2023年6月14日水曜日

1987、ある戦いの真実('17)   公安⇔反体制的学生・市民という激発的衝突の向こうに   チャン・ジュナン

 


1  「俺は命懸けでアカを捕まえた。俺がいなきゃ、この国は北に侵略されてた」
 

 

 

 

“大韓ニュース 大統領の動静”

 

「チョン・ドゥファン大統領は、北朝鮮スパイの検挙者を労(ねぎら)いました。また“急激に左傾化した一部の分子が反体制は勢力とつながることで、暴力により民主主義を脅かしている”と憂慮。事態を深刻に受け止めています」 



1987年1月14日、南営洞(ナミョンドン)対共分室に内科医のオ・ヨンサンが呼ばれ、取り調べ中に拷問死した若者の蘇生を試みるが、もはや手遅れだった。 


直ちに治安本部対共捜査所長のパク・チョウォン(脱北者。以下、パク所長)に報告されると、パク所長は死亡した若者の火葬を命じた。 

パク所長

【南営洞はソウル市にあった拷問施設として悪名高かった。また、「対共捜査」とは、左翼活動家を捜し出して「国家保安法」を適用する行為のことで、大統領直属の秘密警察である「国家情報院」に「対共捜査権」が与えられていた】

 

その後、パク所長は料亭で大統領の最側近の安全企画部チャン部長と会い、指名手配中のキム・ジョンナムが関わるスパイ事件について報告する。 


「8.15共同宣言文を書いた男です」

 

ソウル地検の公安部長のチェ・ファン検事(以下、チェ検事)の元に、パク所長の部下が拷問死した若者の「火葬同意書」を持って来た。 


「“パク・ジョンチョル、ソウル大”22歳が心臓麻痺?」

「今夜中に火葬を」

 

遺族に合わせることなく、何とか懐柔してサインを求める公安を不信に思ったチェ刑事は、「解剖で死因を解明してから火葬にするのが法律だ」と突っぱねる。 


大統領府からの指示だと、上司からも圧力がかかるが、それに切れたチェ検事は、“保存命令”にサインをして、部下に渡す。

 

「遺体に触れたら、公務執行妨害だぞ」 



チェ検事は、パク所長から圧力がかかる検事長に具申するのだ。

 

「状況から見て、間違いなく拷問致死です」

「だからこそだ。外に漏れたら、お前も私もタダじゃ…収拾がつかん。ダメだ」

検事長

「だからこそ、きっちりやるんです」

 

中央日報のキャップがネタを求めてチェ検事と昵懇(じっこん)の大検察庁公安4課のイ検事を訪れ、ソウル大生の拷問死事件の情報を引き出す。

 

「南営洞の奴らは、やりすぎだ」 

中央日報のキャップ

若手記者はさっそく本部に報告する。 



その頃、ジョンチョルの死亡を知らされていない遺族が、警察の霊安室に案内されて号泣する。 



ソウル地検の出入りの記者室に、“取り調べ中の大学生、ショック死”の見出しで事件の記事が載った中央日報が配達され、記者たちはどよめき、室内に電話が鳴り響いた。

 

その頃、“報道指針を破った”と、軍人たちが中央日報に押し寄せて暴れるという切迫した状況下にあって、スクープした記者は上司から「旅館に隠れてろ。捕まったら殺されるぞ」と指示され、慌てて逃げていった。 



一方、治安本部治安総監のカン本部長は、パク所長らと対策会議で協議する。

 

「閣下が新聞を床に叩きつけた。我々は崖っぷちだ」 

カン本部長

パク所長が作成した決定事項を基に、カン本部長が記者会見を開き、拷問の事実を否定した。 


記者に死因を質問されると、口ごもるカン本部長に替わり、パク所長が「学生はひどく怯(おび)えており、捜査官が机を叩くと、“ウッ”と、倒れたそうです」と涼しい顔をして返答する。

 

死亡確認をした医師の名前を聞き出した記者たちは、一斉に勤務する病医院へ向かった。

 

「しまった。まずいよな」と言うカン本部長を尻目に、パク所長は病院へ電話を入れる。

 

大学病院に押し寄せた記者たちに、心臓麻痺だったかどうかを質問されたユンサン医師は、「それは解剖しないと分かりません」と答えたが、更に詳しく説明を求められると、しどろもどろで、記者たちも困惑する。 

ユンサン医師

病院にチェ検事がやって来て、解剖を担当する科捜研に「原則通りに」と伝え、立会人となる部下の検事には「小さな傷も残らず記録しろ」と指示する。 


そこにパク所長の部下たちが待ち構え、解剖を妨害し、もう一方では、遺族が解剖前に会わせて欲しいと駆け付けた遺族を、警官が強引に引き摺り戻すのだ。

 

チェ検事は「クズどもめ」と吐き捨て、パクに電話をかけ挑発する。

 

「漢陽大学病院で、お宅の部下が公務執行妨害を」

「もう上で話がついてる。解剖は中止しろ」

「あんたは俺の上司か?」

「私は対共所長だ」


「対共なら、法を破っていいのか?捜査の指揮権が誰にあるか、規則を読み直すことだ。それから北なまりは直せ。キム・イルソンかよ」
 




検察に乗り込んだパク所長は、チェ検事が手渡した「解剖指示書」を破り捨てる。

 

チェ検事は、ニューズウィークの雑誌を掲げ、縁者に面白いネタを求める記者がいると言い、「五輪に支障が出たら、閣下は困るはず」と脅す。 


「好きに咬みつけ。どうせ何も変わらん」と去っていくパク所長に、チェ検事は声をかける。

 

「解剖しますよ!」

「お前は終わりだ!駄犬らしくクソでも食ってろ!」

 

まもなく、遺族の叔父の立会いの元、ジョンチョルの司法解剖が行われた。 

遺族の叔父(中央)


監視の目を避け、トイレで待ち続けた東亜日報のサンサム記者が、ヨンサン医師が入って来たところで、見たままの証言を聞き出す。

 

「床が水浸しでした。浴槽があった。肺からは水泡音も」 

サンサム記者


司法解剖の結果が出た。

 

記者たちが集まり、騒然とする病院の玄関前で、公安の車に無理やり押し込められた叔父が叫んだ。

 

「警察が殺したんです!」 



東亜日報では、キャップの指示で“拷問根絶キャンペーン”を展開することになった。

 

「取材班を作り、誰がなぜ殺したのか調べろ…真実を書け!全力で突撃しろ!」 



解剖を担当した博士が、カン本部長を訪ね、結果を報告する。

 

「頸部圧迫による窒息死です。水責め中に、浴槽に首が当たり…」

「黙れ!拷問致死だと言えば、世間は騒ぎ、我々は終わる…火葬にする。どうせ分からん。解剖結果報告書に4文字だけ書けばいい…」 


カネを渡し懐柔しようするが、博士は断って立ち上がる。

 

カン本部長は、結局、死因を「心臓麻痺」として記者会見に臨む。

 

「暴力行為は一切なかったと判断しました」

 

ジョンチョルは火葬され、公安は厳戒態勢で火葬場に押し寄せた記者たちの目をくらますが、東亜日報のサンサム記者が食らいついていた。

 

雪が舞う川岸から、ジョンチョルの遺灰を川に撒く遺族たち。

 

「父さんは、かける言葉がないよ。ジョンチョル」 


【ネットで検索したら、韓国の火葬は49%で、火葬と土葬の比率はおよそ半分であることから、ジョンチョルの火葬が、明らかに証拠となる遺体の隠滅であったことが判然とする】

 

約束されたかのように、チェ検事が解雇され、私物の整理をしていると、サンサム記者が突撃して来た。

 

解剖の結果について問い質すと、「自分で調べるこった」と言い残して、車で去って行くチェ検事だったが、事件に関する資料を駐車場に残して行った。

 

その箱には、死亡鑑定書のファイルが入っており、早速、それが東亜日報のスクープ記事となる。

 

一面トップに載った、“水責め中に窒息死”というスクープ記事を読んだパク所長。 



かくて、治安本部・新基地堂分室に車で乗り付けた拷問死事件に関与した二人が、いきなり逮捕される。

 

「お前らは拷問致死罪で逮捕された。これより警察身分を剥奪。犯罪者だ」と局長。 




早速、パク所長がカン本部長を訪れ、抗議する。

 

「仕方ないだろ。大統領府の命令だ」

 

パク所長らは、新基地堂分室に乗り込むと、逮捕された捜査班長のハンギョンが拷問を受けているところだった。

 

激昂したパク所長は、上司である局長を別室に連れ込み殴り飛ばすのだ。

 

「俺と同じ警察面をするな。貴様らが賄賂で私腹を肥やす間も、俺は命懸けでアカを捕まえた。俺がいなきゃ、この国は北に侵略されてた」 



直後、パク所長はハンギョンに語りかける。

 

「お前は愛国者だ。胸を張って生きろ」

ハンギョン班長

「拷問致死罪は最低でも10年です」

「過失致死に変えて執行猶予に」


「家族が5人います」

「俺が責任をもつ」

「心得ました」

 

その頃、永登浦(ヨンドゥンポ/ソウル特別市南西部)刑務所のハン・ビョンヨン看守が、「5.3仁川事態」で逮捕され収監中の元東亜日報記者のイ・ブヨンに雑誌を渡し、所内の告発文を書き込んだ雑誌と交換して受け取る。 


【「5.3仁川事態」(1986年5月3日)とは、聯合ニュースによると、憲法改正を引き金に民主化を求める大規模デモのこと。詳細はウィキに記載】

 

姉の家で暮らすビョンヨンは、姪のヨニに頼み込み、検問所を潜り抜け、民主化運動家ハム・セウン神父に受け取った雑誌を届けてもらうことになった。 

ヨニ



潜伏しているスパイ事件で指名手配中のキム・ジョンナムは、セウン神父の元に身を寄せている。 


「我々に残された武器は、真実だけです。その真実が現政権を倒すのです」 

キム・ジョンナム

そう言い切るジョンナムに、ヨニは雑誌を手渡して、帰っていく。 



一方、永登浦のアン・ユ保安係長が、事件に関わって収監されている部下のジンギュを家族と面会させると、「こんなの理不尽だ!俺は足を押さえただけで、殺してない」と訴えていた。


 

ユ保安係長が面会内容を記録していると、いきなりパク所長の部下たちが面会室に入り込み、ジンギュを連れ去り、家族も看守らに引き離された。

 

「面会規則の順守を」と警告すると、パクの部下は記録を破り捨て、「今度記録をつけたら刑務所ごと爆破するぞ」と脅す。 



そして、故パク・ジョンチョルの49日に、学生たち主体の“国民追悼会”の集会が催され、抗議運動が開かれていく。

 

ヨニが友達と待ち合わせて合コンへ行こうとすると、抗議デモの学生らに機動隊が襲いかかった。 


ヨニも催涙弾を浴び、機動隊に暴行され追いかけられるが、デモ参加者の延世大学生イ・ハニョルが助け、一緒に走り、運動靴店に逃げ込むことで難を逃れる。

イ・ハニョル

このハニョルとの出会いによって、体制内にあって、民主化運動家を支援する叔父ビョンヨンの伝達に不熱心なヨニの心情が変化し、少しずつ立ち位置が遷移していくことになる。


 



2  「拷問殺人反対!軍部独裁を終わらせよう!千万人が団結した。殺人政権を打倒しよう!」

 

 

 

ハンギョンは取り調べで罪状変更されないと分かり、「殺した奴は別にいる」と供述しようとすると、またもパク所長の部下が妨害に入る。 

ハンギョン

ハンギョンは、その部下にパク所長に約束を守らせろと迫るが相手にされない。

 

パク所長は、チャン部長に「彼らを過失致死にしてください」と談判するが断られ、代わりに収監されている二人には多額の残高の預金通帳が渡される。

 

しかし、ハンギョンは「今月中に出所を」と言い、通帳を弾(はじ)き返す。

 

「閣下の後継者が政権を継げば、恩赦がある」

「…もう、だまされません。こうなったら正直に話して、減刑してもらう」


「今は重大な局面だ。愛国者らしく…」


「愛国者などクソ食らえだ!」

 

ハンギョンは思い切り机を叩き、涙目で訴える。

 

「まともに夜も眠れない。俺のこの手で拷問した奴らの悲鳴が、頭に鳴り響くんだ。俺たちが、愛国者だと?」

 

パク所長は、「軟弱者め!」と机を蹴り、ユ保安係長から銃を奪ってハギョンの額に当てる。

 

「頭をぶち抜くぞ」

「いいさ。撃てよ!」

 

しかし、パク所長は女房と子供を臨津江(イムジンガン)沈めると脅すと、ハンギョンは逆らえなくなった。 



部下に銃で脅されていたユ保安係長が殴り倒されながら、面会者との規則違反で蹴られ、踏み潰され、金を投げつけられる。 



その頃、ヨニが大学でハニョルを見つけると、ハニョルも気付き、所属する漫画サークルの上映会に誘っていた。 

ハニョル

それは光州事件のドキュメンタリービデオで、ヨニは残酷な映像に耐え切れず、泣きながら教室を出た。 


追いかけたハニョルに、ヨニは、「銃を持った軍隊と戦うわけ?それでまた人が死んだら、誰が責任を取るの?」と涙を滲(にじ)ませながら訴えて、走り去っていく。 



一方、パク所長の元に、チャン部長からテレビの会見が始まると電話がかかってきた。

 

「ジョンナムの首をご所望です。反体制派をスパイに仕立て、大学生の件にフタを」 

チャン

そこで、パク所長は、政治犯の釈放を命じた。

 

それにより、ジョンナムを誘(おび)き出そうと考えたのだ。

 

テレビではチョン・ドゥファン大統領の“4月13日護憲措置宣言”の演説が放映されている。

 

「…任期中の改憲は、不可能と判断しました。現在の憲法に基づき、来年2月25日の…反体制派勢力が国論を分断させ…」 


これは、反体制派のみならず、多くの国民が要求している大統領の直接選挙を否定する“特別談話”だった。

 

パク所長は、公安部の部下たちに檄を飛ばす。

 

「政府の邪魔をするアカを、全滅させろ!」

 

「反共!反諜!」の掛け声と共に、全員が反体制派の検挙に向けて繰り出して行くのだ。 



ブヨン元記者に対して、ユ保安係長が、記憶を基に書いた“面会記録簿、会話内容”のノートを渡される。 



ビョンヨン看守は、「起床時間までに完成を」と、密告のレポートを書くように促し、受け取った雑誌を抱え、検問を潜り抜けて寺院へ向かう。

 

張り込んでいたパク所長の部下が、作業着姿のジョンナムを目撃するが、応援を呼んでる間に、ジョンナムは僧侶に姿を変装して捕縛を逃れた。 


しかし、その危機を目の当たりにして引き返すビョンヨンが、パクの部下に目撃されてしまう。

 

ビョンヨンはヨニに雑誌の伝達を託すが、今度ばかりはヨニは受け入れなかった。

 

「父さんの死を忘れた?」


「義兄さんは正しいことをした」
 


ヨニの父親は、労働運動で仲間に裏切られて命を落としたのである。

 

折も折、突然、家に押し掛けた公安に連行されるビョンヨン。

 

パク所長にジョンナムとキム・イルソンとの関係について聞かれ、ビョンヨンは何も知らないと否定すると、ジョンチョルが拷問死した部屋に連れていかれる。 

拷問を受けるビョンヨン(右)


叔父の逮捕を知らないヨニの元に、ハニョルがサークルの勧誘に訪れた。

 

「デモに行くの?それで世界が変わる?自分に酔って、家族は眼中になし?目を覚ますことね」


「僕もそうしたけど、できないんだ。とても胸が痛くて」

 

「帰って」というヨニに、「気が変わったら連絡を」と、ハニョルは笑顔で手を振って帰って行った。 

ハニョルとの最後の別れになる


ビョンヨンが置いていった雑誌に添えられた、“ヒャンリム教会にキム先生がいる”とのメモを読むヨニの元に母から電話がかかり、ビョンヨンが南営洞に連行された事実を知らされる。 



そのビョンヨンは苛酷な拷問に耐え、何としても口を割らない。

 

南営洞の門の前に、ビョンヨンの解放を求めてヨニの母親らが声を上げていると、パク所長の指令で公安がやって来て、ヨニも含めて連行される。 

ヨニと母

ヨニは途中で下ろされて、自宅に戻るとハニョルに電話をかけた。

 

激しい拷問が続いても口を割らないビョンヨンに、パク所長が家族の写真を見せ、キム・イルソンによって家族が殺された過去を涙交じりに語り出す。 


「お前は、地獄を知っているか?家族が死にゆく様を、ただ見てるしかない。声すら上げられない。それが地獄だ」 


パク所長は続いて、ヨニと姉の写真を出し、ビョンヨンを脅す。

 

ヨニは教会を訪れ、ジョンナムに雑誌を渡す。

 

「叔父さんを拷問から守って」


「信じてくれてありがとう」

 

早速、ジョンナムはキム神父に雑誌を渡すや、それを持って神父は車で出かけ、難を逃れる。

 

入れ違いに、パク所長らが教会を襲撃したからである。

 

追われたジョンナムは教会の屋根へと逃げていく。 



キム神父が雑誌を持ち込んだ教会では、記者たちを中に入れ、“5.18 講習英霊追悼”の集会を開いている。 


「正義の具現司祭団は、光州事件7周年の今日、神の正殿にて重大声明を発表します」とキム神父がアナウンスする。

 

全国司祭団代表・キム・スンフン神父が演壇に立った。

 

「故パク・ジョンチョル拷問致死事件の真相は、隠蔽、ねつ造された。パク君を拷問死、死に至らしめた犯人は、治安本部・対共捜査…警部チョ・ハンギョン、巡査部長イ・ジョンホ、警部ファン・ジョンウン、警部補パン・グムゴン、5班警部補カン・ジンギュ…人道主義と民主化への道を歩めるか否か、本事件はその重大な分岐点である…」 

スンフン神父

この情報を得て、記者たちが一斉に教会から走って社に向かう。

 

教会では、ジョンナムが屋根に出て怪我をしながら、何とか身を隠すが、宙づりになった様子をステンドグラス越しに気づいたパク所長の元に、「非常事態発生」の知らせが入った。 



パク所長は、公安でマークしていた人物たちのファイルなどを燃やすように指示する。

 

虐殺事件に関わった部下たちが逮捕され、対策会議に向かうパク所長らは記者たちに質問を浴びせられる。

 

「拷問警官が5人だとご存じでしたか?」

「組織で隠蔽を?」

 

サンサム記者が、「口止め料に一億ウォン。家族の証言です。カネの出どころは?拷問殺人、隠蔽、ねつ造、横領。終わりだな」と迫ると、激昂したパク所長が記者に襲いかかり、引き剥がされる。 

サンサム記者


会議室へ行くと誰もおらず、机の上に“対策会議、決定事項”のペーパーが置かれていた。

 

“大統領、指示事項。所長ら3人、処分”と書かれた書面には、チョン・ドゥファン大統領の署名があった。

 

パク所長ら3人の幹部は捕縛され、収監される。 



東亜日報では、全国が戦場同然で取材がカバーできない有様で、キャップは、主要大学と広場へ行くように指示を出す。

 

「午後6時から教会や寺は鐘、車はクラクションを鳴らす。最高の画を撮れ」 


ヨニの母の元に、ビョンヨンから無事を知らせる電話がかかってきたのは、そんな折だった。 



ヨニが店の手伝いをしていると、夕刊が届けられ、その一面に目が釘付けになる。

 

“催涙弾が当たり、延世大学生が重体”の見出しと共に、被弾した直後のハニョルの画像が載っていた。 


 

皮肉にも、これが「最高の画」となり、運動の帰趨(きすう)を決定づけていく。

 

ここで盛り上がる民主化運動のうねりが、映像提示されていく。

 

「護憲撤廃!独裁打倒!」 



機動隊の暴力で仲間が負傷すると、ハニョルは怒りを露にシュプレヒコールする。

 

「拷問殺人反対!軍部独裁を終わらせよう!4千万人が団結した。殺人政権を打倒しよう!」 


それに他の学生たちも続くが、一斉に催涙弾が撃ち込まれた。

 

不運にも、後頭部に催涙弾が直撃したハニョルが倒れてしまう。 



ヨニは啜(すす)り泣きながら街へ出ると、車は止まり、市民が一斉に軍部独裁を糾弾し、シュプレヒコールを上げ、地鳴りのように響き渡っている。 


「護憲撤廃!独裁打倒!」

 

歴史が変わる瞬間に立ち会ったヨニもバスに上がり、いつしか、共に拳を突き上げるのだった。 



ラストのキャプションとエンドロール。

 

「1987年6月29日。大統領直接選挙が認められた。被弾したイ・ハニョルは、7月5日に死亡。7月9日に行われた葬儀には、100万人以上が集まった…」 


 


3  公安⇔反体制的学生・市民という激発的衝突の向こうに

 

 

 

国内から高い評価を受けた作品だけあって、映画的には面白かった。

 

複層的に絡み合った物語を収斂させるラストシークエンスが、一気呵成(いっきかせい)に畳み掛けていく映像提示によって観る者の心を掴み、強いシンパシーを惹起させる効果を生むが、映像総体としては些か不満が残る作品だったというのが率直な感懐。 


何より、肝心な「政治」が描き切れていないのである。

 

韓国で21時から放送されるニュース番組「KBSニュース9」が全斗煥賛美のニュースで開始されたことでも分かるように、政権批判を一切許さなかった独裁政権下で惹起した拷問死事件(パク・ジョンチョル事件)を機に、一気に噴き上がった民主化のうねりが最終的に盧泰愚(ノ・テウ)による「民主化宣言」を生むという、韓国の政治史におけるエポックメイキングの歴史的収束点への経緯が観る者に伝わってこないのである。 

KBSニュース9


パク・ジョンチョル氏


ここで描かれたのは、拷問死事件を封じ込める公安の弾圧の実態と、それを推進する治安本部のパク所長の「対共捜査」での辣腕自慢の杜撰(ずさん)な暴力的言動と、それに抗う体制内密通者(特にビョンヨン看守の描写)、東亜日報を中心とするメディアと、多くの市民を巻き込む民主活動家との闘争の構図であり、要するに、公安⇔反体制的学生・市民という激発的衝突のフレームのうちに矮小化されたことで、権力それ自身の独裁的体質が政権最側近の脆弱なカットのインサート(注)で済ませてしまうのだ。 


東亜日報社会部記者・サンサム

イ・ハニョル

ビョンヨン

キム・ジョンナム



(注)「閣下が新聞を床に叩きつけた。我々は崖っぷちだ」等々。

 

それ故に、いずれの独裁国家で露呈されるネガティブなフレームの描写に収斂される陋習(ろうしゅう)だけが印象付けられてしまった。

 

民主活動家が目指す国家の構図と、そのコアなメッセージが読み取りにくいのである。

 

イ・ハニョルは、一体、何を伝えたかったのか。

 

それが直截(ちょくさい)に伝わってこないのである。

 

独裁政権の打倒と民主化の具現化であることは理解できるものの、極めて重要な独裁政権の、その独裁制の内実が拷問死事件に特化したことによって、本来的な政治マターの問題がダウンサイジングする羽目に陥らなかったか。

 

この一点が最後まで気になった次第である。

 

パク所長とハンギョンとの絡みが諄(くど)く、無駄な描写が多いという印象も拭えず、本格的な社会派ドラマを作る気概と覚悟があるなら、情緒的なエンタメを削り取って、権力の中枢にまで踏み込んだ真剣勝負のドラマを構築して欲しかった。 

パク所長とハンギョン

韓国の民主化の到達点であった1987年の「民主化宣言」(「6・29宣言」)に至る政治史的行程を基軸に据えて、ドキュメンタリーの筆致で描いても良かったのではないかとも思える。 

6月29日、民主化宣言を発表したノ・テウ



にも拘らず、力強い映画だった。

 

公安⇔反体制的学生・市民という激発的衝突の向こうに、何が待機しているか。 


本篇が、その辺りをイメージさせるパワフルな社会派ドラマの印象を感受させた作品であったのは否定できない。

 

―― 何より、この作品の完成には複数の障壁を克服して到達し得たことは、以下のチャン・ジュナン監督自身の言葉によって確認できるので引用したい。

 

「私がシナリオの初稿をもらったのは2015年の冬のことでした。しかし、この頃は朴槿恵(パク・クネ)政権下。“ブラックリスト”(左派系映画・俳優への補助金の削減に関わるリスト/筆者注)の存在は明るみになっていなかったのですが、政権の意向に合わないコンテンツや作品に対しては支援を断ち切るなどの巧妙な弾圧がありました。

(略)シナリオの脚色作業は秘密裏に行われました。

(略)1987年の出来事は、色々なことが重なり奇跡的に起きたことですよね、この映画の製作過程もまるで奇跡のようです。

(略)映画を作るにあたり、遺族や生存者に迷惑をかけたり、彼らを傷つけたりしないよう気をつけました。そのため、ファクトは損なわないことを原則に映画作りをしました」(チャン・ジュナン監督インタビュー) 

チャン・ジュナン監督

また、チャン・ジュナン監督は、作品のコアメッセージにも言及しているので、それも引用したい。

 

「通常のストーリーでは、一人あるいは二人の主人公がいて、感情移入をさせて、クライマックスを迎えて、最終的に観客にカタルシスを与えるという構造になっている映画がほとんどだと思いますが、この映画では一人の強い敵対者を設定しておいて、それに対して多くの主人公がいて、その人たちが立ち向かっては崩れ、話をつないでいきます。その中で最終的には、出てきたすべての市民が主人公になる、そのような映画を作りたいと思いました」(チャン・ジュナン監督インタビュー)

 

私の批評は差し置いて、とてもよく理解できるブリーフィングである。

 

―― 以下、稿を変えて、ここでは韓国の民主化の簡単な経緯について言及していきたい。



 

4  韓国の民主化の簡単な経緯

 

 

 

日本の植民地支配から解放され、大韓民国政府を樹立したのが1948年。 

1948年8月15日に大韓民国政府樹立が宣布された



初代大統領は、亡命先の米国から戻った戦前からの独立運動家の李承晩(りしょうばん、イ・スンマン)。 

李承晩(ウィキ)



その後、米ソの冷戦下で起こった朝鮮戦争を経て、1960年の民衆蜂起(「四月革命」)によって退陣に追い込まれ、独裁政治を続けた強面(こわもて)の人物である。

 

国際法違反(サンフランシスコ平和条約で日本が放棄した領土に竹島は含まれず)の「李承晩ライン」を一方的に設定し、現在に至って竹島(韓国では「独島」=トクト)を実効支配していることは周知の事実。 

李承晩ライン/外務省


「四月革命」(4.19学生革命)とは、韓国経済の危機的状況を背景に、李承晩の大規模な不正選挙に反発した学生・市民による自然発生的な民衆運動のことで、韓国の民主化運動の初発点と評価されている。 

「四月革命」(4.19学生革命)


「四月革命」(4.19学生革命)



民主化と統一を求める運動は空前の高揚を示した「四月革命」だが、翌1961年、朴正煕(ぼくせいき、パク・チョンヒ)による軍事クーデター(5.16軍事クーデター)によって民主化は抑えられ、又しても、反共独裁政権の支配下に置かれることとなった。 

革命支持の行進を見守る朴正煕少将(ウィキ)



朝鮮戦争により壊滅的打撃を受け、世界の貧困国だった韓国が、ベトナム戦争による消費特需、日韓基本条約(1965年)による日本からの円借款・技術援助を推進力にして、経済開発を標榜した朴正煕政権下で、「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる経済発展を成し遂げ、ヒュンダイ、サムスン、LG、ロッテなどの巨大な財閥の誕生に象徴されるように、一気に経済大国の仲間入りを果たしていく。 

日韓基本条約や日韓請求権協定などの調印式に臨む日韓外相


韓国では、1960年代以降、30年ほどで最貧国から先進国へと急激な経済成長を遂げた。この高度経済成長をソウルを流れる川の名にちなみ「漢江の奇跡」と呼んでいる



経済発展を梃子(てこ)に、民主回復と憲法改正を主張する野党・新民党の金大中(きんだいちゅう、キム・デジュン)に対抗する手立てとして、朴正煕政権は非常戒厳令を宣布し、立法権・行政権・司法権の全てを大統領に集中させる「維新体制」という名の独裁体制を確立するに至る。

金大中元大統領/ハンギョレ新聞社

 

【1974年10月、維新体制に対抗して言論の自由のための宣言を発表した後に解職された東亜日報と東亜放送記者、プロデューサー、アナウンサーによる「東亜自由言論守護闘争委員会」委員がソウル・光化門の東亜日報社からキリスト教会館に向け行進している=東亜闘委提供/ハンギョレ新聞社】



「維新体制」に対する民衆デモを弾圧し、独裁体制を延長させるが、KCIA(中央情報部)のトップによって殺害される「朴正熙大統領暗殺事件」(10・26事件/1979年)が惹起したことで、「第四共和国体制」(「維新体制」)は終焉する。 

朴正熙大統領(当時、左)と長女の朴槿恵(パク・クネ)


朴正熙大統領暗殺事件/射殺した金載圭・元中央情報部長



そして、先の金大中、新民党総裁・金泳三(きんえいさん、キム・ヨンサム)の公民権回復、更に、朴正煕のクーデターを主導した民主共和党総裁・金鍾泌(きんしょうひ、キム・ジョンピル)らの政治活動が本格化し、学生運動・労働運動の盛り上がりで、軍事政権の終焉で高まった民主化の波「ソウルの春」の広がりが、韓国政治の変容を印象づける。 

「三金」時代と呼ばれた有力政治家/左から金泳三、金大中、金鍾泌


「ソウルの春」



しかし、「ソウルの春」の鎮静化も早かった。

 

ここでも繰り返される軍事クーデター。

 

当時、保安司令官で陸軍少将だった全斗煥(ぜんとかん、チョン・ドゥファン)による「粛軍クーデター」(12.12軍事反乱)である。 

「粛軍クーデター」


全斗煥



後に大統領となる、軍内将校の私的組織「ハナフェ」の盧泰愚(ろたいぐ、ノ・テウ)らと共に、「朴正熙大統領暗殺事件」を機に軍の実権を握り、文民政権への移行を阻止するために、「5.17日非常戒厳令拡大措置」(5.17クーデター/1980年)で非常戒厳令を出して、全羅南道での民衆反乱「光州事件」を弾圧して権力を掌握。 

盧泰愚


光州事件


光州事件


金大中らを逮捕して全面的弾圧を断行した、韓国近代史における民主主義の分岐点と言える「光州事件」は、5月18日の学生の街頭デモに始まった警官隊、軍隊との衝突が、忽ちのうちに20万人の一般市民をも巻き込んだ騒乱に発展し、光州市内の各公共機関が占拠され、無政府状態となり、戒厳司令部の実戦部隊との衝突によって多くの犠牲者を出した。

 

「光州事件」の背景に、慶尚道(けいしょうどう)を強固な支持基盤とする保守政党の政権(朴正熙、全斗煥、盧泰愚、李明博、朴槿恵)が、強固な左派の地盤となっている全羅道(ぜんらどう)に対して、経済開発が先送りにされ、全羅道出身者(金大中)が冷遇されたことへの不満があったのは間違いない。 

慶尚道と全羅道



しかし、この構図も2017年の大統領選挙(文在寅は全羅道)を契機に変化が見られる。 

文在寅(ムン・ジェイン)



2001年までに韓国政府が確認した光州事件での犠牲者(死者)は民間人168人、軍人23人、警察4人、負傷者は4782人、行方不明406人に達するとされる。

 

死者だけで2000人を超えたという説もある。

 

【「光州事件」を題材にする韓国映画が多いが、私が観たのは、ソル・ギョングの圧倒的な演技が際立ったイ・チャンドン監督の「ペパーミント・キャンディー」のみ。心理描写の秀逸さが印象に残った傑作だった】 

ペパーミント・キャンディー」より


同上



「光州事件」以降、光州は学生や労働者などの「民主聖地」となり、次第に事件の戦跡をめぐる〈巡礼〉として伝説化されていく。

 

その後も、デモ参加者が100万人にも達するデモンストレーションに止めを刺す、民主化を求める運動が激発していく時代の奔流(「6月(民主)抗争」)に抗う術(すべ)もなく、全斗煥の後継指名を受けた盧泰愚が、「民主化宣言」を発表するに至る。 

6月民主抗争(ウィキ)


【「6月抗争」は、映画でも描かれていたように、1987年1月15日に、学生運動家の朴鍾哲(パク・ジョンチョル、ソウル大学)が警察による拷問死した事件を契機に、事件の隠蔽工作が発覚したことで、政権批判の気運が一気に噴き上がっていたことが推進力となっていた】 

6月(民主)抗争(ウィキ)
朴鍾哲記念展示室(旧治安本部対共保安分室)に残された拷問現場(ウィキ)



1987年6月29日のことである。

 

「大統領直接選挙制改憲・拘束者の釈放・言論自由の保障・地方自治制の実施・大学の自律化・反体制運動家に対する赦免・復権」

 

これが、「第六共和国憲法」の公布に至る「6・29宣言」の要点。

 

大統領の直接選挙制改憲を標榜して勝ち取った「6月抗争」は、権威主義政権から民主主義体制への円滑な進展を可能にしたという一点において、韓国の民主主義革命の結晶点となった歴史的所産だった。 

韓国民主化「6.29」宣言30年



(2023年6月)

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