2015年9月13日日曜日

ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅(‘13)     アレクサンダー・ペイン

<「誇り」の奪回を懸けた老人の人生最高の旅の物語>



1  「俺は国に仕えたし、税金も払ってる。したいことをする権利がある」



ロッキー山脈北部に属し、「輝く山脈の地」と異名を取る、アメリカ合衆国の北西部にあるモンタナ州。

州面積の過半が大草原・プレーリーであり、小麦・トウモロコシ・綿花を中心にする北米の大穀倉地帯になっている。

そのモンタナ州最大の都市・ビリングスは、世界最古の国立公園・イエローストーン国立公園の玄関口としても、その名が知られている。

この都市に住む一人の老人が高速道路をゆっくりと歩行していて、ハイウェイパトロールの警官に捕捉されたところから物語は開かれる。

老人の名はウディ・グラント(以下ウディ)。

父であるそのウディを引き取りに、警察まで迎えに行った次男・デイビッドに、高速を歩行していた理由を話すウディ。

「“100万ドル当選しました。モンタナ州 ウッドロウ・グラント殿” 母さんは信用せん」

そう言って、ウディはデイビッドに手紙を見せる。

「父さん、これはインチキだ。古い手口だよ。雑誌を売るためだ」

そう言い聞かせても信じないウディを、車に乗せ、自宅に戻すデイビッド。

「これでもう2回目よ。まさか、100万長者になるのが夢とはね」

ウディの妻・ケイトが心配のあまり、怒り心頭に発して待っていた。

「もし、100万ドルあったら?」とデイビッド。
「トラックを買う」とウディ。
「免許は?」
「返してもらう。コンプレッサー(空気圧縮機)も欲しい。エドが持っている」
「あの人、泥棒よ」とケイト。
「泥棒じゃない。貸したんだ」とウディ。
「いつ貸したの?」とデイビッド。
「1974年」
「もう40年になる。盗んだも同然だ」とデイビッド。
「だから欲しいんだ」

認知症とも思しきウディと、それを案じる家族の会話の一端である。

ウディとデイビッド
しかし、ウディの徘徊は止まらない。

「もう手に負えないわ」

今度は、ウディの長男・ロスが父を説得している。

100万ドルを受け取りに行くことが諦められないのだ。

受け取り場所は、モンタナ州・ビリングスから1500kmも離れたリンカーン市。

州の大部分が平坦な大平原・グレートプレーンズに属していて、今なお、カウボーイの文化を繋ぐネブラスカ州。

その東部に位置する中規模の都市・リンカーン(リンカーン元大統領に因む)への旅を、ウディは立ち上げたのである。

「なぜ、徒歩で?」とロス。

厳しく父を責めるロスに、「そんな言い方するなよ。本人も分かってない」とデイビッドは小声で話すが、老人ホームに入れることしか頭にない兄との心理的距離の乖離は判然としていた。

「父は生きがいが欲しいだけだ」
「酒を飲むのが生きがいと思ってた。母さんと俺は現実を見てる。ホームは最善の場所だ。本人にとっても良い。昔から俺達には興味もないし・・・」

人気キャスターの病欠の代役としてニュースキャスターの仕事をするロスは、アルコール依存症とも思しき父に対する心地良き思い出がないようだった。

そして、リンカーンへの旅を繰り返し立ち上げる父の意志が全く変わらない状況下で、AV機器店の店長の仕事を病欠したことにして、遂に、デイビッドは父の旅に随行することになった。

2,3日付き合えば、1500kmに及ぶ父の妄想の如き旅も終わるだろうというような軽い気持ちで、デイビッドが運転するスバル・レガシーでの車の旅が開かれたのである。

今、この旅はワイオミング州、サウスダコタ州を通過し、更に快適に走行するデイビッドの車が、サウスダコタ州キーストーンに所在するラシュモア山に寄り道をする。

デイビッドが望んだ寄り道だが、その寄り道に関心を示さないウディは、そそくさと車に戻るばかり。

ところが、最初に宿泊したモーテルで転倒したことで病院行きになり、頭部の裂傷を縫うに至った。

元々、線路で転倒したときの後遺症が原因であると言うウディの傷が深く、入院を勧められるのだ。

入れ歯を見つけ出すデイビッド
然るに、その線路で亡くしたウディの入れ歯を、父と子で必死に探し、苦労の末、デイビッドが見つけ出すエピソードを挟んで、入院することなく、父と子の旅は目的州のネブラスカに辿り着く。

ここでも、父と子の旅は寄り道をする。

ウディの生まれ育ったネブラスカ州ホーソーンに住む、ウディの兄であり、マーサの夫・レイの家である。

この時点で1200km。

十数年振りかでレイと会っても、簡単な挨拶で済ますウディ。

寡黙な性格は兄弟揃って酷似しているようだ。

デイビッドをバカにするコール(左)とバート
刑務所に入所した過去を持つコールとバートという名の、失業中のレイの肥満の息子たちも特段の歓迎もせず、無愛想だから、一人マーサだけが目立っていた。

マーサの家を拠点に、ウディとデイビッドは酒場で会話を繋ぐ。

「ノエルとは別れた。2年間一緒に暮らしたが、彼女は出て行った。求婚すべきだったかも。でも、確信が持てなくてね。父さんは、どうだった?確信してた?母さんとの結婚を決めた時」

恐らく、自分の辛い状況を初めて父に吐露する息子が、そこにいた。

以下、二人の会話。

「母さんが望んだ」
「父さんは?」
「“何てこった”と」
「後悔したことは?」
「しょっちゅうだが、まあ何とかなった」
「少なくとも、最初は愛してたよね?」
「考えたことない」
「子供は何人欲しいとか、相談は?」
「してない」
「じゃ、なぜ作ったの?」
「ヤリたいからさ。母さんはカトリックだし、分るだろ」
「子供について話し合ってないの?」
「ヤリ続けりゃ、子供ができるに決まってる」
「別れようとは?」
「文句ばかり言う女とは別れたい」
「そりゃ、そうだろうけど、母さんも、父さんには耐えてきた。アル中だ」
「バカな」
「何を言ってるんだ。僕が8歳のとき、車庫に酒を隠すのを見た」
「やっぱり盗んだのは、お前か。出費がかさんだぞ」
「中身は捨てた。酒浸りの姿を見たくなくて」
「だからお前は、ロスにかなわないんだ。俺は国に仕えたし、税金も払ってる。したいことをする権利がある」
「だから酒を?」
「少しな」
「大量だ」
「そうさ、大量に飲んだとも。だから何なんだ。何をしようと自由だろ。母さんと結婚すりゃ、お前も飲む。とやかく言われる筋合いはない」

そこまで言い切って、一人で店を出ていく父と、その父を負う息子。

ここで笑う人がいるかも知れないが、これは笑わせるために挿入した会話ではない。

寡黙だから本音で喋る偏屈な老人と、自らのアイデンティティの心理的基盤に拘泥する繊細な中年男の会話があるだけだが、しかし、この会話は本作で最も重要な会話の一つである。

頑固でウルトラマイペース、且つ、些細なことに拘らない豪放磊落(ごうほうらいらく)な性格の父の生き方に反発し、反面教師としての自我を作ってきたデイビッドの真面目な性格が浮き彫りにされているからだ。

そして同時に、この老人が認知症に罹患していないことだけは判然とする。

単にウディは、思い込みが激しく、寡黙だから本音で喋る偏屈な老人の一人であるに過ぎないのだろう。

アルコールを忌避し、異性との結婚に対しても自信を持ち得ないデイビッドの心情には、何事につけても口煩い母や、アルコール依存症にまで堕ちていった原因を、母との夫婦関係から受けたストレスと決めつける父へのリバウンド形成が底層に窺えるが、それでも、「俺は国に仕えたし、税金も払ってる。したいことをする権利がある」と言い切る父の言葉には、相当の説得力があった。

ウディとデイビッドは、今度は、別の酒場に入って飲み直す。

偶然にも、この店で、ウディは、かつての共同経営者だった旧友のエドと出会う。

驚くエド。

エド(右)
エドに貸したと言われるコンプレッサーについてデイビッドは尋ねるが、全く覚えがないと言われるばかり。

ところが厄介なことに、この店の見知らぬ客の前で、ウディは100万ドルの件をバラしてしまい、「俺を見る目がガラっと変わったろ」などとデイビッドに話すのだ。

二人は、マーサの元に戻って来るが、既に100万ドルの一件が近所で広まっていて、無愛想な肥満の息子たちも笑顔を見せていた。

この100万ドルがデマであると説明するデイビッドに、無口なウディの兄・レイの口からも、「責めたり、言いふらす気はない。入金を確認するまではな」などという言葉が洩れるのだ。

「車で送っていくよ」

刑務所に入所した過去を持つコールの言葉である。

「お前を誇りに思うよ。亡き両親も誇りに思うだろう」

これもレイの言葉。

あまりの態度の変化に茫然とするウディとデイビッド。

「数10年来の大ニュース」などと言ってウディに近づいて来る連中は、皆、老人ばかりだった。

更に、この町に、ウディの妻・ケイトがバスに乗って訪ねて来た。

墓参りする三人。

昔の知人の墓の前で、「好きだったけど、身持ちが悪かった」などと言いたいことを喋り続けるケイト。

墓参りする三人(中央がケイト)
カトリック系のケイトにとって、ルタ-派の墓地に眠っている知人たちとは、どこかで相容れないのだろうか。

そんな中で出来したエピソードがある。

小さな町を賑わしているウディの「億万長者」の一件で、そのウディの取材に来た地元の小さな新聞社に、デイビッドは直接訪れ、それが誤報である事情を説明するが、そこの経営者・ペグ・ベンダー(以下、ペグ)が、ケイトと結婚前の父の恋人である事実を知るに至る。

そこで知った父の過去の一端。

それは、朝鮮戦争からの帰還後に、極端に深酒になったこと。

「辛い経験をしたみたい」

穏やかなペグの言葉である。

どうやらそれは、戦闘機のパイロットだった父が撃たれて配置換えになったことと関連するらしい。

「帰還後は、言葉を発するのもやっとでね。でも、いつも優しくて、利用されることも多かった。頼まれると断れないの」

これもペグの言葉。

ペグとデイビッド
恋人であっても、「一線を越えさせなかったの」というペグの言葉も印象深かった。

寡黙な父に対する見方に、デイビッドに変化が表れていく一つの見過ごせないエピソードだった。



2  寡黙な老人が運転するトラックが悠然と走り抜けていく



ウディの100万ドルを狙って、かつての親友のエドがデイビッドに脅迫紛いの言葉を吐いたのは、ペグと父とのエピソードを知った直後だった。

エドは、昔、ウディに貸したという金の返済を迫ったのである。

金が絡むと、人間がその本性を露わにする現実を目の当たりにして、遣り切れない気持ちを持つデイビッド。

長男のトムがレイの家にやって来たのは、レイやウディの兄弟が全員集う、多くの老人が食事会を開いているときだった。

金の話で盛り上がる食事会の風景は、まもなく、外で寛いでいたトムとデイビッドの周囲を、ウディの100万ドルを目当てに借金の返済を迫る異様な風景に広がっていく。

終いには、トムとバート(レイの息子)が喧嘩する始末。

いい加減、こんな風景を見せつけられたケイトの怒りが炸裂する。

ウディの100万ドルを信じていなくても、気が強く、何十年もの間、騙されやすい夫を支えてきたしっかり者の性格を身体表現するのだ。

「無神経にも程がある。まるで死体に群がるハゲタカのようね。貧しい男にお金を無心するつもり?大金持ちだとしても払わせない。断固としてね!あんたら、とっとと、くたばっちまえ!」

そんな頼もしい母を見て、デイビッドは改めて、性格を異にする両親の相互補完的な関係を思い知らされるのである。

喧嘩ばかりしていても、肝心な時に肝心な行為に結ばれる能力こそ、自分に足りないものだと思ったのだろうか。

右からトム、ケイト、ウディ、デイビッド
この両親と二人の息子が、今、生家を訪れている。

「何も変わっとらん。親父がここを建てた。俺が生まれる前だが、兄弟の手も借りた。納屋は昔のままだ」

ウディの言葉は、大平原を見つめるカットに変換される。

「満足した?」とデイビッド。
「ああ。枯れ木や雑草ばかりだ」とウディ。
「農場を継ぐ気はなかった?」
「よく覚えとらん。どうでもいい」

「どうでもいい」と言いながらも、生家への寄り道もまた、ウディの旅の目的であったかのような印象を残して、この抒情的なシーンは閉じていく。

途中、エドの家に立ち寄り、トムとデイビッドは納屋に入り込んで、ウディの物ではない古いコンプレッサーを盗むように取り返して来た。

ところが、その家はエドの家ではなかったので、コンプレッサーを戻しに行ったというオチがつく。

金の返済を執拗に求めるエドから、デイビッドが意外な話を聞いたのは、その夜だった。

先住民と白人のハーフの娘に惚れたウディが、長男のロスが生まれた直後、そのことによってケイトとの離婚の危機があったというエピソードである。

「俺が止めていなかったら、お前も生まれてない」

エドの言葉である。

無論、「お前」がデイビッドを指すのは言うまでもない。

心が騒ぐデイビッドは、またも厄介な事態に被弾する。

「100万ドルの手紙」に拘るコールとバートによって、その肝心要の手紙を強奪されるのだ。

「100万ドルの手紙」が詐欺と知りつつも、身内に強奪された怒りを抑えられないデイビッドは、レイの家を訪ね、手紙の返還を求める。

「インチキだと分って捨てた」

吐き出すようなコールの言葉である。

それでも、父の夢を壊さないために、デイビッドは悄然とする父を励ますのである。

しかし、愚かさを極めるエピソードは終わらない。

今度は、その手紙を拾ったエドが、例の酒場で手紙を読み上げ、仲間と一緒に嘲弄(ちょうろう)していた。

その酒場にゆっくり入って来たウディは、表情を変えず、エドから無言で手紙を取り返し、酒場を後にする。

父が嘲弄される現場を目の当たりにしたデイビッドは、我慢し切れずにエドを殴った後、父の元に走り寄り、はっきりと自分の思いを告げるのだ。

「ここまでだ。もう終わりにする。傷口も開いてるし、歩くのもやっとだ」
「約束したろ」
「当選してないんだ。分らないの?嘘だと知っていながら、リンカーンまで行けるか!連れ出した僕が悪かった。生活費には困らないし、運転免許もない。なのに、なぜ?」
「トラックが欲しい」
「何のために必要なの?」
「欲しいんだ。昔から新車が欲しかった」
「残りはどうする?100万ドルもかからない」

ここで、会話の連射の中で、「間」が生まれた。

この「間」の中から出てきたウディの言葉こそ、この老人の本来の旅の目的だったことが判然とするのだ。

「お前たちのためだ。何か残したかった」

この言葉を受け、感動を隠せないデイビッド。

以下、穏やかに会話に変容する父と子。

「しばらく、モンタナから離れるために連れ出したんだ。一緒にいられるし、文句も言われない」
「もう何も言わん」
「リンカーンは?」
「行かんでいい」

そう言った瞬間、倒れ込むウディ。

長旅で起きた様々なトラブルが重なって、ウディの体は衰弱していたのだろう。

ウディとケイト
デイビッドの運転で運んだ病院で休むウディ。

病室の小さなスポットで、家族4人が話し合っている。

静養した後、ウディをモンタナに帰宅させることを決めたのである。

しかし、この家族の思いも、ウディには通用しない。

ウディが病院を抜け出した事実を、病室で仮眠していたデイビッドが知ったのは、明け方だった。

慌てて車で追い駆けるデイビッド。

「100万ドルの手紙」を手に持って、リンカーンに向かって歩いているのだ。

もう、何も言うことがない思いで、デイビッドは父を乗せ、一路、リンカーンを目指していく。

「CMP社」

これが、例の手紙の発行元の会社名である。

その手紙を女性従業員に見せるデイビッド。

「残念ですが、当選してません」

この一言で、「100万ドルの手紙」を信じたウディの旅は終焉する。

あとは、モンタナに帰るのみ。

そんな状況下で、デイビッドは動く。

自分の車を売り、中古トラックとコンプレッサーを購入したのである。

父の思いを存分に汲み取り、父の名義にしたデイビッドのプレゼントである。

当然の如く、父の名義にしたと言っても、免許のない父に運転させる訳には行かなかった。

ところが、デイビッドは途中で停車し、安全な一本道を確認し、「父さんの番だ。交代しよう」と促すのだ。

驚くウディ。

そのウディが運転するトラックが、ゆっくりと動いていく。

知人たちの挨拶の声を耳にしたウディは、慌てて助手席にいるデイビッドを座席下に隠し、自力でモンタナに帰って行く姿を見せるのである。

知人の中にエドを一瞥し、平気で素通りするウディのトラックが悠然と走り抜けていく。

「100万ドルの手紙」が嘘でなかったことを誇示したいのであろう。

町を通り抜けたところで、ドライバ-がデイビッドに交代したのは言うまでもない。

言外の情趣が漂う感銘深いラストカットである。



3  「誇り」の奪回を懸けた老人の人生最高の旅の物語



このオフビート感覚のロード・ムービーが出色なのは、主要登場人物の人生の断片をしっかり描き切っているところにある。

アレクサンダー・ペイン監督
アレクサンダー・ペイン監督の鋭利な人間観察が際立っているのである。

―― 以下、批評したい。

本作の主人公・ウディ・グラントには、「100万ドルの手紙」が詐欺であることを疑わないような人の良さがある。

人の善意を信じやすい性格であると言っていい。

だから、エドのような狡猾な男から、弱みにつけ込まれてしまう過去を持っていたのだろう。

思い込みが激しく、その思いを行為に変換してしまうウディの性格は、寡黙であるが故に息子たちとの心理的距離を作ってしまうのだ。

心理的距離と身体的距離は比例するから、心優しいディビットの援助行為を必至にせざるを得なかった。

「何をしようと自由だろ」とディビットに言い放ったウディにとって、アルコール依存症と高齢の故に運転免許を取り上げられてしまった事態が包含する感情は、まさに、「俺は国に仕えたし、税金も払ってる。したいことをする権利がある」と言い切った言葉が内包する「誇り」の奪回への強い意志であった。

移動の自由を奪われた老人が、その自由を具現する行為に打って出たのは、「したいことをする権利がある」ことを、自ら検証するためでもあったのだ。

だから、歩いて、歩いて、歩き続ける行為に振れていく。

その行為が成就しないと分っていても、歩き続ける行為を繋ぐことで、限定された移動の自由の「権利」を具現するのだ。

歩き続ける行為が、予約された結果をなぞるように頓挫した時、ウディは、気遣いの良いディビットの援助行為を、それもまた、予約された者のように受け入れる。

「したいことをする権利がある」というウディの思いと、ディビットの援助行為が、後者によるストローク(存在認知による働きかけ)によって、少なくとも物理的に機能したのである。

「お前たちのためだ。何か残したかった」

こんな肝心な言葉が、リンカーン行きの頓挫の果てに出てくるのである。

それだけではない。

100万ドルを得れば、その余剰金でトラックとコンプレッサーを買うことができる。

この思いが、ウディを動かしている。

ウディが、トラックと、エンジンの駆動力でエアーをタンクに溜め込むコンプレッサーに拘泥するのは、それがウディの「誇り」を具現し得る唯一の物的な手段であるからだ。

トラックとコンプレッサーは、ウディの「誇り」の物理的象徴なのである。

それを手に入れれば、家族の厄介にならずに、移動の自由が確保されるのだ。

だから、何としてでも、リンカーンまで行かねばならなかった。

ウディの思い込みの激しさは常軌を逸しているように見えるが、ウディにとって、このモチベーションの高さは、高齢による「行動体力」(運動関連体力)の劣化への視野を極端に狭くしてしまうから、歩き続ける行為を止められないのである。

リンカーンのダウンタウン(ウィキ)
リンカーンに辿り着き、例の手紙の発行元の会社で、100万ドルを手に入れられないことが分り、初めて自分の希望が破綻した現実を受け入れるのだ。

ウディとは、そういう男なのである。

当然ながら、相当忘れっぽくなっているが、ウディは認知症に罹患しているわけではない。

エドのような狡猾な男を、「良い奴」と信じ切るほどに、他人の行為を善意と受け止めてしまう人の良さと、思い込みの激しさ。

これが、ウディの性分なのだろう。

そんな父の性分を熟知しているが故に、この「父の過去と出会う旅」を通して、デイビッドは父に寄り添い、そのストロークのレベルが「親密さ」にまで昇華されていく。(注)

デイビッドだけは、父の「誇り」の意味を本質的に理解したことで、常軌を逸しているように見えるリンカーン行きの思いの核心に届き得たのである。

父の思いを存分に汲み取り、自分の車を売ってまで、父名義の新品同様のトラックとコンプレッサーをプレゼントしたデイビッドは、安全な一本道を確認した上で、免許のない父に運転をさせるのだ。

何より爽快なのは、「100万ドルの手紙」を嘲弄したエドの前を、ウディが運転するトラックが走り抜けていくシーンである。

「100万ドルの手紙」が嘘でなかったことを誇示させたかったことと、父の「誇り」の物理的象徴であるトラックを運転することで、父自身のレジリエンス(自発的復元力)を具現させたかったのである。

かくて、デイビッドの濃密なストロークによる、移動の自由を奪われた老人の「誇り」の奪回への、それ以外にない人生で最高の旅が閉じていったのだ。

良い映画だった。


(注)心理学理論として精神科医・エリック・バーンによって提唱された、「交流分析理論」で言う「時間の構造化」の構造化の仕方によれば、ストロークの弱い順から書けば、ストロークには、「閉鎖」・「儀式」・「雑談」・「活動」・「ゲーム」・「親密」という風な形態を通るとされる。


(2015年9月)

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