2023年5月31日水曜日

嵐が丘('92)   憎悪の感情の束が打ち抜かれゆく  ピーター・コズミンスキー

 


1  「毎日、君が戻るのを荒れ地で待っていた」「…私を信じて。私は必ず戻ってくるわ。何があろうと」

  

 

 

荒野を散策し、廃墟となった館に辿り着くエミリー・ブロンテ。

 

「荒れ果てた館。誰が住んだのか。どんな生涯か。何者かに導かれるように、私は書き始めた。ここで、実際に起きたであろう出来事。私の想像の世界。それが、この物語だ。だがどうか、微笑みは忘れてほしい。見知らぬ訪問者」(エミリー・ブロンテのモノローグ/以下、モノローグ) 

エミリー・ブロンテ



嵐の中で道に迷ったロックウッドが、「嵐が丘」という名のヒースクリフの屋敷の戸を叩く。 

ロックウッド

「ヒースクリフさん?」

「お待ちを」

 

使用人がいなくなり、薄暗い居間に入って行くと、正面の大きな暖炉の上には女性の肖像画がある。

 

隣のテーブルには、その女性とよく似た若い女性・キャサリンが座っている。 

キャサリン

二人の男が入って来た。

 

「なぜ、こんな嵐の晩に来たのかね?」とヒースクリフ。

ヒースクリフ(右)


「荒れ地で迷ったのです」

 

しかし、ロックウッドは宿泊を頼むが、「地獄へでも行け」と断られる。

 

それでも泊めてもらうしかないと椅子で横になろうとすると、キャサリンが2階の部屋を案内する。

 

ロックウッドはロウソクの灯で部屋を照らし、目についた扉の奥の箱部屋に入って行く。

 

小さなベッドがあり、出窓の埃を払うと、「“キャシー”」と彫られ、本にも「“キャシー・ヒースクリフ、キャシー・リントン、キャシー・アーンショー”」と殴り書きされている。

 

突然、木の枝が窓を割り、それを押し戻そうとすると、人の手に掴まれる。

 

女の亡霊の顔が浮かび上がり、「中に入れて」と訴え、ロックウッドは思わず叫び声を上げる。 



「ロックウッドは、異様な物語の扉を開いた。それは30年前のある晩のこと。老人が嵐が丘に戻って来た。長旅で疲れ切った足をひきずりながら」(モノローグ) 

嵐が丘

主人のアーンショーが、リバプールから身寄りのない男児を連れて帰り、息子のヒンドリーが兄に、娘のキャシーが妹になると紹介する。 

アーンショー(左から二人目)


その男児をヒースクリフと名付け、アーンショーは我が子として可愛がるが、ヒンドリーは気に入らず、辛く当たる。 

ヒースクリフ

「キャシーは無口な少年に心引かれた。だが彼の沈黙は、優しさではなく、冷酷さだった…キャシーは実の兄より、彼が好きだった。2人は荒々しい大地への情熱を分かち合い、岩や重く沈んだ空を愛した。ヒースクリフは溺愛されたが、アーンショーの死で保護してくれる人を失った」(モノローグ) 


葬儀の場でヒンドリーがヒースクリフに言い放つ。

 

「お前はこれから馬小屋で暮らすがいい」 

ヒンドリー(右)キャシー


以降、ヒースクリフは召使として、朝早くから仕事をさせられる。

 

成人になったヒースクリフとキャシーは、身分の違いにも拘らず、相変わらず仲良く、ヒンドリーの目を盗んで、2階の箱部屋で遊び、愛し合う。 


荒れ地で語り合う二人。

 

「心を通じさせよう。あの木と。木の声を聞いて…君の名を呼んでる」

 

走り出したキャシーを捕まえ、耳元で囁(ささや)くヒースクリフ。

 

「目を閉じて…もし目を開けた時、太陽が輝いていたら、君の未来も輝く。でも、雲がたれ込めて、嵐となったら、それが君の人生だ。さあ、目を開けて」 


すると、にわかに雷が鳴り、黒い雲がたちこめる。 


「何をしたの?…信じるものですか」 



キャシーとヒースクリフは、木の上から立派な屋敷を望んでいる。 

リントン家

「木立の奥に見える、深紅のじゅうたんの館。そこはリントン家のエドガーと彼の妹イザベラの屋敷だった」(モノローグ)

 

そのリントン家の兄妹が遊んでいる様子を覗いていた二人は、家の者に見つかり、走って逃げるが捕捉されてしまう。

 

犬に嚙まれ大怪我をしたキャシーはリントン家で手厚く手当てを受け、召使のヒースクリフは屋敷から排除される。 

介抱するエドガー(左)とイザベラ(右)



ヒースクリフは、リントン家から戻って来ないキャシーのことが気になり、通っている召使のネリーに様子を尋ねる。

 

「俺への伝言はなしか」

「お嬢様は変わったわ」 

ネリー

元気になったキャシーがアーンショー家に戻り、早速、ヒースクリフの元へ行くが、その表情は硬かった。 

ヒンドリー(左/キャシーの兄)と妻フランセス、キャシー(右)、ネリー。奥にエドガー、イザベラがいる


「握手していい。特別に許そう」とヒンドリー。

 

キャシーが笑いながら手を取ると、「笑い物にするな」と反発する。 


「ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの」


「俺に触るな」

 

アーンショー家のパーティーで楽しそうにエドガーと踊るキャシーを見ていたヒースクリフは、「奴を追い出せ!」とヒンドリーらに暴力的に放り出されてしまう。

 

箱部屋でヒースクリフは、出窓にキャシーの名前を彫り、キャシーは彼を宥(なだ)める。

 

「あなたの欠点は、恩義を理解しないことだわ。3カ月、世話になったのよ」

「…毎日、君が戻るのを荒れ地で待っていた」

「…私を信じて。私は必ず戻ってくるわ。何があろうと」


「必ず?」

 

キャシーは笑顔で答える。

 

「ヒンドリーの妻フランセスは、出産して死んだ。ヒンドリーは泣くことも祈ることもできず、人生に対し、あらゆる興味を失った」(モノローグ)

 

産まれた赤ん坊は、「ヘアトン」とキャシーが名付け、洗礼を受ける。

 

エドガーとイザベラが来るというので、喪中にも拘らず着飾り、鼻歌を歌うキャシーに、ヒースクリフが自分とエドガーのそれぞれに、キャシーが会っていた日に印をつけた紙を見せる。

 

「バカみたい。いつも一緒にいろと?面白い話もできないくせに」

「以前は俺を無口だとも、嫌いだとも言わなかった」


「無知で無口な人といても、楽しくないのよ」

 

嵐の夜、赤ん坊をあやすネリーに、キャシーがエドガーから求婚され、承知したことを嬉しそうに話す。

 

「彼を愛しているの?」

「もちろん。愛さずにはいられないわ」

「どうして?」

「ハンサムだし、一緒にいると楽しいもの」

「理由にならない」

「それに、若くてほがらかよ…お金持ちだから。私はこの地で一番の令夫人になれる」 


笑いながら答えるキャシーに、ネリーは真顔で尋ねる。

 

「それが望みなの?なら結婚なさい。なぜ悩むの?」 


キャシーも真顔で答え始める。

 

「私の魂や、心が言うの。間違ってると。兄のせいでヒースクリフは下劣な人間に。今の私にとって、彼との結婚は不名誉よ。でも誰よりも、彼を愛してるの。私の悲しみはヒースクリフの悲しみ。私は彼を見つめ、心を痛めてきたわ。今までずっと…エドガーへの愛は、木の葉のようなもの。時と共に変わる。冬に葉が落ちるように。ヒースクリフへの愛は、違うの。まるで大地の岩のよう。人目を楽しませはしないけれど、大切なもの。ネリー、私はヒースクリフなの」 


扉が開く音がして、一部始終を聞いていたヒースクリフが、屋敷から出ていったのだった。 


大雨の中、泣きながら外に出るキャシー。 


「あの人を失ってしまったんだわ」

 

「…嵐の夜を最後に、ヒースクリフは姿を消した…キャシーは心の傷も癒え、彼を待ったが戻ってこなかった。彼女の嵐が丘での思い出は遠くなっていった。エドガーとの結婚は幸福ではあった…だが残酷にも記憶は何度もよみがえり、苦しめる」(モノローグ) 


 

 

2  「私を恨むなら、呪うがいい。亡霊になって、さまよえ。私につきまとえ。どんな姿でも、私を苦しめてみろ」

 

 

 

2年後、突然ヒースクリフが屋敷に戻って来た。 


リントン家を訪ねたヒースクリフを一目見て喜ぶキャシーは、エドガーの許しを得て、居間に通す。

 

「この2年間、どこにいた…裕福そうだな…態度も立派だ」とエドガー。 

イザベラ(右)



キャシーは、「夢みたいだわ」とヒースクリフの手を握る。

 

「でも、歓迎などしたくない。2年も音沙汰なしですもの」

「君の結婚は噂に聞いた。つい最近だ。ひと目顔を見たくて来た。君と離れてから、つらい人生だった。無沙汰を許してくれ。君だけを思い、苦しんだ」


「ご滞在は?」とイザベラ。

「嵐が丘です」

「ヒンドリーが君を招待したのか?」


「私が彼を招いた。彼は賭けの借金で屋敷を抵当に入れた。だから私が借金を肩代わりしてやったのだ。今では私が、嵐が丘の主だ」


「ヒンドリーとヘアトンから奪ったのか?」

「思い出の館なのだ。キャシーと私の。とても強い愛着がある」

 

イザベラを随行し、ヒースクリフはキャシーと散策する。

 

「あなたの天国って?」

「君といることだ。いつでもどこでも一緒に」

 

キャシーはイザベラに「行って!」と遠ざける。

 

「愛してる」

「あなたが去り、私も嵐が丘を離れた。エドガーとの生活に身をうずめたの。元には戻れない」


「なぜ」

「無理よ。できないわ」

「また私を追い払うのか」

「つらいのよ。昔の私たちのようにキスをしましょう。忘れるために」

 

二人は激しくキスをする。 


「これでいいの。思い出を葬り去ったわ。明日から生まれ変わらなくては…エドガーを愛しているの。もしも彼と別れたら、生きていけない。私を殺したければキスしなさい」

 

イザベラがヒースクリフに恋をしているのを知ったキャシーは、「彼は乱暴で冷酷な狼のような男」と言うが、ヒースクリフが訪ねて来た際に、イザベラの気持ちを伝えてしまう。

 

ヒースクリフは、リントン家の相続人であるイザベラに、「君の財産を狙っている」と、その野望を隠そうともせずに接近するのだ。 


その様子を見ていたキャシーが問い質すと、ヒースクリフは言い放つ。

 

「酷い仕打ちをされたから、復讐するのさ。お前たちを苦しめてやる」

 

それを聞いていたエドガーが、「出ていけ」と言うが、ヒースクリフは逆に挑発する。

 

エドガーが誰かを呼ぼうとすると、キャシーが鍵を締め、「惨めな人!襲いかかる勇気がないなら謝って。殴られるがいいわ」と言い、鍵を暖炉に投げ捨てた。

 

「こんな腰抜け亭主で幸せだな。男を見る目が高い」とヒースクリフが言うや、思い切り殴り返すエドガー。 


ヒースクリフは火かき棒を持って逆襲しようとすると、キャシーが目で抑制する。

 

そこでヒースクリフは何もせず、無言で出ていった。

 

それ以降、妊娠中のキャシーは寝込み、精神的に不安定になってしまい、エドガーは部屋に籠り、キャシーに会おうとしない。

 

ネリーを呼び、「独りが怖いの」と訴える。 


窓を開け、風に当たり、嵐が丘の方を見つめながら、子供の頃に戻りたいと話すキャシー。

 

「ヒースクリフ。私が呼んだら、あなた、来てくれる?彼、考えてるわ。私に来てほしいのね…」 


ヒースクリフの妻となり、殴られた顔のイザベラを引き連れ、ヒースクリフはネリーを訪ね、キャシーが女の子を出産したことを知らされる。

 

「リントンの屋敷は、私の妻が相続するのか」

「兄は、まだ生きてるわ」

「奥様は大変にやつれておられますね。どなたかの愛情が足りないのでは」

「彼女自身のだ。自分を憎んでる。下劣で愚かな女だ。私が愛してなどいないと、ようやく気付いた。やっと私を理解したらしい…」


「気をつけて。彼の狙いは、兄を絶望させること。私は先に死ぬわ。死ぬことが今の私の唯一の喜び。道連れにしてやる」
 



ネリーにキャシーに会わせてもらうよう無理強いしたヒースクリフは、キャシーの寝室に入る。

 

「つらすぎる」

「あなたが私の心を引き裂いたのよ。なのに、哀れみを求めるような顔をするなんて。私が死んだら、あなたのせいよ。私が葬られたら満足?私を忘れる?」

「そんな口をきくのは、悪魔の仕業か。やめてくれ。君の言葉は私の心に焼きついて、君の亡きあとも私を苦しめる」


「平安は訪れない…責めはしないわ。ヒースクリフ。そばに来て。お願い」

「なぜ自分の心を裏切った。愛してたなら、なぜ私を捨てたのだ。リントンに心が動いたか。神も悪魔も、我々を引き離せなかったのに。君は望んで離れて行った。君の心を引き裂いたのは、君自身だ。そして私の心までも…」

「私が悪いのなら、死はその報い。あなたは私から去った。でも、許してあげる。私を許して」


「そんな簡単に許せるものではない。その目を見るのさえ、つらすぎる。だが許そう。君が私にした事を。私の命など捨ててもいい。だが君の命は…どうしても耐えられない」
 


男と女の最後の会話だった。

 

嵐が丘のヒースクリフの元に、ネリーがキャシーの死を伝えに来て、無言で泣いている。

 

「死んだのか。言わなくても分かる…泣くな!お前らの涙は要らん」

「安らかに眠ったのよ。来世で幸せに目覚めるわ」


「苦痛に目覚めろ!我が祈りは、ただひとつ。舌が石になるまで繰り返す。キャシー・アーンショー。私の命のある限り、安らかに眠るな。私を恨むなら、呪うがいい。亡霊になって、さまよえ。私につきまとえ。どんな姿でも、私を苦しめてみろ。君のいない奈落の底に、私を見捨てないでくれ…神よ。命なしに生きられない。魂なしに生きられない」
 



キャシーが安置された部屋に、ガラス窓を破って入って来たヒースクリフが、キャシーの遺体を抱き締める。 


「春が過ぎる前に、キャシーの兄ヒンドリーも死んだ。酒で命を絶ったのだ。息子で相続人のヘアトンは、ヒースクリフの手にゆだねられた」(モノローグ) 


 

 

3  「何か不思議な変化が近づいてくる…長い戦いだった。もう終わらせたい」

 

 

 


「18年が過ぎた。キャシーとエドガーの娘キャサリンは、美しい乙女となった。父の保護のもと、嵐が丘もその住人も知らずに育った。今日までは…」(モノローグ)

 

ヒースクリフは、屋敷にキャサリンを連れて帰り、息子のリントン(イザベラとの子)と合わせる。 

リントン


「ロンドンにいるのかと」

キャサリン


「母の死で戻った」

 

外では、成人となったヘアトンが農作業をしており、屋敷の入り口に刻まれた「“ヘアトン・アーンショー”」の文字についてキャサリンが訊ねる。

 

「知るか。字は読めない」 

ヘアトン


リントンが出て来て、「この世に、こんなバカがいるとはな。自分の名も読めない」と蔑む。

 

「ヘアトンも君のいとこだよ」とリントン。


「よろしく」

 

家に帰ったキャサリンは、エドガーにヒースクリフと会ったことを話す。

 

「私は彼を嫌ってはいない。ヒースクリフが私を嫌っているのだ…私には息子がいない。だからヒースクリフは何らかの方法で、お前の財産を奪おうとする。そうすることで、私への復讐を遂げる。悪魔のような男だ。憎む相手を破滅させる。彼がいなければ、母さんは生きていた」 



その頃、ヒースクリフはキャサリンへの手紙をリントンに書かせ、署名させた。

 

「“…僕の人生は、君と会った時に始まったのだ。なぜ君は、来てくれない。キャサリン。こんなに待っているのに…”」 


手紙を受け取ったキャサリンは、早速、嵐が丘の屋敷を訪れ、体調を壊しているリントンに会いに行く。

 

キャサリンが、何で呼んだか理由を尋ねると、ヒースクリフが入って来て、贈り物を渡すと言ってリントンを紹介する。 


「息子のリントンだ」とヒースクリフ。

 

余命が短いリントンこそ、ヒースクリフの「贈り物」だった。

 

「何のこと?」

「結婚しろと。君の父上は怒るだろうが、僕の命は長くない。結婚は今夜。それで君の屋敷は、父のものだ」 


それを聞くや立ち上がり、キャサリンは「あなたなど怖くないわ」と、ヒースクリフから部屋の鍵を取ろうとするが、相手にならず、階段に倒されてしまった。

 

それでも、ヒースクリフの手を噛み、果敢に立ち向って来ると、ヒースクリフはキャサリンを殴打する。

 

「誰も助けに来ない。息子との結婚により、私はお前の父親になる。ただ一人の父親にな…」


「恐ろしいわ。病気の父を心配させたくない。家に帰して」

「エドガーは、お前を愛してない。奴は、お前の誕生を呪っていた。泣くがいい。涙は何よりの慰めだ」

「あなたはひどい方だけど、悪魔ではないわ。どうか父の死に目に会わせて下さい…今でも誰も愛したことがないの?」

「どけ!蹴飛ばされたいか…お前は嫌いだ」 



キャサリンは幽閉された挙句、牧師が呼ばれ、強引に結婚させられた。



屋敷に戻ったキャサリンは、死の床にあるエドガーと対面し、父を心配させまいと配慮し、「結婚して幸せか」と聞かれ、「ええ」と答える。 


「財産はヒースクリフのものに…リントン・ヒースクリフはお前を守ってくれるか?」

「心配ないわ」

「よかった。安心して死ねる」

 

逝去したエドガーの葬儀の日。

 

ヒースクリフがエドガーの館にやって来て、荷造りをして嵐が丘に来るようにキャサリンに指示する。

 

そして、ヒースクリフはキャシーの画を見ながら、土葬の棺を掘り起こしたとネリーに話すのだ。 


常軌を逸していた。

 

「死者を乱すとは」

「違う。彼女の顔を見て、私の心は静まった。昔のままの顔だった」 


立て続けにリントンが亡くなり、ヒースクリフは息子の遺書をキャサリンに見せる。

 

「君の相続権を私に譲るという」


「どうでもいいわ。好きになさって」
 



キャサリンを心配するヘアトンだが、キャサリンの幽閉中に、優しい言葉一つかけてくれなかったと遠ざけられていた。

 

しかし、一緒に暮らす中でキャサリンは徐々にヘアトンへの感情を和らげ、話しかけるようになる。

 

「俺に構うな」


「いやよ、私の話を聞いて」

「お前の顔は見たくない…俺を憎んでいる。バカにしてやがるんだ」


「あなたが私を憎んでるのよ。ヒースクリフさんが私を憎んでる以上に」

「ウソだ、俺は何度もお前を守ろうとした」

 

キャサリンは、ヘアトンに書物をプレゼントして、読み書きを教えることにする。

 

「一生、俺を恥に思うぞ。俺を知れば知るほど」


「友達になって」

 

花壇を作りたいと頼むキャサリンに、ヒースクリフは「そんなもの要らん」と許可しない。 


「ひどい人。私の土地を取り上げたくせに…お金も。ヘアトンの土地とお金も」

「よせ。言うな」

「私を殴ったら、ヘアトンが殴り返すわよ」

 

ヒースクリフは激怒し、キャサリンの肩を掴んで怒鳴り飛ばす。

 

「私に逆らうよう、奴をそそのかしたのか!」 


一瞬、虚空を見つめ、再度、同じ方向を見るヒースクリフ。

 

「私を怒らせないようにするんだな。殺すかもしれん」

 

今や、ヒースクリフの狂気が収まる気配がなかった。

 

丘に一人佇むヒースクリフに、ヘアトンが食事に戻るようにと迎えに来た。 


「行け、彼女も元へ。そばにいてやれ」 



キャサリンがヘアトンに訊ねる。

 

「なぜ彼に優しいの?あなたの名前を彫った屋敷を奪った人よ」


「いいんだ。たとえ彼が悪魔でも。俺が君の父親の悪口を言ったら、どう思う?」

「父親じゃないのに」

「俺には父親だ」

 

その二人を見ているヒースクリフは、ネリーに語りかける。

 

「何とも皮肉だな。敵どもの身代わりに、子供たちに復讐するつもりだった。やればできる。ジャマ者はいない。だが何になる」

 

すると、ヒースクリフはまたも虚空を見つめ、他に誰かがいると言うのだ。 

ネリーも後方を見る


「何か不思議な変化が近づいてくる…長い戦いだった。もう終わらせたい」 



―― ここで、ファーストシーンに戻る。

 

ロックウッドの叫び声で、駆けつけたヒースクリフ。

 

「亡霊だ。20年もさまよってたらしい。キャシーとかいう女の霊だ…あの顔だ、そっくりだ」 


キャシーの画を見て、そう話すロックウッド。

 

「あの部屋に入るな!」

 

ヒースクリフはキャサリンを振り返り、あの部屋に行くかを尋ねた。

 

「お前にとって、私は悪魔より残酷だ」 


ヒースクリフは一人部屋に入って行くと、子供の頃のキャシーが箱部屋の扉を開け、手を差し伸べる。 


そこから開かれた丘へ向かうと、二人で語り合った木の横にキャシーが佇んでいた。 


ヒースクリフとキャシーは再び出会い、熱いキスを交わすのだ。 



翌朝。

 

ネリーはキャシーと過ごした2階の小部屋で、ヒースクリフが死んでいるのを発見する。

 

「彼らは何も恐れない。悪魔と、その軍勢さえも…」(モノローグ) 


キャサリンとヘアトンが仲良く馬を走らせ、キスを交わしている。

 

「…その代償とは、教会の壁の外に並ぶ3つの墓。荒れ地に続く斜面。時の流れに消えた人々。エドガー、キャシー、ヒースクリフ。魂よ、安らかに眠りたまえ。だが、村人は言う。ヒースクリフの亡霊は、今もさまようと…」(モノローグ) 



男の長い戦いが終焉し、なお亡霊となって、女を求め続けているのである。 


 

 

4  憎悪の感情の束が打ち抜かれゆく

 

 

 

精神医療の分野で用いられる心理学用語に「アンビバレンツ」という概念がある。

 

「愛情」と「憎悪」という二つの感情を表現するので「愛憎」という言葉で使用されるが、物語の主人公ヒースクリフの歪んだパーソナリティーを説明する時、この用語が最も相応しいと思われる。

 

キャッシーに対する彼の複雑な情性は、まさに「愛憎相半ばする」という感情の振れ具合の大きさに起因すると思われるからである。

 

キャシーの裏切りへの抑えがたい感情が憎悪として膨れ上がれば、それを無意識下に抑圧することで、当人の行動を複雑化させていく。

 

なぜなら、キャシーに対するヒースクリフの情性を憎悪という感情のみに収斂させるには無理があるからだ。

 

キャシーの墓を掘り起こしてまで削り取れない男の愛の強さが、男の情性のコアに張り付いていること。 


これがヒースクリフの情性を貫流しているのだ。

 

それでも許せない。

 

なぜ、あれほど愛し合った時間を捨てることができたのか。 


睦みの関係を壊すことができたのか。 


納得できないのだ。

 

「愛憎」という矛盾する二つの感情がコントロールできない状態下にあって、激しい葛藤状態が生まれる。

 

この葛藤状態を作り出す心的現象こそが、「アンビバレンツ」という概念の本質である。

 

この心的現象が延長されてしまえば、ストレスからくる心の病気である神経症を惹起する。

 

紛れもなく、ヒースクリフは神経症という病理に罹患している。

 

このストレスが膨張し、連鎖し、負の連鎖に歯止めが効かなくなる。 


ヒースクリフの情性が極端に振れていくのだ。

 

至りて重要なのは、キャシーに対する迸(ほとば)る愛情を隠し切れなかったこと。

 

「ひと目顔を見たくて来た。君と離れてから、つらい人生だった。無沙汰を許してくれ。君だけを思い、苦しんだ」 


2年後に再会した際の言辞である。

 

それでも残るキャシーの裏切りへの抑えがたい感情を内側で処理し、収束させねばならない。

 

何より復讐のために嵐が丘にやって来たのだ 


そこは、二人の愛の物理的記号だった。 


その「嵐が丘」を買い取って、館の主ヒンドリーを下僕にするのも折り込み済み。 



かくて、ヒンドリーとエドガーに対する復讐は完遂される。 


しかし、精神を病んだキャシーを目の当たりにして、本音が吐露される。

 

「君といることだ。いつでもどこでも一緒に」

 

変わり得ぬこの情性は、一体、どこから生まれるのか。

 

心理学的に言えば、幼児期から抱え込んだ「見捨てられ不安」が根柢にあることは疑う余地がない。

 

ヒースクリは捨て子だったのだ。 


男の独占欲の強さのルーツには、この「見捨てられ不安」がある。

 

その意味で、「境界性パーソナリティ障害」と言ってもいい。 

境界性パーソナリティ障害の診断基準


認知や行動の偏りの大きさのために社会的適応が難しく、円滑な対人関係の構築ができないパーソナリティを延長させてしまう人格障害である。

 

だから神経症になる。

 

そう思念する時、ラストシーンでの男の悲哀が胸を抉(えぐ)ってくる

 

では、そんな男から一途に愛された女の心理の振れ具合を、どう読み解いたらいいのか。

 

「私を信じて。私は必ず戻ってくるわ」 


そう言い切ったにも拘らず、その女・キャシーは男の懐(ふところ)に飛び込むことをしなかった。

 

「私はこの地で一番の令夫人になれる」という理由で、男の想いを迎え入れず、スルーしてしまう。 


エドガーを選択したのである。

 

「不名誉」な「結婚」でしかない男ではなく、「木の葉のような」ものでしかない「エドガーへの愛」を選択したのだ。

 

男との愛は、その程度だったのか。

 

そうではないからこそ、男は辛かった。

 

「人目を楽しませはしないけれど、大切なもの。私はヒースクリフなの」 


ここまで吐露した女の想いを耳にしたから、男は辛かったのだ。

 

「私はヒースクリフなの」という相手との一体化の心情は家族愛と切れ、明らかに、深い異性愛のカテゴリーで説明可能な強い情性が、そこに把捉(はそく)できる。

 

かくて、「私の悲しみはヒースクリフの悲しみ」と吐露する女には、男の失踪よってトラウマを抱えることになる。

 

女のトラウマが癒えたのは、エドガーと結ばれ、彼の誠実な人柄と触れたことで、それが「エドガーを愛しているの。もしも彼と別れたら、生きていけない」という辺りにまで、の感情が届いてしまったからである。

 

もう、「令夫人」にまで化けたことへの欣喜を超えてしまったのである。

 

そんな時、男が出現した。

 

男の出現に女は嬉々として迎える。

 

男の失踪に対して胸を灼かれるような悔いを残した女の、男に対する凍てつく時間が、今ここで解凍されたこと。

 

これが大きかった。

 

トラウマ克服の術を手に入れられたのである。

 

それにも拘らず、睦みの時間は復元しない。

 

「愛してる」と言われても、「あなたが去り、私も嵐が丘を離れた。エドガーとの生活に身をうずめたの。元には戻れない」と返されてしまうのだ。 


「私を殺したければキスしなさい」とまで返されたら、裏切りを指弾する男には、復元し得る時間など拾えない。

 

木端微塵に砕かれても執着する男の愛は、殆ど死の床に臥(ふ)す女の愛の残滓(ざんし)を拾い狂うのみ。

 

「私を恨むなら、呪うがいい。亡霊になって、さまよえ。私につきまとえ。どんな姿でも、私を苦しめてみろ。君のいない奈落の底に、私を見捨てないでくれ」 


男の叫びだけが虚空に舞い、自らの命を捧げて砕け散っていくのみだった。 



二世たちが開く新たな潮流が新たな愛の歴史と化して、憎悪によって歪んだ自我を支えてきた男の憎悪の感情の束の意味を根柢的に打ち抜き、もう自らを生かす何ものも存在しない現実を突きつけられ、自我を消耗させて逝った女に誘(いざな)われるようにして永逝する。

 

憎悪の感情の束の意味が打ち抜かれたのだ。

 

そんな男の壮絶な復讐譚が終焉したのである。

 

―― 大傑作のダイジェスト版の印象を拭えず、人物描写が弱いため完成度は高くないが、ヒースクリフを演じたレイフ・ファインズの狂気に満ちた熱演と、舞台となったハワースの風土が画として伝わってきて映画的には堪能できた。 


それにしても、レイフ・ファインズ。

 

凄い俳優だ。

 

シンドラーのリスト」、「クイズ・ショウ」、「イングリッシュ・ペイシェント」(未投稿)、「太陽の雫」(未投稿)など多くの作品を観ているが、全ていい。 

「シンドラーのリスト」より



「クイズ・ショウ」より


「イングリッシュ・ペイシェント」より


「太陽の雫」より



この「嵐が丘」も、レイフ・ファインズの独壇場の世界だった。

 

 

 

5  驚異的な想像力を駆使し切った女性作家の変えようがない生きざま ―― その名はエミリー・ブロンテ

 

 

 

【この稿は、心の風景「驚異的な想像力を駆使し切った女性作家の変えようがない生きざま ―― その名はエミリー・ブロンテ」より部分引用したものです】

 

  

エミリー・ブロンテ(ウィキ)



「月と六ペンス」で有名な英国の作家サマセット・モームが自らの文学観に依拠し、選んだ「世界の十大小説」の中にあって、その愛憎の激しさと作風の力強さにおいて異彩を放つ「嵐が丘」。 

サマセット・モーム(ウィキ)


「嵐が丘」初版のタイトルページ(ウィキ)



他の姉兄妹同様に夭折した作家、エミリー・ブロンテの唯一のこの長編文学は比類なき傑作として、英文学史上に不滅の名を刻んでいる。

 

世間から隔絶され、30年の生涯の大半を荒野の最端に立つ牧師館で過ごした彼女の〈生〉は、あまりに純一無雑(じゅんいつむざつ)なイメージを膨らませてしまうのだ。

 

1818年7月、イングランドで最大の面積を持つ北部ヨークシャーの牧師館ブロンテ家に第五子、四女(三女がシャーロット)として生まれたエミリーは、妹のアンが生まれた1820年に近隣の田舎村ハワースに移住してまもなく、不幸に見舞われる。 

イングランドのハワースの村(ウィキ)


ブロンテ姉妹の生家



母マリアの病没である。

 

これがブロンテ家の負の連鎖の初発点になっていく。

 

父の意志により、4姉妹は西北部ランカシャーの寄宿学校に入ったものの衛生状態が極めて悪く、1年も経ずに長女と次女を肺結核で喪うに至った。

 

10歳余で死亡したため、シャーロットとエミリーが長女・次女となり、ハワースの牧師館への帰宅を余儀なくされ、残されたアンと共に家事を任される。 

シャーロット・ブロンテの肖像(ウィキ)


兄ブランウェルによる姉妹の肖像画より、アン(ウィキ)



所謂、「ブロンテ三姉妹」である。 

弟のブランウェルによる、ブロンテ姉妹の肖像画。右からシャーロット、エミリー、アン。中央には自分も描いていたが、後に消している



【ハワースの土壌は痩せ、衛生状態も悪く、村の平均寿命は極端に短く、殆ど死と隣り合わせの苛酷な暮らしを余儀なくされた】 

紫に生い茂るヒース(表土に生える植生)もハワースの荒野

高台にあるハワースの全景



唯一の男子で、兄のブランウェルが考案し、父に買ってもらった木の兵隊を姉妹たちに分け与えて、彼女たちをこのゲームへと駆り立てていった。

 

ブランウェルによって導かれたファンタジーの世界に住んでいなかったら、ブロンテ姉妹の小説は生まれていなかっただろうとも言われるが、本当のところはよく分からない。

 

幼少時より空想遊びに興じ、文章を書くことを趣味にしていくが、遊びのリーダーは常にシャーロット。

 

空想世界で羽ばたくのだ。

 

その姉と離れ、自らの内面を表現する「ゴンダルの詩」という詩的想像の世界に没我した思春期のエミリー。 

ゴンダルの詩が書かれたエミリーの原稿(ウィキ)



形而上学的傾向を強めていく目眩(めくるめ)く日々。

 

彼女の内気で頑固な性格は延長されていく。

 

家庭教師として各地を転々とするシャーロット。

 

成人期に入ったエミリーもまた、ブロンテ家の家計の厳しさを補填するために、音楽教師の職に就くが長時間労働に耐えられず、半年しか続かなかった。

 

シャーロットの経済的自立も難儀で、エミリーと共にブリュッセルの寄宿学校へ留学するが、学長の夫に恋慕し、帰国することになる。

 

その後、私塾を開くが、入塾希望者は現れなかった。

 

女性の経済的自立が難しい時代状況下にあって、辛酸を嘗(な)めていく。

 

文学で真剣に身を立てようとするシャーロットは嫌がるエミリーを説得し、三姉妹の詩の自費出版を具現化するが頓挫する。

 

売れなかったのである。

 

その後も姉の説得を受け、女性作家への偏見が根強かったため男性名で執筆・発表したのが、唯一の長編小説「嵐が丘」。 




1847年のこと。

 

エミリー・ブロンテ、29歳の冬だった。

 

ところが、同年、姉シャーロットもまた男性名で発表した「ジェーン・エア」が大好評を博したのに対して、「嵐が丘」は酷評の嵐。 



入れ子構造になっている物語の複雑な構成への違和感もあったが、それ以上に、ヒースクリフの愛憎渦巻く復讐劇の異様な物語それ自身が不評を買う要因になったと言われている。 

愛を奪われ、絶望の際に追い込まれるヒースクリフ


不幸が連鎖する。

 

翌48年、兄のブランウェルが急死する。

 

31歳だった。

 

アルコール・薬物依存症で生活が荒れていたことに起因するが、唯一の息子に対する父パトリックの溺愛がその背景にあるとも指摘されているが、これも実際のところはよく分からない。

 

そのブランウェルの葬儀の日にエミリーは風邪をこじらせてしまい、結核に罹患する。

 

他者との接触を嫌悪するあまりか、医師の治療を拒み続けた挙句、まるで約束されたように逝去してしまうのだ。

 

享年30。

 

早世したロマン主義作家が残した大傑作だけを置き土産にして、家族以外に友達も恋人もなく、最後まで荒涼とした丘に立つ牧師館での生活を繋いだ人生だった。

 

この人生行路に悔いがあったとは思えないのは、私的領域に対する他者の侵蝕を頑として拒み、自らの〈生〉を一途に生き切った頑固さだけは変えようがない性向だったと推量できるからである。 

映画で描かれたエミリー・ブロンテ



思うに、この性向こそが、風が音を立てて吹き荒れる丘の只中で、秘めた熱情の咆哮(ほうこう)の如く、驚異的な想像力によって構築した傑作を生み出す源泉であったに違いない。 

『嵐が丘』のモデルになったハワースの荒野にある「トップ・ウィゼンズ」(農家)の廃墟(ウィキ)


「トップ・ウィゼンズ」から眺める荒野(ウィキ)



自然に身を任せ、孤独を愛する一人の女性の変えようがない生きざまは、「何者か」に結晶した彼女の純一無雑な航跡それ自身だった。

 

驚異的な想像力を駆使し切った女性作家の変えようがない生きざま ―― その名はエミリー・ブロンテ。 

エミリー・ブロンテ


これに尽きるのか。

 

(2023年5月)



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