2013年3月14日木曜日

ニーチェの馬(‘11)           タル・ベーラ



<内側で緩やかに、しかし確実に、〈死〉に向かって匍匐している負の鼓動の実感>



1  内側で緩やかに、しかし確実に、〈死〉に向かって匍匐している負の鼓動の実感



これは、「創世記」を逆行させながら喚起した、「人類滅亡」という「終末論」のイメージを、どれほど辛くとも、それ以外に身過ぎ世過ぎを繋ぐことが叶わない、貧しい農夫の父娘の日常性が、緩やかに、しかし確実に自壊していく物語にオーバーラップさせていく、抜きん出て優れた構築的映像だった。

その辺りについては、本作の作り手であるタル・ベーラ監督自身が、複数のインタビューで語っているので、以下、その一部を紹介する。  

「人は人生を生きる中で、朝起きて、食事をとり、仕事に行く。いわばルーティーンというような日常を歩むのですが、それは毎日同じではないのです。人生の中で、我々は力を失くしていき、日々が短くなっていきます。これについて、人生はどう終わるのかについて触れる映画を作りたかったのです」(タル・ベーラ監督、最後の作品「ニーチェの馬」で映画人生を振り返る eiga.com  2012年2月6日)

少し長いが、物語に触れて、こうも語っている。 

「井戸の水をこの娘が汲みに行きますが、たった(体重)45キロくらいの小柄な彼女が二つの重いバケツを持っていて、非常に重労働なわけです。それを見ているだけで、いかに、ああ人生とは冷酷なものなのかと、辛いものなのかと、皆さんは思われるのではないかと思います。ここでやろうとしていることは何か論説的なことであったり、我々が洗練されているわけでもなく、社会について何か語りたいわけでもない、何か歴史について触れているわけではないのです。ただただ人生の一つの瞬間というのを皆さんに見せたい、それについて語りたいと思って作っています。人は生きなければいけない。最後に父が娘に言うように、このじゃがいもも食べなければいけない。茹でていないので食べられないわけですよね。生のじゃがいもですから、それでも生きるためには食べなければいけない。人というのは生まれたら死にたくないわけです。死というものが最終的にあるのだけど、その事実をどうしても人は受け入れることが出来ない。抗い、闘い、そして何とか生き続けていくのです。それはもちろん扉の内でも外でも起きていることであり、それをそのまま見せたいということです」(同上)

タル・ベーラ監督
このタル・ベーラ監督の思いは、私にはとてもよく理解できる。

なぜなら、私もまた、「安定」に軟着し得ない日常性が孕む恐怖の様態を、経験的に実感しているからである。

13年前、私は脊髄損傷を受傷した。

当初は頚椎の骨折のため、殆ど四肢麻痺の状態であった私が、病床での丹念なリハビリによって、急速に身体能力を復元させていったとき、私の社会復帰を保証してくれた担当医の言葉の後押しもあって、退院時には、車椅子なしでも100メートルくらいは歩ける状態になっていた。

しかし、人生は甘くなかった。

身体能力の復元の推進力となったのは、多くの脊損傷者が経験する、「急進期」による「治癒幻想」でしかなかったのである。

いつしか、この「急進期」が途絶するや、私の身体は、もう、それ以上の復元能力を獲得することが叶わなくなっていった。

「急進期の奇跡」こそ、私の近未来への希望を支えた「治癒幻想」であったが故に、それが遮断された途端に開かれた身体能力の劣化は、私を確実に打ちのめす元凶になっていく。

初めのうちこそ、物語の父親のように、不自由な片腕(私の場合は左腕)を簡便な紐で吊るしながら歩道を歩き、ゆっくりとだが、最寄りの駅の階段を昇降し、家族にサポートされつつ、電車に乗り込んで、10分ほど、立ったまま窓外の風景を見下ろす余裕すらあった。

物語の父親
ところが、私の肉体の「急進期」があっと言う間に過ぎるや、見る見るうちに身体能力の劣化を感じる羽目になる。

それでなくとも、殆ど動かない左腕、脚力のない左足、そして、受傷以来、一瞬たりとも、痺れの地獄から解放されたことがない右足、更に、「そこだけは大丈夫」と唯一の頼りにしていた右腕も、疼痛に間断なく悩まされるに及んで、私の中のほんのちっぽけな「治癒幻想」は一遍に吹き飛んでしまった。

左手は当然使えず、右手だけで摂食したり、読書したりするという行為も叶わず、現在、私は、この疼痛を抱えた右腕だけで、パソコンの文字を打っている次第である。

そんな私が、今、最も恐れるのは、家屋内外で転倒すること。

転倒したら、自力で起き上がれない惨めさを存分に味わうのである。

だから、もう外歩きが不可能になった私にとって、それでも何とか、日々の歩行を繋ぐため、マンション内の廊下を、30分ほど歩くリハビリだけは欠かせなくなっている。

それだけが、私が今、「動いていること」の証左になるからである。

無論、脚力のない左足の能力を補強するために膝当てを付けたり、暖房着に着替えさせてもらったり、靴を履かせてもらったり等々という、配偶者のサポートを不可避としている。

2013年3月現在、私の身体能力は顕著なまでに劣化しつつも、なお、呼吸を繋いでいるのは、物語の父娘のように、〈死〉の瞬間のそのときまで生き続けねばならないと括っているからである。

だから私には、大災害に襲われて町全体が壊滅し、その犠牲者の中に自分が含まれていたとしても、「それはそれでしょうがない」と観念しているから、その類の恐怖感は全くないと言っていい。

私の中になお張り付いている恐怖感 ―― それは、一日一日、確実に〈死〉に向かっている今、この時間、この瞬間を、無駄にしたくないというただそれだけのこと。

その思いだけが、私を根柢において支えているのである。

―― 以上、私事について書き散らしたが、私の言いたいことはただ一つ。

物語の「日常性」
私がよく書いていることだが、衣食住という、人間の生存と社会の恒常的な安定の維持をベースにする生活過程である、私たちの「日常性」は、「反復」「継続」「馴致」「安定」という循環を持っていながらも、実際のところ、「日常性のサイクル」は、常にこのように推移しないということ ―― これに尽きる。

 なぜなら、「日常性」の軟着点である「安定」の確保が、絶対的に保証されていないからである。

 これは、「安定」に向かう「日常性のサイクル」が、「非日常」という厄介な時間のゾーンに搦(から)め捕られるリスクを宿命的に負っているからだ。

 その意味から言えば、私たちの「日常性」が、普段は見えにくい「非日常」と隣接し、時には「共存」していることが判然とするであろう。

 そして由々しきことに、「非日常」の極点が〈死〉をイメージさせる何かであるということだ。

とりわけ、私の場合、「反復」しているように見えても、それが、立ち所に幻想に過ぎない現実を目の当たりにするので、「継続」の実感に届くことなく、そこで惨めに味わった失望が、「絶望」という手強い妖怪に膨れ上がってしまうのは必至だった。

私は日々、「緩やかな死」を累加させて生きている。

これは恐怖である。

ほぼ万全の「安定」の確保を手に入れられない「日常性」が、「死」を極点にする「非日常」と共存する現象の実感を、いよいよ強化していく時間のリアリティだけが騒いでいて、累加させてきた「緩やかな死」を、私は、今日もまた受容していく以外になかった。

せめて、この恐怖を希釈化させるために、パソコン相手に駄文を書き散らすことで、辛うじて、「日常性」の軟着点である「安定」を保持していく。

それが幻想だと分っているが故に、私の内側で緩やかに、しかし確実に、一定の速度で、〈死〉に向かって匍匐(ほふく)している負の鼓動を実感する。

だから私は、どれほど文明に感謝していることか。

配偶者への「絶対依存」の生活を余儀なくされている私にとって、電動ベッドとパソコンの存在は、私の中のぎりぎりの尊厳を保証してくれる物理的ツールなのである。

怖れ多くも、「文明批判」などという奇麗事など言える訳がないのだ。

―― ここで、私は勘考する。

文明と乖離した「日常性」を繋いで生きていた、本作の父娘の場合はどうだったのかと。

二つの重いバケツを持って、重労働の「日常性」を繋ぐ本作の娘を見ているだけで、人生とは冷酷なものかと思う人々について、タル・ベーラ監督が思いを巡らせていたことを想起する。

思うに、本作の父娘にとって、私たちが「苛酷」であると決めつける重労働の日々は、彼らにとって「約束された日常性」であるが故に、その一連の「仕事」を、我慢し難い苦痛であると断定する発想そのものが、文明に依拠している現実に無頓着なメンタリティを露呈するものだろう。

それ以外の生活の選択肢を持ち得ない彼らには、長きにわたって繋いできたその時間の膨大な累加を、特段に「苛酷」であるという観念すらも生まれようがないのである。

人間が、拠って立っている自らの生活の在りように浮足立ってしまうのは、眼の前の、ほんの少しで、手を伸ばせば届く辺りにまで欲望の稜線が迫ってきたとき、我先にと、自分の見知りの者が動き出すという、ホットなリアリズムの洗礼を受けてしまうような経験を射程に収めてしまったときなのだ。

一貫して、文明と乖離した「日常性」を繋いで生きていた、本作の父娘のケースには、このような洗礼の被浴とは無縁であった。

だから彼らは、じゃがいも2個の食事で足りていたのである。

しかし、〈死〉のリアリティが彼らに肉薄してきたとき、生のじゃがいもでも、生きるためには食べなければならなかった。

「睡眠」と「食」だけは、僅かに残された人間の「本能」だからである。

そんな彼らが、俄に、極点としての〈死〉を実感させる「非日常」のゾーンに搦(から)め捕られるに至ったこと ―― それは、彼らの経験則の中に吸収されていない厄介な事態であった。

本作の父娘を急襲した「非日常」の恐怖は、それまでの生活を延長するだけの、非文明の馴致した風景と切れた、「緩やかな死」の累加の必然的な時間の感覚などではなく、一切の出口を塞がれた、密閉空間に閉じ込められた者に一気に噛みついてくる、〈死〉のリアリティそのものだったのだ。

そんな究極の状況に捕捉された慎ましき父娘は、一気に噛みついてきた未知の時間の急進的展開の中で、どう動き、如何に振る舞ったか。

それを検証してみよう。

以下、物語をフォローしていく。



2  無神論的終末論の観念の遊戯に堕さない恐怖が顕在化されていく予兆



「(長回しは)私の映画の言語です。俳優が逃げることができずに状況の囚人となるのです。(略)こういう長回しの映像を見ている観客はストーリーを追うのではなく、空間、時間、人間の存在を追い、それをすべて集約してその場で起きていることを感じる。そういうアプローチをすることによって、人間はより近づけると思うのです」(同上)

これも、タル・ベーラ監督の言葉。

「日常性」を繋いで生きている人々の生活様態を写し取る手法として、長回しの技法は効果的であるだろう。

唯一の収入源である、荷馬車仕事を終えて帰宅する男の「日常性」を、延々と続く長回しで捕捉するファーストシーンのインパクトは、充分に本作の基幹ラインを表現していた。

 一貫して物語を占有する、暗欝な短調のシンプルな基調音がBGMとなって、砂埃が立ち、烈風が吹きすさぶ、視界不良の貧寒の大地を、左手一本で荷馬車を操作する初老の男が、5分近い長回しのカメラの多角的なアングルに捕捉されつつ、荒涼たる風景と同化しているが、が戻るべき場所に近づいて、今度は荷馬車を歩行しながら引っ張っていく。

 男を迎えたのは、烈風で髪が逆立つ若い女。

 男の娘である。

 の娘は、馬具を外して、馬を既定の厩舎に入れた後、父娘が協力して、馬車を倉庫に入れる。

 その後、簡素な家屋に入った父娘は、いつもの日常を淡々と、要領よくこなしていく。

 右手が不自由な父の衣服を、てきぱきと着替えさせる娘。

 粗末なベッドに仰向けに横たわる父。

その間、全く会話がない。

娘は、じゃがいも2個を、それ以外に入っていない食糧箱から抜き取り、茹でていく。

じゃがいもが茹で上がるまで、ずっと窓外に視線を凝らしている。

茹で上がったじゃがいもを、それぞれの皿に盛り、娘は父に、「食事よ」と一言。

初めての台詞が、少ないカットの長回しの中で放たれたのである。

この間、20分。

渺茫(びょうぼう)として際涯なき大地に吹きすさぶ、烈風の轟音だけが記録される映像は、殆どドキュメンタリーの様式を纏(まと)っている錯誤に駆られる。

右手が不自由な父親は、左手のみで、器用にじゃがいもの皮を向き、テーブルに用意された塩をふりかけて、黙々と食べていく。

逸早く食べ終わった父親は、娘と交代するように、窓外に視線を凝らしている。

昨日もそうであったような「日常性」がリピートされた後、闇の中の床で、僅かに拾われた父娘の会話。

「木食い虫が静かだ。58年間、聞こえた続けた音がピタリと止んだ」
「本当におとなしいわ。どうしてかしら、父さん」
「分らん」

「娘は天井を、父は窓を見つめている。瓦が落ちて、地面で砕け散る音が、時折、耳に届く。暴風が唸りを上げ、容赦なく吹き荒れている」(ナレーション)

一日目が、こうして閉じていった。

―― 二日目のこと。

今日もまた、早起きした娘は、烈風の轟(とどろ)く中を掻い潜り、家屋の前の井戸から水を汲んで戻って来る。

起床した父の衣服を着替えさせる娘。

着替えが終わると、アルコール度数が40度以上あると言われる、パーリンカ(ハンガリー産の蒸留酒)を一口飲む父親。

父娘は厩舎から馬を連れ出し、仕事の準備をするが、肝心の馬が動かず、馬の世話をする娘の懇願もあって、結局、この日は荷馬車を断念する

再び、家屋に戻った父娘は、普段着に着替えるしかなかった。

薪割りをする父と、洗濯する娘。

もう、自分の作業のない父親は、窓外に視線を凝らしているのみ。

焼酎の無心に、見知りの男がやって来たのは、そんな時だった。

娘が差し出す焼酎の瓶に見向きもせず、男は長広舌を振るうのだ。

本作で、唯一、映画的な台詞が挿入されていく。

以下、相当長い熱弁を振るった男の、諄(くど)過ぎるほどの長広舌の過半を、段落構成しつつ再現してみる。

「町は風にやられた。めちゃくちゃだ。全てダメになった、何もかも堕落した。人間が一切をダメにし堕落させたのだ。この激変をもたらしたのは、無自覚な行いではない。無自覚どころか、人間自らが審判を下した。人間が自らを裁いたのだ。神も無関係ではない。敢えて言えば加担している。神が関わったとなれば、生み出されるものは、この上なくおぞましい。そうして世界が堕落した。

俺が騒いでも仕方ない。人間がそうしてしまった。陰で汚い手を使って闘い、全てを手に入れ、堕落させてしまった。ありとあらゆるものに触れ、触れたものを全部、堕落させた。最後の勝利を収めるまで、それは続いた。手に入れては堕落させ、堕落させ、手に入れる。こんな言い方もできる。触れ、堕落させ、獲得する。または触れ、獲得し、堕落させる。それがずっと続いてきた。何世紀もの間、延々と。時には人知れず、時には乱暴に、時には優しく、時には残酷に、それは行われて来た。

だが、いつも不意討ちだ。ずるい鼠のように。完全な勝利を収めるには、闘う相手が必要だった。つまり、優れたもの全て、何か気高いもの・・・分るだろう?相手をすべきでなかった。闘いを生まぬよう、それらは消え去るべきだった。

優秀で気高い人間は、姿を消すべきだったのだ。不意討ちで勝利した者が、世界で支配している。彼らは全てを奪い尽くす。手が届くはずでないものでも奪われてしまう。大空も、我々の夢も奪われた。今、この瞬間も、自然界も。不死すらも、彼らの手の中だ。全てが永遠に奪われた。優秀で、立派で気高い人間は、それを見ていただけだ。

そのとき、彼らは理解せざるを得なかった。この世に、神も、神々もいないと。優秀で、気高い人間は理解すべきだった。だが、その能力はなかった。信じ、受け入れたが、理解することまではできなかった。途方に暮れていただけだ。ところが、理性からの嵐では理解できなかったのに、そのとき、一瞬にして悟った。神も、神々もいないことを。この世に、善も悪もないことを。そのとき、彼らは燃え尽き、消えたのだ。片方は常に敗者で、もう片方は勝者だ。敗北か、勝利か、どちらかしかない。だが、大間違いだった。変化は既に起きていたのだ」

近代的合理主義に依拠した無神論と一線を画すことで、毒気満載の二ーチェ思想をなぞるように、男は、「神の死」とニヒリズムの極点をイメージさせた終末思想を、自らに酩酊する者の如く語るが、敢えて二ーチェ思想を持ち出す必要もなく、単なる無神論的終末論を語リ散らかせただけだった。

「いい加減にしろ、くだらん」

散々、男の諄過ぎるほどの長広舌を聞いている、当家の父親の我慢強さも相当のものだったが、このシーンの挿入によって、映像の「深遠なる世界観」にインスパイアされることもないのである。

 その「深遠なる世界観」は、「完全読解」したとほくそ笑む人々に占有させておけばいいのだ。

 かくて、長広舌を振るった男は、手持ちの金を置いて、焼酎の瓶を外套のポケットに入れて、容赦なく吹き荒れる「辺境の地」の中に消えていった。

ただ、「町は風にやられた」という負の伝聞が内包するリアリティが、男が振るった長広舌を、無神論的終末論の観念の遊戯に堕さない恐怖を随伴していたこと。

 これが、三日目以降、特段に違和感なく、淡々と繋ぐ父娘の「日常性」の異変の尖りと化して、はっきりと顕在化されていくのである。



 3  観る者に突き付けて来る鋭利な映像の、優勢なる世界の攻撃限界点が極まったとき



三日目。

いよいよ、「日常性」の異変の尖りが顕在化されていく。

飼い葉を食べなくなる馬。

今日もまた、荷馬車を断念する父娘。

アメリカに行くと言う、二頭立ての馬車に乗った一行が立ち現れ、勝手に井戸を使い、やりたい放題。

「悪魔のような目だ」

父の言い付けで、彼らを追い払おうとする娘に浴びせられた嘲罵であるが、メタファーの臭気が漂う一言である。

遊び半分の彼らの行為に怒った父親は、薪割り斧を持って追い払う。

アメリカにシンボライズした暴力的資本主義が、土地と水を生命線にする貧しくも、足りた生活を繋ぐ父娘を足蹴にするシーンは、極めて直截な構図の提示であった。

家屋に戻る父娘。 

娘は、一行の老人からもらった本を朗読する。

“教会という名の聖なる場所で許されるのは、神に対する畏敬の念を表わす行為。教会という場所の神聖さにそぐわない事柄は、ことごとく禁じられている。しかしながら、聖なる教会の内部において、間違ったことが行われた。聖なる教会は踏みにじられ、毎週、こうして教会に集う信徒の名誉を著しく傷つけた。そうした理由から、教会では礼拝をおこなうことができない。いつの日か、懺悔の儀式を経て、これまで行われたいくつもの間違いが改められ、正される時が来るまでは、そうしてミサの執行司祭は、集まった信徒らにこう告げた。主は皆さんと共におられます。朝はやがて夜に変わり、夜にはいつか終わりが来る。”

教会という場所の神聖さ」の権威を損なう悪徳を告発する、恐るべき文書を読む娘。

朝はやがて夜に変わり、夜にはいつか終わりが来る

物語の暗欝な展開を掬い取るような言辞は、いよいよ、父娘の「日常性」の異変の尖りによって反転するのである。

―― 四日目。

とうとう、井戸の水が枯れ尽きてしまった。

唯一の生命線である馬は衰弱し、今や、水すらも飲まなくなる。

慨嘆する父。

父は娘に命じ、荷物を整理させ、馬を随伴し、新天地を求めて移動する。

新たな「定着」への移動の旅である。

娘の荷物の中には、逝去した母と思しき遺影も含まれていた。

しかし、命を賭けた「定着」への移動の旅は、呆気なく頓挫する。

彼らには、容赦なく吹き荒れる、「辺境の地」からの脱出が不可能であるらしい。

「町は風にやられた」と、長広舌を振るった男の「予言」通りだったのか。

「出口なし」の状況に捕捉された父娘は、家屋に戻る以外の選択肢がなかったのである。

―― 五日目。

パーリンカを何杯も飲む父親。

厩舎に行って、すっかり衰弱した馬を凝視する父娘。

馬のアップがいつまでも映し出されるカット。

明らかに、何某かのメタファーであるのだろう。

馬の世話を焼く、娘だけはずっと傍らに立ち竦んでいた。

相変わらず、窓外の風景は、猛烈な風が吹きつけて、今にも、父娘が閉じこもる家屋を破壊する勢いだ。

それはもう、「日常性」で包括される風景ではない。

視界ゼロの、終末的な異界の相貌である。

家屋の中で、父は肩を落として、俯(うつむ)いている。

裁縫をする娘は、「日常性」を繋いでいる。

裁縫を終えた娘は、いつものように食事の用意をする。

 「どうしたの?真っ暗だわ」
 「ランプを点けろ忌々しい
 
 竈(かまど)の火で、ランプの灯りを点(とも)す娘。

 まもなく、油が入れてあるランプの灯りを点そうとしても、点火しなくなる。

 「何が起きてるの?」
 「分らん。寝るぞ」
 「火種まで消えたわ」
 「また、明日、やってみよう」

闇の中の会話である。

 「嵐は去り、辺りは静まり返っている。静寂が全てを呑み込む」(ナレーション)

五日目が、こうして閉じていった。

―― 六日目。

自然光が消滅し、闇の中で、父娘がテーブルで向かい合って座っている。

一切の火種を失って、生のじゃがいもを前に、父は娘に命じる。

 「食え、食わねばならん」

生のじゃがいもを、一口齧っただけで、断念する父親。

終始、うな垂れたまま、顔を上げることもない娘。

闇に溶融しながら、最期の瞬間(とき)を迎えようとする父娘の沈黙が、ラストカットとなってフェードアウトしていく。

観る者に突き付けて来る鋭利な映像の、優勢なる世界の攻撃限界点が極まったような閉じ方に、今度は、観る者が反撃せねばならないイメージを残像化して、闇への溶融が許されない、言わば、観念に相応の光彩を付与する「知」の過程を開いていくのか。

凄い映像だった。



4  〈私の生〉を生きる人生の総体に特別な価値を見出す、「人間の尊厳」のイメージについての映像提示



個人の権利と自由を尊重する個人主義をベースにする、「人間の尊厳」とは、〈私の生〉を生きる人生の総体に特別な価値を見出すことである。

私は、〈私の生〉しか生きられないし、〈私の死〉しか死ねない。

刻一刻、ゆっくりと迫ってくる〈私の死〉という、自我が物理的に破壊される最終到達点に至るまで、〈私の生〉を生き抜いていく。

それが、私にとって「人間の尊厳」の在りようのイメージである。

物語の父娘もまた、それぞれの固有の〈私の生〉を生き抜いていく。

その固有な人生の最終到達点に至るまで、彼らには、彼らに見合った〈私の生〉の在りようを引き受け、それを生きていく以外にない。

彼らは今、〈私の死〉に噛みつかれているが、まだ死んでいない。

だから、彼らは昨日もまたそうであったように、或いは、この一日で終焉するかも知れない、人生の残り火を簡単に捨てることなく、「今」、「このとき」を生きていくしかないのだ。

恐らく、声高に叫んだり、泣き喚いたりする人生のイメージは、この父娘の〈生〉の在りように相応しくないと思われるからこそ、彼らは静かに、淡々と、〈私の生〉の残り火を自ら消すことなく、その最期の瞬間まで生きていくだろう。

それが、彼らに最も相応しい人生の繋ぎ方だった。

他の何ものにも縛られない、その人生の繋ぎ方こそ、彼らの尊厳を保持する唯一の在りようなのである。

追い詰められた父娘は、自然光線が消えた闇の世界の小さな一画で、喚き叫ぶことなく、いつもと変わらぬ相貌を崩さず、生のじゃがいもを齧ることで、〈生〉を繋ぐ営為を捨てずに、一貫して、それ以外に流れていけない、その固有の「人間の尊厳」を保持していたのである。

この驚異に充ちた映像の括りこそ、「それでも生きるためには食べなければいけない」と語る作り手が、「人間の尊厳」を充分に見せねばならないという最終メッセージでもあったのか。

ともあれ、私はそういう映画として、本作を受容するが故に、殆ど反証困難なニーチェ流の、「永劫回帰」という「思想性」のパラダイムの枠内で、このインパクトの強い映像を解釈することを拒絶する。

私自身、ニーチェに馴染んでいる者の一人だが、一貫して私は、ニーチェという稀有な人物を、「切れ味鋭い心理学者」という範疇で受容してきているので、その思いは変わりようがない。

だから、ニーチェ思想を援用する映像の深読みについて、特段の関心を持ちようがないのである。        

「人生が絶望的でも、戦うことが人間の義務だ。戦わなければ、障害はどんどん大きくなり、あとは窓から身投げだ」

「インド行きの船」より
これは、私が最も尊敬するイングマール・ベルイマン監督の、「インド行きの船」(1947年製作)の中の台詞。

閉塞的な世界に閉じこもっていて、人生を直視しない恋人を救うために、主人公が放ったこの言葉に、私は、どれほど勇気づけられたことだろうか。

若きベルイマンの力強いメッセージは、万全の「安定」の確保を手に入れられない「日常性」の低層が常に揺動し、「緩やかな死」を待つだけの私の中枢を打ち抜き、「戦わなければ、障害はどんどん大きくなる」ばかりの〈私の生〉に、相当の熱量を供給してくれた。

 絶望的な色彩に染め抜かれた私の人生にあって、「戦うこと」は、単に、累加されたシビアな時間を忘れることではない。

累加されたシビアな時間の層である絶望に対峙し、そこで生まれる不安に耐え切ることである。

不安に耐え切る強さこそ、人間の真の強さである。

だから、「戦うこと」は、固有の「人間の尊厳」を保持するための、それ以外にない〈私の生〉の在りようなのである。

「それでも生きるためには食べなければいけない」と同時に、〈私の生〉の在りようを保証する固有の時間を繋いでいくのだ。

私もまた、物語の父娘のように、静かに、淡々と、〈私の生〉の残り火を自ら消すことなく、〈私の死〉の最期の瞬間まで生きていくだろう。

フリードリヒ・ニーチェ
終末の恐怖に捕捉されながらも、寡黙の日々を普通に生きる父娘の物語でもある本作を、ニーチェ思想とは全く無縁に、このように把握し、咀嚼する者もいるのだ。

人生が絶望的でも、「戦うこと」が、人間の義務であると信じている私には、この解釈が最も相応しいと思うからである。

だから私は、運命論など一切信じない。

当然の如く、「永劫回帰」の思想に惹き付けられていく何ものもない。

人生は何が起こるか分らない。

どれほど偉そうな形而上学に嵌り込んでいても、間断なく揺れ動く人間の感情の悪戯がそうさせるのか、多くの場合、人生のリアルな相貌性の様態とは、様々に交叉した偶然性が複層的に絡み合って、狙っていた本丸の中枢を正確に射抜くことなく、いつでも、ほんの少しずつ、微妙な誤作動を包含させつつ、必ずしも合理的に検証されにくい程度において、日々に繋いでいった時間の累加の果てに形成されていく何かであると思うのだ。

(2013年3月)

1 件のコメント:

  1. 心の風景、人生論的映画評論、連作小説、まだ数編しか読んでいませんが、どれも深い共感を覚えます。生身の実感が貫いている核心がそこには、ニーチェの馬、北条民雄、崩されゆく明日、
    3.11以降、私は世界の絶望を考え続け今日に至っているのですが、絶望に抗する答えを貴方の作品から読もうとしています。

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