1 「自分を何だと思ってる。お前は悪魔か」「そう。あんたに禍を」
1942年 ジャワ
白人と東洋人の男が後ろ手に縛られて、地面に横たわっている。
「前代未聞の不祥事が起こった。所長大尉殿に報告せず、ハラの一存で処断する」
ハラ軍曹(以下、ハラ)が証人になってもらうと、日本語を話す連絡将校のロレンス陸軍中佐(以下、ロレンス)に説明する。
ハラは、オランダ兵の捕虜デ・ヨンを差し、バナナを盗んで一週間営倉に入っていただけだと言い、その営倉に忍び込んた朝鮮人軍属のカネモトがデ・ヨンに何をしたかを言ってみろと、カネモトを甚振る。
ハラ(左)とロレンス |
「どうやって、その白んぼのケツにぶち込んだ?」
カネモト |
ハラはここでやってみろと、カネモトの縄を解かせる。
「見事やってのけたら、切腹させてやる」
「狂ったか!」と拒絶反応を示すロレンスに対し、「日本人の切腹を見たいだろ」とハラ。
「切腹を見ずして、日本人を見たことにはならないからな」
ロレンスがデ・ヨンに経緯を説明させていると、突然、カネモトは兵士の刀を奪って腹に突き刺すが、周りの兵士に止められた。
しかし、ハラはそのままカネモトに切腹しろと命じ、自ら介錯しようとしたところに、所長のヨノイ大尉が現れ、中断する。
「罪があるなら、なぜ本官に報告せんのか?」
「これは武士の情けであります。勤務中の事故死とすれば、カネモトの遺族に恩給が下がります。カネモトの家族も食うや食わずの生活をしてるに違いありません」
「この軍属は、何の罪を犯したのか?」
ヨノイ |
しかし、その答えを聞く間もなく、ヨノイは軍律会議に出席のため、報告は帰ってからでいいと言って、引き揚げて行った。
その軍律会議において裁かれるのは、ジャック・セリアズという、ジャワ島でゲリラ作戦を決行して日本軍に捕らえられた英国陸軍少佐だった。
軍律会議(後方左がヨノイ) |
セリアズは死刑を言い渡されると、「私は無罪だ。犯罪者ではない」と主張する。
「一カ月前、私は山を捨てて、日本軍に投降してスカブミの獄房に送られた。3日間独房に入れられて、イトー中尉の取り調べを。彼は姓名と階級を尋ね、“答えに間違いはないか”と聞かれ、私は答えた。“私は英国軍人だ”。死ぬ運命の人間が何のために偽名を使う」
セリアズ(右)と軍律会議通訳 |
「日本兵なら捕らえられれば、偽名を名乗る。そもそも彼らは決して降伏などしない。死を選ぶ」とイワタ法務中尉
「私は日本人ではない」
「…なぜ自分の過去を話さぬ」
「私の過去は私のものだ」
「お前がわが軍に投降した理由はなんだ」とフジムラ中佐(軍律会議審判長)。
「そこに書いてある。私が投降せねば、村人が殺された」
「その時、お前には何人の部下がいた」
「私一人だ。ウソではない。輸送隊を襲撃した時の4人はみな戦死した」
「お前は原住民も率いていた…隠さずに吐くんだ」とイワタ。
「原住民を率いた事はない。なぜ弁護士がいない。これはどういう裁判だ。茶番もいいとこだ」
このやり取りを聞きながら、毅然とした態度のセリアズに見入っていたヨノイ大尉は、自ら尋問して、フジムラ審判長に上からの命令の正規の戦闘行為として俘虜にすべきだと意見する。
フジムラ中佐(軍律会議審判長/後方中央) |
ここから合議に入り、有罪となり銃殺刑が執行されたが、銃は空砲だった。
セリアズに関心を寄せるヨノイ大尉の指示だった。
そのセリアズは、ヨノイ大尉が管轄する収容所に俘虜として引き受けられた。
ロレンスはセリアズと一緒に戦った仲で、倒れ込んだセリアズに声をかけ、起き上がらせようとするとロレンスは兵士に殴られる。
そこにヨノイ大尉がやって来て、ロレンスを殴った兵士を何度も鞭を叩きつけた。
「おい、将校。知り合いか?」とヨノイ大尉がロレンスに訊ねる。
「リビア戦線で、ドイツ軍相手に戦った仲だ」
ヨノイ大尉は兵卒に、セリアズを医務室に連れて行くように命じた。
ヨノイ大尉は、ロレンスから執拗にセリアズのことを聞き出そうとする。
「りっぱな軍人だ。第8軍では、“掃討のジャック”と呼ばれていた…“兵士の中の兵士”の事だ…」
そこに部屋に入って来たハラに医者が何と言っているかを訊ね、明確に答えられないと、「バカ者!」と怒鳴りつける。
そして、ヨノイ大尉は「一日も早く彼を回復させるのだ」とロレンスに指示し、衛生兵をつけることを命じる。
「彼は拒むよ。なぜ、彼に関心を?」
ヨノイ大尉はそれには答えず、呼び出したヒックスリー俘虜長に、「兵器や鉄砲に詳しい捕虜の名」を訊ね、名簿を出すように命じた。
ヒックスリー俘虜長(右) |
「協力はできん。国際法が味方だ」
「…ここにジュネーブ協定はない。協力を拒むなら君を交代させる」
それでもヒックスリーは、頑として譲らず帰ってしまった。
「ヨノイ大尉、彼を理解してください。彼は名誉を重んじる男です」
「だが俘虜長は他の男が望ましい」
捕虜が作業へ出かける際、ヒックスリーがロレンスに話かける。
「名簿の件だが、何とか引きのばし作戦を。あの若い“東條”は気づかないよ」
「奴らはバカじゃありません」
「戦局が不利な事は奴らも知ってる。2カ月で終戦だよ」
「それまで生きのびましょう。私は彼らを知ってます。私の意見も聞いてください」
「奴らは我々の敵だよ。君は英国軍人だ」
「彼らはロシアに勝った事もあるんです」
夜、 静まった病舎にハラがやって来て、ロレンスを起こし、セリアズの病棟に案内させる。
「こいつがそんなに立派な将校なら、なぜ捕虜になった」
「捕虜になったというより、降伏したんだ」
「隊長殿がなぜ、あいつを俘虜長にしたがるのか分からねえ…」
「彼が生まれつきのリーダーだからだろう」
「ロレンス、お前はなぜ死なないんだ。俺はお前が死んだら、もっとお前が好きになったのに。お前ほどの将校が、なぜこんな恥に耐えることができるんだ。なぜ自決しない」
「我々は恥とは呼ばない。捕虜になるのも時の運だ。我々も捕虜になったのを喜んでいるわけではない…戦争には勝ちたい…自殺もしない」
「死ぬのが怖いだけだ。俺は違うんだ!俺はな、17歳で志願して、入営する前の晩に村の神社にお参りして以来、このハラ・ゲンゴはな、お国に命を捧げてるんだ」
「あなたは死んでないよ」
セリアズが目を覚まし、二人を見上げて訊ねた。
「ヨノイは、なぜ僕を助けた」
「分からん」とロレンス。
そこにヨノイ大尉が入って来て、二人は陰に潜み、様子を伺う。
兵卒がセリアズに懐中電灯の光を当てると、ヨノイ大尉は、「彼を早く回復させるのだ」とだけ指示して出て行った。
翌朝早く、剣道の訓練をしているヨノイ大尉の剣道の掛け声を耳にしたセリアズは、「あの叫び声はなんだ」とロレンスに聞く。
「神に近づく気なんだよ。彼らは過去に生きてる」
「救われないな…」
「君が来てから、あの通りだ」
「何か言いたいのなら、言えばいいんだ」
「あれが彼の表現だ」
ハラはロレンスに頼まれ、あまりの気合の鋭さに俘虜が動揺しているとヨノイ大尉に伝えると、ヨノイ大尉はロレンスと話し合う。
「俘虜が気合に怯えてるそうだが…あの将校も?」
「セリアズか。彼も気にしている」
「俘虜が怯えるならやめよう」
「ありがとう」
「できる事なら、君ら全員を招き、満開の桜の木の下で宴会を開きたかった」
ロレンスは、日本の思い出は雪だと答えると、ヨノイ大尉は「あの日も雪だった」と1936年2月26日の決起に、満州にいて参加できなかったことを打ち明けた。
「後悔を?」
「同志はみな処刑された。私は死におくれたわけだ」
「あなたは、あの青年将校の一人だった」
突然、ヨノイ大尉はハラにカネモトの処刑を命じ、俘虜たちに立会いをさせた。
カネモトは切腹するが顔を上げられず、介錯を失敗する兵士に代わって、ハラがカネモトの首を刎(は)ね落とした。
同時にデ・ヨンは舌を噛み切る。
「あんたは間違ってる!」とヒックスリー。
「このことは発表があるまで口外してはならぬ」
「君は正しいんだろ。なぜ隠す」
「公式の発表を待つ。それが正しい順序だ」
ヨノイがロレンスに同意を求める。
「間違ってる。我々、みんなが間違ってる」
ヨノイ大尉は、俘虜全員に労務を中止し、収容所内に48時間留まり、“行”(ぎょう)という名の断食を命じて去って行った。
ヒックスリーに聞かれ、ロレンスは“行”について説明する。
「怠惰を直す日本のやり方だ…彼が言うのは精神的なたるみだ。空の胃がそれをたたき直す」
「ナンセンスだ」
「これだけは確かだ。我々がやれば彼もやる」
“行”の最中にも拘らず、セリアズは戸外へ出て、籠に摘んできた赤い花と饅頭を俘虜たちに配った。
セリアズの一件が報告され、査察に来た日本兵に反抗的なセリアズは、殴られ引き摺り出されて行く。
駆け付けたヨノイ大尉に赤い花を差し出すセリアズ。
「自分を何だと思ってる。お前は悪魔か」
「そう。あんたに禍を」
そう言い切って、赤い花を食べて見せるセリアズ。
懲罰房に入れられたセリアズを殺害しに来た従卒のヤジマを、セリアズは逆に反撃して逃走し、病舎で無線機が見つかった責任で捕縛されたロレンスを救い、担いで脱走を試みた。
セリアズを襲うヤジマ |
二人の前にヨノイ大尉が現れ剣を抜いたが、セリアズは剣を下ろし、見透かすようにヨノイ大尉を見上げる。
「私を倒せば、自由になれるぞ」
そこに到着したハラが、「殺します」とセリアズに拳銃を向けると、ヨノイ大尉はその前に立ちはだかる。
ロレンスは、「彼に好かれているようだな」とセリアズに囁いた。
「房へ戻せ」とハラに命じるヨノイ大尉。
そこに、セリアズを殺そうとしたヤジマが切腹を願い出て、「あの男は隊長殿の心を乱す悪魔です」と言い残し、果てて逝った。
2 「メリー・クリスマス、メリークリスマス、ミスター・ロレンス」
ハラが読経するヤジマの葬儀にロレンスも呼ばれた。
「自殺した者には、政府の恩給がおりない。ハラが私に提言した。彼の死を戦死として扱えと。これは彼を弔う葬式だ…彼の奥さんは恩給を受けられる」とヨノイ大尉。
「人でなし」
「私は今朝、ハラの提出書類に判を押した…すぐ承認される。書類が到着次第、君を処刑できる。君は無線機を持ち込んだ」
それを否定するロレンス。
「では、誰がやった。誰かを罰せねばならん」
「相手が無実でも罪の報いをさせるというのか。つまり、罪は必ず罰せなければならず、それで私が処刑に?誰でもいいのか」
「そうだ」
「…つまり私は、死んで君の秩序を守るのだ」
「その通りだ。君は分かったようだ。私のために死ぬのだ」
「それは分かった。だが、死ぬのは断る…お前らの汚れた神のせいだ。神々がお前らを創った。汚れた地獄で朽ちはてるがいい」
ロレンスは祭壇を滅茶滅茶にひっくり返すが、それでもハラは読経を続ける。
打擲されるロレンス(右) |
そして、ロレンスは処刑の前にセリアズと会わせてやると言われ、隣の房に押し込められた。
そこでセリアズと壁越しに会話する。
「日本人はあせってた。個人では何もできず、集団になって発狂した…私は個々の日本人を憎みたくない」とロレンス。
ロレンスが収容所へ来る前に出会った女性のことを話すと、セリアズも過去の弟との出来事が蘇り、告白する。
歌が上手いが発育不全で虐められっ子の弟は、優秀な兄・セリアズを慕い、セリアズも弟を庇っていたが、同じ寄宿学校に入り、セリアズは弟と距離を取り始めた。
セリアズの弟 |
「弟は僕を待ってた。全校生徒の目が彼の背中を見る。僕は隠れたかった。僕の身内は完璧であってほしかった」
セリアズが居残っている間に大勢の生徒たちに取り囲まれ、脅されて歌を歌ってみせたものの上着を脱がされ、囃し立てられた弟は兄に助けを求めたが、セリアズは見てみぬふりを通した。
「弟は二度と歌を歌わなかった。二度と。弟はやがて父の農場を継いだ。彼の結婚式で彼に会ったが、それが最後で、それからは想いだけが私にとり憑いた。弟に会いたいのに会わなかった。私は32才で、独身だった。少壮の弁護士と言われたが、ただそれだけの男。そこへ戦争が。僕は戦争にとびついた。心の重荷がおりて、何年も感じることのなかった情熱を感じた…」
「外人部隊にはいったほうがラクだったのに」
「ラクをしたくなかった」
この日はクリスマスで、二人は房から出され、酔っぱらったハラが待つ部屋へ連行された。
ハラは、笑いながら、自らを「ファーゼル・クリスマス(サンタクロースのこと)」と繰り返し、プレゼントとして二人を釈放した。
「ありがとう」と言って抱えられ帰って行くローレンスを呼び止め、ハラは、「メリー・クリスマス、ローレンス、メリー・クリスマス」と声をかえた。
振り返ったロレンスは、笑顔でハラを見つめる。
「狂ってる」と耳打ちするセリアズ。
ヨノイ大尉が俘虜長全員を集め、そこにロレンスがいるので、ハラは無線機を持ち込んだのがロレンスではないと分かり、セリアズと共に一存で釈放したと釈明した。
ヨノイ大尉は報告しなかったことを叱責し、ハラに謹慎を言い渡す。
ヒックスリーに再び名簿を要求するが、鉄砲の使い手はいないと白を切るので、ヨノイ大尉は5分以内に全俘虜を整列させるように命じた。
しかし、実際集まったのは一部だったので、ヨノイ大尉はヒックスリーら俘虜長に、病棟の病人らも集めるように指示する。
続々と連れ出されてくる負傷兵たちに対し、「タンカなど使うな!」とヨノイ大尉が怒鳴ると、「ジュネーブ協定違反です」と俘虜長の一人が諫めると、鞭で叩き、聞く耳を持たない。
集められた病人の一人が死に、俘虜たちはヨノイ大尉に冷たい視線を浴びせる。
ヒックスリーが抗議すると、俘虜長全員を並ばせ、ヨノイ大尉は改めて問い質す。
「英国空軍を代表して答えるのだ。空軍俘虜グループに鉄砲の専門家が何名いる」
「いません」とヒックスリー。
侮辱されたヨノイ大尉はヒックスリーを捕らえて、自ら刀で斬首しようとしたところでセリアズが近づき、ヒックスリーの前に立ちはだかった。
ヨノイ大尉は、「貴様、どけ!」とセリアズを倒したが、セリアズはすぐに立ち上がり、ヨノイ大尉の肩を掴んで引き寄せ、両頬にキスをして意思を伝え、ヨノイ大尉の目を見据えた。
突然のセリアズの行為に動揺し、狼狽(うろた)えたヨノイ大尉は、刀を振り上げたものの腰が抜け、倒れるのを従卒が支えるという失態を曝け出してしまう。
従卒の一人がセリアズを倒して殴り、他の兵士たちも同様に殴りつけ、ロレンスが止めに入るが収まらない。
その後、セリアズは新たに着任したゴンドウ大尉によって、砂の穴に首だけ出して埋められるという死の拷問を受けることになる。
病棟の俘虜たちはセリアズに聴こえるように歌を歌う。
日が暮れて、セリアズは生まれ故郷の家で待つ弟の元に帰還して、贖罪を果たし、弟の美しい歌声を聴くという想念を巡らせる。
その夜、ヨノイ大尉はセリアズに近づいて遺髪を切り取り、正面に立って敬礼して去って行った。
4年後、1946年。
収監され、翌朝の処刑が決まっているハラの元に、連絡を受けたロレンスが訪ねて来た。
以下、英語を覚えたハラとの会話。
「私なら、今すぐあなたを自由にして家族の元に帰す」
「ありがとう。覚悟はできてます。ただ一つ、私のした事は、他の兵隊がした事と同じです」
「あなたは犠牲者なのだ。かつてのあなたやヨノイ大尉のように、自分が正しいと信じていた人々の。もちろん正しい者などどこにもいない…セリアズの事を?」
「不思議です。ゆうべ彼の夢を」
「私はヨノイ大尉から、彼の髪を預かりました。日本の彼の村へ持ち帰り、神社に奉納してくれと」
「残念です。大尉は終戦後、処刑に」
「同感です。考えてみれば、セリアズはその死によって、実のなる種をヨノイの中にまいたのです」
「あのクリスマスの事を?いいクリスマスでした」
「すてきなクリスマスでした。あなたは酔って…」
「これからも、酔いつづけます」
「サケはすばらしい」
「ありがとう。ファーザー・クリスマス」
二人はしばし談笑した後、別れを告げた。
「神の恵みを」と去って行くロレンスを、ハラが呼び止めた。
振り返ったロレンスに、ハラは最後の言葉を残す。
「メリー・クリスマス、メリークリスマス、ミスター・ロレンス」
3 「神秘的で聖なる何ものか」に平伏す男の脆さ
印象深いシークエンスがある。
ヨノイ大尉によって俘虜全員が外出禁止と断食(「行」)を命じられても、飢えを満たすためにセリアズが饅頭を隠し込んだ赤い花を摘んできて仲間に与え、自らも食べて見せるというあからさまなレジストに対するヨノイの対応のエピソードである。
日本兵に捕捉されたセリアズが目の前のヨノイを睨みつける。
この尖った視線を受け、ヨノイは怯(ひる)み、視線を外す。
一瞬だった。
彼の視線が捉えたのは自らの周囲の視線。
この不穏な状況下で、セリアズの行動が推進力と化した俘虜らの歌声が止まない。
ヨノイを舐めているのだ。
ヨノイの視線を受けたハラが間髪(かんはつ)を入れずに窓ガラスを粉砕し、最も近い関係のあるロレンスを杖で激しく打擲(ちょうちゃく)した後、不敵な笑みを漏らすセリアズを睨み返す。
状況を読む能力の優れたハラの視線が瞬時にヨノイに向かった時、ヨノイはその視線を受けた後、セリアズに対し、振り絞るようにして言葉を結んだ。
「自分を何だと思ってる。お前は悪魔か」
「そう。あんたに禍いを」
セリアズのストレートな物言いだった。
そう言い放つや、赤い花を食べ尽くす英国軍人がいる。
此の期に及んでも、怖れを知らない男の堂々たるレジストに終わりが見えなかった。
「連れて行け」
蚊の鳴くような声で命じるだけのヨノイ。
立ち竦んでいるのだ。
俘虜らの集団的レジストを煽った肝心要のセリアズを罰することができず、悠々と獄房に向かう男がヨノイの傍らを睨みつけて通り過ぎていくセリアズ。
この屈辱的な局面の只中で声を奪われ、視線を下に落とすだけの反応に終始するヨノイ。
収容所のトップであるヨノイの動きにロレンス、従卒とハラの視線が集中的に注がれる。
更に、ロレンスを担いだセリアズの脱走行を目の当たりにしたヨノイが遂に軍刀を抜いてもなお、手刀を捨てて平然とするセリアズ。
そこに駆けつけて来たハラは「殺します」と言って、セリアズに銃口を向けるが、それを止めたのもヨノイ。
俘虜の範疇を超えた行為に振れるセリアズの前で骨抜きにされた男の脆さが、閑職ながら張り詰めた緊張を強いられる戦地という究極のスポットで浮遊する異様な光景。
自分を殺せないと読み切ったセリアズとヨノイとの静かだが、根柢的な関係構造がこのシークエンスに凝縮されている。
だから、映画批評のポイントは、神秘的な魅力を放つセリアズへの愛に生きたかのようなヨノイの心理分析にある。
思えば、満州に配属されていたために226事件に参加できなかった青年将校の無念さが、この男の自我を覆い尽くしていた。
元々、昭和維新を標榜(ひょうぼう)する皇道派であったが故か、前線の指揮ではなく、俘虜収容所の管理を任せられていたに過ぎない男にとって、この閑職でアイデンティティを確保するには、所内の限定スポットで、せめて自らの強さを見せつけ、その疑似的カリスマ性を浸透させていくという手立てしかなかったとも言える。
「誇り高き日本軍人」。
この疑似的カリスマ性を浸透させることで、蹶起から弾かれた青年将校の無念を晴らしていく。
ところが、そんな男の視界に、「眉目良(みめよ)き英国軍人」が捕捉された時、何かが一気に崩れ落ちていく。
軍律会議でセリアズを初めて見た時のヨノイの表情 |
男を内深く緊縛していたはずの観念が瞬時に溶けてしまったようだった。
対象人格への特別な感情が胚胎し、男の中枢が大きく揺らいでいく。
それを性愛と言っていいのか不分明だが、その感情を口に出せない辛さを隠し込まねば、「誇り高き日本軍人」という観念的自己像が自壊してしまうのだ。
だから、男の中で深刻な葛藤が生まれる。
この観念的自己像を死守せんと、これまで以上に厳しい鍛練に没我していく。
厳しい鍛練への没我それ自身が男の葛藤の産物だったからである。
且つ、この鍛練を部下の前で見せつけることで観念的自己像を体現していく。
斯(か)くして、周囲の視線への過剰な防衛意識が生まれ、視線が宙吊りになって虚空を彷徨(さまよ)うことになる。
視線から相手の心の動きが読み取れる「視線の心理学」が成立する所以だった。
然るに、男の心の動きなど容易に見透かされてしまっている。
セリアズに読まれ、ハラに読まれて、言わず語らずのうちに部下たちの受容不能な不文律になっていた。
当然のこと。
口に出さずとも、あれほどまで繰り返し身体化されれば、見透かされないわけがない。
それが極点にまでいけば、例の従卒の切腹シーンにまで行き着いてしまうことになる。
セリアズの確信犯的な一連の攻勢を矢面(やおもて)に立たされて被弾し、それを恥じた従卒のヤジマが、ヨノイが回避し続けた懲罰の代償としてセリアズ殺しに向かうが敗残し、その責任を過剰に受け止めて「あの男は隊長の心乱す悪魔です」と一言添えて、割腹することになる。
本質を射抜かれたヨノイの脆さが炙り出されていく遣り切れない場面だった。
「左手で切腹ができるのか」
その時のヨノイの言葉である。
セリアズは殺せないが、自分の部下の命を守らない。
「誇り高き日本軍人」というヨノイの仮面が無残に剥(は)がされ、偏頗(へんぱ)で狭隘な男であるという地肌が剥(む)き出しにされた瞬間だった。
この情報が軍幹部にまで届くのも時間の問題だった。
殆ど約束された指揮官の更迭が必至となり、その命を受けても恬(てん)として恥じないのか、生き埋めにされたセリアズとの別離の儀式にまで振れる帝国陸軍の高級将校が、そこにいる。
―― ここで私は勘考する。
セリアズに対するヨノイの愛は、単に性愛だったのか。
セリアズに対するヨノイの、あれほどまでに露骨な行為が単に性愛のみだったとは思えないのである。
性愛を否定しないが、性愛を超える何かがなければ説得力を持ち得ないのだ。
セリアズを殺せないヨノイの脆さに潜む何か。
それが終始、脳裏にこびりついて離れなかった。
セリアズの金髪を日本の村へ持ち帰って、神社に奉納してくれとロレンスに頼むヨノイの行為は明らかに常軌を逸している。
性愛を超える何かがそこにある。
私はそれを「ヌミノーゼ」と捉えている。
「ヌミノーゼ」とは、「神秘的で聖なる何ものか」と出会った時に生れる「畏怖」と「魅惑」の感情である。
ドイツの神学者ルドルフ・オットーが提示した有名な概念である。
ヌミノーゼ |
ヨノイはセリアズの中に、この「畏怖」と「魅惑」の感情を抱いてしまったのである。
常に凛として挫けることがない不屈の英国軍将校・セリアズは、ヨノイにとって「神秘的で聖なる何ものか」だったのだ。
「神秘的で聖なる何ものか」を殺せないのは、寧ろ絶対的な道理だった。
このことは、ヨノイが拠っていた観念体系の脆さを意味する。
我が国も加盟していた国際法(ジュネーブ条約)を無視し、捕虜を恥と決めつけ(「戦陣訓」)、近代国家の形成過程において人工的に仮構されたに過ぎない、「在るべき帝国日本の軍人像」という観念体系の脆さが露呈されるのだ。
「セリアズはその死によって、実のなる種をヨノイの中にまいたのです」
ラストで、ハラに吐露したロレンスの言葉だが、そこに内包する語義の重さが思い返される。
種を撒かれたヨノイの根源的変容が示唆されているからだ。
「神秘的で聖なる何ものか」に平伏す男の脆さ。
だから、これが映画の副題となる。
そんなヨノイの心の揺らぎと打って変わって、一貫して確信犯的レジストに振れるセリアズの行動原理はあまりに分かりやすかった。
リピートされる回想シーンが提示されていたように、セリアズにとって、自らを追い込んで果てていくという選択肢しかなかった。
それだけが、助けを乞われても実弟を無視した彼の贖罪だったに違いないからだ。
だから、俘虜たちから贈られてくる聖歌を受け、それが実弟の歌と重なって贖罪を果たしていくのだ。
主はわが魂をよみがえらせ
その手に わが手をとって
正しき道に 導びき給う
神の名に 添うために
死のかげの谷を 歩むとも
我は 悩みを怖れず
主は常に 我と共にありて
男の確信犯的レジストの本質は贖罪という名の殉教だったのである。
その精神性において対極にあるヨノイとセリアズが育んだ異界なる物語が閉じた時、もう一つの物語が浮き上がってきた。
ハラとロレンスとの奇妙な友愛の光景である。
鬼軍曹として怖れられていたハラは、唯一、日本の文化に精通する連絡将校のロレンスとだけは馬が合った。
何かが出来する度に繰り返し打擲しても、肝心なところで救済する。
ロレンスもそれが分かっていたから、捕虜虐待の罪で処刑される前日にハラに会いに行く。
ハラからの要請だったが、彼らもまた別離の儀式を必要としたのである。
クリスマスという異国の文化に同化したハラとの別離の儀式で閉じる物語が、何もかも呑み込んで時代を超えて飛翔していくのだ。
「メリー・クリスマス」を連呼し英語をマスターしたハラの場合、「ヌミノーゼ」とは無縁に異国の文化のうちに適応を果たしていく。
適応を果たした男が約束済みの戦争犯罪人として裁かれていくのだ。
ラストシーンが提示した含意は、そこにある。
ここで思うに、ヨノイとセリアズの関係を媒介するのは「ヌミノーゼ」と贖罪の儀式。
朝鮮人軍属カネモトとオランダ兵デ・ヨンの関係の本質は、戦場におけるクイア(性的マイノリティ)の発現。
捕捉されたカネモトとデ・ヨン |
そして、ハラとロレンスの関係に象徴されるのは、異国への適応を果たした者が育んだ微妙な友愛。
禁断のカネモトが弾かれ死に至っても、後者の物語は強化されていく。
軍隊内では、立場が違(たが)えども男同士の友愛は語り継がれていくが、クイアの物語は記録に残されることもない。
まして、ヨノイとセリアズの関係は、両者の内側で澱むナラティブが、それぞれ自己完結する小宇宙の只中で切り取られた特別な時間の揺曳だった。
それが身体接触を禁じる「ヌミノーゼ」であるが故に、セリアズの禁断の行為にヨノイは震え、腰折れ状態を晒してしまった。
いずれにせ、戦争の時代における文化の乖離を借景にして描かれていたのは、人が人に惹かれ、好意を持ち、愛し、畏敬するという人間的テーマを極限状態に置かれた男たちが複雑に交叉し、紡いでいく究極の物語だった。
(2024年3月)
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