1 「何て言う?“愛してる”」「“ハイスタ・ヴィットゥ(くたばれ)”」
ロシア語を学ぶためにモスクワへ留学中のラウラは、同性愛の関係にある大学教授・イリーナの仲間たちのパーティーで、恩師に紹介される。
イリーナ |
「フィンランド人の友達よ…明日、ペトログリフ(岩面彫刻)を見にムルマンスクに旅立つの」
「イリーナが熱弁するものだから…」
ラウラ |
しかし、一緒に行くはずのイリーナにドタキャンされたラウラは、一人で寝台列車のコンパートメントNO.6(寝台列車の6号客室)に乗り込む。
【ムルマンスクはフィンランドとの国境に近くに位置する北極圏最大の都市】
ロシア連邦内のムルマンスク州の位置(ウィキ) |
同乗者の男・リョーハはウォッカを飲みながら食べ散らかし、酔っぱらって絡んでくる。
ラウラがフィンランド人と分かると、フィンランド語で何というかあれこれ聞いてきて、うんざりするラウラ。
「何て言う?“愛してる”」
リョーハ |
「“ハイスタ・ヴィットゥ(くたばれ)”」
“ハイスタ・ヴィットゥ”と繰り返すリョーハ。
「あんた、列車で何してる?売春か?」
「意味がサッパリ…」堪らずラウラは、車掌に客室を替えるよう頼むが、「あらそう。我慢して」と返されるのみ。
仕方なく客室に戻りベッドに入り、ビデオで撮ったパーティーの様子を見て溜息を漏らす。
翌朝、サンクトペテルブルクに到着のアナウンスを耳にしたラウラは、荷物をまとめて下車し、街でイリーナに電話をかけるが、多忙なイリーナと満足に話もできなかった。
列車に戻ると、子供連れの母親が席に座っており、ベッドも子供に占領されていた。
食堂で、隣のテーブルに座っているリョーハが話しかけてくる。
「何しに行くの?ムルマンスクに」
「体を売りに…ペトログリフを見に行く」
「何だ、それ」
「いわゆる岩絵のこと」
「ピンとこない。何がすごいの?」
「1万年も前に描かれた絵よ」
「だから?」
「大学で考古学を勉強していて興味があるの」
「その岩絵とやらを見たら、何かあるわけ?」
「自分たちのルーツを知ることは大切よ。人間は歴史を学ぶ必要がある。過去を知れば、現在を容易に理解できる」
「じゃあ、岩絵を見るためだけに、わざわざ列車に乗って、あんなシケた町に行くわけか。信じられねえ。マジかよ」
「あなたは、なぜムルマンスクに?」
「仕事だよ」
「仕事って?」
「オレネゴルスクGOKを?…採石して加工する工場だよ。デカい鉱山があるんだ」
「建設業者?」
「まあ、そんなとこだ。自分の事務所を構えるための単なる資金稼ぎ…事業をやる」
「どんな?」
「とにかく事業だよ」
何の事業か答えられないリョーハに呆れるラウラ。
そこに4人家族が相席を求めてきてラウラと話し始めると、居心地が悪そうにリョーハは食堂を出て行った。
客室の親子が下車し、ラウラは部屋のベッドでイリーナへの愛を伝えるビデオメッセージを撮る。
ペトロザボーツク(ロシア内のカレリア共和国の首都)で一泊停車するので、知人宅を訪ねる予定のリョーハはラウラを誘う。
「相手は老婦人だ。古いものが好きだろ?ほら、あれも…」
「ペトログリフ…その女性は誰なの?お母さん?」
「…もっといい」
しかし、ラウラは「とにかく興味ないから」と断る。
それでもリョーハは、列車を降りてからもラウラを誘い、ラウラはそれを断ったものの、イリーナに電話をかけても繋がらないことで、結局、リョーハの運転する車に乗り込むことになった。
雪道を走り、着いたところはユーリイ・ガガーリン(宇宙への最初の有人飛行士)の肖像が描かれた町で、リョーハは、途中で買った土産を持って古い木造の家に入って行った。
気後れするラウラも中に入ると、太った陽気な老婦人とリョーハが話をしている。
そして、酒を飲みながら老婦人の冗談話を聞いて、3人は笑い合う。
リョーハは、「俺は寝るよ。2人は楽しんで」と席を立った。
「女性は、とても賢い生き物よ。内なる自分を持ってる。それを信じることが大事。心の声に従って生きるの。両親や娘や夫の声は聞かなくていい…私は15歳で心の声を信じることを学んだ。以来、43年間幸せに暮らしてる」
ラウラは「乾杯を」と言って、老婦人のグラスに酒を注(つ)ぐ。
「あなたに乾杯。幸多き人生でありますように。内なる自分に乾杯」と老婦人。
翌朝、酔いが残る中、ラウラは慌てて起きて、老婦人に別れの挨拶をして、リョーハの車で列車に戻った。
その老婦人を「母以上の存在」であると答えるリョーハが抱え込むトラウマの一端が可視化され、ラウラの中で何かが大きく変わっていくようだった。
2 「さあ、行こう…あれを見に」「行けないって言われた」「怠け者どもめ」
すっかり打ち解けた2人だったが、ロシア語が分からないバックパッカーのフィンランド人の男を助け、ラウラが客室に連れて来てから、リョーハは2人を避けるようになる。
バックパッカーのフィンランド人 |
雪の束を作り、それを蹴って遊ぶが転倒してしまうリョーハ |
それを見て微笑むラウラ |
そのフィンランド人の男が途中下車し、ラウラが見送って客室に戻ると、ビデオカメラが失われていることに気づく。
「あのクズ野郎」
「盗まれた?」
「そうよ。モスクワの思い出が入ってた」
ラウラは泣き出すと、リョウーハが一言。
「みんな、死ねばいい」
それを聞いたラウラは、今度は笑い出す。
リョーハにビデオテープの内容を聞かれたラウラは、人やパーティーや、笑い声、音楽などと答える。
「好きなものを撮ってたのに、全部なくなった」
「じゃあ、彼氏は?」
「名前はイリーナよ。世界一、美しい人なの。この旅も一緒に行くはずだったけど、彼女は仕事が入った。それでも私は旅に出た。なぜだろう。彼女の人生は美しい。住んでいる家も。まるで本の世界。私はそんな人生の一部になりたかった。美しい家で」
真剣に耳を傾けるリョーハ。
「どんな感じ?」
「その家は、古くてステキなの。堅木張(かたぎば)りの床で天井が高い。壁には様々な絵が飾ってある…週末は一緒に長い散歩をした…夜はみんなが訪ねてきて、お酒を飲んで笑ったり、雑談したり」
「いいね」
「もっと彼女が恋しくなると思ったけど、正直言って、恋しいのは、あのまなざしだけ…ひどいでしょ。私こそ死ぬべきね」
リョーハは、「よし」と言って、列車が到着する前に、食堂車で祝おうと誘う。
「道中ずっと困らせて、ごめんね」
「大したことない」
乾杯をしようとしても、気の利いた言葉が浮かばないリョーハだが、二人は和やかに時を過ごす。
ラウラはノートを取り出し、リョーハの似顔絵のページを切って、リョーハに渡す。
「俺?ソックリだ」
「よかったら、私のことも描いて」
「無理だ」と言いつつ、紙を渡され、眉間に皺を寄せて描き始めるが、「見せて」と言われて、「ヘタすぎる」と紙を折りたたんでしまった。
「じゃあ、住所を書いて」
「友達ごっこ?」
「念のため」
「必要ない」
ラウラは住所を書いて渡そうとするが、「欲しくない。バカげてる」とその紙も取り上げて丸めてしまう。
すっかり気まずくなり、リョーハは「クソッタレ」と呟いて食堂車を出て行き、ラウラもそれに続いた。
客室に戻り、消沈するリョーハが振り返ったところで、ラウラがリョーハを抱き締める。
見開いたままのリョーハの目。
涙が光っているのだ。
ラウラはリョーハにキスをするが、リョーハはそれを受け止め切れなかった。
感情を必死に抑えているのである。
ラウラは客室を出てお茶を入れに行き、戻って来るとリョーハの姿はなかった。
翌朝、終点のムルマンスクに到着し、ラウラはイリーナが予約をしたホテルへ行くが、ペトログリフのツアーガイドをフロントに頼むと、「今は行けません。道が悪すぎて無理」と断られる。
路上のタクシーに直接交渉するが、冬は通行止めで、考古学者はヘリで行っていると知らされるのみ。
ホテルの部屋から、イリーナに電話してペトログリフへは行けなかったことを話すラウラ。
「何もかも、あまりに遠く感じる」
「残念ね…」
「でも他に面白いものが見られるから」
「そうでしょうね…もう行かなきゃ。切っても?」
「そっちは何時?」
「どうして?時差はないわよ…もう切るわね」
「分かった」
冷たい反応だった。
ラウラは思い立ってタクシーで採石場へ行き、現場の作業員にリョーハへのメモを渡す。
リョーハがホテルを訪ねて来た。
「さあ、行こう…あれを見に」
「行けないって言われた」
「怠け者どもめ」
知り合いの運転する車で、ペトログリフ近くの港へ行き、船を出してもらうように交渉し、何とか雪と氷に覆われた目的地にやって来た。
ラウラは広大な海を前にした岩場を歩き回る。
「終わり?」
「終わり」
笑顔のラウラ。
帰りは吹雪の中、雪合戦に興じたり、アイスバーンを割ったりして、最果ての雪原の大地を転げてはしゃぐ二人。
採石場に着き、車の中で眠ってしまっていたラウラは、事業を起ち上げるために、一発逆転を狙って仕事に戻るリョーハがこちらを見ていることに気づく。
運転手が車に戻りホテルへ走り出すと、リョーハから預かった手紙を渡す。
それは、捨てたはずのリョーハがラウラを描いた絵で、その裏には、“ハイスタ・ヴィットゥ”と書かれていた。
それを読んだラウラは、その意味を思い、思わず笑い出すのだった。
3 出会いはいつも唐突にやってくる
結論から書いていく。
ヒロイン・ラウラの旅は、初めから何の意味もない旅だった。
イリーナとの宿泊を含む寝台列車の長旅が頓挫したことで、全てが無意味な長旅と化してしまったのである。
ラウラの旅の本質は、自分に対して冷めつつあるイリーナとの同化を果たすための、絶対に手放せない時を編む営為だったのだ。
これが呆気なく破綻した時、もう旅程それ自身が内包する意味を自己目的化できなくなり、ただひたすら、その暗鬱な旅程をビデオカメラで記憶に留める行為に振れるのみ。
ビデオカメラで収めた記憶の束をイリーナに贈るという行為が、ラウラの旅の本質から逸脱していることを感知できても、彼女にはそれ以外の選択肢がなかった。
これが、ラウラの旅を暗鬱にさせていく。
大体、ペトログリフとはイリーナとの同化の記号でしかないのだ。
ましてや、彼女を暗鬱にさせる旅程のコアにイリーナではなく、無教養でデリカシーに欠ける粗野なロシア人が立ち塞がっていたので、もう、この旅程から拾い上げる価値の欠片(かけら)もなかった。
その男・リョーハが吐き出す暴力的言辞に辟易(へきえき)したラウラは、せめて旅程の記憶の束を収めるビデオカメラに固執するのみ。
今や物理的にリョーハと向き合うことになったラウラの自我が裸にされて、男への攻撃性も身体化されていく。
「まったく見ず知らずの人間同士が偶然出会う。まさにこの見ず知らずの他者との出会いを、映画の中心に置く主題として描いてみたいと思いました。なぜ、見ず知らずの人間との出会いに焦点を当てるかというと、その瞬間こそが『最も自分らしさ』が出る気がするのです。いい意味でも悪い意味でも。知らず知らずの間に、自分という人間の本質や本性が露わになってしまう」
ユホ・クオスマネン監督のインタビューでの言葉である。
ユホ・クオスマネン監督 |
この望むべくもない時間が累加される行程で、ラウラの射程に入ったのは、リョーハの人間性の裸形の相貌だった。
電話ボックスで自分を救ってくれたリョーハに誘われ、ペトロザボーツクで一泊停車中に寄ったリョーハが慕う養母と思しき老婦人の家で、件(くだん)の婦人から「心の声に従って生きる」ことの大切さを聞かされた経験が、ストレスフルなラウラの中枢を射抜き、大きな変容の契機となっていく。
翌朝、老婦人のために薪を割って届けるリョーハの姿を見るラウラに対して、「いい人を見つけたわね」と声をかける老婦人。
思いも寄らないこの滞在は、リョーハに対するラウラの見方を決定的に変えていく。
純朴な労働者のリョーハは、単にコミュニケーション能力が足りないだけの男だった。
直線的なリョーハの性格が端的に表現されたのは、バックパッカーのフィンランド人に対する視線を動かさず睨み続ける態度のうちに読み取れる。
こういう風にしか、嫉妬を表現できないその直接性。
そんな男に別離の時がやってきた。
既にリョーハへの思いが高まっているラウラは孤独に浸る男のもとに近づき、ひしと抱き締めるのだ。
観る者に届くラブシーンの構図に感極まるのは、顔を避けて涙を見せない男の思いが心に響いてくるからである。
モスクワで孤独を極めていた女と、住所を答えられないアドレスホッパー(移動生活者)のような男の孤独が、今、そこで安らぎを得ているようだった。
とりわけ、イリーナの「人生の一部になりたかった」が、「正直言って、恋しいのは、あのまなざしだけ」と吐露するラウラの空洞を埋める何かが、「コンパートメントNo.6」での「異質なるもの」とのリレーションシップ(繋がり)の時間の中で拾えたのである。
それはモスクワでの孤独を浄化するに足るセルフヘルプ(自助)であり、自らのナラティブにフィットしない過去に引き摺られることなく、リスタートへの力強いメッセージの束と化して、彼女の時間を変えていく必須なる旅程の様相を呈していた。
だから、「旅先からのビデオレターよ」と言うや、さして意味を持たない対象を撮影した最後にリョーハの寝床を写して、「あなたの寝床ならよかったのに」などと悔いる必要などなかった。
頼まれもしないのに、イリーナに贈るためだけのハンディカムに固執する必要などなかったのだ。
旅程の記憶の芥(あくた)を収めるという価値の崩壊。
意味なきもの(ペトログリフ)に、不必要な意味(同化)を与えることに対する、意味ある事態(再生)への跳躍のための崩壊。
そういうことではなかったのか。
ラウラのペトログリフ体験に拾うべき価値などないのである。
映像がペトログリフそれ自身を映し出さなかったことで分かるように、単に波打ち際に晒されている複数の岩の数々は、イリーナとの同化の記号でしかないが故に、「終わり?」と聞かれ、「終わり」で済ませてしまう物理的時間以上の何ものでもなかったのだ。
思えば、冒頭にインサートされるイリーナの「名言クイズ」での言葉が、この映画が提示するメッセージの要諦(ようてい)を凝縮していた。
その1。
“どこへではなく、何から逃げているかを知れ”
ソ連崩壊という 大変革期を知る現代ロシアの小説家、ヴィクトル・ペレーヴィンの「チャパーエフと空虚 」(2007年)の中の言葉である。
その2。
“人間同士の触れ合いは、いつも部分的にすぎない”
これはマリリン・モンローの言葉。
二つとも知らなかったが、まさに言い得て妙の表現である。
前者は「自分が何者であるかという〈現存在性〉に関わる根源的テーマに正対して向き合え」という含みの表現であり、後者は、ラウラが映画で絡む二人の特定対象者との関係が恒久的なものではなく、且つ、対象人格との人間的距離を完璧に埋めることなど不可能であるという含意が読み取れる。
それでも、縁も所縁(ゆかり)もない特定対象人格との交流を通して、部分的にでも理解し合うことの大切さ。
これを捨てるべきではない。
私たちの人生は短い。
その短い行程の中での、ほんの一瞬の時間でしかないが、他者を受け入れていく努力を惜しんではならない。
そういうメッセージだろうか。
―― ここで、簡便な総括。
何より大切な己が人生の一過的なエクスペリエンス(経験で得た貴重な何か)を経由して、進軍する女子の鮮度の高い時間が、それを支え抜く軌跡を成していく。
出会いはいつも唐突にやってくるのだ。
―― 寄せる思いを描いた似顔絵のエピソードとリョーハの涙、そのリョーハが時折見せる真剣な表情、そして物語の極点になった雪原の大地で戯れる雪合戦のシーンが強烈に印象づけられる。
説明描写をかなぐり捨てた秀逸な脚本が冴えるいい映画だった。
(2024年6月)
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