1 「絶対状況」に捕捉された「炸裂するヒロイン」の究極の〈生〉の転がし方
個人的には思い入れの少ない、この作り手の作品の中で、受容できる殆ど唯一と言える作品だが、客観的に評価すれば、存分なまでの「映画の嘘」の「自在性利得」の中で、物語構成力による「初頭効果」(第一印象効果)のインパクトと、その身体表現によって「炸裂するヒロイン」と、その「炸裂するヒロイン」を巡る二人の男の人物造形の魅力が見事に溶融することで、壊れそうで壊れない、アクション娯楽ムービーがマキシマムに表現し得る絶妙な内的風景を描き切った、リュック・ベッソン監督の記念碑的な一篇。(因みに、映像イメージから、本作の主人公である「ニキータ」を、本稿では敢えて、「炸裂するヒロイン」と呼称していくことにする)
物語構成力による「初頭効果」のインパクトとは、秘密工作員という名の女テロリストである「炸裂するヒロイン」が、縦横無尽に身体表現する本作が完璧に前編と後編に分れていて、「『外的表現』を身体的に繋ぐ、『炸裂するヒロイン』の非抑制的・非内面的ワールド」である前編と、「『内的表現』を身体的に繋ぐ、『炸裂するヒロイン』の抑制的・内面的ワールド」である後編の鮮烈なコントラストによって、観る者を些か強引に引っ張り切るパワーを持ち得ていたことに尽きる。
後述するが、本作の中で最も重要なシーンは、物語を実質的に前・後編に分けたと言えるバスルームのシーンであり、このシーンなしに本作の訴求力の高さを語れないだろう。
初めて、形ばかりの自由を得た秘密工作員としての女テロリストが、最初に請け負った仕事が単なるホテルのメイドでしかなかったが故に、「炸裂するヒロイン」にとって、相当程度、「任務」を甘く見た印象の余韻で、弾けるような歓びを体現した辺りは、観る者の度肝を抜くような、文字通り、「出口なし」のレストランでの凄絶な銃撃戦を展開した、「命を賭けた卒業テスト」の苛烈さをパスしたとは言え、まだまだ、暴走無頼のイメージの濃厚な女テロリストの印象を拭えなかった。
大体、訓練という名の3年間の限定的な洗脳ラッシュで、ショートカットの「炸裂するヒロイン」の人格が容易に変容する訳がないと思わせる人物造形を、本作は一貫して、「映画の嘘」の「自在性利得」の中で繋いできているのだ。
件の「炸裂するヒロイン」は、元々ドラッグ欲しさに、仲間の父親が経営する薬局を襲撃する事件の流れの中で、3人の警官を射殺した重罪によって、陪審員裁判(注)の結果、無期懲役刑(注2)を言い渡されるが、「クソ裁判官、ふざけるな!」と叫び、法廷で暴れ狂うほど始末に悪かった。
まもなく、中枢神経の異常な興奮を静める抗興奮剤(?)を注射され、意識を失った「炸裂するヒロイン」が、見知らぬ部屋のベッドで覚醒したとき、見知らぬ男が現れ、戸籍上は葬式も済ませ、自殺したことにしたという報告を受け、自分が置かれた状況の把握ができず、男の話を一方的に聞かされるに至る。
男の名はボブ。
政府直轄の国家機密機関の秘密工作員である。
ボブは「炸裂するヒロイン」に、秘密工作員となることを強く求めていく。
「君にもう一度だけチャンスを与えよう」
まもなく、教育係になっていくボブの、恫喝的な言葉である。
「何をするの?」
「訓練だ。読み書き。歩き方。話術。格闘技を教える」
「なぜ?」
「国のためだ」
「断ったら?」
「墓場に送る」
「炸裂するヒロイン」は、1時間ほど眠らせて欲しいとボブに頼み、その許可を取った後、再びやって来たボブから銃を奪取するが失敗し、自殺を図ろうとして、それも未遂に終わった。
結局、「炸裂するヒロイン」は秘密工作員としての訓練を受けるに至るのだ。
それは、3人の警官を射殺し、無期懲役刑を言い渡された少女にとって、「墓場に送られる」以外の選択肢を持ち得ない「絶対状況」に捕捉された者が、唯一許容された究極の〈生〉の転がし方だった。
(注1)フランスの場合、陪審員9人が職業裁判官3人と共に審理する制度で、制度の実質は参審制である。(Wikipedia参照)
(注2)フランス第五共和政のミッテラン大統領(画像)の社会党政権下で、司法大臣となったロベール・バダンテールが、死刑廃止を制度として実施したことで、終身刑が最高刑となったという経緯がある。加えて、「フランスでは、終身刑は、模範囚としての早期出所や大統領恩赦が認められない20年以上の厳重収監を意味する」(JanJan 2007/02/0)と言われているが故に、実質的には、「無期懲役」という本作のDVDのキャプションも終身刑と同義に近いと思われる。
2 「炸裂するヒロイン」の「非抑制的・非内面的ワールド」から、「抑制的・内面的ワールド」への「内的表現」を身体的に繋ぐ決定的変容の象徴的な瞬間(とき)を刻んで
「炸裂するヒロイン」の秘密工作員としての訓練が開かれた。
コンピュータの操作で苦労するが、初めての銃の訓練で才能を発揮し、教育係のボブを満足させた。
「私たちが手を合わせれば、あなたは人間らしく生まれ変われるよ。本物の女に変身するために」
そう言ったのは、キャリアが長い初老の女性秘密工作員。
「炸裂するヒロイン」に長髪のカツラを被せてあげて、「女」としての意識を高めさせていくのである。
3年後。
23歳になった「炸裂するヒロイン」は、見栄えが良い女性工作員として成長していた。
教育係のボブを随伴しての外出を許可され、有頂天の気分だった。
レストランでのボブからのプレゼント ―― それは、一貫して、「非抑制的・非内面的ワールド」とも言える「外的表現」を身体的に繋ぐ、文字通りの「炸裂するヒロイン」の、有頂天の気分を一気に萎ませるに充分な程の無機質なものだった。
秘密工作員に必須の携帯道具である拳銃が入っていたのである。
驚く「炸裂するヒロイン」に、ボブは顔色一つ変えず、必要な言葉だけ添え、暗殺指令を与えて、さっさと立ち去っていった。
ボブの虚偽の指示を露わにした、この「卒業テスト」を命懸けで生き延び、成功しても、「炸裂するヒロイン」の常軌を逸した行動に、「君は冷静になれない。秘密工作員だぞ」とボブに叱咤される始末。
それでも、「卒業テスト」による自由を得て、「炸裂するヒロイン」は、外に出られる喜びを噛み締めていた。
「任務は予告なしに入るぞ」
こんな風にボブにされても、外に出られた歓喜の気分の高揚が、その自由が限定的であり、時には、大きな重石になるリアルな予感を封印してしまったのである。
因みに、女テロリストの虚構の職業は、「マリー・クレマン」という名のナースであり、そのコードネームは「ジョゼフィーヌ」。
この時点でも、「炸裂するヒロイン」の「非抑制的・非内面的ワールド」が全開し、存分なまでに、「外的表現」を身体表現する秘密工作員が暴れ捲っていた。
そんな中で、伯父に成り済ましたボブが、婚約の祝いにくれたベニス旅行のチケットで、二人はハネムーン気分を愉悦する。
人生の至福に満ちていたハネムーンだったが、「任務は予告なしに入るぞ」とボブが指示した通り、そこに次の指令が舞いこんで来たのである。
次の指令こそ、女テロリストとしての苛酷な実践命令だった。
この苛酷な実践命令の遂行こそ、前述したバスルームのシーンだったという訳だ。
本作の肝とも言えるシーンの渦中において、女テロリストであると同時に、ごく普通に、非日常の至福を愉悦する市中の庶民でもあるという自己像を、嬉々として立ち上げたつもりの身勝手な気分を根柢から揺さぶることで、「『外的表現』を身体的に繋ぐ、『炸裂するヒロイン』の非抑制的・非内面的ワールド」であった物語の前編の流れを、「『内的表現』を身体的に繋ぐ、『炸裂するヒロイン』の抑制的・内面的ワールド」である後編の鮮烈な風景に変容させていくに至るのだ。
簡単に説明する。
暗殺指令を受けた「炸裂するヒロイン」は、バスルームで組み立てた銃(注3)を持って、目標の人物に狙いを定めているとき、隣室にいるはずのマルコから、ドアの向こうから呼びかけられた。
「君が過去に何をやったか知らないが、心は傷だらけで暗い影を負っている。君が恐ろしい罪を犯したとしても構わない。打ち開けて欲しい」
銃を構える「炸裂するヒロイン」に、涙ながらに訴えるマルコ。
マルコの訴えに心が揺さぶられ、涙を見せる女テロリスト。
そこに無線が入り、栗毛の女への暗殺指令が入って、サプレッサー(消音器)装着のステアーAUG(注3/画像)を構えるや、狙いを定めて射殺した。
そのとき、反応のない婚約者の振舞いが気になって、マルコが苛立つように入室して来た。
瞬時に、銃を浴槽に隠す女テロリスト。
3年間にわたって鍛えられた反射神経のスキルが、こういう事態で発現されてしまう程、この「炸裂するヒロイン」は、秘密工作員としての負の相貌を露わにするのだ。
反応のない婚約者の振舞いに苛立って、マルコが立ち去っていく。
「炸裂するヒロイン」の頬を液状のラインが濡らしていく。
それは、「炸裂するヒロイン」の「非抑制的・非内面的ワールド」から、「抑制的・内面的ワールド」への「内的表現」を身体的に繋ぐ、決定的変容の象徴的な瞬間(とき)を刻んだ物語の始まりを告げるものだった。
(注3)ここで使用された銃は、サプレッサー(消音器)装着のステアーAUG(アサルトライフルの一種)。(「MEDIAGUN DATABASE」参照/映画やTVドラマ等で登場した銃器の紹介をするサイト)
3 理念系先行の狭隘な範疇に収斂されないブレイクスルーポイントの入魂の一篇
「炸裂するヒロイン」にとって、バスルームの一件は、自分が得た自由が限定的なものであり、自らの欲望の稜線を伸ばしていける甘い幻想を断ち切ってしまうほどの苛酷なミッションである現実を、初めて実感的に知らしめられたのである。
それでも婚約者との愛を育んでいく「炸裂するヒロイン」は、かつて経験したことがないような、その固有の内的行程の稜線を伸ばせば伸ばす程に、困難な任務の頓挫の中で露わにされた裸形の人間性が、心奥に眠る未知のゾーンに踏み込んでいくという隘路に捕捉されてしまうのだ。
ソ連大使館から機密情報を奪取するという、本作の中で最も困難な任務を与えられた「炸裂するヒロイン」の決定的な頓挫の心理的背景には、人を殺すことに不感性になっている「掃除屋」と呼ばれる、「完全無欠なテロリスト」の「掃除」に対する違和感を相対化し得る程に、非情に徹し切れない情感を、自らの人格像のうちに感受してしまったからである。
いつしか、心奥に眠る未知のゾーンに踏み込んでいった「炸裂するヒロイン」の変容の推進力が、マルコとの深い愛情関係のうちに求められるのは言うまでもないので後述したい。
蛇足だが、「完全無欠なテロリスト」である「掃除屋」の人物造形の役割は、「炸裂するヒロイン」の人格のうちに命の遣り取りの重量感を実感させることで、有無を言わさず請け負わされた、女テロリストの任務の空虚さを鮮明に浮き彫りにする意味を持つと言えるだろう。
「非抑制的・非内面的ワールド」から、「抑制的・内面的ワールド」への「内的表現」を身体的に繋ぐ決定的変容を通過した女テロリストの中で、今や、心奥で騒いでしまう情動を抑える術がなかったのである。
そんな「炸裂するヒロイン」を支える二人の男。
その人物造形の絶妙なスタンスと、男たちの見事な表現力によって、「炸裂するヒロイン」の物語がビビッドに補完され、ドラマとしての均衡を付与し得るに足る熱量を充填していたと言える。
何よりも、「炸裂するヒロイン」の内面的ワールドへの変容は、スーパーのレジ係であるマルコの存在の決定力によって具現されていく。
3年間封印されていた性的衝動を満たすためにアプローチしたに過ぎないハンサムボーイとの関係の中で、「抑制的・内面的ワールド」への「内的表現」を身体的に繋ぐ決定的変容を具現していったのは、相手の男が自分に対して本気で愛情を注いでいることを知ったからである。
「愛される自己」としての価値を初めて経験したに違いない「炸裂するヒロイン」には、「愛される自己」としての価値を噛み締めることで、相手に対する愛情をも育てていく。
愛する対象人格を持つということは、絶対に失いたくない特定的なるものへの価値を持つことと同義である。
絶対に失いたくない特定的なるものへの価値を持つ人間の普通の営為が、ごく普通のレベルで経験的に累加していくことで、そこにどんな大義名分があろうとも、女テロリストとしての存在の有りようが根本的に問われてしまうのである。
人を愛することで失いたくない対象人格の価値を内面的に累加していくことで、他人の命を奪うことの残酷さを実感したのだ。
失いたくない対象人格の存在価値を知ってしまったら、もう、失いたくない対象人格を普通に持つ者の命を奪うことが困難になるということ。
これが、本作を根柢から支える基幹メッセージと言っていい。
だから彼女は、今まで自らが犯してきた「罪」のほんの一端を感受したのか、愛する男を占有することへの心理的推進力の熱量を奪われてしまった。
ボブとのラストシーンの会話の中で、マルコが言うように、彼女は意に反した任務の遂行を通して、自らが犯してきた「罪」を償ってきたのだと大甘に許容する人には、「炸裂するヒロイン」の逃亡は成功したと思うかも知れないだろうし、或いは、それを否定する人には、彼女の逃亡は頓挫すると考えるかも知れないだろう。
「『グラン・ブルー』(1988年製作)では、よく知っていたけれど失われた少年時代の夢を取り上げた。『ニキータ』(1990年製作)や『レオン』(1994年製作)については、当時のフランスは、ブルジョワや保守層が力を持っていた社会だったんだ。30歳ぐらいの若者の僕としては、そんな社会に蹴りを入れたいような気分でいっぱいだった。(略)まだ、全然“達していない”感じだったね。(略)どの映画にも、そのときの自分の精神状態や描きたいテーマがちゃんと入っているから。作品は時代のポラロイドみたいなもの。観ると当時の自分の気持ちがわかる。もちろん今、同じような映画を作れと言われても作ることはできないし、“今ならこうするのに”って後悔することもない」(「web R25 > ロングインタビュー > リュック・ベッソン」より抜粋)
リュック・ベッソン監督はこう語っているが、この映画をブレイクスルーポイント(突破点)と語っていた作り手の入魂の一篇である本作が、ブルジョワや保守層への糾弾の物語という、理念系先行の狭隘な範疇に収斂されないことだけは事実。
「炸裂するヒロイン」が3人の警官を射殺した事実は重く、これがブルジョワや保守層への糾弾の物語という理念系を希釈化させているからだ。
もっとも、「炸裂するヒロイン」が、自らが犯してきた「罪」と向き合うという問題意識の提示に対して、作り手が深い関心を寄せている印象を受けないが故に、一切は観る者の受容感度の相違であるということだろう。(画像はリュック・ベッソン監督)
4 悲哀の「痛み分け」に嵌らなかった静かな恋のゲームの軟着点
印象深いラストシーン。
ボブに同行した秘密工作員を街路に待たせて、自分一人だけの訪問を果たすボブの振舞いのうちに、マルコとのプライバシーに関わる話を秘匿している事実を顕在化させていた。
「炸裂するヒロイン」の逃亡で、置き去りにされた寂寞感を噛み締めて、静かに語り合う二人の男。
マルコとボブである。
既に、事情を知悉(ちしつ)する二人の男の会話は、「炸裂するヒロイン」が犯してきた「罪」についての問答だったが、彼らの主眼はそこにない。
「炸裂するヒロイン」の安全確保への問題意識こそが、彼らの情感を動かしているようだ。
「私にどうしろと?」とボブ。
この言葉のうちに、「炸裂するヒロイン」の安否を気にする思いが滲んでいる。
「彼女を守ってくれ」とマルコ。
「やってみよう。だが、彼女の立場は危険だ。機密情報を持って消えた」
ボブの訪問目的が吐露されるが、どこまでも「炸裂するヒロイン」の安全確保への問題意識が、「時代状況の閉塞感」に則して造形されたこの男の言葉の底流にある。
ここで、マルコは機密情報のマイクロフィルムを手渡すが、もう、あとは「炸裂するヒロイン」を失った男たちが寂寞感を共有する時間に流れていくだけだった。
マイクロフィルムの入手を最優先事項にしていたボブの関心は、それを手に入れた安堵感をクリアしたら、思いを寄せた女からの伝言のメッセージ以外になかった。
既に入手したマイクロフィルムの封筒を弄(まさぐ)る様子は、殆ど、初恋の相手からの心情吐露のアウトリーチへの、チャイルディッシュな飢えの感情の発露と言っていい。
「あなた宛ての手紙は僕が破った」
あっさりと言ってのけるマルコ。
この物言いには、「炸裂するヒロイン」のボブへの手紙の内実が、ボブへの好感と、別離の寂しさが表現されていたらしいことを暗に伝えていて、文面を尋ねるボブへの素っ気ない態度に現れていた。
それがマルコの嫉妬を露呈するものだったが故に、「抑制的・内面的ワールド」に振れていった、「炸裂するヒロイン」を巡る静かな恋のゲームが、悲哀の「痛み分け」に嵌らなかった軟着点への括りのうちに閉じていくことになったのだろう。
「お互いに寂しくなるな」とボブ。
マルコの嫉妬を見透かした余裕を乗せつつ、笑みを湛えた後の男の言葉である。
「ああ・・・」とマルコ。
それ以外にない反応を返す男もまた、裸形の感情を隠さない眼の前の男との共有感覚を、束の間、分かち合っていた。
この短い会話が、二人の男の寂寞感を伝えて閉じる映像は、余情の残るラストカットだったと言える。
紛れもなく本作は、若き日の情動を推進力にして構築した、リュック・ベッソン監督のブレイクスルーポイントとなった重要な映像である。
(2012年2月)
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