2012年7月23日月曜日

マンデラの名もなき看守('07)      ビレ・アウグスト


<千切れかかっていた「善」が、確信犯の「善」のうちに収斂される物語>



 1  千切れかかっていた「善」が、確信犯の「善」のうちに収斂される物語

 

権力を維持するために行使される、過剰な暴力を是とするシステムに馴染めない「善」と、その権力への自衛的暴力を行使することを指示する確信犯の「善」が物理的に最近接し、そこに心理的化学反応を引き起こす。

拠って立つ理念において、決して折れることのない後者の放つ「善」の圧倒的求心力は、いつしか、洗脳的なラベリングによる、前者の「善」の欺瞞に満ちた身体性を剥落させ、「贖罪感」という名の未知のゾーンにまで引っ張り上げていく。

未知のゾーンにまで引っ張り上げられた男の射程には、男が秘かに望む「同志」の存在は皆無であり、そこには、選択した職業における、「上司」か「同僚」の存在という範疇のうちに収められていただけだった。

確信犯の息子の死に深く関与したことで「贖罪感」を胚胎させた果てに、今や、自分の昇進を望む妻の限定的愛情にのみ縋るしかない男の、その心理的孤立感が行き着いた世界は、拠って立つ安寧の精神的基盤の脆弱性の認知であった。

精神的基盤の脆弱性を晒すことで穿(うが)たれた自我の空洞が、確信犯の「善」が放つ確信的な理念と、その際立って高い道徳的質の集合的価値を内包する、凛とした身体性によって埋められていくに至る。

シャープビル虐殺事件・1960年(ブログより)
ほんの少し、「変容する時代」の先にイメージされる理念系の様態は、いよいよ、確信犯の確信的な振舞いのイメージに沿うように進んでいくことを全人格的に視認したとき、過剰な暴力を是とするシステムに馴染めない男は、「この激動の時代に、傍観者でいたくない。歴史の1ページに加わりたい」と妻に言い放った。

なお、男の能力を必要とする権力機関は、一度離れた確信犯との再会を具現させる。

男はもう、逃げられなくなったのだ。

息子の「事故死」に深く心痛する人間性を、全人格的に表現する確信犯と同様に、自分の息子をも喪った男の、千切れかかっていた「善」は、確信犯の「善」のうちに完璧に収斂されるに至るが、そこにはもう、単なる言葉の羅列ではなく、身体化された男の生き方を決定的に反映させる何かに変貌を遂げていたのである。

本作を端的に表現すれば、以上の文脈で説明できるだろう。

これは、千切れかかっていた「善」が、「君たち白人と平和に共存したいだけだ」と放つ確信犯の「善」のうちに収斂されることで、「贖罪感」という名の未知のゾーンにまで引っ張り上げていった挙句、己が人格の奥深くで心理的化学反応を惹起させる物語であり、それによって、自らが負った贖罪感を昇華し、かつて男の過去がそうであったような、黒人の親友との睦みを、成熟した自我の言語のうちに浄化さていく物語でもあった。


ネルソン・マンデラ
 言わずもがな、確信犯の「善」とは、南アフリカ共和国第8代大統領であるネルソン・マンデラ。

そして、過剰な暴力を是とするシステムに馴染めない「善」のモデルは、「さようなら、バファナ」(本作の邦題名)を書いたジェイムズ・グレゴリー。

コーサ語(ウイキによると、国民の約18%が話す言語で、大部のズールー語などに近いと言われる)を駆使して、国家公安局の片棒を担いだ、物語の原作者・主人公の、南アフリカの刑務官である。

本作は、このジェイムズ・グレゴリーの視線のうちに捕捉されたネルソン・マンデラの、その際立って高い道徳的質の集合的価値を内包する人物像を特定的に切り取った映画であるということだ。

ともあれ、「善」と「善」の心理的化学反応を描く物語は、観る者の感情移入を受容する、あらん限りの要素を包含させていて、まさに「アパルトヘイト」という、この国のよく知られた現実が、冒頭の説明的キャプション(注1)によってあっさりと片付けられていることで分明である。

これは後述する。

物語に関わる人種差別政策については、その最低限の情報を、観る者が保持しているという前提において作られた物語の制約下で、どこまでも本作は、人間の「善」の可能性を信じる者たちの支持を受ける構造性を内包していると言っていい。

だからこそ、厭味なしに言えば、文部科学省選定の決定版という、映像作品としての一定の賞味期限を保証したのであろう。

 以下、物語の要所を押さえながら、以上の私の把握に則って、本作の梗概をフォローしていきたい。


(注1)「南アフリカ。1968年。アパルトヘイト下の黒人たちには、参政権や土地所有権や移動の自由がなく、雇用や教育の不平等がまかり通っていた。人種平等を叫ぶ組織は全て弾圧され、黒人指導者の多くは政治犯として収監された。彼らの行き先はロベン島であった」



 2  「処刑すべきテロリスト」という、ラベリングされた人格像と切れていくとき



 「島の囚人は黒人?」と長男。
 「皆だ」と父。
 「前は白人だった」と長男。
 「刑務所も別なんだよ」と父。
 「島の囚人はテロリストよ」と母。
 「何が違うの?」と長男。
 「白人を皆殺しにして、土地を取ろうとしているの」
 「隔離しないとな」と父。

グレゴリー親子
これは、冒頭シーンでの、ロベン島に赴任するグレゴリー親子の会話である。

 この会話の中に、刑務官としてのグレゴリーが把握する、ANC(アフリカ民族会議)に象徴される黒人指導者への視座が直截に反映されている。

母とは、グレゴリーの妻グロリア。

 長男の名は、ブレント。

 後に、父の後を追って、刑務官になる優秀な青年だが、未だ幼い少年の好奇心には、黒人の囚人=テロリストという脈絡が理解できないのだ。

 ブレントへの言葉に端的に表現されていたように、マンデラを「最悪のテロリスト」と考えるグレゴリーは、国家公安局のジョルダン少佐からの「密命」を受託した際にも、未だ見ぬマンデラを「処刑すべきです」と答えているのだ。

 そのジョルダン少佐からの「密命」とは、マンデラの故郷(トランスカイのウムタタ近郊クヌ村)の近くで育ったことで、コーサ語が話せるグレゴリーが、マンデラらの秘密の会話の一部始終を聞き取って、随時、それを報告すること。

 ロベン島でのマンデラ担当の刑務官になったグレゴリーには、その仕事が昇進の近道であることを、夫婦揃って愉悦する気分の中に浮足立っていた。

 グレゴリー一家の生命線であるマンデラとの、直接会話の機会を求めたグレゴリーは、廊下の私語で5日間の懲罰房に入っている件の黒人指導者と初対面するが、後ろを向いて、振り向こうとしない「最悪のテロリスト」との会話は不成立に終わる。


ロベン島

 6ヶ月後、年に2回だけ許されたロベン島での面会の際に、マンデラ夫婦の会話を聞き取るグレゴリー。

 「この結婚が大変なことは分っていた」

マンデラ夫人の印象深い言葉である。

夫であり、父であるマンデラは、息子のテンビに面会に来てくれと夫人に言った後、コーサ語で「武装闘争を拡大させろ」と言い添えた。

これを聞き取ったグレゴリーが、コーサ語での会話を遮断させたことで、あえなくロベン島での面会が閉じるに至った。

国家公安局のジョルダン少佐に、グレゴリーが会話の内実を報告したのは言うまでもない。

それが、彼の最も重要な任務だからである。

「マンデラ夫人を無期限拘禁にする」

そのときの、ジョルダン少佐の反応の全てである。

しかし、その結果出来した事態は、職務熱心なグレゴリーにとって看過し難いことだった。

マンデラの息子のテンビが事故死するに至ったのである。

 時を逸することのない、あまりに偶発的な事態の出来に、グレゴリーは、自分の密告が原因ではないかと思い悩むのである。

 それは、息子の訃報に接したマンデラの悲哀の深さを目視するグレゴリーにとって、二重の懊悩となって返報されていく。

 元来、誠実な人柄のグレゴリーの内面は、この一件を契機に、少しずつ、しかし何かが決定的に変容していくのだ。

グレゴリー刑務官
それを、「贖罪感」の発生と把握しても誤謬ではないだろう。

少年期における、黒人の親友バファナとの別離を回想するグレゴリー。

あのとき、「一生大事にする」と言って、バファナからお守りを受け取ったのだ。

この回想シーンは、グレゴリーが歪んだ人種差別主義者でなかった事実を裏付けるものである。

その直後に、テンビの死のお悔やみのために、グレゴリーは、懊悩を深めるマンデラの房を訪ねた。

以下、マンデラとの会話。

 「“自由憲章”(注2)を読んだか?」とマンデラ。
 「読んださ」とグレゴリー。
 「嘘だ。禁書扱いの文書を看守が読める訳がない」
 「話は聞いている」
 「我々の望みは平等な権利だ。君たち白人と平和に共存したいだけだ。子供のために。君も親なら分るだろ」

 いつになく尖った、このマンデラの言葉は決定的に重要である。

否が応にも、切っ先鋭く、ダイレクトに侵入してきた言葉には、真実を語る者の迫真性に満ちていたからである。

誠実な人柄のグレゴリーの、その心の中枢に入りこんできた男の言葉は、今や、「処刑すべきテロリスト」という、ラベリングされた人格像とは明らかに切れていたのだ。

この辺りから、「贖罪感」を抱え込んだグレゴリーは、そこに拠ってきたはずの、欺瞞に満ちた「善」の身体性を剥落させていくのである。


(注2)1955年、南アフリカにおいて反アパルトヘイト体制を とるアフリカ民族会議(ANC)、南アフリカ・インド人評議会(SAIC)をはじめとする組織 によって採択された憲章。(ウイキ)



3  「心の傷ほど苦しいものはない」 ―― 「これは、僕への罰だ」と懊悩する男に寄り添う「全身人格者」



映像は、食事を摂らないマンデラの懊悩を、グレゴリーの視線を借りて印象深く映し出す。
 
 その直後、公安当局の許可を得ているという嘘をつき、禁止文献の“自由憲章”を読むグレゴリー。

以下、他者の視線を警戒して、途切れ途切れに読む“自由憲章”の内容。

「我々、南アフリカ人民は、全世界に向けて宣言する。この国は黒人と白人に均しく属する。民意の信託なき政府に統治の権限はない。南アフリカにおける国家の富は、国民に属する。鉱山資源、銀行、その他の産業を…」

 折しも、下士官から准尉に昇進したグレゴリーは、妻と共に踊り騒いで、歓喜する。
 
念願が叶って、准尉に昇進したことの歓喜と、途切れ途切れに読む、“自由憲章”の革命的な言辞のインパクトの内的経験は、当然の如く、グレゴリーの中では共存可能なものだったが、そのような人間の有りようを的確に活写する映像のリアリティは出色の冴えを見せていた。

グレゴリーの任務は継続されていたが故に、「好事魔多し」という諺を持ち出すのは、如何にも不適格の謗(そし)りを免れないだろう。

公安当局への密告で、またもや、出獄後の囚人の暗殺の報を知るグレゴリー。

グレゴリー夫婦
グレゴリーは、次第に「贖罪感」を抱え込むのが辛くなっていく。

その矛盾が、一気に噴き上げていく事態が惹起したのである。

1975年のクリスマスの日。

ロベン島のマンデラを、夫人が面会するに当って、グレゴリーは、マンデラ本人からチョコレートをプレゼントしたいという心情を吐露され、便宜を図るに至った。

その直後、この一件が新聞報道されることで、「黒人びいきの看守」という批判を受けたグレゴリーは、ロベン島の狭隘な白人コミュニティ内で白眼視され、孤立する。

グレゴリーの孤立は、一家の孤立をもたらし、妻にも難詰される始末。

遂に辞職を決意したグレゴリーは、その旨を告げても、彼の任務の重要性が延長されているが故に、却下される。

結局、転属を願い出たグレゴリーの要望が叶えられ、ロベン島を去るに至った。

ジョルダン少佐の計らいで、転属先であるボルスムーア刑務所でマンデラの手紙の検閲をすることになったが、退屈極まりない仕事に嫌気が差した頃に、マンデラとの再会を果たすのである。

それは、時代の大きな変化がもたらした結果だった。

アフリカ人自治地域の一つのシスカイ(ウイキ)
南アのアパルトヘイト体制への国際世論の広がりと、先進諸国の経済制裁の圧力が、否が応でも、マンデラらへの待遇改善の必要性を不可避としたのである。

 その結果、マンデラがボルスムーア刑務所に移送されて来て、再び、グレゴリーの任務が駆動する。

 政治状況の厳しさを背景とするこの移送によって再開したグレゴリーとマンデラが、ロベン島での柔和な交流を切り裂く事態で対峙することになった。

1983年5月30日、アフリカ民族会議(ANC)のテロによって、17人が死亡した事件の一件で、グレゴリーはマンデラを痛烈に批判するのである。

ソウェト蜂起(ブログより)
「よく聞け!1976年にソウェトで、警察が子供に発砲した。何千人も死傷したんだぞ。なのに、17人で大騒ぎか」

 マンデラに代わって抗弁する、ANCの幹部。

「私はあのとき、他の看守と子供の死を喜ばなかったぞ。ひどいと思った。今回と同じだ。君なら暴力を止められる」

 グレゴリーの感情も噴き上がっていた。

「どうやって?」

 ここで、マンデラが重い口を開いた。

「ANCの仲間に言え」とグレゴリー。
「我々が武器を捨てれば、政府側も人民への弾圧を止めると思うのか?」とマンデラ。
「悪循環だ」
「白人からの歩み寄りを20年間待ち続けたが、彼らの関心事は権力だけだ」
「君もだ」
「自由が与えられんのなら、力ずくで得るしかない」

 これが、マンデラの答えだった。

 こんな尖り切った会話を生む時代が、国際世論の後ろ盾を背景とした、反体制運動が激化した1980年代の南アフリカ共和国の現実だったのである。

マンデラの裸形の人物像を伝える柔和なエピソードも、このボルスムーア刑務所で拾われていた。

「グレゴリーさん、21年も妻に触れていない」

マンデラとグレゴリー
マンデラが家族の待つ部屋のドアの前に立ち尽くし、まるで怯(おび)えているかのような表情で、震えながら、グレゴリーに向かって、そう言ったのだ。

 それは既に、ロベン島時代の厳重な監視付きの接見から解放されている状況の、決定的に大きな変化を示すユーモア含みのエピソードだった。

マンデラ夫婦の熱い抱擁に結ばれていくカットの挿入を、狙ったように切り取る映像がそこに張り付いていたのは言うまでもない。

 時代は、更に動いていく。

1988年、ヴィクター・フェルスター刑務所に移送されたマンデラと、そこに転任するグレゴリー。

転任したグレゴリーには、既に刑務官となった、息子ブレントの成長した姿が父の後継者のイメージを充分に漂わせていたが、交通事故で急死するという信じ難き不幸に襲来される。

当然の如く、グレゴリーの落胆は甚大であった。

「これは、僕への罰だ」

そう言って、妻の前で泣き崩れるのだ。


ロベン島にある刑務所(ウイキ)
一向に立ち直れないグレゴリーにアウトリーチしたのは、同様に、息子を「交通事故」で喪って、ロベン島の獄舎で悲嘆に暮れていたマンデラだった。

「心の傷ほど苦しいものはない」

マンデラからの、お悔やみの手紙の一文である。

時折しも、大統領に就任した改革派のデクラークが、マンデラとの折衝を求めて、ジョルダン少佐経由で、その仲介を依頼されるグレゴリー。

1989年のことだ。

しかし、マンデラの影響も手伝って、大学を優秀な成績で入学予定だったブレントの死から立ち直れないグレゴリーの懊悩は、常に「贖罪感」を随伴させてしまうから、容易に復元し得るものではなかった。

夫を慰める妻。

泣き崩れるばかりの夫。

そんな時であればこそ、グレゴリーを案じるマンデラが、彼に寄り添うのだ。

対象喪失の悲哀を深めた男の、その懊悩の根柢に横臥(おうが)するグレゴリーの「贖罪感」が膨れ上がって、遂に、マンデラの情報の一切を国家公安局にリークしていた過去の罪を告白するに至る。

「誰にでもやるべき仕事がある。罪悪感にとらわれて、足踏みしてはいかん」

グレゴリーの告白を聞いたときの、マンデラの反応である。

 それは、長きにわたって「贖罪感」で懊悩していた男の心が、人生を再構築させる契機となる程に浄化された瞬間だった。

1990年2月11日。

デクラークとの会見を経由して、ネルソン・マンデラは釈放され、グレゴリーの妻グロリアの声を呑み込む程の、群集の歓喜の渦の中で物語が閉じていった。



4  「絶対善」――「善」――「絶対悪」という三層構造を成す物語



実は、本作のような「善」と「善」が絡み合う物語は、多くの場合、極端な善悪二元論に振れるよりも、観る者に感動を保証しやすいのである。

本作の物語構造は、この「善」と「善」の絡み合いが、「アパルトヘイト」を国是とする、「絶対悪」と思しき南アの歪んだ政治体制を対峙させることによって形成されているという点を見逃してはならないだろう。

即ち、極端な善悪二元論を相対化する手立てとして、千切れかかってもなお、「善」を体現せんとする男の振れ具合を物語の中枢に据えることで、大袈裟に言えば、本作は、「絶対善」――「善」――「絶対悪」という三層構造を成しているのである。

そして、過剰な暴力を是とするシステムに馴染めずに、「善」を体現せんとする男は、「絶対悪」が自壊していく歴史の現場から脱却しつつ、限りなく相対的な視座で、確信犯の男の「善」を照射していくことで、その「善」の相貌を「絶対善」のイメージで固めていく。

棒術に興じるグレゴリーとマンデラ
ここで照射された「善」は、「絶対悪」の濁りを浄化してきた男の「善」によって、ユーモアを存分に湛えた人格が放つ、道徳的質の高さの身体性だけが切り取られるから、たとえ作り手が、そのような意図を持たなくとも、そこで形成される「絶対善」のイメージは、「最も尊敬されるべき偉大なる人間像」としての眩さを輻射(ふくしゃ)させるのである。

この三層構造の枠組みで構築された物語に、狡猾な印象を特段に受けないのは事実であったとしても、限りなく、「絶対善」の圧倒的なイメーのうちに吸収されていく男の視線によって、特定的に捕捉される人物のカリスマ性は、弥増(いやま)して光芒を放っていくだろう。

好むと好まざるとにかかわらず、そういう物語を、ビレ・アウグスト監督は作りあげたのである。

 では、特定的に捕捉される人物のカリスマ性をも印象づけるマンデラ像とは、一体、どういう内実を含むものだったか。

 それについては、本稿の肝でもあるので、稿を変えて言及したい。



5  ユーモアを介し、人情の機微に存分に通じ、何より、人間の心の痛みの前で立ち止まることができる「全身人格者」



確かに、本作で描かれたマンデラ像を観る限り、決してカリスマ的に描かれている訳ではないし、そこに特段の誇張もない。

ビレ・アウグスト監督
ビレ・アウグスト監督のインタビューを確認できなかったので何とも言えないが、少なくとも、マンデラが初めて自伝の映画化を許可するに至った際に、本作に付与した条件を推測すれば、恐らく、「ありのままの自分を描いて欲しい」というような文脈ではなかったのだろうか。

だから、本作で描かれたマンデラ像のイメージからは、「アパルトヘイト」を国是とした南ア共和国のシステムを根本的に変革した、「鶏群の一鶴」(けいぐんのいっかく=凡人の中に交じった傑出した人物)という存在感を漂わせるかも知れないが、他人も近寄れない「全身革命家」という印象を受けることはないのである。

「何でこんなことになったの?」と妻。
 「マンデラに会えば、分る」と夫。

決して粗略にできない夫婦の会話だが、この会話に包含されている意味は看過し難いだろう。

なぜなら、温和なる家族の前で、「処刑すべきテロリスト」と言い放った男のキャラクター像が、「黒人びいきの看守」というイメージに劇的に変容していく現実を目の当たりにした妻が、夫を問い詰めるかの如き言葉を放ったからである。

思うに、一貫してミーハー的な妻が、釈放された「テロリスト」に向かって、遠くから「マンデラさん」と叫ぶラストシーンの伏線ともなる、「マンデラに会えば、分る」という一言に集約されるように、「彼と会えば全て変わる」という夫の主観的言辞が引き出されるとき、本来は、少年期の「バファナ」との思い出の深さを例に挙げる必要もない程に、黒人差別の意識の希薄な男が、単に国家管理の元に、「凶悪なるコミュニスト」=「目的のためには手段を選ばないテロリスト」というマンデラ像を、刑務官という制約下でインスパイアされたに過ぎない役割意識のフラットな延長線上で、自ら物理的に最近接したことで、マンデラ像に対するイメージ変換が劇的に出来したという基本文脈こそが、本作の肝にあることを忘れてはならないだろう。

当然ながら、「彼と会えば全て変わる」という男の思いは、どこまでも主観的なものでしかなかったのである。

マンデラと物理的に最近接した男が、「贖罪感」を梃子にして、心理的化学反応を惹起させるに至ったのは、何より、男自身の内側に、反応変容への内的条件が具備されていたからに他ならないのである。

そんな男が、特定的に切り取ったマンデラ像が、本作の中で、アジテーターとしての特有な扇動言辞を弄(ろう)せず、激発的感情を噴き上げることもなかったのは、まさにそこにこそ、作り手自身が切り取ったマンデラ像と重なるからであると言っていい。

では、「贖罪感」を梃子にして反応変容した男のキャラクターに潜入することで、作り手自身が切り取った、そのマンデラ像とは何なのか。

それを、一言で要約すれば、以下の把握で足りるだろうと思われる。

即ち、「ユーモアを介し、人情の機微に存分に通じ、何より、人間の心の痛みの前で立ち止まることができる『全身人格者』」という把握である。

完全無欠とは言わないが、このような「心優しき善なる者」という、殆ど瑕疵の見つけにくいが故に、観る者に圧倒的に支持されるだろう人格像に辿り着くイメージが暗黙裡に予約済みであったこと ―― 良かれ悪しかれ、それが本作の生命線であった。

だから本作は、「崇高なる精神」の持ち主であるマンデラに対する感情移入を、千切れかかってもなお、「善」を体現せんとする男の、まるで、マンデラが自分の得難き「強力なる同志」⇒「刎頸(ふんけい )の友」であると思い込むに足る、極めて好感度の高いピュアなフィルターを通して、そこだけは決定的に重要なパーソナリティラインとして描かれたという訳である。

特段の厭味なく言えば、それが、本作に対する私の把握の全てである。



 6  三層構造の枠組みで構築された物語に収斂されていく物語への不満



 私にとって、ビレ・アウグスト監督と言えば、何より、「パンにバターを塗って食べる生活」を求めた父子の悲哀を描き切った「ペレ」(1987年製作)の監督である。

 それは、15年間ほどの空白を埋めるに相応しい、私の映画放浪記の第二の始まりを告げる、記念すべき一級の人間ドラマだった。

 1988年のカンヌで、パルム・ドールを制したこの映画には、遣り切れないほど暗いエピソードが詰まっているが、常に心が清く、気高いまでに仮構された、ピュアな少年像に馴致させられてきた私たちには、主人公の卑屈さをも描き出すアウグスト監督の、厳しく真摯な演出に新鮮な感動すら覚える重厚な人間ドラマに、少なくとも、私には底深い感動をもたらした。

 「僕は世界に出て行く」

 ラストにおける、このペレ少年の言葉に、頬を濡らす液状のラインが止まらなかった記憶は、ベストワンの作品と出会った喜びに満ちていた。

 ビレ・アウグスト監督が、私にもたらした貴重な贈り物はそれだけでは済まなかった。

「愛の風景」より
 その4年後の1992年には、「愛の風景」(1992年製作)を発表し、「ペレ」に次いで二作連続のパルム・ドール受賞となった作品である。

喧(かまびす)しいほどに賛否両論があったが、貧しい青年と上流階級の娘という、養育環境の異なる男女が夫婦となって、そこに出来する葛藤をテーマの中枢に据え、一貫して自分を取り巻く環境に対して、非妥協的な主人公の尖った生き方が招来する様々な葛藤を包含する物語を、深い内面描写で精緻に描き切った作品に、少なくとも、私は身震いするような感銘を覚えた。

その後、再見し、更に、本作のベースとなったベルイマンの著作(注3)を熟読するに及んで、一貫して容赦のない映像を構築してきたベルイマンのシビアな世界とは些か切れていたが、それでも、10数年前に最後に観た深い余情は、今でも私の脳裏に深々と張り付いている。

今、観直せば、初頭効果の好感度の高いインパクトとは切れた異なる印象を受けるかも知れないが、この2作の鑑賞によって、私にはビレ・アウグストという北欧の映像作家の名前は決定的な存在になったことは確かである。

しかし、正直言えば、その後観た、アメリカで製作された「レ・ミゼラブル」(1998年製作)には愕然とさせられた。

かくて、「レ・ミゼラブル」に次いで作られた本作に対する評価は、縷々(るる)言及してきた通りだが、正直言って、ビレ・アウグスト監督が説明過剰な、エピソード繋ぎのような「普通の作品」を作るとは思わなかったので、失望の念の方が強い。

半ばジョーク含みで言えば、このような切り取り方でネルソン・マンデラを描くのであったならば、いっその事、少年時代に培われた黒人少年バファナとの、友情の「強制的破綻と自立的再生」を深く掘り下げて描いた方が良いのではないかと思ったほどである。

決して駄作ではない。

三層構造の枠組みで構築された物語に収斂されていく物語への不満 ―― これが気になるのだ。

限りなく、「ロベン島に捕捉された黒人指導者」との距離を確保することで映し出されたマンデラ像は、前述したように、「ユーモアを介し、人情の機微に存分に通じ、何より、人間の心の痛みの前で立ち止まることができる『全身人格者』」というイメージに近い、「心優しき善なる者」=「崇高なる精神の体現者」という印象を抱かざるを得なかったのである。

だから私にとって、本作は、単に「普通の作品」でしかなかったのである。


(注3)「愛の風景」(イングマル・ベルイマン/著 岡枝慎二/訳 世界文化社)



 7  白人コミュニティの偏見という病理



 本稿の最後に、ロベン島における白人コミュニティの偏見の濃度の高さについて、簡単に言及しておきたい。

何より、偏見とは、過剰なる価値付与である。
 
一切の事象に境界を設け、そこに価値付与して生きるしか術がないのが、人間の性(さが)である。

その人間が境界の内側に価値を与えることは、境界の外側に同質の価値を残さないためである。

通常、この境界の内外の価値は深刻な対立を生まないが、内側の価値が肥大していくと、外側の価値との共存を困難にさせるのだ。

これが偏見である。
 
偏見とは、境界外の価値との共存の均衡を破ることであり、境界外に不必要なまでの敵の存在を仮構することである。

あらゆる現象存在が仮想敵になってしまうので、偏見のイデオロギー基盤を揶揄すればば、一種のアナキズムであると言えるかも知れない。
 
偏見居士は、自分以外の価値を外側の世界に決して同定しないのだ。

偏見は過剰なる価値付与であると同時に、過剰なる価値剥奪でもある。
 
偏見によって仮構された敵を甚振(いたぶ)ることは、偏見居士のその過剰な展開の副産物などではなく、寧ろ、そこにこそ彼らの主要な狙いがある。

敵を甚振ることの快楽を手に入れて、彼らもまた「負の自己完結」の際限のない行程に踏み込んでいく。

この行程の中で、彼らは偏見を自己増殖し、無秩序の闇を広げていくのだ。

過剰を抑制する自我が機能不全を常態化するとき、そこにはもう、偏見の土壌が成っている。

自我の成熟度こそ、偏見を測る指針となる。

偏見の濃度は自由の濃度でもある。

真に自由なる者は、偏見からも自由である。(拙稿「心の風景 偏見という病理」より)

―― 以上、言及してきたように、本作で描かれていたロベン島における白人コミュニティの存在は、極端に言えば、アパルトヘイト体制下で洗脳された、「黒人は人間にあらず」という「マインドセット」(先入観による思い込みの情報群)を身体化した、「無邪気な邪気」の心理のうちに溶融された者たちの犯罪加担性の厄介さであったと言えるだろう。

自由の濃度が剥落した自我が集団凝集度を高めていくことで、防衛機制の堅固なバリアを張り巡らせても、そこに、境界外の価値との共存の均衡を破るような、グレゴリーという「異物」が侵入してくれば、一気に、偏見によって仮構された「敵」=「黒人びいきの看守」を、拠って立つ自我の安寧の基盤を破壊するまで、徹底的に甚振る行為にまで暴走するのは必至であったということである。

(2012年7月)

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