ、心理的に安定した状態を保持するための心理的作用である。
「タカッポ」の漁 |
因みに高田は、「ヤス」に代わって、筒状の罠を仕掛けて捕捉する「タカッポ」の漁を山下に教え、共にうなぎ漁の時間を共有していく。
女房に死なれて独身の高田は、何気に山下の女房について尋ねるが、「もう、女は沢山です」と答えるのが精一杯の山下。
常に、他者との距離を確保することに執心する山下にとって、自己の分身を外在化させた「うなぎ」との不離一体の関係だけが、それ以上ない心の拠り所であった。
2 贖罪観念の発現を生む女との出会いと、取り憑く男の出現
様々な人間が蝟集(いしゅう)する娑婆で、小さな理髪店を開業した以上、誰とも語ることなしに生きていくことなど不可能である。
左から山下、中島、高田
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前述した隣家の船大工の高田、山下の無愛想にケチをつけながらも、理髪店の常連になる人の良いスポーツカーの男・野沢、更に、ミステリー・サークルを作り、床屋のサインポールを使って、本気でUFOを呼ぼうとする変わり種の青年・昌樹(まさき)など。
皆が、理髪店を我が物顔で占有し、「床屋談義」に花を咲かせるのだ。
一種の小さなコミュニティを形成するという具合なのである。
桂子の自殺未遂 |
そして、この小さなコミュニティが、特化された空間に昇華させていくのは、「床屋談義」の中枢に服部桂子が加わるようになっていったからだった。
桂子との出会いは、訳ありの彼女が河原で自殺を図り、倒れている現場を目撃した山下が救済したという、異常な出来事が発端になっていた。
まもなく、その桂子が、山下の理髪店で働くようになったのは、中島の妻・美佐子のたっての懇願の結果であり、当然ながら、山下自身の快諾を得たものではなかった。
しかし、殆どナチュラルな桂子の明るい振舞いは、人の良い常連客の面々の好感度を高め、理髪店の空気を一変させていく。
山下の内面にも、桂子を受容する気持ちが生れ、不自然ながらも会話を繋ぐ時間が作られていくが、決して、自らが策定した距離を壊すことはない。
そんな中で、山下と桂子の関係が最近接した一つの小さな出来事 ―― それは、甲斐甲斐しく働く桂子が、コップ洗いの際に手を切る怪我を負うや、応急手当てをした後、山下が自転車を飛ばして、彼女を病院まで運ぶというエピソードである。
山下と桂子 |
この一件で、住職の庫裏(くり=居住場所)に寝泊りしていた桂子が、山下の理髪店に住み込みたいと申し出たが、当惑するばかりの山下。
「何で、ここにいたいんだ?」と山下。
「山下さんみたいな人、今までに会ったことなかったから。この怪我のときも、今まで私のこと、あんなに心配してくれた人、いなかったんです」
これだけの会話の中に、山下を想う桂子の気持ちが凝縮されている。
しかし、急速に最近接したとは言え、山下の心中には、人に言えない過去がある。
何より、極端に人間不信になった潔癖な男の心が昇華するには、彼の内側で決定的な変容が必要だった。
未だ男には、その条件が形成されていないのだ。
生存を除く人間の根源的営為である、特定他者との「共有関係」と「性的関係」が排除されているからである。
だから、「タカッポ」の漁が成功し、桜橋で、夜釣りの後の弁当を作って待っている桂子を無視する山下。
この出来事と、ほぼ同時期に起こった、もう一つの決して小さくない出来事 ―― それは、先述した、かつての刑務所仲間・高崎との遭遇だった。
高崎は出所後、ゴミ回収の仕事に就いていて、たまたま、桂子の回収の依頼で理髪店にやって来て、そこで山下と遭遇したのである。
動揺する山下。
しかし、彼には何もできない。
桂子との形式的同棲をも引き受けられない。
相変わらず、夜釣りの後の弁当を受け取ろうとしないのである。
自らが殺めた妻が、その度に作ってくれた弁当を思い出すことは、山下にとって苦痛でしかなかったであろう。
少しずつ、彼の内側で贖罪観念が生れてきているのだ。
桂子の愛人で、金融会社の共同経営者でもある堂島が理髪店に現れたのは、そんな折だった。
東京の病院に「心の病気」(桂子の言葉)で入院している、「秋田のカルメン」を自称する桂子の母が、左前になっていた堂島の会社への出費を約束した件で、その履行を求めて、堂島がやって来たのである。
元を正せば、桂子の睡眠薬摂取による自殺未遂の原因は、堂島との愛人関係の縺れと、フラメンコを踊ることに生き甲斐を見つけ、その度に桂子に迷惑をかけるだけで、精神病院を抜け出す母との血縁に嫌気が差した事情に起因する。
「お母さんに睡眠薬を沢山飲ませて、私も死にたい。あの母の血を引いていると思うと怖くて」
これは、未だ愛情を繋いでいたときの、堂島とのセックスの中で吐露した桂子の言葉である。
一方、高崎との遭遇は、山下の心に負荷をかけるようになっていく。
「相変わらず、過去の態度を反省しないという態度は良くない。私と同様、人殺しをやっていながら、女を引っ張り込んで、いちゃいちゃと二枚目気取りで、墓参りもしないのは許せない。私は日夜、嫁と養母の位牌に手を合わせ、写経にいそしみ、冥福を祈っている」
高崎からの手紙である。
その高崎は、山下の過去について、既に桂子に密告していたが、その事実を知った山下は、自らの妻殺しの前歴を桂子に吐露するに至る。
「何度も出刃包丁で刺して、俺は人殺しだ。忘れようとしたが、この手が覚えている。骨に弾かれて肉に突き刺す包丁の感じや、内蔵を抉ったときの生温かい拳の感じは忘れられるもんじゃない」
それを聞いて、桂子は反応する。
「余程のことがあったんでしょ。あなたのことが知りたい」
「もういい!帰ってくれ!」
この山下の怒号に対しても、全く物怖じしない桂子の性格の強さが際立っていた。
その桂子が悪阻(つわり)で倒れたのは、理髪店からの帰路だった。
待ち伏せしていたかのように、高崎が出現し、桂子に襲いかかる。
相手の両足を持って振り回す、「ジャイアントスイング」というプロレス技をかけた後、レイプに及ぼうとする高崎の軟弱な体を振り切り、自転車を飛ばして走っていく桂子。
ここでも、優しさと共存する桂子の性格の烈しさが強調されている。
置き去りにされた高崎が、その足でサインポールの消えた夜の理髪店に赴き、その扉に悪意のこもった張り紙を貼り付けていく。
以下、般若心経の全文を書いた紙と共に、貼り付けられていた張り紙の文言。
「女房殺しのくせに、いい気になりやがって、ふざけるな」
執拗な嫌がらせを止めない高崎と、この男に翻弄される山下の〈状況性〉。
これは一体、何を意味しているのか。
般若心経 |
私は、この高崎の存在もまた、山下の分身であると考えている。
無論、幻想ではないが、事件以来、強い贖罪観念に悩まされることがなかった山下の内面に、その相貌性が妻と似た桂子との関係を通して、かつて「円満夫婦」であると信じた「蜜月期」をトレースしていく現象(特に、夜釣りの後の弁当)の中で、有無を言わせず、インボルブされていく事態に捕捉され、煩悶を深めていく内的行程それ自身を外在化させる象徴的イメージが、高崎の存在そのものだった。
即ち、山下の贖罪観念の自覚的な発現が、この一連の物語の展開の渦中に炙り出されてきたのではないのか。
圭子との関係の最近接の時期と、高崎の出現の時期が重なっていたことは決して偶然ではないのだ。
同時に、「嫉妬して何が悪い」と言い切った高崎の攻撃的言辞もまた、潔癖な男のスモール化させた自我の内奥に封印されている感情の集合体でもあった。
外在化させた象徴的イメージである高崎の存在は、自我をスモール化させて呼吸を繋ぐ山下の中枢に取り憑き、封印されている感情の集合体を抉(えぐ)り、曝け出していく裸形の人間的様態でもあったのだ。
贖罪観念の発現を生む女との出会いと、取り憑く男の出現が山下の中枢に侵入して来たのである。
3 世俗世界の裸形の様態を、限りなく包括的に拾い上げる「人間賛歌」の傑作
「妊娠4カ月過ぎで堕ろすのが面倒だ。思い切って産んだら」
ひどい悪阻を経験した桂子が、堂島との胎児を堕ろすために訪ねた産科院で言われた言葉である。
その夜、脇差を手に持つ母が、「私が邪魔だば、死んでやるぞ」と狂乱する悪夢にうなされる桂子。
自殺未遂に追い込まれていくルーツが、悪夢によって再現されたのだろう。
その頃、煩悶する女を追い出すようにした男もまた、暗い過去を持つ自己を見詰める時間の渦中にあった。
「タカッポ」の漁を共有する高田の話に、山下は真剣に耳を傾けていた。
ウナギの生活史 |
「大昔には、うなぎにメスがいねぇと思われていたんだ。オスばかりとだな。ところが、うなぎのメスはな、腹に卵を抱えたまま、2000キロを南を旅してから、塩分の変わり目にあうと、いっせいに卵を産むんだ。ついて来たオスも、そこで精子をばらまく。メスもそこで、かなり死ぬんだ。子供は5ミリくらいのもんだが、日本まで半年もかかって帰って来る。何万、何十万もの犠牲を払ってよ」
本作の中で、相当に深い意味を持つ語りである。
この高田の話は、淡水魚でありながら、海に旅して産卵・孵化(ふか)し、誕生した子供が淡水に遡(さかのぼ)って来る「降河回遊」(こうかかいゆう)の現象のことだが、明らかに「生命の連鎖」の驚異について映像提示している。
その直後、高崎の張り紙の文言を読んだ高田に、重い言葉をゆっくりと吐き出していく山下。
「許せなかったんです、あいつのこと。好きだから。だから、どうしようもなかったんです。好きなのに何で殺すのかって、何度も何度も考えたんです。だけど、どうしても許せなかったんです」
「好きなのに殺す」という行為の含みが、「どうしても許せなかった」というモチーフに結ばれる感情には特段の飛躍がない。
「俺はあのとき、恵美子と一緒に死んだんだ」
自身の分身である「うなぎ」に語りかける山下。
匿名の手紙のリアリティに疑心暗鬼になるシーンは、このときのこと。
ニホンウナギ |
この辺りから、自身の分身であるはずの「うなぎ」の象徴性に変化が見られる。
「生殖の限りなき根源性」への驚異。
それが、高田の話に包含される深い意味の内実である。
だから、限定的な小さなスポットで呼吸を繋ぐだけで、生殖と無縁な「うなぎ」は「解放」されねばならない。
人間不信になった潔癖な男が生きていくために、自我をスモール化することで、在るがままに受け入れてくれた「うなぎ」の存在の象徴性が、強い贖罪観念の媒介によって希釈化されていく内的行程を必至にしているのだ。
そんな潔癖な男を変容させていく桂子は今、意を決して動いていく。
母を精神病院から連れ出し、よりマシな生活ゾーンに送り込み、その母の預金通帳を堂島の金融会社から持ち出して、佐倉市の住職・中島の元に戻って来た。
彼女もまた、本気で人生の再出発を決意しているのである。
しかし、彼女の決意に大きく立ちはだかる者がいる。
堂島である。
その際、桂子のお腹に胎児がいる事実を知った堂島は、「俺の子か」と詰め寄るが、ここで、堂々とした啖呵を切ったのは山下だった。
「俺の子だ!」
そう言い切ったのだ。
自我をスモール化していた男が、その殻を破って、特定他者=桂子との人間的な「共有関係」と、観念的な「性的関係」を結んだ瞬間だった。
このエピソードで最も重要なシーンである。
特定他者=桂子との人間的な「共有関係」と、観念的な「性的関係」を結んだ男が、桂子を守るのは当然過ぎる行為だった。
それは、特定他者=桂子を守り、自らを再生させていく決定的な行為である。
そのために、血の気が多い子分を連れて暴れている堂島の顔を、桂子の手から奪った髭剃り用のカミソリで傷を付ける確信犯的な行為に及んだのは、自らの仮釈が取り消されて刑務所に戻されるリスクをも覚悟した暴走だった。
ここまで、この男は変容したのである。
「堕ろすな。産んでくれ」
堂島との子を堕胎すると言う桂子に、山下はそう言い切った。
まもなく、山下と桂子の妊娠祝いが、昌樹のミステリー・サークルで開かれる。
そこで、フラメンコを踊る桂子。
弾けているのだ。
それは、母との血縁を呪った女が、その血を在るがままに受け入れていく舞いでもあった。
一方、自身の分身であった「うなぎ」に、最後の語りかけをする男がいる。
「俺もようやく、お前と同じになった。どこの誰だか分らん男の子供を育てるんだ。お前の母親も赤道の海で卵を産んで、そこへオスの精子がばらまかれ、妊娠した。どのオスの子か分らない。分らないが、立派なうなぎだ。もの凄い犠牲を出しながら、日本の川に連れ返れ」
「うなぎ」への山下の別離の言葉である。
「うなぎ」の存在の象徴性が、「生殖の限りなき根源性」への驚異に変換されたことで、男は「うなぎ」を解放する。
それは、男自身の解放を意味する。
仮釈が取り消された男は、再び塀の中に戻っていく。
しかし、もう男は、「うなぎ」を必要としない。
贖罪することで、過去を深く問う。
真に、男自身を解放するためにこそ、塀の中に戻っていくのだ。
その男を、理髪店の前で女が見送る。
「待ってて、いいんですか?」
「丈夫な子を産んでくれ」
そう言って、握手して別れた。
ラストシーンは、昌樹と桂子の短い会話。
「来ると思う?」と昌樹。
「何が?」と桂子。
「UFO」
「本気で待てば、きっと来ると思うわ」
非常に分りやすいラストだが、「奇跡」の象徴である「UFO青年・昌樹」に対して、既に、一人の男の中枢を変容させる「奇跡」を具現した桂子が、疑うことなく反応する。
ロケ地となった・香取市(当時は佐原市) |
このラストシーンによって、象徴によって表現された主人公の心理的リアリズムと、人の良い者たちが集うコミュニティを丸ごと包摂する「お伽噺」や、UFOシーンに典型的に集約されたファンタジーラインが溶融し、瞑闇(めいあん)の世界に潜り込んで、呼吸を繋ぐ男の「再生」の物語は自己完結していくのである。
肝心のメッセージが台詞に変換されるベタなシーンが気になったが、私はこの映画をこよなく愛する。
本来は、柄本明演じる、刑務所仲間のシビアな現実が待機しているのにも拘わらず、敢えて、「お伽噺」を仮構して構築し切った物語は、随所随所で喜劇的な筆致を貫流させつつ、様々な欲望・煩悶が乱舞し、その渦中で右往左往する凡俗な人間たちの世俗世界の裸形の様態を、限りなく包括的に拾い上げる「人間賛歌」の傑作に仕上がっていた。
(2014年12月)
以前、自分で上映会を主催していた時に「豚と軍艦」を上映した事がありました。その時にしか見ていないので、詳細は全く覚えていませんが、傑作だったという記憶だけがあります。
返信削除「うなぎ」はあまり良く理解できていなかったと思います。こちらを読んではじめてこういうストーリーだったのかと思いました。もう一度見たい作品のリストに入れておきたいと思います。
今となっては遠い遠い昔の話しですが、うなぎがパルムドールを取った第50回のカンヌは私の思い出です。
現地に行って、いろいろな上映会に潜り込みました。チケットは現地で知り合った方々にもらったりして助けていただきました。
まだ日本に韓流ブームが来る前で、韓国映画の見本市に行った時には、日本の映画会社のバイヤーと間違えられて歓待され、たくさんのお土産を頂きました。ちなみに作品は「銀杏のベット」という物で、その監督の次回作が、「シュリ」でした。
年を取ってきたせいか、全てが本当に遠く夢の中の話しのようです。
興味深い話をどうもありがとうございました。
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