1 「ここに住まないか?毎日、うまいもの喰えるぞ」「ありがとう。ちょっと考えさせて」
信州の山奥で畑作中心の自給自足の生活をする作家・ツトムの元に、担当編集者の真知子が車を走らせ向かっている。
信州の山奥を進む真知子の青い車 |
〈立春〉一年のはじまり(2月3日、2月4日頃)
ツトムが雪室から採ってきたサトイモを洗っていると、ツトムを呼ぶ真知子の声がする。
ツトム |
真知子 |
ツトムは真知子を、干し柿と点(た)てた抹茶で迎え、続いて、年末につけた白菜と囲炉裏で焼いたサトイモ、熱燗を振舞い、原稿の催促をかわそうとする。
「タイトルだけでもちょうだい」と催促され、原稿用紙を渡されたツトムが書いたのは、「土を喰らう一二ヵ月」。
〈啓蟄・けいちつ〉生き物が目覚める(3月6日~3月20日頃)
カエルが顔を出している |
「信州の山奥、菅村(すげむら)での僕の暮らしが、女性編集者の目にとまり、山での日々を連載することとなった。禅寺で9歳から習った精進料理を作り、それを書いてみようというのである。料理は素人。畑も自己流。13歳で禅寺を脱走した僕に、どこまでできるか分からぬが、実践してみることにした」(ツトムのモノローグ/以下、モノローグ)
書斎から道元和尚(曹洞宗の開祖)の『典座教訓(てんぞきょうくん)』という心得書(こころえしょ)を引っ張り出し、原稿を書き始める。
「台所番である典座(てんぞ)は、米を洗ったり、野菜などを調(ととの)えたりする時、直接、自分の手でやらねばならぬ、その材料を親しく見つめ、細かいところまで行き届いた心で扱わねばならぬ。一瞬とて怠けてはいけない。一つは見ていたが、一つは見逃していたということがあってはならない。すべて調理し支度するにあたって、凡人の目で見てはならない。物によって心を変え、人によって言葉を改めるのは、道心のあるもののすることではない、とまことに厳しい」(モノローグ)
【典座教訓とは、禅寺での精進料理の作法を説いた書のこと】
典座教訓―永平寺流精進料理の心 |
原稿を書いていると、竈(かまど)で炊いているご飯が吹きこぼれ、慌てて土間へ行き、玄関を出て、目の前の雪に埋もれたホウレン草を引き抜く。
「僕がいた禅寺では、『献立は畑と相談するんや』と言われた。何もない台所から絞り出すのが精進で、典座によって台所と畑が結びついていなければならぬ。わずかな畑と相談することは旬を食べることであり、すなわち土を喰らうことだと言葉はなくても教えられた…ホウレン草の根元は、まことに洗いにくく、小僧の僕は面倒な根元を切り捨てた。それを見つけた和尚さんは、怒るふうもでもなく、『一番うまいとこを捨ててしもたらあかんがな』と拾われた」(モノローグ)
鉢にホウレン草を浸している |
「ごめん」と愛犬のさんしょに、焦げたご飯を差し出す。
愛犬さんしょ |
紅梅がほころび、スイセンの足元にツクシが顔を出し、ツバメが軒下の巣に飛んで来る。
澄んだせせらぎに、メダカが泳ぎ、草原にはタンポポが咲いている。
〈清明・せいめい〉万物が春を謳歌する(4月5日〜4月19日頃)
ツトムは身支度をし、川に水セリを採取しに行く。
山菜取りの師匠の大工に、庇(ひさし)を修繕してもらい、河原で摘み取ったタラの芽を焼き、振舞うツトム。
「うめぇな」と言って、出された味噌につけて食べる大工。
大工 |
「うちの親父は、ご飯と味噌だけ持って山仕事に行って、昼になると山菜を採って焼いて喰ってた。まあ、貧乏人の知恵だな」
「昔の人はうめぇもん喰ってたんだな」
〈立夏〉菖蒲湯で邪気を祓う(5月5日から5月6日頃)
家の掃除をし、妻・八重子の遺影に線香をあげた後、北アルプスを望む畦道を、さんしょを連れ散策するツトム。
「妻・八重子の母は変わり者で、息子夫婦との折り合いが悪く、一人で畑を耕し、暮らしている」(モノローグ)
ポツンと立つ荒屋(あばらや)に義母・チエを訪ね、朝飯を共にする。
チエ |
八重子の墓をまだ作っていないツトムに、チエが催促する。
「死んでから13年だぞ。早く作ってやれ。いつまでも置いとくのは、よくねぇよ」
「はい」
味噌をもらいに来たツトムは、「あと、わしゃいらねぇから」と言われ、樽ごともらって家へ帰る。
〈小満・しょうまん〉生命が満ち満ちる(5月19日〜5月21日頃)
竹林へタケノコを堀りに行き、禅寺で過ごした少年時代を思い出す。
「人間は不思議な動物で、匂いや味覚で、とんでもない暦(こよみ)の引き出しが開く。口に入れるものが、土から出た以上、心深く暦を経て、土地の絆が味覚に絡みついている」(モノローグ)
タケノコを炊いていると、真知子がやって来た。
炊きたてのタケノコをテーブルへ運び、噛(かぶ)り付く真知子。
真知子が畑の種蒔(たねま)きをしている間、長い竿でヤマバトを追い払うツトム。
「去年、目が出ないと思ったら、撒いた種を全部ヤマバトに食べられちゃってさ」
そう言っている傍から、ヤマバトが畑にやって来て、休む間もなく追い払うツトムを見て、笑う真知子。
〈芒種・ぼうしゅ〉雨露の恵みをうける。(6月6日〜6月20日頃)
梅の木に実がなり、拾ったウメで梅干しを作る。
ウメを洗う |
アカジソを摘み、塩で揉んで灰汁(あく)を取り、ウメの酒に馴染ませ、瓶に入れて漬ける。
〈小暑・しょうしょ〉梅雨が明け、太陽が照る(7月7日〜7月21日頃)
子供の頃過ごした寺の住職の娘・文子が訪ねて来て、60年前に母が嫁いだ時に、父と一緒に母が漬けたという梅干しを持って来た。
文子 |
「もしツトムさんに会(お)うたら、おすそ分けしてあげなさい」と言って死んだという。
夜、その梅干を口にし、味わうツトムは、「作った人が亡くなった後も生き続けている梅干し」の味に涙する。
〈立秋〉ひぐらしが鳴く(8月7日〜8月22日頃)
畑のナスやキュウリを収穫し、糠床に漬ける。
〈処暑・しょしょ〉穀物が実る(8月23日〜9月6日頃)
サヤを叩いてゴマを落とす |
ゴマを採っていると、突然、八重子の弟夫婦がやって来た。
年金の件で連絡がつかないチエの様子を見てきて欲しいと、依頼されるのだ。
隆と美香 |
「ほら、ツトムさん、お義母さんと仲良しでしたでしょ」と妻の美香。
「お願いします」と義弟の隆が頭を下げ、そそくさと帰って行く。
ツトムがチエを訪ねると、チエは小さな荒屋で逝去していた。
「弟夫婦は家が狭いので、葬式は僕のうちでやってくれと言う…」(モノローグ)
真知子が弔問の挨拶をすると、ツトムは通夜振る舞い(つやぶるまい)を作るから手伝ってくれと頼む。
「真知子、挨拶はいいから手伝ってくれ」 |
「付き合いのない人だから、村の人は来ない。親戚が数人だろう」
ツトムは、真知子に採りたてのゴマの皮をすり取り、天日干し(てんぴぼし)するよう指示し、写真屋に遺影の写真を手配するなど、葬式の準備に忙しく動き回る。
真知子に太い山椒(さんしょ)のすりこぎ棒でゴマを擂(す)ってもらう(下の画像) |
「あいよ」と答え、引き受ける真知子 |
大工が立派な棺を作り、写真屋がチエの大きな遺影を運び込んだ。
予想外に、弔問に多くの村人が訪れ、通夜振る舞いの数が足りないと、ツトムは畑に野菜を採りに行き、真知子と二人で追加の料理を作っていると、美香がお寺さんは呼んでないので、「お経をあげてもらいません?」と頼みに来た。
料理は真知子に任せ、ツトムが焼香の間、般若心経を唱えると、村の女性らが祭壇に味噌を備え、別れを哀しむ姿もあった。
別れを哀しむ弔問客を横目で見る隆 |
通夜振る舞いのゴマ豆腐が美味しく、「どうやって作ったんがや」と聞かれたツトムは、「ゴマをすり潰して、葛(くず)で固めたのです」と答えていく。
ゴマ豆腐にサヤエンドウが添えてある |
「ゴマをすり潰して、葛で固めたのです」 |
「小さい時に京都のお寺にいて、毎日、精進料理を作っていました」
最後に弔問客14人で念仏講が執り行われ、ツトムは村の人たちにチエが仕込んだ味噌の料理を振舞うのである。
念仏講 |
【念仏講とは、死者の往生のために念仏を唱えること】
隆が挨拶すると、村の女性たちに囲まれる。
「チエさんは偉(えれ)え人だったでぇ」
「わしらの味噌は、チエさんのおかげだでぇ」
「おめぇ、頼りないけど、分かってるかやぁ?」
義弟夫婦にチエの骨壺を無理やり渡されたツトムは、家に持ち帰り、八重子の骨壺の隣に置く。
八重子の写真 |
葬儀が終わり、安堵したところで、ツトムは真知子に「ここに住まないか?」と訊く。
「いいの?そんなこと言って」
「毎日、うまいもの喰えるぞ」
「それはいいなぁ。でも、仕事どうしよう」
「ここから通えばいいじゃないか」
「ちょっと、遠いなぁ」
「できるよ」
「ありがとう。ちょっと考えさせて」
親しき二人が最近接した瞬間だった。
2 「明日も明後日もと思うから、生きるのが面倒になる。今日一日暮らせば、それでいい」
〈白露・はくろ〉露が草に宿る(9月7日〜9月22日頃)
ツトムは自分が入る骨壺を焼くために、竈(かまど)に入る。
自分の骨壺を作るために素足で土を踏んでいる |
真知子が買い物から帰り、声かけに反応しないツトムが竈に倒れているのを発見し、すぐさま心筋梗塞の疑いで救急搬送される。
「心臓の3分の2が壊死しています。1万人に1人の生還ですよ」と医師。
3日間入院してから、ツトムはさんしょが待つ家に帰って来た。
〈秋分〉極楽浄土の岸に至る(9月23日頃)
鍵を開ける手が震え、土間でぼんやり座っていると、真知子が来てツトムの手を握る。
「助かったのは君のおかげだね」
「生きててよかったわ」
真知子が糠床からナスを取り出し、切り分ける。
「救急車の中で、僕はどうしてた?」
「私の手を握っていたわ」
「なんか言ってたか?」
「『死にたくない、死にたくない』って、何度も言ってた」
「そうか…やっぱり」
「覚えてるの?」
「ああ、何となくね。とにかく、怖かった。情けない男だよなぁ」
「あれからいろいろ考えたのよ。私、ここに住むことにするわ」
「君の気持はうれしいが、ここに住まれるのは、僕が困る」
「どうして?」
「どうやら、僕は一人でいたいらしい」
「死んじゃったらどうするの?」
「そうなれば、そういうことだな」
「あんなに死にたくないって言ってたのに」
「そうなんだ。死にたくない。死ぬのはイヤだ。だから僕は、どうして死ぬのが嫌なのかを考えてみることにしたんだよ。小説にも書くよ」
「私、もう来ないかもよ」
「それもしかたない。所詮、人は単独旅行者だ。一人で生まれて、一人で死んでいく」
「身勝手なだけよ」
機嫌を損ねた真知子は、立ち去って行った。
「吉田兼好の『徒然草』によると、死に神は後ろから来て、冥界へひっさらっていくそうだ。死は誠に僕の足のそばまで寄せて来ている。だが自分の番になると、死ぬのが嫌なのである。怖いのである。どうして必ずやって来る死がこれほど嫌なのか。誠に救いがたい生命欲なのである…人間、生まれたからには死なねばならぬ。生きていくということは、死にゆくということになる。どうせ死なねばならぬなら、面倒なことに生まれなければ良かったもと考える。だが、そう考えるのも、生きてこの身が今ここにあるから、そう考えるのであって。死んでしまえば、考えもへったくれもない。ただ死ぬばかり。そこで思うのだが、嫌な死と仲良くなれるものか。そうなれば、死はそれほど嫌でもなく、また怖いものでもなく、友達のように、いつもそばにいてくれるような気がする」(モノローグ)
原稿に万年筆で書き、消してはまた書き、「死神と仲よく、つきあう」と記す。
雷鳴が響き、暗がりで本を読みながら朝を迎え、外ではカモシカ、子キツネ、リス、シカ、カメなどが活動し始める。
〈寒露〉大気が冷え、空が澄む(10月8日〜23日頃)
ツトムは、昼夜問わず、夜中も明け方も原稿を書き続ける。
「禅宗では、すべての執着を断てという。人は生まれたからには、死があるのだから、あるがままに生きるべし、と説く。さて、そうは思っても、凡人の僕にはあるがままの死が悲しい。しかし、逃げ続けていても、解決がつかぬから、いっそ死に神と仲良くするために、一度死んでみることにした」(モノローグ)
その夜、万年筆を置いたツトムは、「さあ、死のう」とベッドに横たわる。
「みなさん、さようなら」
朝が来て、家からツトムが出て来る。
「不思議なことに、死んだはずの僕にも朝は来る。ああ、生きていると思う。明日も明後日もと思うから、生きるのが面倒になる。今日一日暮らせば、それでいい」(モノローグ)
畑の草を取り、落ち葉を掃き、若葉を見つめる。
森の中の湖にボートを浮かべ、義母の骨壺の骨を勢いよく撒く。
〈霜降・そうこう〉秋が深まり 霜が降りる(10月23日〜11月7日頃)
車を走らせている真知子が、車道を歩くツトムを見つけ、声をかける。
ツトムはちょうどナメコを採りに行くところで、真知子を誘う。
山奥に入り、ナメコを見つけると、楽しそうに真知子に話しかけるが、真知子の表情は硬い。
「私、結婚することにしたの」
「そうか、よかったじゃない」
顔を逸(そ)らし、ツトムはナメコ採りを始める。
小説家と結婚することが決まった真知子は、ツトムを自宅に送り、最後に質問する。
「奥さんの遺骨はどうするの?」
口ごもるツトム。
「ごめん、いいわ。じゃ、行くね」
「気をつけて」
〈立冬 木枯らしが吹く〉(11月7日〜8日)
夜、「みなさん、さようなら」と言って、眠りに就くツトム。
雪が畑に舞う。
朝、玄関を開けると、一面の雪。
〈冬至 栄養をとり 無病息災を願う〉(12月21日か22日)
白菜を漬け、雪の畑から大根を抜き洗い、ご飯を炊き、柚子(ゆず)をすり下ろして柚子味噌を作り、朝食の支度をするツトム。
朝起きて、味噌樽、柚子、山積みの白菜を前に、「ありがとうございます」と言って、手を合わせる |
切った白菜を樽に敷き、塩を振っていく |
小鍋に入れた味噌を練る |
いつものように、八重子の遺影にご飯を備え、さんしょに餌をあげ、「いただきます」と手を合わせ、ありがたく朝飯を食すのである。
【ここに八重子の骨壺がないことで分かるように、この間、義母の時と同様に、八重子の骨壺も湖に撒かれていたことが判然とする。ツトムはケジメをつけたのである】 |
3 「今日」という一日を丁寧に生きていく
旬の山菜を採って料理し、食材を提供する自然に対する深謝(しんしゃ)の念が、「いただきます」という挨拶に結ばれる。
この日常的な挨拶は、日本人の自然観を的確に表現している。
自然に対する「畏怖」と「甘え」の感情が併存する表現であるからだ。
私流の解釈をすれば、「畏怖」とは、人力では及ばない大自然への全面降伏であり、「甘え」とは、人力が届き得る穏やかな大自然への災厄免訴への懇望(こんもう)である。
この懇望が「祈念」に昇華していく。
「降伏と祈念」 ―― これが日本人の自然観の本質であると私は考えている。
映画の主人公ツトムの生き方には、この自然観が根付いている。
自然に逆らわず、豊かな自然に依存する。
食材を提供する自然への依存が、「いただきます」という儀礼として日常性のうちに溶かされているのである。
この自然観を抱(いだ)いて人里離れた山で暮らすツトムは、ほぼ自給自足の生活を繋いでいるから、常に身体を動かすことを止めない。
「山の家に住み、畑を耕し、掃除をしていると、生きるということは、身体を動かすことだということが身にしみて分かってきた。季節が進むごとに、新たなる畑仕事が見つかる。生活することは身体を使うことで、身体を使えば腹も減る。腹が減ればメシもうまい!」
このモノローグがツトムの〈生〉を貫流している。
だから、決して孤独ではない。
都会から訪ねて来る真知子と暖炉を囲い、山菜料理を振る舞い、共食するが、決して孤独の埋め合わせなどではない。
男女感情も垣間見えるが、それを特段に押し出すことはしないのだ。
来年の実りのために種を蒔き、その種を狙うヤマバトを追い払い、喧騒を離れた山村の時間を共有するのである。
そんなツトムにとって、高齢の身でありながら、身内と縁を切って荒屋(あばらや)で一人暮らしをする義母チエは、頭が上がらない存在だった。
自ら田畑を作って自給の生活を繋いでいるのだ。
変人呼ばわりしているものの、自由に生きているのである。
そのチエの死を目の当たりにしたツトムは、チエと距離を置く息子夫婦に頼まれ、葬儀を自宅で執り行うことになった。
親戚数人が弔問するだけだろうと高を括って臨んだ葬儀だったが、孤独死した義母のために、せめて煌(きら)びやかに見送ってやりたい。
そう思ったのだろう。
ところが、次々と村人が集まり、衷心(ちゅうしん)より弔問するのである。
思いも寄らない風景を見せつけられた息子夫婦は言葉を失い、満足げなツトムは真知子の手も借りて、「通夜振る舞い」(通夜の後に設けられる食事会)を遂行し、経を読むに至るのだ。
「ここに住まないか?」という真知子への申し出は、葬儀を取り仕切ったツトムの安心感が生み出したものだが、物理的・心理的共存感情の思いの吐露でもあった。
少なくとも、真知子はプロポーズとして真摯に受け止めたから、「ちょっと考えさせて」と返答するのみ。
両者の感情の微妙な誤差は、想像だにしない心筋梗塞の発作で救急搬送された事態によって露呈する。
「心臓の3分の2が壊死しています。1万人に1人の生還ですよ」 |
真知子に救われ、九死に一生を得た男が、〈生〉と〈死〉という永遠のテーマに踏み込んでいくことになった。
死に対する恐怖感が男の中枢を射抜いてきたのだ。
誤魔化しの効かない状況に補足され、男の死生観が根柢的に問われてしまうのである。
それ故にこそか、心に余裕を持つ隙間すら見えず、憂悶する男にプロポーズされた女が自らの思いを吐露した時の男の反応は、感情の機微が拾えない無愛想なものだった。
「どうやら、僕は一人でいたいらしい」
言語を散らしつつも、基本的にはこれだけである。
傷つけられて別離を告げる女と、それを受け入れる男の関係の構図は、もう、復元の余地がなかった。
そして、ここから男の死生観の漂動がいよいよ深まっていく。
「明日も明後日もと思うから、生きるのが面倒になる。今日一日暮らせば、それでいい」
これが徹底的に省察を重ね、辿り着いた男の結論だった。
「今日」という一日を丁寧に生きる。
これでいいのだ。
この観念に行き着いた男を駆動させたもの ―― それが義母のチエの存在であったと考えるのは間違いないだろう。
畑で採ったたくわんを輪切りにするチエの日々 |
チエの死が社会的孤立状態における「孤立死」・「独居死」ではなく、気ままに暮らすことを望んだ末に、自らの最期を知った者の「在宅一人死」というイメージに近い何かだった。
だから、予想だにしない「通夜振る舞い」が可能だったのである。
思えば、ツトムが全ての味噌樽をもらい受ける小さなエピソードは、チエが自らの死が近いことの無言のシグナルではなかったのか。
「あと、わしゃいらねぇから」(チエ) |
チエの生きざまがツトムの中枢に波動した時、「僕は一人でいたいらしい」という表現に結ばれたのではないか。
そう思うのである。
かくて、「さあ、死のう」と呟いてベッドに横たわり、「みなさん、さようなら」と言って、「今日」という一日を閉じていく。
運が良ければ、明日もまた、「いただきます」と言って手を合わせる儀礼が待っている。
この有難い時間を手に入れたら、「今日」という一日を丁寧に生きるのだ。
何より沢田研二が素晴らしく、得難い映画だった。
(2023年7月)
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