<溶融し合うことを求めない者たちが、物理的に最近接したときの最悪の事態に流れ込んだとき>
1 「ホワイト・バックラッシュ」の攻撃性が極点に達したときの厄介な「負の状況」
かつてアメリカは、「様々な人種が、何でもそこに溶けて混ざり合ってしまう」という意味の「人種の坩堝」という用語で説明されることがあったが、今は「それぞれの人種、民族の価値観や伝統文化を尊重して、それらが多元的な価値を持つ、「サラダボウル」という言葉で説明されることが多い。
元々、坩堝(るつぼ)とは、物質の溶融・合成を行う際に使用する耐熱性容器のこと。
だから、トマトやレタスが盛られていても、決して溶け合うことがないので、世界でも有数の多民族国家であるアメリカを表現するイメージとして、「サラダボウル」という概念の方が相応しいように思える。
溶けて混ざり合ってしまうことがないから、アメリカ独立戦争(1776年)を機に増大した綿花の需要によって、南部の綿花プランテーションの急激な発展を支える労働力である奴隷として、三角貿易によって送り込まれて来た黒人たちと、元々、ネイティブアメリカンを駆逐して作ったヨーロッパ系白人たちとの間の心理的距離は決定的なものだった。
同時に、シャビーな小屋に住まわされた、黒人たちとの物理的距離の近接度もまた縮まりようがなかった。
「黒人は人間ではない」という観念が、永く、白人たちの脳裏に刷り込まれていたからである。
しかし、時代は目まぐるしく変わっていく。
これは、ある意味で、歴史の必然であると言っていい。
そして、それもまた、「ストレンジフルーツ」(奇妙な果実)として、木に吊るされ、焼殺されてきた黒人たちが、自らの命を賭けて拓いた、この運動の累加の一つの結晶が、「アファーマティブ・アクション」(積極的差別是正措置/注1)に流れ込んでいったのも、それなしに済まないほどの「負の歴史」を、躊躇(ためら)いなく実行してきた、この国の宿命だったかもしれない。
然るに、特定の人種のみを特定的に優遇するこの政策によって、何が起こったのか。
黒人中流層が幅広く形成されるようになり、黒人間の貧富の格差をより拡大してしまったのである。
「クラッシュ」より |
「ホワイト・バックラッシュ」である。
そして、自ら経済的格差に悩まされる、「プアー・ホワイト」と呼ばれる白人貧困層が、より貧しくなることで、各州で街の相貌が変容していく。
没落した白人中流層や「プアー・ホワイト」が、中流層にまで昇り切れないマイノリティ(黒人貧困層など)と、物理的に最近接する現象が出来したのである。
本作で描かれていたように、都市の荒廃が波及していくのは必至だったのだ。
物理的に最近接することで、「プアー・ホワイト」と黒人貧困層に代表されるマイノリティの、「憎悪の連鎖」という悲劇を必然化する。
勿論、全ては「アファーマティブ・アクション」の問題に起因する訳ではないが、本作では、主人公のデレクが、消防隊員であった自分の父を、消火活動中に黒人によって射殺されるという由々しき事態に遭遇したことで、それまで、黒人に対する差別意識を隠さなかった父親の影響を受けていた聡明な青年は、この事件を機に、「ネオナチ」の組織にのめり込んでいった経緯が描かれていた。
デレクが住むカリフォルニア州では、とりわけ、不法移入が引きも切らないヒスパニックへの、「アファーマティブ・アクション」の適用に対する不満をぶちまけるシーンが、印象的に拾われていた。(注2)
「今、200万の不法移民者がヌクヌクと眠っている。去年、政府は30億ドルを使って、よそ者たちの面倒をみた。30億ドルだ。連中の犯罪を検挙するのに4億ドル。なぜなら、移住帰化局が、罪人の入国に眼を瞑るからだ。政府は無関心だ。国境は形だけだ。毎晩、無数の寄生虫たちが国境を越えて這ってくる。俺たちの死活問題だ。政府は正直で、勤勉なアメリカ人を不当に扱って、国民でもない者の権利を守ろうとしている。今、貧しいのはアメリカ人だ。この国から奴らを排除しろ。アメリカはよそ者に占領される。遠い未来の話じゃない。遠い土地の話じゃない。今ここで、あのビルで起きている現実だ。あそこはミラーの店だった。ところが、アジア系が店を乗っ取り、アメリカ人を首にして、奴らを雇っている。それなのに、皆知らん顔だ。俺は頭に来た!ここは戦場と化した。俺たちは、この戦場の真っ只中だ。出陣だ!」
ここでデレクがアジった内容は、「アファーマティブ・アクション」によって守られている、メキシコから不法に入国して来るヒスパニック対する不満と、同様に、「アファーマティブ・アクション」によって、アメリカ人の店がアジア系の住民に譲り渡された現実に対する憤怒である。
そして、この憤怒の感情が「プアー・ホワイト」ばかりか、典型的なWASP(アングロ-サクソン系で、且つ、新教徒である白人)の中流家庭で育った聡明な青年で、「アメリカの息子」(注3)を読み、真面目に授業に取り組む高校生だったデレクの「憎悪の連帯」を惹起するに至った。
デレクの変貌が、前述したように、彼の父親の不幸な死に起因していたのは言うまでもない。
父親の不幸な死が惹起したのは、自ら働いて稼がねばならないという「生活の圧力」であった。
喫煙を止められない母親と、弟妹たちの生活の面倒をも看なければならないという「生活の圧力」は、このような状況下に追い遣った黒人貧困層に対する憎悪を、弥増(いやま)していくのだった。
この極めてインパクトの強い衝撃的な映画の社会的背景には、「ホワイト・バックラッシュ」の攻撃性が極点に達したときの、極めて厄介な「負の状況」が横臥(おうが)しているのである。
(注1)「ニクソン政権以後、従来、過少代表されてきた少数民族や女性・障害者などに雇用・昇進・入学などの機会を積極的に与えるよう指導するアファーマティブ・ア
クション政策が推進された⇒黒人の社会経済的地位の向上に貢献し、黒人中産階級も幅広く形成されるようになった。しかし具体的な数値目標を設定して少数民族を優遇するため、『逆差別』という批判も根強く起こってきた」(神戸大学・国際文化学部アメリカ文化論講座HP「アメリカ社会概論」より)
(注2)「最近のカリフォルニア州では、州立大学の入学審査において積極的差別是正措置の適用を禁じる法律が住民投票により採択された。1996年にはカリフォルニア州でマイノリティー優遇措置を禁ずる州憲法修正定案209号が州民投票で54%の賛成により、可決された」(ウィキ)
2 溶融し合うことを求めない者たちが、物理的に最近接したときの最悪の事態に流れ込んだとき
南カリフォルニアのベニス・ビーチの、吹き溜まりのようなダウンタウンで、溶融し、混ざり合うことを決して求めない者たちが、野外や学校などの様々なエリアで、物理的に最近接したらどうなるのか。
一つの重大事故の背後には、29の軽微な事故があり、その背景には300もの「ヒヤリハット」(ヒヤリとしたり、ハッとする危険な状態)が存在するという、「ハインリッヒの法則」を援用すれば、300もの殆ど目立たないような小さな事故(事件)が、あってはならない、一つの由々しき大事故(大事件)の呼び水になる蓋然性は高まるだろう。
過去の出来事をモノクロの画像で映像提示する本作は、その日の出来事を丹念に拾い上げていた。
南カリフォルニアのベニス・ビーチ |
シャイな高校生である弟ダニーは、その尖り切った風景を、恐々と傍観しているだけ。
そして、父の死後、すっかり精神的に落ち込んでいた母は、長男の罵倒を止めようとしても為す術もなく、置き去りにされるばかりだった。
デレクによる悪罵によって傷つけられた母の愛人は、「狂っている」と言って、立ち去っていく。
追い駆ける母。
「お終いだ」
その言葉を受容する以外にない母は、自宅の前の縁石で跪(ひざまず)いていた。
その日、「ネオナチ」の恋人を招いていたデレクは、「出て行って」という母の言葉に、「明日、出ていく」という言葉を残して、2階の自室のベッドに恋人と共に潜り込んでいく。
あってはならない事件が起きたのは、その数時間後だった。
父の愛車であり、現在は、デレクが使用している車のフロントガラスを破壊している3人の黒人たち。
黒人への殺害 |
その現場を弟から聞き知ったデレクは、拳銃を携え、玄関の扉を開けるや、拳銃を乱射し、2人の黒人を射殺した。
未だ息のある、リーダーと思しき黒人への殺害は、常軌を逸していた。
「縁石を口でくわえろ」
デレクは、倒れている黒人に、そう命じるや、相手を上から踏み潰すストンピングを行い、惨殺したのである。
これは、縁石で跪(ひざまず)いていた、デレクの母の悲哀の構図と対比する効果を際立たせていた。
ともあれ、デレクの犯罪は、「白人至上主義」を標榜する「ネオナチ」という、チープなイデオロギーに補完されることで、彼らの内側で累加され、極点に達したときの「ホワイト・バックラッシュ」が炸裂する、厄介極まる情動氾濫だった。
バスケットボールのコート争い |
思うに、単に車上荒らしが目的であったと仮定しても、デレクの車のフロントガラスを破壊した黒人たちの犯罪の発火点が、バスケットボールのコートの占有を巡る、もはや、収拾がつかない対立が背景にあった事実を無視し難いだろう。
なぜなら、バスケットボールのコートの占有を巡るゲームで、黒人グループの指揮を執っていたのが、デレクのストンピングで惨殺された黒人だった事実を想起すれば、彼らの車上荒らしが、デレクを特定的に狙った行為であった可能性を否定できないからである。
「相手を間違えたな」というデレクの言葉が気になるが、ダウンタウンの狭いエリアで敵対する黒人たちが、「ネオナチ」のアジテーターであるデレクの存在と、彼が住む家を知らなかったとは思えないのだ。
いずれにせよ、溶融し、混ざり合うことを決して求めない者たちが、物理的に最近接したときの最悪の事態に流れ込んでしまったこと ―― これが全てだった。
3 「憎しみとは耐えがたいほど重い荷物。怒りにまかせるには人生は短すぎる」
懲役3年の刑を受け、デレクが刑務所で目の当りにした現実は、白人でありながら、ヒスパニック系の囚人とのドラッグ取引の現場だった。
同じ白人でありながら、自らの拠って立つ国家への忠誠心を裏切る現実を直視させられることで、デレクが白人仲間からも距離を置くようになったのは、元来、「大義」というロゴスに依拠しつつも、そこに集合する情動を束ねる心理的推進力によって支えられていた、ピュアなデレクの人格の芯を傷つけるに至ったからだった。
ラモント |
加えて、凶暴性とは無縁なラモントの刑が、テレビを盗んだ挙句、待ち構えていた3人の警官に逮捕され、その際、驚いてテレビを落下させ、それが警官に当って怪我をさせただけで、暴行罪が適用され、懲役6年の実刑判決を受けているという理不尽な事実を知らされたことは、聡明なデレクの知性が、この国に置かれている貧しい黒人に対する極端な偏見と差別を、否が応でも認知するのに充分過ぎる情報だった。
刑務所内で、ドラッグ取引をする白人の囚人グループと距離を置くデレクが、彼らからシャワー室で襲われ、レイプされた挙句、大怪我を負う事件が出来したのは、「掟」に背馳した者への必然的受難であったと言える。
「自分でも混乱しているんだ。もう自信がない。今までの狂信的な自分が嘘のようだ」
これは、刑務所にデレクの面会に来た、ダニーの学校のスウィーニー校長に対して、デレクが吐露した弱気な言葉。
ダニー |
弟のダニーがデレクの影響を受け、大きく変わっていく現実を憂慮したスウィーニー校長は、ダニーへの洗脳の責任をデレクに求めたのである。
「自分も昔、黒人に対する、いわれなき差別を憎んだ」
スウィーニー校長は、そう言った後、本作で最も重要なメッセージが挿入される。
「怒りは君を幸せにしたか?」
その言葉を受容しつつあったデレクは、涙を浮かべながら、「助けてくれ」と本音を吐露するのだ。
「助けて欲しければ、堂々と戦うんだ」
スウィーニー校長は、畳み掛けていく。
嗚咽するデレク。
その直後の映像は、自分を襲った6人の白人たちを無視する態度を、凛として貫くデレクの意志が提示される。
「白人たちが防波堤になっていたんだ。それを失ったら、君は黒人に襲われるぞ」
そのデレクの様子を視認したラモントは、今や、「相棒」となったデレクにアドバイスする。
それを受け流すデレク。
彼は、まず、刑務所内で堂々と戦い切った後、出所する覚悟を持つに至ったのである。
ここ一番での、スウィーニー校長の影響力の強さを印象づけるシーンだった。
「俺は毎日怯えて暮した。襲われるのは時間の問題だ。一気に死にたい。だが無事だった。連中たちの殺意を肌で感じているのに、俺は集団から離れて、差し入れの本を読んだ」
デレクのモノローグである。
聡明なデレクは、白人グループという防波堤を失っても、刑務所内で最も権力的な黒人たちからの襲撃から免れることができたのが、ラモントの尽力に因るものである事実を察知し、そのお陰で「恐怖の3年間」を乗り越えられたことに感謝の思いを込め、出所していった。
過去の出来事をモノクロの画像で提示したのは、ダニーへの洗脳の責任を感じたデレクが、刑務所内での「恐怖の3年間」を、如何に乗り越えられたかについて、ダニーに語り尽くすためでもあった。
デレクとダニー |
「自分なりに考えてみた。なぜ暴走したのか。原因は怒りさ。だが、怒りは消えなかった。二人の人間を殺してもだ。何の変化もない。空しくなって、怒りも消え失せた。疲れたんだ」
ダニーに語る、デレクの真情である。
そのダニーの洗脳を解くために、スウィーニー校長がダニーに与えた課題は、「兄弟」というテーマで作文を書くこと。
校長とダニーの、二人だけの「授業」の名は「アメリカン・ヒストリーX」(注4)。
デレクの真情に触れたダニーは、兄の「白人至上主義」のルーツが、兄弟の父の偏見に満ちた思想傾向に淵源する事実を、作文に記していく。
「最近は目に余る。差別撤廃運動は。『平等な社会』なんて戯言さ。お前は白人を捨てて、黒人を取るのか」
「アメリカの息子」を読んでいるデレクに対して、兄弟の父は、そう言い放ったのだ。
「憎しみとは耐えがたいほど重い荷物。怒りにまかせるには人生は短すぎる」
ダニーは、課題作文に、そう記したのだ。
ファーストシーンで睨み合う二人 |
それを、スウィーニー校長に届ける元気な表情を映し出した直後、ファーストシーンで睨み合った黒人少年に、同じトイレで射殺されるに至った。
ここで、弟を抱いて慟哭するデレクの、陰惨なラストシーンが閉じていく。
それは、「憎悪の連鎖」を氷解させていくことの困難さを、それ以外にない衝撃的な構図のうちに切り取ったカットだった。
(注4)ここで言う「X」とは、マルコム・Xのネーミングが象徴するように、奴隷所有者によって、家族名が不明な個々の黒人奴隷に付けられた識別番号のこと。
4 シンプルな映画のシンプルな物語のうちに、根源的なテーマを繋いでいく難しさ
本作は、俳優依存型の典型的な映画だった。
アファーマティブ・アクションに対する「ホワイト・バックラッシュ」という、極めて厄介な問題を内包させつつ、差別に端を発する「憎悪の連鎖」という悲劇に流れていきつつも、結局は、「反差別」というフラットな基幹テーマのうちに収束させていく以外にない物語を、エドワード・ノートンの完璧な表現力に依拠することで、決定的に成就した映画だった。
本来は、解決困難な問題を扱っているにも拘らず、「衝撃の逆転譚」のインパクトによって、観る者の感情を鷲掴みにする効果は、極めてマイナー系のBGMを流し続け、ハリウッド特有のアップやスローモーションの多用のうちに増幅させていく。
シンプルな映画のシンプルな物語のうちに、根源的なまでに難しいテーマを繋いでいくには、このような彩りを添えた構成が、果たして不可避だったのか。
これが、「差別」の問題を映像化するときの仕掛けであるとするならば、いっその事、このような仕掛けを必要としないドキュメンタリーとして立ち上げていった方が、より誠実な対峙の在りようであるようにも思える。
デレクとダニー |
「憎しみとは、耐えがたいほど重い荷物。怒りにまかせるには人生は短すぎる」
これは、ラストシーンでの、ダニーの言葉。
シンプルな映画のシンプルな物語を自己完結するには、このようなシンプルだが、その実現の困難なテーマを煙に巻くような、柔らかい言辞のうちに括ってしまう以外にないのだろう。
それでも私は思う。
何も、自らが提示した問題を、映像の中で解答を用意しなくてもいいのだ。
だから、一切は、提示した映像が包含する難解なテーマを、観る者に引き取ってもらって、それぞれの問題意識の中で考察していけば、「それで良し」と括ってしまうという方略も可能である。
それにしても、エドワード・ノートン。
「エドワード・ノートン(Edward Norton)さんなど、資金面でシー・シェパードを支える著名人は多い」(シー・シェパードを支援するエンタメ界の大物たち・AFPBB News 2010年1月8日)と書かれた内実に大いに不満を持つ私だが、本作への批評とは無縁であるが故に、その辺りの言及はやり過ごしたい。
デビュー2作目で、これだけの表現力を見せつけてくれたエドワード・ノートンの才能に感服すること頻りだが、それでも尚、アカデミー最優秀男優賞を獲得できなかったことが、未だに信じ難い気持である。
「25時」より |
5 「白人至上主義」という「イデオロギー」の爛れ方 ―― 差別の問題に寄せて
私は、観念としての「差別意識」と、身体表現としての「差別行為」を分けなければならない、と考えている。
前者は、人間である以上、何らかの形で自分が置かれた環境下で、殆ど自然裡に形成されてしまうものである。
前者は、人間である以上、何らかの形で自分が置かれた環境下で、殆ど自然裡に形成されてしまうものである。
例えば、知人の子弟が東大に合格したとき、その子弟を賞賛する者の儀礼的な言葉のうちには、既に大学のレベルを序列化する優劣意識が含まれている。
或いは、自分の瞳の美しさを褒められても、少し鼻が上向きであることをからかわれて怒ったとすれば、その者は自分の身体の器官に対してすらも優劣感情を抱いていることを暴露してしまうのだ。
思うに、自我によって生きる人間は、森羅万象に優劣の価値づけを措定して生きていかない限り、自分が守るべき文化的、経済的、物理的、そして何よりも、自分の拠って立つ精神世界を維持して生きていけないのである。
私たちは、その人格的なるもの、内面的なものにまで、眼に見えない商品価値性を被せて、その日常性を繋いでいるということ。
思うに、自我によって生きる人間は、森羅万象に優劣の価値づけを措定して生きていかない限り、自分が守るべき文化的、経済的、物理的、そして何よりも、自分の拠って立つ精神世界を維持して生きていけないのである。
私たちは、その人格的なるもの、内面的なものにまで、眼に見えない商品価値性を被せて、その日常性を繋いでいるということ。
「アメリカン・ヒストリーX」の始まり(スウィーニー校長)
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まず、この現実を把握しておくことである。
もっとも、以上の意識を「差別意識」という大きな概念の枠組みで括るには、確かに問題があるだろう。
もっとも、以上の意識を「差別意識」という大きな概念の枠組みで括るには、確かに問題があるだろう。
しかし、要はそのような優劣意識が、偏見や狭隘な信仰、思想等と結びついて膨れ上がってしまうと、それが明らかな「差別意識」となって、身体表現に繋がる危険性を大いに孕んでしまうということだ。
人は皆、それぞれの意識の個人差があっても、何らかの形で「差別意識」を持ってしまうことは認めざるを得ないのである。
人は皆、それぞれの意識の個人差があっても、何らかの形で「差別意識」を持ってしまうことは認めざるを得ないのである。
ただそれが、過剰なほど膨張しているか、或いは、理性的に抑制されているかによって、そこに決定的な分岐点が発生するということなのである。
だから「差別意識」が抑制されず、集団的にそれが解放されて身体化されてしまうと、それは既に、圧倒的に暴力性を含んだ「差別行為」に流れ込んでしまう怖さを持っているだろう。
それこそが、人類史の醜悪さを晒す事態として、私たちの歴史に刻まれてしまうのだ。
これらの感情から、全く無縁に自我を作り得るほど、私たち人間は気高くないのである。
だから、それらの意識をできる限り外部環境に表出しないように、人は努めている。
それもまた、私たち人間の自我の緊要な仕事であるということなのだ。
改心したデレクと「ネオナチ」の仲間
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しかし、そこに偏見という厄介な感情形成が絡んでくると、人は内なる「差別意識」を肥大させ、しばしば、それを表出しやすい条件と繋がるとき、その「差別意識」が身体表現としての「差別行為」に結ばれてしまうのである。
私たちがよくよく注意しなければならないのは、この「差別行為」の発動の現実に直面したときである。
人が確信的に「差別行為」に踏み込んでいくのは、そこに偏見という感情が強力に媒介されるからである。
因みに偏見とは、私の定義によると、「特定の価値観に対する過剰な感情」である。
例えば偏見には、様々な様態がある。
人間の感情というものは、あまりにその振幅の差が大きいからである。
当然、そのベースには、本人が自覚的に意識する、しないに拘らず「差別意識」が根柢にあり、そして、その偏頗(へんぱ)な感情傾向をほぼ自覚的に膨張させるとき、そこに、その性質の強弱、是非とは無縁に、偏見という感情傾向が出来するのである。
ところが偏見だけでは、簡単に「差別行為」に結びつくことはない。
偏見を「差別行為」に結び付けるには、それを媒介するに足る様々な内的、外的条件が必要となるであろう。
それらの条件とは、例えば「権力関係の形成」であったり、「個別なるフラストレーションへの、耐性限界の内的情況」であったり、「特定空間における集団パニックの心理状況」であったり、或いは「閉鎖的で、排他的な共同体の基盤の形成」等々である。
そして、偏見を「差別行為」に結び付ける極めつけは、「イデオロギー」の介在という、極めて厄介な問題である。
そして、偏見を「差別行為」に結び付ける極めつけは、「イデオロギー」の介在という、極めて厄介な問題である。
私の定義によると、「イデオロギー」とは、特定の価値観を絶対化し、そこに情感系と観念系を丸投げすることである。
当然の如く、特定の価値観への濃度の高さは、「イデオロギー」の濃度の高さと同義になる。
「イデオロギー」の濃度の高さは、それと背馳する価値観を排除する原理に流れ着かざるを得ないということ ―― これが厄介なのだ。
「イデオロギー」が「排除の原理」を丸抱えすることで、排除の対象となる者たちが特定化されていくのである。
何より看過できないのは、この「排除の原理」によって特定化された者たちへの攻撃性が増幅するという負の因子を、イデオロギーが本来的に内包しているというその在りようである。
そして、「イデオロギー」に拠って立つ者たちが集合することによって成る「憎悪の連帯」が、そこに、一切の相対主義を排除する尖り方のうちに分娩されるのだ。
遺伝子組換えを実施する研究施設等への襲撃を続ける「地球解放戦線(ELF)」、捕鯨船を爆破・沈没させる「シーシェパード」、「動物虐待阻止」という理念の下に、動物実験の施設への非合法活動を続ける「ストップ・ハンティンドン・アニマル・クルエルティ(SHAC)」などの例を挙げればきりがないが、要するに、エコテロリストと称される彼らの行動原理は、法で守られているにも関わらず、人間のモラルをも直接行動主義によって、「人民法廷」の把握のうちに断罪し、裁いてしまうのだ。
アルテュール・ド・ゴビノー |
「イデオロギー」は人間を踏み台にするだけでなく、その人間の主体をもダメにしてしまうのである。
人間を踏み台にする「イデオロギー」の暴走の一つの極点は、本作で暴れ捲っていた、「白人至上主義」という名の、情感系と観念系を丸投げの様態だった。
この「白人至上主義」を提唱したアルテュール・ド・ゴビノー(19世紀のフランスの外交官・作家)によって、観念的な意匠を纏(まと)うことによって、インド・ヨーロッパ語族全体を包括する広義のアーリア人概念と切れて、ドイツ民族を筆頭に、金髪碧眼の白色人種アーリア人を最も優秀であるとする、ヒトラー流のナチズムの排外主義に繋がったのである。
ヒトラー流のナチズムの排外主義が、「ネオナチ」というチープなイデオロギーに流れ込んでいき、21世紀段階の今でも、ネオナチズム政党として非合法化の問題を抱える、ドイツ国家民主党の存在が取り沙汰されているほど根が深いのである。
以上、縷々(るる)言及してきたが、これらの条件が人間、或いは、共同体の内に胚胎する偏見の感情と結びついたとき、そこにモラルパニックが生まれ、しばしば言語を絶する差別行為に流れ込んでいくことになる。
ヘイトクライム(偏見に基づく差別的犯罪)である。
それを身勝手な優生思想などに結びつけて、恰も、それが体系的な思想信条であるかのように装ったところで、そこには全く科学的根拠が存在しないので、それは出来の悪いカルト的信仰のレベルと変わるものではないのだ。
ヘイトクライム(偏見に基づく差別的犯罪)である。
それを身勝手な優生思想などに結びつけて、恰も、それが体系的な思想信条であるかのように装ったところで、そこには全く科学的根拠が存在しないので、それは出来の悪いカルト的信仰のレベルと変わるものではないのだ。
これは、1896年の「分離しても平等に」という最高裁判決によって制度的に保障された有名なケースだが、この制度の内実は、ホワイトとカラードの分離を前提とするものだから、誰もそれに文句を言えない暴力機構として、継続的に立ち上げられてしまったということである。
この制度が、1954年の最高裁判決によって形式的に否定されるまで、南部では普通の生活様式として堅固に定着していたのである。
「差別行為」が制度によって保障されることで、決定的な暴力機構の役割を果たしてしまうという典型例が、そこにある。
KKK団 |
しかしこのシステムは、「差別行為」を制度化するこの国の憲法によって暗黙裡に保障されてしまったため、本来、弱き者たちの共同体が、そこに、抑圧と迫害の忌まわしい歴史をどれ程刻んでも自らを弾劾し、裁いていこうとする人間の自己浄化への契機を形成することは決してなかった。
それが、弱き者たちの本来的な生態なのである。
しかし、彼らは決して自らの弱さを認めないであろう。
寧ろ必要以上に、その弱さを否定する儀式をこそ求めてしまったのである。
そのような儀式こそ、不埒なる黒人たちの首を大木に公然と吊るすという行為であった。
弱き者たちが、その自らの弱さを否定するためには、自分たちよりも遥かに弱い者たちに対する圧迫を加え、彼らを抑圧することによって、束の間手に入れる「強さ」と「誇り」を、「確信的」に信仰していく以外になかったのかも知れない。
思えば、奴隷解放宣言(1863年)に至るまで、この国には「ワン・ドロップ・ルール」(黒人の血が一滴でも混じっている者=黒人)という観念が形成されていたことで、その一滴の血の「汚れ」に対する意識は過剰に膨らまされていったに違いない。
奴隷貿易の歴史から始まったこの問題の深刻さは、現代史に至って具現した、表面的な福祉政策の充実化等(「アファーマティブ・アクション」)の制度的処方によっても、なお容易にクリアし切れないテーマを内包しているということなのか。
個人的に特別な能力や才覚を持ち、周囲からの差別の視線の集中砲火にあっても、倒れないほどのパワーを内蔵する、ごく一握りの例外を除けば、「黒人問題」の現在的課題の克服は、依然として先送りにされているということであろう。
(2013年2月)
しかし、彼らは決して自らの弱さを認めないであろう。
寧ろ必要以上に、その弱さを否定する儀式をこそ求めてしまったのである。
そのような儀式こそ、不埒なる黒人たちの首を大木に公然と吊るすという行為であった。
弱き者たちが、その自らの弱さを否定するためには、自分たちよりも遥かに弱い者たちに対する圧迫を加え、彼らを抑圧することによって、束の間手に入れる「強さ」と「誇り」を、「確信的」に信仰していく以外になかったのかも知れない。
思えば、奴隷解放宣言(1863年)に至るまで、この国には「ワン・ドロップ・ルール」(黒人の血が一滴でも混じっている者=黒人)という観念が形成されていたことで、その一滴の血の「汚れ」に対する意識は過剰に膨らまされていったに違いない。
奴隷貿易の歴史から始まったこの問題の深刻さは、現代史に至って具現した、表面的な福祉政策の充実化等(「アファーマティブ・アクション」)の制度的処方によっても、なお容易にクリアし切れないテーマを内包しているということなのか。
個人的に特別な能力や才覚を持ち、周囲からの差別の視線の集中砲火にあっても、倒れないほどのパワーを内蔵する、ごく一握りの例外を除けば、「黒人問題」の現在的課題の克服は、依然として先送りにされているということであろう。
(2013年2月)
この映画、確かに傑作だがご指摘の通り、エドワード・ノートンの演技力によるところが多分にあると思う。
返信削除「真実の行方」を私はNZのGreymouthという南島西岸の小さな街の映画館で見た。オートバイで旅をしていたので、アーサーズ・パスという峠の天候待ちのための調整日だった。
裁判物を英語で見るのはキツいだろうと思っていたが、なぜかこの映画は最初から最後まで理解できたような気がした。
デ・ニーロのような圧倒的な演技力を持った俳優の登場に胸を躍らせた。撮影監督がマイケル・チャップマンだったというのも当時の私を刺激していたような記憶がある。
しかしながら、その後、ハリウッドはノートンを活かしきれていないような気がする。
「25時」は残念ながら、これまたNZのクライストチャーチで妻と一緒に見たが、最初から最後まで英語が理解できず、何を言いたいのか全く分からない映画となってしまった。(心に灼きつく3本の中の一本だと知って、今度再見してみようかと考えています。あ、「殺人の追憶」は先日再見しました。)
「バードマン」での演技を高く評価されたにせよ、それは当然の帰結と言ったところで、そもそもこの20年間、彼は何をしていたのだろうか?
フィリップ・シーモア・ホフマンのように演じることの深淵を覗いてみるような役者になってくれると期待していたのですが・・・