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2024年4月22日月曜日

僕たちは希望という名の列車に乗った('18)   自ら考え、行動し、飛翔する若者たち  ラース・クラウメ

 


1  「ハンガリーのために黙祷しよう」

 

 

 

東西ベルリンの境界駅 1956年 ベルリンの壁建設の5年前

 

東独スターリンシュタット(現アイゼンヒュッテンシュタット)に住む高校生のテオと親友のクルトは、西ベルリン・アメリカ占領地区行きの列車に乗り、検問をパスしてクルトの祖父の墓参りをしてから、二人はベルリンの街を闊歩し、映画館に紛れ込む。 


テオ(左)とクルト

西側の世界に踏み込む二人



映画ニュースで、ハンガリーの民衆蜂起を伝える映像を観た二人は衝撃を受ける。

 

「…ブタペストでは数十万のデモ隊が報道の自由を求め、ソ連の支配に抗議しました。彼らの政権の樹立を求めたのです。“従属はご免だ”と学生たちは叫び、占領軍の旗を燃やしました。デモ隊が放送局に入ろうとすると、当局が武力を行使…暴動鎮圧の命令を受けたハンガリー軍も同胞に銃を向けることなくソ連の戦車部隊を撃退しました。これは勝利の瞬間でしょうか?」 


スターリンシュタットに戻った二人は、酒場でクラスメートのパウルとエリックに興奮しながら映画とニュースで見たハンガリーの蜂起について話す。

 

しかし、エリックは「ファシストの反革命だろ」と言って、蜂起が鎮圧されたと伝える新聞を見せた。 

エリック(中央)とパウル



クルトは自宅での食事中、エリート階級の地位を有する父親にハンガリー蜂起について聞くと、「ハンガリー情勢は複雑だ」と答える。 

市議会議長を務めるクルトの父(中央)


「社会主義国家に対する反革命であるのは確かだ…また西ベルリンへ?…また君の父親の墓へ」

 

父は母親の方を見る。

 

「誕生日だから花を供えた」

「私の立場を考えてくれ。市議会議長の息子がナチの墓参りで西側へ?」

「父は機甲兵よ」

「武装親衛隊のな」

 

クルトの母はナチの娘だから、夫から蔑まれていることが判然とする会話だった

 

【ハンガリー動乱(ハンガリー反ソ暴動)とは、1956年、ソ連のスターリン批判(ソ連共産党第20回大会における「フルシチョフ秘密報告」)を契機に、首都ブダペストの学生・労働者のデモを初発点にして起こったハンガリーで起こった自由化を求める暴動。ソ連軍によって弾圧され、指導者ナジ・イムレは処刑された。これは生活水準の改善を求めて、警察・共産党本部・放送局などが襲撃されたポーランドの「ポズナニ暴動」(反ソ暴動)と共に、東欧諸国を大きく揺るがす歴史的事件となったが、いずれもソ連軍の弾圧によって収束された】 

ハンガリー動乱/首都ブダペストを制圧するソ連軍(ウィキ)


ソ連共産党第20回大会


ナジ・イムレ(ウィキ)


ポズナニ暴動/デモ行進する労働者(ウィキ)



一方、テオは、労働者階級の父のバイクに弟二人と乗って学校へ送られ、ガールフレンドのレナに試験のお守りと称して四葉のクローバーを渡すが、なくすからと預かる。 

レナ


教室でもハンガリー蜂起が話題となり、RIASベルリン(アメリカ軍占領地区放送局)の放送が聴けるパウルの伯父・エドガーの家に生徒たちが押しかけた。

 

「ソ連軍に対し自由を求めて蜂起した民衆は、悲惨な犠牲を払うことになりました。正確な死者の数は分かっておりません。数百名が命を落としたと推定されます。サッカーのハンガリー代表チーム主将F・プスカシュも…ソ連軍は再び戦車師団を投入し、民衆の民主化運動を制圧しました。ヨーロッパの評議会では議員たちが、犠牲者を悼み、2分間の黙祷を捧げました。彼らは英雄です」 


シュートを放つプスカシュ(ウィキ)

皆、プスカシュの死に衝撃を受け、特にクルトとテオは深刻に受け止めた。 

テオ


授業が始まる前の教室で、クルトは「ハンガリーのために黙祷しよう」と生徒たちに呼びかけた。 


それに対し異を唱えるエリック。

 

「気は確かか?」

「社会主義が社会主義を殺した」

「西側がソ連を倒そうとしている」


「プスカシュ選手もソ連兵に殺された。反対派を率いるナジは、ファシストじゃない」


「ソ連軍は撤退すべきだ」とテオ。

 

ここで、黙祷に多数決を取るクルト。 


「犠牲者は若者だぞ」

 

12名が手を挙げ多数となるが、そこに教師が入って来て授業を始めると、質問に誰も答えず、2分間の黙祷を続ける。 


何事かと詰め寄る教師に、エリックが「抗議の印です」と答えてしまう。

 

それ以上はテオが視線で制止し答えなかったが、教師は慌てて教室から出て行った。

 

皆は歓声を上げ、テオが団結を称えたが、エリックと数名の生徒が教室を後にする。

 

シュヴァルツ校長に相談に行った教師は「悪ふざけだ」と宥(なだ)められ、穏便に済まそうとするが、シュヴァルツ校長は同じ労働者階級出身のテオを呼び、卒業を前に寡黙であることを求め、「嵐が来る」と警告した。

 

「ブタペストの状況が次第に明らかになりました。何十万の人が報道の自由や自由選挙、ソ連による支配の廃止を訴えました。反体制派の指導者ナジ・イムレが新政権を樹立。革命を宣言しました。ソ連も軍の撤退を発表しました。首都ブタペストはソ連軍から新政権への管理下へ」


 

エドガーの家に集まり、RIASの放送を聞いて歓喜する生徒たち。

 

クルトとレナが抱き合い喜び合っているところへ、テオが家にやって来た。

 

その様子を一瞥してから、ハンガリーの民衆が勝利したことを知ったテオは、ラジオから流れるロックンロールをかけてレナと踊り、皆もそれに続いき、ハンガリーの勝利を祝った。

 

皆が帰るところをテオが引き止め、シュヴァルツ校長から「嵐が来る」と言われたことを話す。

 

「黙祷の件で、調査が入るって警告だ。地位が心配なのさ。試験で脅してきた」

「黙祷は政治的意思の表れだ。連中は嫌がる」とエドガー。

 

そこでテオは、「プスカシュに捧げる黙祷だと言えばいい…“憧れの選手への黙祷で政治的理由はない”と」と解決策を提案する。 


しかし、クルトとレナは「ウソはよくない」と否定的だった。

 

「革命は外に示すものだ」

「革命だって?大げさすぎるよ。ごまかすことも必要さ」

「…諸君は国家の敵だ。諸君は自分で考え、その考えに沿って行動するからだ。校長の言ったことは正しいと思うよ。嵐が来るってことさ」とエドガー。 

エドガー

ここでテオが多数決にしようと提案し、「言い逃れするか、連帯を表明するか」とクルトも同意して、無記名で実施することが決まった。 

多数決の結果を確かめていくエドガー

その結果は弁解派が多数で、不満なクルトは先に帰り、それをレナも追って行き、更にテオが追う。

 

真っ暗な湖の前で、3人はタバコを吸って回し、テオが大声で湖に向かって吠えると、それにレナとクルトが続いた。

 

その足でエリックの家を訪ね、「プスカシュに捧げる黙祷」だったと弁解することに同意を求め、何とか了承を得る。

 

翌日、授業が始まる際、レナが教師から校長室へ行くように指示された。

 

部屋に入ると、待っていた軍学務局のケスラーに黙祷の理由を聞かれた。 


「プスカシュだ」と答えたレナは問題なく帰され、エリックに校長室へ行くように伝達する。

 

戻って来たエリックは、今度はテオを指名する。

 

テオは、ケスラーに政治的意図があったのではないかと聞かれ否定するが、首謀者はテオだとエリックが言ったと告げ、権力サイドに引き寄せていく。

 

そして、「あなたに朗報よ。プスカシュは死んでない」と、テオに新聞を見せるのだ。

 

「RIASの誤報よ。西の宣伝ね。そこで質問よ。どこで何のために敵の放送を?」


「ウワサです」

 

教室に戻ったテオは、首謀者だと陥れたとエリックに食って掛かると、エリックは「仲間割れが狙いだ」と言い、密告を否定する。

 

そこにシュヴァルツ校長が入って来て、「問題が起きた。大きな問題だ。同志が報告書を書いてる。大事(おおごと)になるぞ。試験直前に敵の放送を聴くとは」と話すや、テオが「“エリックが密告した”とリンゲル先生が」と抗議し、思わず「ゲシュタポだ」と口にしてしまう。

 

「ゲシュタポだと?!ファシストと戦った我々に言う言葉か?少しは感謝しろ!進学クラスに通うのは特権だ!」 

シュヴァルツ校長


校庭に集められた卒業を控えたクラスの生徒たちに向かって、シュヴァルツ校長が警告を発した。


「テオ・ラムケを訓告処分に。特に反抗的だ。修了証書にも記入する」 



「次は退学ですよ」と校長に警告されたテオの父親は、「二度とさせません。絶対に」と応え、テオに一日だけ休みを願い出て了承された。 

テオの父親(右)



一方、クルトの家では父親が新聞を広げ、読むことを命じていた。

 

「母さんがだ」と眼鏡を渡し、母親が読み上げる。

 

「“ハンガリーの反革命分子による暴動は、先週、惨状を招いたと、オーストラリア人記者が述べた…暴徒は矢十字党が使っていた酒場に、本部を設置”」

「ストップ。矢十字党。ハンガリーに存在したファシズム政党だ…息子よ、ハンガリーは混乱している。我が国への拡大を防げるのはソ連軍だけ。西の政権にはファシストがいる。正義感に駆られて自由の闘志とやらと連帯すると?実態はファシストだ」 

クルトの父


東独のエリート階級のクルトの父親の、一方的な所見が展開されていた。

 

【ハンガリー王国の極右政党・矢十字党(やじゅうじとう)は1945年1月までハンガリーを統治しホロコーストに加担したが、ブダペストの戦いで赤軍に包囲され無条件降伏し、同年4月に消滅するに至る。戦後、矢十字党指導者の多くは戦犯として処刑された。その後、復活する動きが見られるものの影響力は持っていない。ハンガリー暴動を指導したのはスターリン主義者と対立し、極右とは無縁な改革派政治家ナジ・イムレであり、ハンガリーの中立を表明したが、「反革命」と断定したソ連軍に捕らえられ処刑された。現在、名誉回復されている】 

ブダペスト市内を封鎖する矢十字党員(ウィキ)



その頃、テオは父親が勤める製鉄所で一緒に働いて、その厳しさを体験し、父親に一族から初めて進学クラスに通うことの意味を諭される。 

製鉄所で働くテオの父


エドガーの家で、RIASの放送を聴くのはパウルとクルトとレナのみで、そこでソ連の反撃によってハンガリー情勢が厳しくなっていることを知り、3人は焦り落胆する。

 

パウルが横になったところで、クルトとレナは外に出て暗がりで抱擁してキスをしていることろをパウルに目撃されてしまう。

 

時を経ずして、リンゲル先生が連絡を取り、ランゲ国民教育大臣とケスラーが学校にやって来た。

 

リンゲル先生に知らされていなかった校長は慌てて迎えに出て、歓迎の準備ができなかったことを詫びると、「反革命分子の主催か?」と皮肉を言われる。

 

パウルはレナがクルトと「浮気してた」と、教室でテオに告げ口する。

 

そこにシュヴァルツ校長とランゲ国民教育大臣とケスラーが入って来た。

 

ランゲ大臣は校長を教室から出し、生徒たちに反革命の悪質さを説諭した後、訓告処分を受けたテオに対して警告する。

 

「これは反革命だ。首謀者を必ず見つける…ゲシュタポとは?」

ランゲ大臣(右)とケスラー

「意味ですか?」とテオ。

 

ランゲ大臣はそれに答えず、テオの父親の名を出し、「社会主義の敵はぶちのめす」と脅し、生徒たちに質問して回りながら威嚇する。

 

「諸君はハンガリーに共感を表明したが、これは反革命である。一週間以内に首謀者を教えろ。全員を我が国の卒業試験から締め出すぞ…口を割らないならクラスは閉鎖だ」 


ランゲ大臣はエリックだけを残し、全員を帰した。

 

聞き取りが始まり、首謀者と言われたエリックはそれを否定し、敬愛する父の名「フランツ・バビンスキー」を誇らしげに語り、社会主義に命を捧げたと主張する。

 

「社会主義者の君が、なぜRIAS を?父親の名誉にかけて答えろ。そもそも君は、一体どこでRIASを聴いたんだ?」

「僕は行ってませんが、みんな、エドガーの家へ」 


学校から出て来たエリックをクラスの皆が追走し、問い質す。

 

「吐いたのか?」とクルト。

「言ってない。今後もコソコソ隠れてろ。でも、じきに連帯責任になる」


「黙禱は僕の提案だ。自首してくる」とクルト。

 

学校へ戻ろうとしたクルトをレナとテオが引き止めた。

 

「クルトが退学になる」とレナ。

「お前が自首してもまだ終わらない。次の問題はRIASだ。どこで聴いたかと…全員でシラを切るぞ。全員を退学にはできないさ」とテオ。

「真実を言うよ」

「俺を怒らせるなよ。ウソも方便だ。やむを得ない」

 

そう言って帰ろうするテオをクルトが引き止め、パウルが告げ口したレナの件について話そうとすると、テオは「あの女(レナ)はお前にやるよ」と吐き捨てる。

 

自宅でテオが父親に、「大臣はパパを知ってた」と言うと、父親はそれに返事をせず、誰が首謀者かを厳しく問い詰め、テオは「クルトの提案を多数決で決めた」と答えた。

 

「なら、彼の責任だ…最終期限まで待てばいい。誰も言わないなら、お前が言え」


「親友なんだ」

「分かったな?」

 

状況の悪化が止まらない。

 

 

 

2  「どうする?西へ?それとも残る?」「言ったろ。自分で決めろ」

 

 

 

パウルがエドガーの家へと歩いていると、後ろから警察車両がやって来てエドガーは逮捕された。 


それを目撃したパウルは、礼拝堂にいたエリックを「裏切り者」と叫びながら思い切り殴りつけるのだ。

 

部屋に戻ったエリックは、父の形見のリングを嵌め、壁に貼られた“赤色戦線戦士同盟”の旗を見つめる。

 

そこに母親と牧師である継父が部屋に来て、エリックがエドガー逮捕に繋がる証言をした事情を聞くが、「同性愛が逮捕理由さ」と嘘をつく。

 

「証言を取り下げろ。拘置所は同性愛者に厳しい」とエリックの継父。

 

それだけだった。

 

【赤色戦線戦士同盟とは、ワイマール共和政時代のドイツ共産党の準軍事組織で、エルンスト・テールマンが率いて突撃隊(SA)と常に抗争していた】 

エルンスト・テールマン(左)と赤色戦線戦士同盟の兵士(ウィキ)



クルトの父親は先頭になって生徒の親たちを集め、大臣に送る書簡に関して議論するがなかなかまとまらない。 

クルトの父(右)



また、テオの父親が一人でランゲ大臣を訪ね、話をするが相手にされない。

 

まもなく、ケスラーによる生徒一人一人の尋問が始まり、黙祷が誰の提案かを問い質されるが、皆一様に「自然に出てきた」と答える。 


それに対し、ケスラーは家族や親の経歴や職業などを持ち出し、揺さぶりをかけてきた。

 

テオは、「お父様は1953年の暴動に?」と聞かれ、そこで初めて父親が暴動に参加していたことを知らされた。

 

「…なのに、やり直す機会を与えられた。家族を養う生活基盤もできたの。弟は幼いんでしょ?みんな失ってもいい?」

「嫌です」

「首謀者は誰?」

「自然に出てきました」 


【「1953年の暴動」とは1953年の「東ベルリン暴動」のこと。市民が自由に行き来できた状況下で、スターリンの死後、ノルマ未達成者の賃金カットに反発した労働者と兵士の衝突が起こったことで、自由を求めて惹起した最大の市民蜂起に発展したが、最終的にソ連軍の介入によって鎮圧されるに至った。のちのハンガリー動乱の先駆けとなった事件として知られる】 

東ベルリン暴動/東ベルリン市内のソ連軍戦車(ウィキ)



レナも、「お母様はスウェーデンに?おばあ様は裁縫師として働き、弱視で独り暮らし。おばあ様の職のためにも、首謀者を」とケスラーに迫られるが、やはり「いません。自然に出てきて…」と答えるのみ。

 

次に呼ばれたエリックもまた、「多数決で決定を…自然に出た提案です」と答えた。

 

そこでケスラーは、エリックの家族のファイルも持ち出し、父に関する真相を暴く。

 

「お母さまはウソを。赤色戦線にいたお父様は強制収容所に送られ、そこでナチに寝返り共産党員を裏切る。ソ連軍がドイツに来て、お父様は絞首刑に」

 

ケスラーはその時の父の絞首刑の写真をエリックに見せ、「首謀者の名前を言うか、お父様の真相を新聞に載せるか」の二者択一を迫るのだった。 

若き日のクルトの父(右)が写っている


激しく動揺するエリックは、「あれは…クルトだ」と証言してしまう。 


「それを全員の前で言って」

 

エリックは射撃練習場へ行き、クルトに事情を話そうとすると教官に注意され、咄嗟に銃口を元親衛隊員の教官に向けた。 


「薄汚いナチ野郎!」

 

クルトとテオに制止されるが、教官に「撃てば後悔するぞ。バカめ!」と怒鳴られた瞬間、発砲して教官の肩に銃弾が当たってしまった。 


エリックは銃丸を盗んで教会へ走り、「父さんは、どう死んだ?」と叫びながら入って来て、制止する継父である牧師に制止され銃口を向けたかと思うと、母親に「何のこと?」と聞き返され、クリスマスツリーに向かって発砲するのだ。

 

追って来たクルトとテオ、パウルがエリックを押さえつけた。

 

「父さんはどう死んだ?」と母親に真実を問い質し、絞首刑された父親の写真を見せるエリック。 


「だましてたのか?父さんはナチと?」

「エリック、本当なの…お父さんは弱い人だった」


「やめてくれ!」

「エリック…ごめんなさい」

 

「どうしてだ!」と泣き叫ぶエリックを抱くように押さえる3人。

 

少し落ち着いてきたエリックがクルトに話しかける。

 

「お前を裏切った。新聞に書くと脅された。父のことと、お前の父親も…申し訳ない。悪かった」 


エリックはテオに写真を手渡した。

 

処刑されたエリックの父親の傍らにクルトの父親が写っていたのである。

 

そのクルトの家をケスラーが訪ね、エリックが漏らした「“抗議の印”」が現時点で明らかな言葉だとして、嘘の証言を求めていく。

 

「明日の朝、指名するから証言して。エリックが首謀者だと」

「他の生徒が反対を」

「他の生徒には尋ねない。あなたの証言で終わり。機会をあげる。どうせエリックは最低でも禁固10年。では、明日ね」 


そう言い放ってケスラーが帰ると、クルトは母親に尋ねる。

 

「真実は大事だろ?」

「真実なんて」と父。

「黙ってて」

「多少の悪は仕方ない。エリックだと言え。どのみち彼は有罪だ。喜べ。ケスラーの恩情だ」


「お母さん…」

「お母さんには聞くな!私の命令に従え!…ウソも方便だぞ」

「一生つきまとうウソだ!」

「2年もすれば笑い話になる」

「笑えると思うか?」

 

クルトは写真を父親に突きつけ、「処刑して笑ったのか?」と迫っていく。

 

「この男はナチ側と結託したんだ」

「ソ連に引き渡したのか?」

「もう寝ろ…」

 

クルトは母親に大声で非難する。

 

「黙っているのか!」

「逃げて。戻ってこないで…愛してるわ。いつも思ってるから」

 

母親はクルトを抱き締め、涙ながらに訴える。 


「今すぐ逃げて。今夜中に」 


その足でクルトはテオを訪ね、「西で卒業試験を」と伝える。

 

「エリックのせいにしろと言われたけど、できない」


「逃げたらお前の罪にされる」

「他の生徒は安泰だろ。元々提案者は僕だ。最善策だよ。提案しに来た。よかったら一緒に行かないか?」

「俺が?断る。無理だ」

「君を裏切った」

「逃げるなんて、よせ…家族を置いてけない。親を捨てるなんて。弟に会えなくなる」

「なら、後始末を頼む。誰も退学にならないよう」

「分かった」

「もう一つ。レナに伝えてくれ…いや、いい」

 

自転車で走りかけたクルトを追走し、抱き締めるテオ。

 

「幸運を」

「元気でな」

 

列車に乗って身分証を見せ、祖父の墓参りと乗車の目的を言ったクルトだったが、足止めされてしまった。

 

呼び出されたクルトの父は、墓参りの祖父の階級を聞かれる。


 
「ご子息はアメリカ占領地区へ行き、ナチの墓参りをしようと?」

「祖父の墓へです。今日中に戻らせます。私が署名を」

「なるほど、行ってよし」

 

クルトは「お父さん、マズいよ」と囁くが、父は「夕食には戻れ」と手を差し出し、二人は互いに目を見つめ、固く手を握り合う。

 

「お父さん、またあとで」

 

翌朝、教室にクルトの姿はなく、ケスラーが首謀者を特定すると言い、国外に逃げたクルトが首謀者であると全員が認めるよう一人一人に求めていく。 


最初に指名されたテオは否定する。

 

「違うんです。みんな賛成を。大多数が」

「あんたは賛成したの?」

「賛成を」


「そう。では退学よ。この国では卒業資格を取らせません。大学進学は不可能です。すみやかに学外へ出て。早く!」
 


「不当です!」と立ち上がったパウルも、退学を言いつけられる。 


出てこうとする二人を見て、レナが立ち上がり、「私の案です」と言うや、「座りなさい!」との命令に背き、生徒たちが次々に立ち上がって、同じように「私の提案です」と主張していった。 


「クラスは閉鎖します。もう限界です」

 

校長が口を挟もうとすると、「校長の責任でもあるわ」と封じ、ケスラーは出て行った。

 

残された校長が嘆く。

 

「これがハンガリーの結果か。何もないだろ」

 

校舎を出た生徒たちを集め、テオが提案する。

 

「年末は皆、西の親戚を訪ねる。検問が緩くなる。チャンスだ。自己責任だが…」


「全部捨てるのか」

「複数で行け。捕まれば、誰かが親に知らせる」

「勝算は?」

 

ケスラーが窓から監視しているのを見て、テオは生徒たちを解散させる。

 

レナがテオに訊ねる。

 

「どうする?西へ?それとも残る?」


「言ったろ。自分で決めろ」


「分かった」

「元気でな」

 

テオは自宅で父親に製鉄所で働くかと聞かれ、「ここを出る。西で卒業試験を」と答える。

 

「失敗したら逮捕だ」

「家に戻れないわ」

「みんなで西へ行こう」


「逃げたら堂々と生きられん」
 


スターリンシュタットは父の生まれ故郷なのだ。

 

翌朝、テオの家族が祖母に会いに出かける際に、父親はテオを呼ぶが、迎えに来たパウルと行くと答える。 


「あとでね」と弟に言われたテオは、家族の姿を脳裏に収め、サッカーボールを弟に手渡して、両親に「それじゃあ」と言って去って行く。 


ベルリン行きの列車に乗ると、クラスメートの何人かが既に乗車しており、レナも駆け付け乗車する。 

相棒のパウル

西側へと走り出した列車の中で、不安を隠せないテオの表情は、徐々に希望に満ちた笑みを湛えていくのだった。 


「1956年の年末に、4名を除き、ほぼ全員が出国。西ドイツで卒業試験を受けた」(ラストキャプション) 


 

 

 

3  自ら考え、行動し、飛翔する若者たち

 

 

 

ソ連は東独を含む東欧諸国(ハンガリーなど)による軍事同盟ワルシャワ条約機構を1955年に設立し、1991年に解体されるまでソビエト社会主義共和国連邦の名のもとに、この間に出来したハンガリー動乱やプラハの春に軍事介入して民主化運動を武力で弾圧してきた。 

 : 北大西洋条約機構加盟国(NATO)と赤 : ワルシャワ条約機構加盟国(ウィキ)


プラハの春( 1968年8月)/ソ連軍の戦車が燃え上がる様子(ウィキ)



映画で描かれていたのは、ワルシャワ条約機構発足の直後のハンガリー動乱に揺れる東独の進学クラスの若者たちの非日常の日々。 




米ソ対立の下でドイツが分断して生まれた東独が、1961年に東西を遮断することで東独人民の逃亡防止のために155kmにもわたる「ベルリンの壁」が作られる以前の話。

 

【ベルリンの壁は、ベルリンの西半分は米英仏3カ国が、東半分はソ連の管理下に置かれていた】 

ベルリンの壁/壁の前のブランデンブルク門。左側が東側で右側が西側である(ウィキ)



1952年に東独と西独間の国境が閉鎖されたが、西独との経済格差が大きい状況下にあって、1950年代のベルリンでは東西間の移動にはまだ自由があった。

 

駅が閉鎖されることがあっても、Uバーン(ウーバーン/ベルリン地下鉄)やSバーン(エスバーン/高速鉄道)なども通常運行されていた。 

Uバーン(ウィキ)


Sバーン(ウィキ)


これはファーストシーンで、テオとクルトが西ベルリン・アメリカ占領地区に潜り込み、映画館でハンガリー動乱のプロパガンダ含みのニュースを観て興奮し、直後の黙祷事件に繋がる行動に振れていったことでも確認できる。 


更に、「年末は皆、西の親戚を訪ねる。検問が緩くなる」というテオの言葉で明らかなように、テオたちの西への移動を可能にしたラストでも了解し得るだろう。

 

―― 以下、映画批評。

 

「各自で考えるさ」 


ケスラーにクラスの閉鎖を告げられたテオらが教室をあとにして、「これからどうする」とパウルに問われた時のテオの直截な反応である。 


その直後、テオにレナが尋ねた。

 

「西へ?それとも残る?」 


この時もまた、テオは答えた。

 

「言ったろ。自分で決めろ」 


テオに「分かった」と反応するレナに対して、「元気でな」と言って、抱擁して別れるのだ。

 

無論、レナに対するテオの態度は、自分を裏切ってクルトに走ったなどという下衆(げす)な話ではない。

 

テオはまた、その場で「自己責任」とも言ったように、自分の行動の責任は自分で判断し、自分で決めて行動しようということだ。

 

我が国の政治家が、国民に対して説諭する類いの「自己責任論」と一線を画すのは言うまでもない。

 

首謀者の特定を求めるケスラーに対して、最初に指名されたテオが「みんな賛成を。大多数が」と答えた後、自らも賛成した事実を認め、退学処分を受け、それに異議を唱えたパウルに続き、レナから始まって殆どの生徒が、「私の案です」と主張する一連のシーンが本作の核心になっているが、その直後の彼らの迷いを描くこのシーンこそ、この映画で最も重要なシーンである。 


クラスを閉鎖されれば、彼らの望む未来は不透明になり、選択肢が限定されてしまう。

 

籠の鳥のように、表現の自由が束縛されている国家によって選択肢が限定された未来ほど苦痛なものはない。

 

光が消えそうに揺動している青春に待つ冥闇(めいあん)なる時間の只中で、孤立する青春だけが身を悶え震えているのだ。 



そんな渦中で、自らの将来を自分で決めることを求めるテオの言明が推進力となって、その夜、一人一人が自らの将来を、自らの意思で自らが選択して決めていく時間が開かれていく。

 

既に西側への物理的移動を果たしたクルトのケースとは切れているが、映像が映し出したのは、労働者階級のテオの家庭の風景だった。 

テオと父


そのテオは「(製鉄所で働かず)西で卒業試験を」と自らの意思を言明した。

 

「失敗したら逮捕だ」「家に戻れないわ」という両親の意に反して、「みんなで西へ行こう」とまで口に出したテオには、家族と別れる辛さがあっても迷いがない。 


生まれ故郷のスターリンシュタットを離れられない父もまた、かつては「東ベルリン暴動」で巨大な権力と闘った労働者だったが、今は、「逃げたら堂々と生きられん」という言辞を成績優秀な長男に向ける保守的な父になっていた。 

スターリンシュタット/東ドイツ建国12周年の記念パレード(ウィキ)



ここで思うに、表現の自由を奪われた東独では、「堂々と生きる」ことが難しいからテオにとって、「西で卒業試験を」受ける行為は「逃げる」ことではないのである。 

東独での窮屈な生活を強いられる若者たち


西で卒業試験を受ける若者たち


それは自らの〈生〉を全うするに相応しい行為であって、人生を大きく動かす「飛翔」なのだ。

 

クルトと同様に、西側でこそ「堂々と生きる」ことができるのである。

 

権力に押し潰されて東独で呼吸を繋ぐより、反共プロパガンダが煩わしくとも、エリートが仕切る全体主義国家が強いる偏頗(へんぱ)なイデオロギーで差別されない西の世界に自由に羽ばたき、堂々と生きること。

 

そこまでテオが考えていたか否かは不分明だが、少なくとも、その選択が「自分で考えたこと」の結論だったのである。

 

その結論が集合した時、「連帯」が生まれた。

 

その「連帯」が強化されて「力」になった。

 

「連帯の力」である。

 

作り手もインタビューで語っていた。

 

「多くの場所で似たことが起きていたものの、多くの場合、裏切りとして位置づけられ、制度に刃向かった人たちとして罰せられた。人々はバラバラになり、互いに裏切り合って、話が終わってしまっていた。今回の物語が極めてまれなのは、子どもたちが感じた連帯の力だ」(ラース・クラウメ監督インタビュー) 

ラース・クラウメ監督


とてもよく分かる。

 

この映画では、悲哀を極めるエリックの造形的なエピソードを含めて3組の父と子の関係が描かれていたが、この批評では、「言ったろ。自分で決めろ」と言い切ったテオの青春の風景を切り取ることで、物語の核心に迫っていた。

 

そして何より、この映画で一番素晴らしいのは、異論の存在を許容しない「斉一性の原理」ではなく、少数派の権利が確保された「多数決原理」という民主主義の原則に則って、若者たちの意思決定が遂行されたこと。 

黙祷に反対するエリック(左)も「多数決原理」に従った


「言い逃れするか、連帯を表明するか」について多数決で決める若者たち



だから自ら考え、行動し、飛翔する若者たち。

 

これが本作の副題となる。

 

多くの人たちに観てもらいたいと思わせる青春映画だった。 


(2024年4月)