本作はアイルランド製作の映画の中で、私が大好きなアラン・パーカー監督の「ザ・コミットメンツ」と並ぶ秀作である。
「ザ・コミットメンツ」より |
1 「秘密があるのは恥ずかしいことよ。この家に恥ずべきことはない」「分かった」
「コット、どこにるの?ママが呼んでるよ」
遠くの家の方から姉の呼ぶ声が聞こえ、草むらに潜っていた9歳のコットが、徐(おもむろ)に立ち上がる。
草むらから出て走っていくコット |
「コット、早く出てきなさい」
家に戻ったコットは、母・メアリーが部屋に入って来ると、急いでベッドの下に隠れる。
コット |
コットがそこにいると分かっているメアリーは、ベッドの前に立ち、「足に泥がついてる」と言って去る。
隠れた理由は夜尿症(おねしょ)である。
朝、洗濯物を干している6人目の子を身籠っているメアリーを目で追うコットは、姉3人の会話に加わることはない。
コット(右) |
父・ダンが起きて来ると、姉3人は口をつむぐ。
ダン |
「お弁当がない」
「パパ、ママが昼食を作ってない」
「適当にパンでも持っていけ」とダン。
「全部、パパのせいよ」
コット |
コットは姉たちの会話を黙って聞いている。
学校で教科書の音読みをするコットは、上手く字を読めない。
教室で隣席のミルクを勝手にカップに入れるが、男の子たちが机にぶつかってミルクを撒き散らしてしまう。
濡れた服を掴んで廊下を歩いているコットに気づいた姉の友達から、「この子の妹、変よね」と言われ、走り去るコット。
コットの姉(右) |
コットは、そのまま休憩時間終了のチャイムが鳴る校庭を走り抜け、塀を越えて行くのだ。
迎えに行ったダンがコットを車に乗せ、途中酒を飲み、車道を歩いている顔見知りの女を助手席に乗せた。
「どの娘?」と女。
「はぐれ者だ」とダン。
コットは車の後部座席で、ダンと女の言い争い、ラジオから流れるホテルの宣伝、車窓の流れる風景の断片を体感している。
夜、トイレに起きたコットは、メアリーとダンの会話を耳にする。
「ダン、聞いてる?少し競馬のことは忘れて」
「なんだよ」
「いつまで預ける?出産するまで?」
「向こうの好きにさせろ」
「私が言うの?」
「お前の親戚だろ」
「あんたって本当に役立たずね」
「言いたいことを言って、気が済んだか」
コットはメアリーの出産までの間、メアリーの従姉妹であるアイリンの家に預けられることになり、ダンの運転でアイリンの家へ向かう。
車中、「今日こそは勝つ」とラジオで賭けの結果を聞くが、負けを知り、「チクショウ!」と叫ぶダン。
途中寝てしまったコットは目を覚まし、3時間ほどで到着したアイリンの家を目にする。
ダンが車から降り、農場を経営するアイリンの夫・ショーンに挨拶をした。
そして、「ようこそ、いらっしゃい」と車のドアを開け、優しい面持ちの叔母・アイリンがコットを迎える。
アイリン(右) |
「前に会った時は、まだ乳母車に乗ってたのに」
「乳母車は壊れた…お姉ちゃんが荷物を積んだら、車輪が外れたの」
アイリンは車から降りたコットの泥だらけの足が目に留まるが、笑顔で「家に入りましょう」と言って手を差し出す。
「お母さんは忙しいんでしょ?」
「草刈りの人が来るのを待ってる」
「まだ牧草を刈ってないの?遅れ気味ね」
「この家に子供は?」
「いないわ。私とショーンだけよ」
ダンが食堂に来て、アイリンに挨拶をし、「今年は干し草の当たり年だ。すでに納屋はいっぱい」と嘯(うそぶ)く。
「メアリーの様子は?」
「出産が近い」
「下の子も大きくなった?」
「ああ、養うのは大変だ。子供の食欲はすごい。こいつもよく食う」
「成長するには栄養が必要よ」
「食べた分は働かせていい」
「その必要はない」とショーン。
「喜んで預かるわ。大歓迎よ」
鼻で笑うダン。
「家計を食いつぶすぞ。そうなっても、文句は聞きたくない」
会話が途切れ、食事にも手を付けず、吸っていたタバコを押し付け、そそくさと帰ると言い出すダン。
自家と異なり健勝な酪農家の日常を見せつけられ、居づらさを感じているのだ。
アイリンから「メアリーに」と差し出され、受け取ったルバーブを無造作に後部座席に投げ入れ、ダンは運転席からコットに向かって、「頑張れよ。火の中に落ちるな」と言い残し、忙しなく去って行った。
コットは困ったような顔で車を見送り、下を向く。
「大丈夫?コット…あら、荷物を載せたまま帰っちゃったわ」とアイリン。
そのアイリンは熱いお湯を張ったバスタブにコットを入れ、手から足の爪先まで丁寧に洗ってあげる。
コットは着替えがないので、子供部屋にあったお下がりを着せてもらった。
「ママが下着は毎日替えなさいって」
「お母さんは他に何て?」
「私を好きなだけ預かっていいって」
「それじゃ、井戸まで一緒に行ってくれる?」
「今から?…これは秘密の話?」
「この家には秘密はないわ…家に秘密があるのは恥ずかしいことよ。この家に恥ずべきことはない」
「分かった」
森の奥の井戸に連れて行かれたコットは、アイリンに促され、柄杓(ひしゃく)で掬(すく)った水を飲む。
コットを寝かしつけるアイリンは、ショーンに声をかけるが、コットを振り向きもせず「おやすみ」と言うのみ。
メアリーを心配するアイリンが、「どうして牧草を刈らないの?」と聞くと、コットは「人を雇うお金がないから」と答える。
「何てこと…お金を送ったら気を悪くするかしら?…お母さんは怒ると思う?」
「ママよりパパが怒るかも」
「お父さんね…おやすみ」
寝付けないコットのベッドにアイリンが様子を見に来て、コットは寝ているふりをした。
「かわいそうに。あなたがうちの子なら、よそに預けたりしないのに」
翌朝、アイリンがコットのおねしょを見つけ、「あらまあ、大変だわ」と口にすると、コットは窓の方を向きながら顔を下に向ける。
「この古いマットレス、いつも濡れてるの。私ったら、うっかりしてたわ。パジャマを脱いで」
コットは振り向き、アイリンの方を見る。
朝食でアイリンはショーンに、コットを連れ農場を案内したらと促すが、「また今度な」と出て行った。
ショーン |
ショーンの寡黙さが際立っている。
「じゃあ手伝って」とアイリンは食事の支度や掃除の手伝いをさせ、コットの髪を梳(す)き、二人で井戸に水を汲みに行く。
洗濯物を干し、アイロンをかけ、またコットの髪を梳き、手を繋いで井戸の水を汲みに行き、一人で掃除機をかけるようになったコット。
「コツを覚えたわね」と褒めるアイリンとジャガイモの皮を剥(む)くコットは、少しずつ叔母の家の暮らしに慣れていき、夜尿症もなくなった。
「もう井戸水の効果が出てる。大事なのは肌をいたわることよ」
ショーンの友人たちが集まり、カード遊びをしているのを見ながら、一緒に笑顔になるコット。
食事中、アイリンの友人のシンニードから電話が入り、父親が倒れたと知らされ、アイリンは車でシンニード宅へ向かった。
残されたコットは、ショーンについて農場へ行く。
「どうして看病に行く必要が?」
「娘さんが大変だから、手伝いに行ったんだ。近所は助け合うものだろ」
「そうなの?」
牛舎を掃除していたショーンは、コットがいなくなっているのに気づいた。
コットの名を呼び、農場を捜し回ると、コットがモップを手にして立っていた。
「二度と勝手にいなくなるんじゃない。分かったか?」
強い口調で叱られたコットは、走り去って行った。
デッキブラシで掃除を手伝おうとしたが弁明できないコット |
翌日もアイリンは出かけ、ショーンと二人きりだが、コットは水を汲んだバケツをキッチンに運び、ショーンが立っていても言葉を交わさず、黙々とジャガイモの皮剥きを始めた。
そんなコットに対し、ショーンはテーブルの上にビスケットを置いて出て行った。
コットはそのビスケットをポケットに入れ、ショーンが掃除をする牛舎にモップを持って入って手伝うのだ。
子牛にミルクをあげるショーンは、コットにもやらせてみる。
「脚が長いから速いだろ」と、郵便受けまで走って戻って来るように言い、ショーンはタイムを計ると言い添えた。
コットは長靴で躍動感溢れる走りを見せ、素早く郵便受けから郵便物を取り出し、また走って帰って来た。
これをリピートしていくのである。
「走ること」の意義を実感する行為を介して、コットとショーンとの関係が濃密になる初発点になっていく。
2 「男の子がいたって聞いた。でも肥だめに落ちて死んだって。私が着てたのは、その子の服なんでしょ?」
ショーンはコットの着ている「服を何とかしよう」と、アイリンがお下がりの男の子の服を着せ、その格好でミサへ連れて行くことを非難する。
「何がいけないの?」と反発するアイリンであったが、ショーンに言われた通り、街へ出かける支度をしにアイリンは席を立つ。
そして、ショーンは黙って赤スグリ(赤色に熟す果実の一種)を切る手伝いをしていたコットにも小言を吐くのだった。
「手と顔を洗ってきなさい。父親のしつけがなってないな」
ショーンの運転で街へ出て、アイリンは洋品店でコットの服を買った。
家に到着するとシンニードが待っていて、父親が亡くなったことを知らされた。
通夜に初めて参列したコットは、ショーンに飲み物を出してもらうが、そのうち飽きて欠伸(あくび)をする。
アイリンとショーンは葬儀に残るため、自宅に帰る隣人のウナの申し出で、コットを預かってもらうことになった。
道々、ウナはコットに話しかける。
「大事にされてるようね」
「はい」
「どの部屋を使っているの?」
「トイレの隣の部屋」
「ショーンからお小遣いは?」
「今日もらった…1ポンド」
「…彼女が自由に使えるお金は?」
「彼女って?」
「アイリンよ。バカな子ね」
ウナは根掘り葉掘りアイリンのプライベートについて聞き質すのである。
「…冷蔵庫はいっぱいだった?…子供の服はそのまま残してあるの?」
「子供の服?」
「子供部屋で寝てるなら知ってるでしょ…」
「街へ行って新しい服を買ってくれた」
「その奇抜な服を?」
「気に入ってるの。お店の人も似合ってるって」
「“似合ってる”?まあ、死んだ子のお下がりよりマシだわね…知らなかったの?」
ウナ |
「何のこと?」
「あの夫婦の息子のことよ…まったく頭の鈍い子だね」
「その子に何が?」
「犬を追っていたら、肥だめに落ちて溺れ死んだとか。ウワサだけどね。それでショーンは銃を持ち出し、犬を撃ち殺そうとした。でも勇気がなかった。情けない男ね。その後、アイリンの髪はひと晩で真っ白になった」
「でも、髪は茶色よ」
「茶色?染めたに決まってるでしょ」
ウナは高笑いし、コットは深刻な面持ちで空を見上げる。
家に着くと、ウナは老婆に葬儀の様子を貶(けな)し、喧嘩をしている子供たちを叱る。
すぐにショーンが迎えに来て、コットは車に乗り込んだ。
暗い表情のコットに、アイリンが「何か聞かれた?」と訊ねると、「ちょっとだけ」と答える。
「バターとマーガリンどっちを使うとか…」
「他には、どんな話を?」
沈黙の後、コットは答えた。
「男の子がいたって聞いた。でも肥だめに落ちて死んだって。私が着てたのは、その子の服なんでしょ?」
アイリンは啜(すす)り泣く。
家に戻るとアイリンは無言で部屋に戻り、ショーンはアイリンの部屋へ行き、コットに上着を持ってきて、「出かけよう」と海へ連れ出す。
月明りの下、浜辺に腰を下ろし、ショーンはコットに語りかける。
「漁師は、海で時々馬に遭遇するらしい。子馬を引いてる男を見たことがある。その馬は横になって、長いこと起き上がらなかった。命の火が消えかけていた。だが突然、息を吹き返し、立ち上がった」
「大丈夫だったの?」
「驚くほど、ピンピンしてた…人生は時に、奇妙なことが起きる」
コットは小さく肯いた。
「今夜、君にも奇妙なことが起きた。だがアイリンに悪気はない。アイリンは人の長所に目を向ける。失望したくないからだ。だが打ちのめされることも…何も言わなくていい。沈黙は悪くない。たくさんの人が沈黙の機会を逃し、多くのものを失ってきた」
帰り際、ショーンがコットの上着のボタンを閉めていると、コットが「見て」と海の方に目をやった。
「明かりが3つになった」とショーン。
漁り火(いさりび)である。
コットは酪農の手伝いをし、郵便受けへ走り、歌を歌うアイリンに髪を梳いてもらい、アイリンと井戸に水を汲みに行く。
ショーンはコットに『ハイジ』を読ませ、文字の覚え方を教え、郵便受けに走るタイムを計り、コットはテレビを観て眠り込み、ショーンの肩にもたれる。
こうして夏休みも終わりに近づき、ラジオから新学期に備えた商品を売り込むデパートのCMが流れているが、アイリンがそのラジオを消す。
秋風が吹き始め、メアリーから届いた手紙を読んだアイリンが、コットに弟が生まれたことを話す。
「興味ない」と言うコットに、「やめなさい」とショーンが諫める。
「月曜日から学校が始まるそうよ。準備があるから、あなたを送り届けてほしいと」
「帰らなきゃダメ?」
「ええ。最初から分かっていたことよ。ずっとここで暮らすわけにはいかない。そうでしょ?」
俯(うつむ)いて立っているコットを、アイリンは呼び寄せる。
コットが部屋に戻ると、窓から外を眺めているショーンの後ろ姿があった。
コットはその姿を黙って見つめている。
コットはお風呂に入り、アイリンはコットの荷物をまとめている。
身支度を整えてコットが座っている食堂にショーンが入って来た。
「牛のお産の介助をしてくる。牛舎の掃除を頼む」
アイリンも「すぐに戻る」と言って出ていったが、ひとり残されたコットは、アイリンのために井戸に水を汲みに行った。
アイリンが家に戻るとコットの姿はなく、井戸の方へ行くと、コットがずぶ濡れになって歩いて帰って来た。
井戸に落ちてしまったのである。
コットが眠る部屋に二人の会話が聞こえてくる。
「あの子の母親に何て?」
「何も言わなくていい。ただの風邪だ」
「帰りを待ってるのよ」
「何日か遅れても問題ないさ」
「思い出すだけで怖い」
「何度も同じことを言うな。もう大丈夫だ。あの子は無事だった。家に送り届ければ私達の役目は終わる」
いよいよコットが帰る日、3人は車に乗り込みコットの家へと向かう。
父に連れられて来た時と、反対の車窓から見える風景がくすんでいるようだった。
「ここでパパは賭けに負けて牛を失った」
「牛を賭けるなんて」
「ママは1カ月口を利かなかった」
家に着き、コットが中に入ると、メアリーがコットの下の乳児を抱いていた。
「背が伸びた?」
「うん」
メアリーはアイリンとショーンを歓待し、席に座らせる。
「赤ん坊は?」とショーン。
「部屋で寝てる。もうすぐ泣き出すわ」
そう言った途端、赤ん坊が泣き出し、メアリーが食堂を出ると、姉たちが不愛想に入って来て、コットは居心地が悪そうな表情に変わる。
メアリーが赤ん坊を抱いて戻り、ショーンに「ダンは留守か?」と聞かれ、「朝、出かけたきりよ。どこへ行ったのか…」と呆れる。
メアリー |
まもなく、ダンが帰って来た。
「この家出娘め。帰ってきたのか?」
「うん」
「迷惑をかけたか?」
「とんでもない。おとなしくて、いい子だった」とショーン。
メアリーが「みんな変わりはない?」と訊ねると、「穏やかに暮らしてるよ」とショーンが答える。
その時、コットがくしゃみをし、メアリーが風邪を引いたかを訊くが、コットは否定する。
「何もなかった」
「どういう意味?」
「風邪なんか引いてない」
そこでショーンが数日寝込んで、軽い風邪かも知れないと弁明する。
ダンが、「2人に構わず本当のことを言え」とコットに迫る。
「帰りも長いから、そろそろ失礼するよ」
ショーンがそう言うや、二人は立ち上がった。
そこでコットがまたくしゃみをし、ダンが「まったく、風邪を持ち帰ったのか」と嫌味を言う。
「風邪なんて何度も引いているし、大丈夫よ」とメアリー。
コットは気まずい思いで表に出て、二人を見送りに行く。
メアリーを心配するアイリンは、困っていることはないかと尋ね、ジャムやジャガイモなどを渡す。
「娘を預かってくれてありがとう。感謝してる」とメアリー。
「この子なら、いつでも大歓迎よ」とアイリン。
「いい娘を持ったな」とショーン。
二人はコットに別れを告げ、車に乗り込み発車した。
相変わらず黙っていたコットは、ショーンから受け取ったカバンを置くと、去って行く車の方へ歩いて行く。
「一体、何があったの?…話して」とメアリー。
すると、コットは車を追い駆け、走り出した。
アイリンとショーンとのエピソードを思い出しながら、全速力で走るコット。
駆け走るのだ。
表の門のところで車を止めていたショーンがコットに気づき、走って来るコットを受け止め、互いに力強く抱き締め合う。
コットは求めるものに向かって走り、初めて自分の思いを身体で表出したのだ。
車の中で嗚咽するアイリン。
ダンが歩いて向かって来る姿が目に留まり、コットは「パパ」と呟く。
そして、もう一度ショーンを抱き締め、「パパ」と呟くのだった。
3 勇を鼓して駆け走る少女
一貫して少女の視点から切り取られた物語は、少女を囲繞する環境の要素が生み出す〈状況〉であり、その〈状況〉によって翻弄され、疾駆する少女の内的時間の行程である。
この内的行程の中で提示された画の束がシーンとなるので、映画は全てのシーンに意味を持たせている。
無駄なシーンがないのだ。
例外があるが、大して意味がなく、徒(いたずら)に尺を伸ばしただけの映画を好まない私にとって、少女の内的行程の変容を90分強で精緻に纏め上げた本作にこの上ない賛辞を贈りたい。
―― 以下、批評。
自ら牧草を刈ることもせず、牛を賭けで失ってしまうようなギャンブル依存症とも思しき、父ダンが支配する貧しい酪農家の家庭にあって、懐妊中の母メアリーは苦言を呈しつつも耐えるしかない日々を繋ぎ、三人の姉も不満を募らせながらも思春期を迎える只中にあって、自宅や学校で居場所がなく、自らの安寧のスペースを求めて要所要所で身を潜め、セキュリティ・ゾーンを確保していく9歳の少女コット。
学校では音読能力不足を露呈し、変人扱いされて走り去っていく。
校庭を走り去っていくコット |
身を潜めるのだ。
コットなりの自己防衛の手立てである。
これが、コットを囲繞する序盤の環境で提示されたシーンのうちに凝縮されていた。
夫婦と子供5人(映像で観る限り/姉3人、乳児&コット)で構成される一家7人に加えて、新たな生命の 誕生を迎える夏に、父から「はぐれ者」扱いされるコットは落ち着かない。
親戚に預けられる両親の話を耳にしてしまうからである。
「はぐれ者」だから、この家から追い出される。
そう思ったのだろう。
そうなると身を潜めるスペースなど、どこにもない。
さすがに家出するわけにはいかないから、走り去る行動に振れる意味がない。
既知のゾーンでクローズド・サークル(出口なしの状況)に嵌り込んだコットを捕捉する未知のゾーン。
未知のゾーンへの移動で不安を隠せない |
車で3時間も要する伯母の農家。
ところが、酪農を営むこの農家は既知のゾーンと切れて、コットを優しく包み込むのだ。
だから、未知のゾーンに対する恐怖が吹き飛んでしまった。
ここでは、気まずい状態になると走り去るというコットの惨めな行動を奪っていく。
伯母アイリンの優しさと、叔父ショーンの怖さ。
これが最初の印象だったが、ショーンの怖さは、実父ダンの怖さと異(こと)にして、見る間に距離が縮み、笑みが拾われていく。
ここでは走り去ることなく、寧ろ駆け走っていくコットが、そこにいる。
それは逃走から疾走への遷移だった。
「脚が長いから速いだろ」と言って、ショーンは郵便受けまで走って戻って来ることを勧め、タイムまで計るというユーモアのセンスを持ち合わせていた。
いやユーモアどころか、それを実行に移すから、口先だけの人間ではなかった。
タイムを計るショーン |
その辺りに、ショーン叔父さんの凄みがあった。
このショーン叔父さんの凄みは、児童期を繋ぐコットの中枢を揺さぶり、背中を押してくれるパワーと化していく。
これが少女のストレス発散にも繋がるのだ。
ここで思うに、体全体を使うランニングは、ウォーキング・水泳・エアロビクスなどと共に有酸素運動に当たるので脳を活性化させ、ストレスを解消する効果を生む。
ランニングの後では額の両脇あたりにあたる「前頭前野外側部」と呼ばれる部位が特に活性化する |
そればかりではない。
凝り固まっていた体を解(ほぐ)したり、血流を良くするので、体内の機能が活性化されていく。
ランニングは血液と血管を鍛える |
体全体を動かすことで、脳内の神経伝達物質の一つとして知られる「幸せホルモン」セロトニンの分泌によって活性化されるのだ。
人間の意欲・気力を向上させる武器となるセロトニンの分泌によって自律神経を整え、神経を落ち着かせてくれるから眠りにつきやすくなる。
特に小学生のランニングの習慣化は大きな意味を持つ。
将来的に健康な体を維持するからである。
一時的な多幸感をもたらす「ランナーズハイ」が、セロトニン、ドーパミン、オキシトシンと共に、脳内の神経伝達物質で、気分の高揚に作用するエンドルフィンの分泌によるものであることは広く知られている。
運動によって幸福感につながる神経伝達物質の分泌量が増加する |
だから、コットのランニングの習慣化が、少女の心身の成長に大きな意味を持つことが分かるだろう。
にも拘らず、自宅界隈での身を潜めるというコットの走り去りの行為は、逃走をリピートしていただけなので、脅威からの逃走に振れた「闘争・逃走反応」という生理的覚醒によって、果たして、どれほどの意欲・気力の向上に昇華していたかについて分かり得ないと言う外にない。
闘争・逃走反応 |
ショーン叔父さんこそが、コットの走りをランニングに変換させたのだ。
逃走から疾走への大きな変移。
ほんの少しかも知れないが、これが少女の心身の成長の生命線になったのである。
然るに、この「ほんの少し」が重要なのだ。
なぜなら、ラストでのコットの走りに収斂されていったからである。
ラストの走りは、まさに、勇を鼓(こ)して駆け走る少女として、「私はここにいる」という自己像を立ち上げていたこと。
言わずもがなのことだが、ここに、この映画の全てがある。
当然、自宅に戻るだろうが、家に帰ったコットの走りから、必ずしも、逃走という選択肢に振れないことが想定される。
何より、「はぐれ者」と愚弄した実父ダンが我が娘を見下す視線に変化が生まれる可能性もあるが、虚勢を張る男のことだから何とも言いようがない。
それでもコットは生きていく。
児童期を超え、思春期に突入しスパートをかけ、自らを囲繞する〈状況性〉の渦中で身を処していくだろう。
そう思わせるラストだった。
―― この映画で、私が耳目をそば立てるエピソードがある。
夜の海のシーンである。
ショーンがコットに語りかけた。
「人生は時に、奇妙なことが起きる」と言った後「今夜、君にも奇妙なこと(アイリンから死んだ子のお下がりを着ていたこと)が起きた。だがアイリンに悪気はない。アイリンは人の長所に目を向ける。失望したくないからだ。だが打ちのめされることも…何も言わなくていい。沈黙は悪くない。たくさんの人が沈黙の機会を逃し、多くのものを失ってきた」
ショーンの最後の言葉に触れ、思わず私は頷いた。
名言である。
「沈黙の機会を逃すな」とまで言い切ったのだ。
「家に秘密があるのは恥ずかしいことよ」
コットに対して、アイリンは訓示したが、ショーンの教えはこれと矛盾するように見える。
然るに、
だから、強いられた寡黙の時間を繋いできたコットの場合、ショーンの言葉がストレートに侵入してきたように思える。
沈黙によって自己防衛を可能にするばかりか、自分自身を見つめる行為を不可避にするからである。
沈黙は観察力を磨く能力を育てるメリットがある。
コットもまた、そうだった。
この観察力は自己自身をも射程にする。
コットのセリフを想起すると、それが伝わってくる。
「乳母車は壊れた…お姉ちゃんが荷物を積んだら、車輪が外れたの」
「何てこと…お金を送ったら気を悪くするかしら?…お母さんは怒ると思う?」というアイリンの問いに、コットは一言で答えた。
「ママよりパパが怒るかも」
「男の子がいたって聞いた。でも肥だめに落ちて死んだって。私が着てたのは、その子の服なんでしょ?」
「ここでパパは賭けに負けて牛を失った」
全てコットのセリフである。
人の話を正確に聞き、過去の出来事を的確に伝える9歳のコットの観察力が読み取れるだろう。
そんな少女が自分自身をしっかり見つめていくことで、丁寧な〈生〉を構築していくイメージを思い描くのである。
いい映画だった。
(2024年8月)
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