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2012年4月11日水曜日

武士の家計簿('10)         森田芳光


<「質素」、「勤勉」、「倹約」、「正直」、「孝行」、「『分』の弁え」という美徳を有する、稀有なる「善き官僚」であった男の物語>





1  「ホームコメディ」と「シリアスドラマ」という二つの風景を、「技」の継承への使命感を有する堅固な信念によって接合した一篇




これは、時代の変容の圧力から相対的に解放された秩序の追い風の中にあって、それ以外にない「技」を、恐らく特段に問題なく繋いで、繋いで、繋いでいった果てに現出した一人の男の、確信的な主導による「生活革命」に関わる大部の「ホームコメディ」と、更に、その男によって架橋された「技」の継承が、劇的に変容した時代のニーズに睦み、相変わらず目立たないが、しかし今や、その「技」が特化され、時代を支える決定的な戦力にまで上り詰めていくエピソードを拾った、小分の「シリアスドラマ」という二つの風景を、件の「生活革命」を主導した男についての個性的で、且つ、一貫して「お家芸」への矜持を捨てることなく、「技」の「世代間継承」への使命感を有する堅固な信念によって接合した一篇である。


ここで言う、「相対的に開放された秩序」とは、「幕末の騒乱期」にあって、外様大名でありながら、将軍家との婚姻政策に成就(注1)するなどして、大名取り潰しの危機を事前に防いだことで、御三家に準ずる待遇を受けていた加賀百万石の安定的な経営秩序のこと。


「それ以外にない『技』」とは、「刀でなく、そろばんで家族を守った侍がいた」というキャッチコピーで表現されているように、算盤による「算用者」(さんようもの)と言われた、会計処理の役人の商売道具である「そろばん」と「筆」の技巧のことである。


さすがに、加賀百万石となれば、下級藩士が集合する「算用者」の人数は、常時、150人を抱えていて、他藩を圧倒していたらしい。


また、「一人の男」とは、本作の主人公猪山直之のこと。


加賀藩御算用者の「超絶的技巧」の持ち主であるが故にか、「そろばん馬鹿」と揶揄されていた直之は、一切の帳尻合わせを許容しない「完璧主義症候群」と思しき性向を有していて、この性向が、物語の中枢を「ホームコメディ」のイメージラインで固めた、猪山家の「生活革命」を主導したばかりか、長男の直吉(成之の幼名)に対する厳格な教育において顕著に身体化されていったのである。


しかし、この厳格な教育に象徴されるように、「技」の「世代間継承」に使命感を持つ猪山直之の、固有なる「完璧主義症候群」のエピソードを切り取った物語のイメージラインは、本作の生命線でもあった「ホームコメディ」と異なって、明らかに、「シリアスドラマ」の風景を印象付けるものだった。


更に、「生活革命」については、本作の肝だから、稿を変えて言及したい。



(注1)これは、加賀藩江戸上屋敷の御守殿門(現在の東京大学の赤門のこと)の建築に、猪山家7代目の信之が尽力したエピソードが、信之自身の自慢話として紹介されていたが、その内実は、徳川家斉の第21女である溶姫が、第12代加賀藩主の前田斉泰に輿入(こしい)れする際に建造されたというもの。




2  「絵鯛」の接待によって開かれた猪山家の「生活革命」




各藩に財政的負荷を負わせる目的で制度化された参勤交代の際に、藩主に随伴した父信之が、江戸詰の折に出費した生活費や交際費、遊興費などが累積され、そこに母の社交費用も加わって、猪山家の財政を完全に逼迫させている事実を知った直之が、不退転の決意で主導し、猪山家の「財政改革」に取り組んだ「家内革命」―-― これが「生活革命」である。


その契機となったのは、「お救い米」(注2)の横流しに抗議して惹起した、加賀藩での農民騒動を知った藩主が、責任者を処罰した人事改革にあった。


当時、御蔵米勘定役を勤めていた直行が、生来の「完璧主義症候群」の性格から、供出量との数字が合わないことに不審を持ち、独自に調べた結果、横流しの事実を知っていながら、直近の上役に説明しただけで、口封じされて断念したが、それは下級武士の限界でもあった。

ところが、「算用者」としての直之の才能が藩主に評価され、まもなく、藩主の前田斉泰の側仕え(御次執筆役)に抜擢されるに及んで、破格の栄達を極めるに至った。


栄達を極めたはずの直之が、猪山家の財政事情を知って驚愕した。


自らがコントロールし得る環境にあると認知したときの、直之の行動には、常に覚悟を決める精神力が発現される。


まさに、決定的局面でこそ動く男のイメージには、外見的な「ひ弱さ」と切れた果断さが身体表現されるのだ。


だからこそ、成就した「生活革命」であったが、その直接の契機となったのは、直吉の袴着の祝いの場であった。


袴着のお祝いのために親戚一同を招待した際に、財政不足のために、祝儀に付き物の鯛料理を出すことが叶わず、あろうことか、鯛の絵を描いた紙を食膳に 上(のぼ)せたのである。


「絵鯛」を描いたのは、直之の妻である駒。


そして、妻に「絵鯛」を描かせたのは、直之。


一切が、直之のプランであった。


怒りが収まらないのは、直之の両親。


猪山家当主の信之と、その妻の常である。


親戚一同が帰った後、当然の如く、彼らの怒りが炸裂する。


「このままでは、ご簡略屋敷(注3)に移されます」


父子の碌を合わせても、支出の半分に満たない事実を突き付けた直之は、猪山家が全員協力して家財を処分し、倹約を断行しなければご簡略になると説いたのである。


嫌がる父母に、「生活革命」への協力を求めたのだ。


「恥じゃ」と父。

「ご簡略となることが恥。決意のほどを内外に示すのです」と直之。

「噂がたてば、表を歩けぬ」と母。

「人の噂も七十五日。一時の恥や困窮など、藩祖利家公の御苦労を思えば」


それは、リアリティのある恫喝だったと言っていい。


かくて、父母の説得が成功した。


加えて、家計簿をつけることを提起し、了承された。


「生活革命」が開かれた瞬間だった。


この「生活革命」には、幾つかの面白いエピソードが拾われていた。


ここでは、父信之のエピソードのみを紹介する。


見知りの商人と膝を突き合わせた信之は、姫君から頂いたという品物を売り、更に、「武士の命」である脇差まで売ろうとして、相手の商人を驚愕させた。


「我が猪山家の命は刀ではない。あれだ」


信之はそう言って、障子の棚に置かれたそろばんを指差したのである。


それだけの話だが、猪山家の命を守り、繋いでいくために、「生活革命」を遂行せざるを得ない切迫感がリアリティを持てば持つほど、観る者を大いに楽しませてくれるエピソードの連射は、明らかに、「ホームコメディ」基調の物語のラインを占有するものだった。



かくて、物語の大部を構成する「ホームコメディ」が、余情を残して終焉するに至る


「貧乏が面白いか?」と直之。

「貧乏と思えば暗くなりますが、工夫だと思えば」と駒。


この駒の一言のうちに、本作のの基幹メッセージが読み取れるのは言うまでもないだろう。



(注2)飢饉などの際に配給される備蓄米のこと。また18世紀末に、松平定信が実施した寛政の改革において、江戸の町費の倹約令によって倹約額の7割を積み立てることで、飢饉に備えた「七分金積立」(しちぶきんつみたて)や、「囲米」(かこいまい)などの備蓄制度があり、これが、後述する、「下層階級に要求される実践倫理」の基盤となっているという仮説あり。


(注3)拝領屋敷(本来の家屋)を追い出され、強制的に住まわされる狭い長家のこと。

 



3   その「技」が特化され、時代を支える決定的な戦力としての覚醒と、和解にまで至る「予定調和の感動譚」

 

 


「その『技』が特化され、時代を支える決定的な戦力」とは、猪山家で代々継承されてきた「そろばん」と「筆」の技巧である。


 これは、直之で8代目を迎えた事実によって、まさに信之が言うように、「我が猪山家の命はそろばんだ」という言葉のうちに集約されるもの。


また、「『技』の継承への使命感を有する堅固な信念」とは、単に「そろばん馬鹿」ではなく、不正とは無縁に、真っ正直に生きようとする直之の「人生哲学」であると言えるだろう。


これは、農民騒動の際に、多くの藩士が不正に関わった事実に、一抹の不安を持った直之が、父との会話の中で拾われていた。


「お救い米で揉めておるそうだな。難しいところよのぅ。あれは奇麗にし過ぎても軋(きし)む」

「ですが、数字が合わぬのが我慢なりません父上は、帳尻だけあっていれば良いと?」

「どういう意味だ?」

「いえ、信じております。私なりに励んでみます」

「気をつけろよ。そろばんは間違って弾くと戻せぬぞ」

「そろばんなら間違えませんが


直之はそう言って、棚に置いてある硯箱に視線を移した。


「そろばんと筆だけが、我が猪山家のお家芸だからな」


この父の言葉で、息子は父を信じることで安堵したのである。


最後に、「シリアスドラマ」への「風景の変容」について言及する。


「風景の変容」を貫流するテーマは、「技の世代間継承」に関わる、「父と子の世代間葛藤と和解」である。


明治10年、東京府海軍省主計室からの成之の回想シーンから開かれた物語は、4歳時の忘れ難い思い出を想起させていく。


この日から、父と私の戦いが始まった。そろばんや筆、論語から礼儀作法まで叩き込まれた上に、猪山家の日々の賄い代を帳面につけることを命じられた


「父と私の戦い」のピークアウトは、「四文銭紛失事件」に止めを刺すだろう。


四文を紛失した直吉は、雨の中を必死に探すのだ。


無論、いい加減な帳尻合わせを許容しない父の命令である。


結局、見つからなかった四文銭の一件は、後々まで尾を引くに至る。


祖父の死。


あろうことか、葬儀費用を計算するために、そろばんを弾く父を目視して、遂に幼い自我が炸裂した。


「どの家でもそうするんですか?」と直吉。

「その家によって違うだろう」と直之。

「そろばん侍だから?」

「そうだ」


見つからなかった四文を、犀川(さいがわ)で拾って帳尻を合わせた直吉に、夜中に捨てさせに行くときの父の説教。


「お上から頂いた給金は、一文とて無駄にしてはならぬ。だが、道に落ちている銭を拾うは物乞いの仕業。武士としての誇りを失うな」

「合点が行きませぬ、父上は決まり事ばかり。情けの心が!」


そう叫ぶや、帳簿を投げ捨て、そろばんを振り上げた挙句、父に向っていく直吉。


当然ながら、体力の勝る父に押された勢いで、柱に額を打ち付けて、血を滲ませた直吉に、父の非情の一喝が、澱んだ部屋の空気を裂く。


「戻してまいれ!」

「こんな夜中に一人で。足を踏み外して、川に溺れたらどうします?」


居た堪れなくなった母の駒が、夫の横暴を制したが、「確信犯」の如く言い放つ夫の反応は、真っ正直に生きようとする「人生哲学」を些か逸脱するものだった。


「そうなったら、それが定めだ」


四文銭を投げ捨てに行きながらも、祖母の出した鶴亀算を解こうと歩いていく幼児の相貌には、陰影感が全く見られなかった。


それこそが、自分の強さだったと、回想シーンの当人である成之自身に語らせているようでもあった。


ともあれ、この「四文銭紛失事件」に象徴される父子間葛藤こそ、この日から、父と私の戦いが始まったと言わせるに足る成之にとって、決して忘却し得ない記憶だったに違いない。


そして、母の死。


「借金は、もう、ございませんゆえ


母を看取るときの、直之の言葉である。


時は流れ、幕府側に立つ直之と、倒幕側に立つ成之の対立は、今や、一方的に後者の側の声高なスピーチが圧倒していた。


「何がしたい?」と直之。

「乱世ですぞ。己一人が何をする次第の話ではございません」と成之。

「乱世ではなかったが、己一人のために生きてきた訳ではない」

「人が死んでも、世が動くときでも、父上はそろばん馬鹿ですか!私は、そろばんだけで、この加賀の地に埋もれたくはありません!」


成之の行動を制止できない現実を認知したとき、もう、自分の能力でコントロールし得えない〈私的状況〉を受容するばかりだった。


それは、「技の世代間継承」の使命を果たすことの命運を、成之自身の〈生〉の振れ方に賭ける以外になかった現実を意味するのだ。


その幕末維新の乱世の中で、成之が出会った一人の人物。


大村益次郎である。


長州出身の医師・洋学者でありながら、この国の近代的軍制の創設者とも高く評価される人物については、NHKの大河ドラマの「花神」(司馬遼太郎原作)の主人公として有名だが、兵学と洋学に長けたその天才的な技量は、維新政府の諸改革の構想の提示力によって抜きん出ていた。


その大村益次郎が、「超絶的技巧」のレベルにまで達すると思しき、優れた算用者としての「技」を持つ成之に、その「技」の計り知れない価値を説いたのだ。


「鉄砲や刀を担いで走り回る連中ならば幾らでもいるが、しかしな、これからの戦はタークティクス(注4)だ。補給が勝敗を左右する。兵隊どもに配る弁当や草鞋の手配をできる者が欲しいのだ。君だよ、君だよ。しっかりとそろばんが使える君だ。君の技は兵隊千人、いや、万人に匹敵する。戦だけではない。新しい時代には君の力がいる。これからの世を作るのは、君のような人だ」


これは、シリアスドラマの基調の中で重大な転換点を示すシーンである。


それは、ただ単に強制されて身につけていたに過ぎないと考えていた、「技」の価値を意識させるに足る覚醒的な言辞であったからだ。


人は自分より優れていると考えている人物から評価されるとき、その人物が放つ表現は相当の説得力を持つ。



相手に対する評価の高さが全体評価にまで広がってしまうという「ハロー効果」の心理が、ここでは巧みに掬いとられていて、古い時代から繋いできた伝統的な「技」が、まさに新しい時代の中でこそ、決定的な価値を持つことを実感し得たのである。


それが、海軍主計少監にまで上り詰めていく成之の回想シーンにシフトしたとき、既に、彼の行動は、長年にわたる父との葛藤を和解にまで至るシーンを予約させる伏線となって、これが、「予定調和の感動譚」として膨らんでいったという括りに結ばれたのである。



(注4tactics(タクティクス)=戦術・用兵策略のこと。

 



4  「ホームコメディ」から「シリアスドラマ」への「風景の変容」の基本骨格




ここからは、本稿の批評の概要として、更に、「風景の変容」の基本骨格を考えてみたい。


物語の大部を占めるホームコメディのピークアウトは、直吉の袴着の祝いの際に出席者一同が、決して広くない猪山家の廊下を進軍する「絵鯛の行進」⇒「鯛じゃ、鯛じゃ!」と叫ぶ父子の睦みの構図にあったと考えている。


それは、そこから開かれた、直行の主導による「生活革命」の「戦闘宣言」を告げる決定的な構図であった。


既に、この「絵鯛の行進」から、「鯛じゃ、鯛じゃ!」と叫ぶ父子の睦みの構図のうちに、艱難(かんなん)なる「生活革命」の成就が予約されていたのである。


「生活革命」の中で拾われたエピソードの数々は、このような映画を撮らせたら、この監督以外にないと思わせる一流の「技」を検証して見せたのである。


ホームコメディが全開する一連のエピソードの面白さは、達者な俳優陣による貢献度の高さを否めないが、彼らの本来的な能力を引き出し切った森田芳光監督の冴えは出色であった。


私もまたそうであったように、事前の予備知識なしに、この映画を鑑賞した少なくない人々は、この軽妙な構成の力技で物語が推移し、「予定調和の奇跡譚」に収斂されていくに足る、殆ど「完全無欠の娯楽映画」のイメージのうちに本作を受容していたかも知れない。


ところが違った。


ホームコメディで推移した物語は、まもなく、祖父と祖母の老化によって、あの掛け合いコントの如き絶妙な存在感が希薄化し、祖父母が逝去していった前後から開かれる、「技」の継承に関わる「父と子の世代間闘争」の含みを持つ、真っ向勝負のイメージを印象付けるシリアスドラマに変容していったのである。


この変容へのシフトは、必ずしも、物語を不自然な形でフォローしていった訳ではないことは、この長尺な物語と付き合ってきた者は納得するだろう。


なぜならば、本作には、帳尻合わせをすることを頑として拒絶する、「完璧主義症候群」と思しき性向を有する男の物語という把握が、一貫して本作に張り付いていたからである。

言わずもがな、加賀百万石の下級藩士であるこの男の性格傾向を理解することが、本作の肝であると言っていい。


この性格傾向が顕著に現れるのは、〈大状況〉における厄介な事態にクラッシュしたときである。


例えば、農民騒動のことを考えてみよう。


彼はこのとき、優秀な下級官僚としての仕事を完璧に果たしていた。


「完璧主義症候群」と思しき性格が、この男をして、「お救い米」の供出量の見せかけの帳尻合わせに納得できなかったのだ。


それは、彼の中の青臭い正義感というより、その固有な性格が生み出したものであろう。


矛盾を見抜いたとき、彼は直近の上役に、その事実を報告したが、有耶無耶(うやむや)にされてしまった。


その上役もまた、不正に関与していたからである。


彼の行動は、ここまでだった。


この一件を見ても判然とするように、彼は、〈大状況〉における厄介な事態に遭遇した際に、それが自分の能力でコントロールし得るか否かという現実原則によって、事態との力関係のバランスを測定し、それを絶えず秤に掛けて生きているところがある。


彼の立場の弱さを考えれば、当然のことである。


そして、コントロールし得ない事態を認知したとき、彼は貝のように押し黙る。


下級官僚でしかない彼は、自分を犠牲にしてまで、「藩政改革」に自己投入しようとする類の「改革的官僚」ではないのだ。


常に、身を引く潮時を計算して生きている男でもある。


無論、それも非難されるべき何かではない。


ここで重要なのは、彼の中のこのようなメンタリティが、この映画を根柢から支配しているという厳然たる事実である。


なぜなら、〈大状況〉における厄介な事態の典型のような農民騒動の結果、藩主・前田斉泰の御次執筆役に立身栄達を果たした彼が、直吉の袴着の祝いを前にして知った、猪山家の「財政破綻」の現実を打開すべく、徹底的な「生活革命」を駆動させていくからである。


〈大状況〉で惹起する厄介な事態に自己投入していく精神も器量も有しない男が、自分のその生来的な能力を、猪山家という、自らの抜きん出た「技」の供出源であった、温厚なる家庭内での「生活革命」の中において発現させていったのは不可避であったと言えるだろう。


既に、立身栄達を果たした彼の家庭内での権威は、親戚一同から一目置かれる存在になっていたが故に、彼は猪山家の「財政破綻」の惨状を知ったとき、覚悟をもって「生活革命」を主導し、どこまでも理知的に推進していくのである。


〈大状況〉と濃密に関わり切れない彼にとって、内側に向かってそれを改革していくことだけが、分相応を弁(わきま)えた男の合理的な流れ方であるのは、自らの力でコントロールし得る状況だからである。


そんな状況下で成就した「生活革命」。


そして、相次ぐ父母の死。




今や、名実ともに猪山家の大黒柱となった彼にとって、果たすべき役割は自明であった。


8代まで繋いできた、猪山家のお家芸である、「技の世代間継承」の使命を果たすことである。


従って、この男が、前述したように、「四文銭」のエピソードに象徴される、相当程度官僚的だが、しかし、そこだけは譲れないものを持つ堅固な信念の持ち主であることが、繰り返し映像提示されていた。


そんな男が、4歳の頃から息子に帳簿を付けさせ、それを継続させる強制力によって、人格的に支配した行為に及んだのは必然的だった。


物語が、父と子の「世代間闘争」に流れていくのは回避し得なかったのである。


「完璧主義症候群」と思しき性格を有する男の、完全なる主導による「教育」の内実が、「生活革命」がそうであったような風景を呈するのは必至であったということだ。


「技の世代間継承」の使命から発信される、「教育」という名の精緻な情報伝達が、父子間葛藤に繋がっていったからである。


この父子間葛藤を分娩したルーツには、紛れもなく、見せかけの帳尻合わせをすることを厭悪(えんお)する彼の性格にある。


家計簿を付けさせられた長男が、「宝物」である算盤を父親に向かって投げつけ、自らも消えない傷を負うというエピソードに象徴される葛藤を顕在化させるに至るが、しかし、なお自らの力で事態をコントロールできる〈私的状況〉の追い風に支えられた父には、その程度の葛藤を特段に意に介しない。


事態に対するコントロールが可能であるという確信が継続力を持つ限り、「完璧主義症候群」と思しき性格を有する男の、「技の世代間継承」に関わる使命感が劣化することなどあり得ないのだ。


やがて、頑迷固陋(がんめいころう)な父よりも、逸早く、藩の算用場に見習いとして入った息子は、形式的には、この時点で「技の世代間継承」の成就を果たしていたが、しかし、息子の心の風景には、一貫して父への反発に淵源する、算用者としての身過ぎ世過ぎで自立していく強い意志が見られない。


元服を済ませ、嫁取りを果たしても、父に対する息子の反発は変わらないのである。


この辺りのエピソードは、前述した通りだが、劇的に変貌を遂げていく時代に取り残されまいと苛立つ息子は、自らの拠って立つ自我の安寧の基盤を模索しているのだ。


変貌する時代と濃密に関わろうとする、青年期特有の鋭敏な感性を有する息子から見れば、自藩への拘泥を捨て切れない思いの強さが張り付くだけで、自らの力でコントロールし得ないからと言って、〈大状況〉と没交渉でいるような優柔な父を受容する何ものもなかった。


そんな息子にとって、今や自藩の存在が、拠って立つ自我の安寧の基盤になり得ないという距離感覚を保持していたからこそ、先の大村益次郎の言葉が決定力を持っていたと言っていい。


かくて、「世代間闘争」の流れに、一定の終止符が打たれたのである。


今まさに、かつて見たことがない新しい社会が開いた国家機構にあって、相変わらず目立たないが、何代にもわたって繋いで、繋いで、繋いできた、「お家芸」としての「技」の存在価値が、自らが所属する近代国家の軍隊を支える決定的な戦力になると評価されたとき、息子は初めて、「技」の継承に関わる容赦ない父の教育によって叩き込まれ、身体内化させてきたものの、揺るぎない価値を誇るにまで至ったのである。


近代国家の変容の様態を射程に収めて、9代まで繋いできた「技」の価値が決定的に認知された事実の重量感を、経験的に学習した息子は、父の教育の普遍的な価値の相貌の凄みを、理性的文脈のうちに否応なく触感し得たのだ。


それは、葛藤から和解へと至る、この設定ならそれ以外にないと先読みされる、そこだけは情感系を全開させた「予定調和の感動譚」が括られた瞬間だった。


以上の文脈こそが、大部の「ホームコメディ」から、小分の「シリアスドラマ」への「風景の変容」の基本骨格であると、私は考えている。




5  「質素」、「勤勉」、「倹約」、「正直」、「孝行」、「『分』の弁え」という美徳を有する、稀有なる「善き官僚」であった男の物語




物語は、「予定調和」の感動譚に至らない限り、括り切れない制約を内包することによって、厭味な程の説教臭さを振り撒きながら、後半深くの、回想シーンによって説明されるベタな描写の連射、即ち、表層面の事象をフラットに切り取っただけの、「エピソード繋ぎ」の瑕疵を露わにさせつつ、総体的には、極めて良く仕上がった「テレビ時代劇」という程度の秀作に結ばれたのである。


残念ながら、それが、本作に対する私の基本的把握であって、それ以上でもそれ以下でもない。


最後に、重要な指摘をしたい。


このシリアスドラマを支える基本骨格が、ロナルド・ドーア(注5)の言う、「下層階級に要求される実践倫理」、即ち、「質素」、「勤勉」、「倹約」、「正直」、「孝行」、「『分』の弁え」等々という、この国の文化を貫流すると決めつけられるラインで把握し得るということだ。


「可哀そうなことをしたな」


そう言って、息子の傷を撫でる父。


これが、老いた父を背負う青年の、実質的なラストシーンである。


要するに、「孝行」という、今の時代で殆ど死語となっている理念系が、「技の世代間継承」に関わる基幹テーマに張り付いていて、葛藤から和解 ⇒「親の教えに感謝する子」というラインのうちに、「委託主義」の「教育の現在」を憂うるメッセージとして結ばれたのである。



ロナルド・ドーアの指摘に睦み合う文脈が、本作の「風景の変容」の根柢に横臥(おうが)するメッセージラインだったと考えるのが自然である。


いずれにせよ、自らがコントロールし得る環境にあると認知したときの、猪山直之の行動には、レッドテープ(繁文縟礼=はんぶんじょくれい)の非合理の自家撞着(じかどうちゃく)に捕捉されることなく、常に覚悟を決める精神力が発現されたその固有の人物造形こそが、本作の生命線だった事実を認知するのは異論がないだろう。


まさに、決定的局面でこそ動く男のイメージには、外見的な「ひ弱さ」と切れた果断さが身体表現されていたからだ。


「質素」、「勤勉」、「倹約」、「正直」、「孝行」、「『分』の弁え」という美徳を有する、稀有なる「善き官僚」であった男の物語は、官僚倫理の欠如という現代日本の恥ずべき現実(注6)を指弾する含みを、観る者が恥ずかしくなる程に堂々と映像提示することで、最早、「予定調和の感動譚」に至らない限り括り切れないドラマに結ばれたのである。



(注5)知日派として知られるイギリスの社会学者。本稿の部分は、「『学歴社会新しい文明病』 松居弘道訳、岩波現代選書」参照。


(注6)「<在日中国人のブログ>なぜ中国では日本人の買春が後を絶たないのか?」(翻訳・編集/岡本悠馬)という見出しで「Record China」に投稿された、日本新華僑報の蒋豊(ジアン・フォン)編集長の一文を、以下に紹介する。


「日本人の海外買春ツアー好きは、もはや習慣化している。庶民だけでなく、政府職員までもが買春に夢中だ。日本では、役人が愛人を囲い、中高生と『援助交際』をするスキャンダルが後を絶たない。ある外務省員は援助交際にのめり込み、自分の娘ほどの年齢の少女をヨットに乗せ、乱交パーティーなどを行っていたという」(excite.ニュース 2012年4月3日)


(2012年4月)

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