1 愛を求める彷徨の行方
“オリオン・サーカス”のショー。
赤い照明の明滅の中、カサンドラが息を吹きかけると、横たわっていたロバ・EOが立ち上がり、観客から喝采を浴びる。
カサンドラ |
EOとカサンドラ |
カサンドラはEOと舞台を回り、ショーを盛り上げた。
サーカスの仕事が終わっても、カサンドラはEOを撫で、抱き締め、キスをして慈しむ。
普段EOは、産業廃棄物の運搬作業をさせられているが、なかなか動かないEOを、ヴァシルが怒鳴り、鞭を打って脅す。
それを見たカサンドラは、「勝手にEOに触らないで」と抗議する。
ヴァシル |
産廃の仕事が終わり、ヴァシルがEOと歩いていると、動物愛護団体のデモに遭遇し、シュプレヒコールを浴びてアジテーションに晒される。
「ヴロツワフ市(ポーランドの古都)ではサーカスの動物出演が禁止された!ヴロツワフ万歳!この運動を多くの地域へ広げよう!動物を苦しめるな!」
ヴァシルが市の職員に抗議すると、「破産更生法28条4項(動物を解放する法律)に基づき、動物を没収します。以上」と言い渡され、EOだけでなく、他の動物たちも保護され連れて行かれてしまった。
EOを連れ去られ、ショックを受けたカサンドラは、呆然と去って行く車を見つめる。
トラックに載せられたEOは、馬を飼育する厩舎に向かった。
窓から美しい毛並みの馬たちが走る姿を見るEO。
副市長のテープカットで開かれた新しい厩舎で、その一角に住まわされるEOは、隣の芦毛のサラブレッドが体を洗われ、大事に扱われているのを見ている。
大事に扱われている芦毛のサラブレッド |
体を洗われている |
興奮した馬同士が暴れるのを見て、EOは荷車を付けたまま、トロフィーの棚を倒し、厩舎から逃げ出した。
次に引き取られたロバ牧場で、EOは、カサンドラに優しく撫でてもらっていた時のことを思い出す。
障害児たちと触れ合うイベントで、多くのロバたちに交じって、EOも子供たちと戯れる。
夜になって、カサンドラが恋人のバイクの後ろに乗って、EOを訪ねて来た。
EOの誕生日祝いに、ニンジンのマフィンを届け、食べさせるカサンドラ。
カサンドラはEOを撫でてキスし、可愛がった後、別れを告げて帰り、待っていたバイクの後ろに乗ると、背後からEOの悲しい啼き声が聞こえてくる。
EOはカサンドラを追い、またも牧場を逃げ出し、暗い夜道を走り、真っ暗な森に迷い込む。
闇の中で生息する小動物たちを見ながら森を彷徨うEOは、突然、緑色の複数の光線が差し込んできて、銃声が鳴り、撃たれ横たわる瀕死のオオカミを目の当たりにする。
EOは逃げるように走り続け、コウモリが舞うトンネルを抜けると、美しい朝焼けが広がる草原に辿り着く。
真っ赤に染まった小川の流れる森を進み、巨大な風力発電の羽が回る所で、バードストライクに遭った鳥が落ちて来た。
朝になり、街を歩き、通路から熱帯魚を見て奇声を上げるEO。
捕獲されたEOだったが、紐を解かれ、その捕獲した男・ゼネクが所属する“ズリヴ”というサッカーチームの試合を見ている。
ゴールキーパーのゼネクが守るペナルティーキックの瞬間、EOは前足を擦り、雄たけびを上げ、相手チームのキッカーのミスを誘う。
「勝利のロバだな」と称えられたEOは、チームの勝利を祝うパーティーの輪の中にいた。
会場の外に出たEOが草を食べていると、負けを認めない相手チームのサポーターが車で駆けつけ、棍棒を持って会場に乱入して暴れ、帰り際に試合の邪魔をしたEOにも激しい暴行を与える。
生死を彷徨うほどの傷を負ったEOは、病院で手当てを受ながら、カサンドラに優しく撫でてもらったことを思い出している。
怪我が癒えたEOは、様々な動物が収容された毛皮工場に連れて行かれ使役させられるが、小動物を手荒に扱う係員を後ろ足で蹴り上げ、昏倒させてしまう。
厄介者のEOは「肉のサラミになる」と言われ、売られていく馬たちと共にトラックに載せられ、車窓の隙間から雪山の美しい風景を眺めている。
途中、運転手が店に寄り、付いてくる難民女性を車に乗せ、食料を与えるが、「セックスもどう?」と言うや、女性は下りて行った。
その直後、運転手は何者かに突然、喉を掻き切られてしまう。
警察が現場検証する中、外に繋がれていたEOは、通りがかりの自動車が動かなくなって歩いてきた男の目に留まり、そのまま自宅へ連れて行かれる。
移送車の中で、男がEOに話しかける。
「今まで大量の肉を食べてきた。何百キロも。サラミも食べたぞ。ロバ肉ってことだ。どんな味が知りたい?…俺のせいで食欲が失せたか」
EOは男が差し出す干し草を食べようとしなかった。
到着した屋敷で、男は義理の母親の前で聖職者として儀式を行うが、義母は途中で問題を起こしてきたことを知り、何をしでかしたのかを問うが、男は答えない。
EOは屋敷の庭で優雅に草を食べていたが、そんな人間たちの諍(いさか)いを見せられ、サーカスのシーンを思い浮かべ、カサンドラの呼ぶ声が聞こえたので外へ出て行ってしまう。
最後にEOが迷い込んだのは、家畜の牛の群れだった。
食肉加工の屠殺場へと誘導されていく大量の牛たちの中に、EOの姿もあった。
暗い工場にEOも入り、真っ暗になったところで、一発の銃声が鳴った。
瞬時に、EOの命が絶えていく。
過激な動物愛護団体の抗議によって急転した物語は、一途にカサンドラの愛を求める彷徨を繋いできたが、今、そこにしか辿り着かないような彷徨の行方が定まって閉じていったのである。
ラストキャプション。
「本作は動物と自然への愛から生まれました。撮影で、いかなる動物も傷つけていません」
2 ヒトと動物の宿命の隔たりの大きさ
中年男の愛の切なさを描くポーランド映画「アンナと過ごした4日間」が忘れられないが、この映画の鮮烈さも過激なまでに強烈だった。
「アンナと過ごした4日間」より |
以下、簡単な批評。
発達障害児や認知症患者などのケアにロバが携わると改善が見られると言われているが、この映画でのカサンドラとの共生と別離の切なさのシーンがそうだったように、動物との触れ合いで人々の心を癒す「アニマルセラピー」としてのEOの希少性が冒頭で描かれている。
これが物語の起点となって苛酷な運命に翻弄されていくEOだったが、それでも流され切れず、他の何ものとも代替の効かない〈個〉として、愛を求める時間の海を漂流するEO。
愛を求める時間の渦の真っ只中にインボルブされながらも、傍観者としてEOの瞳が捕捉するのは、サーカス時代において自らを使役していた人間の世界の愚昧さと滑稽さ。
そして、人間それ自身の酷薄さ。
最後まで〈個〉であろうとしつつも人間の酷薄さの正体を見せられ、悲哀を共有するカサンドラの不在によって泉下(せんか)の客となり、天に昇ってしまうのだ。
ヒトと動物の宿命の隔たりの大きさ。
〈個〉としての〈生存〉を全うする自由を持ち得ない、この宿命の隔たりの大きさが映像提示され、EOを囲繞する愛を求める時間の渦を呑み込んでいくのである。
これこそが、この映画の全てかも知れない。
「この映画EO イーオーは、動物と自然への愛から生まれました。撮影で、いかなる動物も傷つけていません」
希代の映画作家ロベール・ブレッソン監督の『バルタザールどこへ行く』にインスパイアされて構築された映画のテーマは、イエジー・スコリモフスキ監督のこの言葉のうちに凝縮されている。
「バルタザールどこへ行く」より |
「ヒトと動物・自然との共生」
このメッセージが、イリュージョンの如く次々に繰り出される電子音と映像美を伴走させて、物語を駆け抜けていくのだ。
「何よりも感情に訴える映画を作りたいと思っていました。これまで撮ったどの作品よりも感情に基づいた物語を撮りたかったのです。(略)この作品の場合、説得のための唯一の方法は優しさを示すことでした。つまり彼の耳に言葉をささやき友好的に愛撫することです。そしてロバは“演技”が何であるかを知りません。彼らは何かのフリをすることができず、純粋に彼ら自身であり続けます。(略)また、人間と自然、人間と動物の関係性も考え直す必要があるというメッセージも込められています。動物に対しては毛皮や消費のための産業的な飼育ではなく、愛を以てポジティブな関係を育むが真っ当だと考えていますし、そうなればと願っています」
イエジー・スコリモフスキ監督 |
インタビューでのイエジー・スコリモフスキ監督の極めて分かりやすいブリーフィングだが、色彩構築に富む鮮烈なまでの本作は、「アニマルウェルヘア」(動物福祉)という理念の映像的提示に尽きる。
だから、ここでは、この問題意識を持って言及していく。
以下、時代の風景「『アニマルウェルヘア』(動物福祉)は、どこまで可能か」からの一部抜粋である。
「人と動物が共に幸せに暮らせる社会づくりを目指す」
世界最大級の動物保護団体として知られる「ヒューメイン・ソサイエティー・インターナショナル」(HSI)の基本理念である。
動物愛護法の改正の機運を高めるために開催されたフォーラムで、動物愛護法を単に愛護精神を推進するための理念法として捉えるのではなく、より具体性を持った動物を守る手段となる部分を強化する必要性が語られた。
「動物との共生を考える連絡会」より |
取り上げられたテーマは、実験動物と畜産動物に関するもの。
実験動物については、近年、動物実験から動物を用いない最新の代替法への移行の最新動向。
犠牲になる実験動物の低減化と、そこに関わるヒトへの安全性が高い商品開発の問題。
畜産動物については、家畜の快適性に配慮した飼育管理の具現化としての「アニマルウェルヘア」(動物福祉)を保障した生産体制を、如何に構築していくかという一点に凝縮される。
「アニマルウェルフェア畜産協会」より |
畜産動物については、畜産動物の福祉の向上が単に動物のためだけではなく、公衆衛生・食品の安心・安全及び畜産の経済にとってもプラスとなり、人間の生活の質の向上に繋がるという思想である。
これが、HSIが標榜する「動物との共生」の基本理念である。
動物との共生 |
以下、殺処分へと至るペットの遺棄に象徴される動物愛護後進国・日本の動物愛護法の不十分さを衝く、HSIの研究毒性学部門副部長のトロイ・サイドルのブリーフィングを引用する。
「世界中、多くの国が、動物を守ることを目的とした包括的な動物福祉の規制を設けており、動物愛護法が最初に制定された時期から、世界各国の動物福祉の規制には大きな進展がありました。例えば、実験動物ひとつとっても、現在37の市場で化粧品の動物実験の実施や動物実験された化粧品の商取引が禁止され、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ブラジル、チリ、スリランカや南アフリカなどでもこのような法案が検討されています。これらの規制は、ヒト生物学を基盤とした動物を用いない代替法に移行する原動力となっているのです。日本の当局もこのような世界の規制の流れに乗ってくださることを期待します」
欧州議会が世界的な化粧品の動物実験禁止を求めていく決議を採択(2018年5月) |
異論がない。
【世界動物保護協会(WAP)が発表した2020年の「動物保護指数ランキング」(API)では、対象国50カ国の中で、日本は最低ランクのGだった】
2020年の「動物保護指数ランキング」 |
「アニマルウェルヘア」を具体的に言えば、栄養欠如からの自由・飼育環境の不快からの自由・疾病などからの痛みと損傷からの自由・家畜本来が有する正常行動の発現の自由・恐怖、苦悩からの自由の5点が、現在の国際的なコンセンサスとして汎化されている。
「アニマルウェルヘア」の5つの自由 |
私は今、コロナ禍にあって注目された「ワンへルス」(One Health)という概念を想起している。
ワンヘルス |
人と動物の健康と環境の健全性は、生態系の中で相互に密接にリンクして、相互に大きく影響し合う「一つのもの」ということである。
この「ワンヘルス」という課題に対する取り組みには、以下の6つの柱がある。
列記する。
その1 人と動物の共通感染症対策
その2 薬剤耐性菌対策
その3 環境保護
その4 人と動物との共生社会づくり
その5 健康づくり
その6 環境と人と動物のより良き関係づくり
この6つである。
動物からヒトへ、ヒトから動物へ伝播可能な感染症(人獣共通感染症)は、全ての感染症のうち約半数を占めているが故に国際社会で大きな課題となっているのである。
動物から人、人から動物に感染する病気は「人獣共通感染症」と呼ばれる |
ワンヘルス・アプローチの世界的な広がりの中で、私たち人間が動物と共生することの大切さを学んだのだ。
ワンヘルス・アプローチ |
この観念を忘れてはならないだろう。
これが、私が映画「EO イーオー」から受け取った最も重要なメッセージだった。
映画「EO イーオー」より |
【蛇足ながら書いておく。フレンドリーで乗馬体験のロバは穏やかなメスであり、オスのロバたちはコヨーテを殺す肉食獣そのものであり、その狂暴性は人を襲うこともある攻撃的なロバであると言われ、護衛犬の役割も果たしている】
(2024年9月)
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