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2016年8月16日火曜日

エル・スール(’82)    ビクトル・エリセ


が失った振り子を繋ぎ、それを自我の確立に変換させ、昇華し、社会的自立ていくの物語>





ゼロ年代以前に作られたヨーロッパ映画の中で、ベルイマンとハネケ映像群を別格にすれば、私はこの「エル・スール」が一番好きだ。

オメロ・アントヌッティの僅かなセリフと表情のみで、人間の孤独の極限的な様態を、ここまで抉(えぐ)り出した映像に、唯々、心打たれる思いである。

「エル・スール」 ―― この珠玉の名編は、私の人生の糧となる映像である。





1  「父は私の挑戦に対して、沈黙のゲームで、私より悩みの深いことを知らせているのだ」





エストレリャ
静謐な室内に入ってくる透き通ったような空気感の中に、明度の低い黒基調の画像の広がりから、光の差し込みによって徐々に明度が高まり、思春期後期と思われる少女・エストレリャが、飼い犬の吠える喧しい外の物音で目を覚ます。

屋内では、母・フリアが、家政婦・カシルダに「夫がいないのよ」と騒いでいた。

「アグスティン!」

自分の夫の名を、大声で呼ぶ母。

スペイン北部の村の一角で暮らすエストレリャが、県立病院の医師である父・アグスティンとの永遠の別離予覚したのは、枕の下に、ダウジング(振り子などの器具を用いて、水脈や鉱脈を探り当てる占い)用の父の振り子を見つけた時だった。(トップ画像)

父と娘
霊力を頼りに屋根裏で音を立てているダウジング用の振り子は、それを駆使して、村人からの尊敬を集める父への親愛さを増すに足る、最も重要なアイテムだった。

そんな大切な振り子を、娘の枕の下に置いていったのである。

「私たちは、よく引っ越しました。父が職を得たのは、北の城壁に囲まれた川沿いの町でした。郊外に借りた家には、呼び名がありました。かもめの家。田舎と町の間に、ぽつんと建つ一軒家で、家の前の道を、父は“国境”と呼んでました」(成人期のエストレリャのモノローグ/以下、モノローグ

スペイン内戦で権力を掌握したフランコ政権の独裁体制下の1957年秋のこと。

ここから、エストレリャの回想シーンが開かれる。

児童期のエストレリャ。

尊敬する父から振り子の使い方を教えてもらい、父と共有する時間を愉悦する。

ダウジングで水脈を発見し村を救うような奇跡を行なう父の傍らに、必ずエストレリャがいる風景は、児童期の少女にとって、何より代えがたいことだった

「父が奇跡のようなことをできても、私には、父だから当たり前のことと思えました。母は、内戦後の報復で教職を追われた人で、家で私に教えてくれました。父の生まれは、私の知らない謎でした。過去を知らなくても、謎と思いませんでした。父と一緒にいられれば、何も考えず、満足でした」(モノローグ

雪が積もる冬の日だった。

「それが少しずつ謎になったのは、母の話を聞いてからです」(モノローグ

母の話によると、スペイン南部では雪が降らないとのこと。

「私たち、なぜ一度も南に行かないの?」

母・フリアと児童期のエストレリャ
好奇心旺盛な少女は、率直に疑問をぶつける。

「パパは若い時に出て、戻りたくないからよ」
「なぜ、出たの?」
「お爺様と仲が悪くて、犬と猫みたいに喧嘩したそうよ。パパは逆らい、お爺様は許さなかった」

「この話を聞いて、私の空想は掻き立てられ、懸命にイメージを探しました。現実の距離を無視して、北の反対側で、ヤシの木のあるところが南でした。南で、父と祖父とに何かが起こって、父は、その地を永遠に捨てた…その南から、5月のある日、私の初聖体拝受のために、女の人が二人来ました」(モノローグ

かもめの家」に訪ねて来たのは、祖母と乳母・ミラグロス。

アグスティンと乳母・ミラグロス
陽気でお喋り好きのミラグロスの話から、父と祖父の対立の原因が、スペイン内戦における考え方の違いにあると知らされるが、児童期の少女には、その意味が全く理解できない。

「内戦の前の共和制の頃は、お爺様が悪い側で、パパが良い側だった。フランコが勝ってから、お爺様は聖人に、パパは悪魔になった。世の中、勝った方が言いたい放題なのよ」
「なぜ、パパは監獄に?」
「戦争に負けると入れられるの」

そして、迎えた初聖体拝受式(神父によって、キリストの血と肉を象徴するぶどう酒とパンを信徒が受け入れる)。

教会嫌いの父は、その朝、一人で猟銃を発砲していた。

それでも最愛の娘のために、アグスティンは教会の入口に立っていた。

「私のために来てくれた」

エストレリャは、小さく呟くのだ。

エンリケ・グラナドス(スペイン近代音楽の作曲家)作曲の「エン・エル・ムンド」の調べに乗って、父と娘がダンスを踊る。

信愛を深める父と娘の関係が、至福を示す重要なエピソードである。

その日、南に帰っていく祖母とミラグロス。

「それから少しあとか、多分、同じ頃でした。父の心に別の女性がいると知ったのは…モノローグ

の女性の名は、イレーネ・リオス。

エストレリャ母・フリアに、イレーネ・リオスを知っているか尋ねるが、心当たりがないと一蹴(いっしゅう)される

「母が何も知らなかったので、の女性の名にの秘密を嗅ぎました。それと知らずに、私はの共犯者になていました。それから数カ月たって、思いがけぬことに、イレーネ・リオスが実在すると知ったのです。学校からの帰り道でしたモノローグ

「日陰の花」のイレーネ・リオス
たまたま通りかかった映画館のポスター、「日陰の花」という映画の主役を演じていた女優の名がイレーネ・リオスである事実を確認したエストレリャは、映画館の前で、父が出て来るのを待っていた。

イレーネ・リオスの本名はラウラ。

カフェに入って、そのラウラに手紙を書くアグスティン。

以下、観る者だけが知る手紙文面。

「愛するラウラ。今頃になって僕の手紙が届くと驚くだろうが、恋に狂った男が君を殺す映画を、今、観たばかりだ。まさか、映画の物語が現実とは思わないが、僕は迷信家だからね。君が無事に生きているか、確かめたくなった。たとえ芸名に隠れて生きているにしても、君を殺した俳優は悪くなかったが、主役はうまくなかったよ。居所が分らないから、セビリャに送るよ」(セビリャはスペイン南部の港湾都市)

カフェの窓ガラスを叩くエストレリャ
その父が座っている、カフェの窓ガラスを叩くエストレリャ。

「あの時の父の顔は忘れられません。カフェで書いていたものから目を上げ、窓のガラス越しに私を見た父。父は何か、後ろめたそうでしたが、その時の私は何も分らず、ただ、手紙を書いていると思っただけでした。私の中の父のイメージが変わり始めました。突然、父を何も分っていないと気づきました」(モノローグ

そして、ラウラから手紙の返事を受け取るアグスティン。

アグスティン。もう8年も前に、あなたへの夢は捨てたのですよ。どんなに孤独だったか想像できないでしょう。苦しかったけど、慣れました。一言の便りもなかったのは、当時の事情から、当たり前だったし、それに、あなたは私より大切な人々がいました。私はそれを自分に言い聞かせたのです。なのに、今になって、なぜ手紙を下さったの?なぜ、今?私が生きているか?生きてますよ。で、何なの?映画の魔力が手紙を書かせた?私は映画を1年前にやめました。方々探して、あの場所は見つからなかった。覚えてる?あれは、元々なかった場所かも知れませんね。今は、家に戻りました。過去との縁も薄れました。過去に拘りたくないし、未来が大事です。確実なのは、私も年を取るということです。映画は4本出ましたが、3本まで殺される役でしたよ。撃ち殺され、刺し殺され、靴下で絞め殺され…あなたなら、どれを選びます?それも私でなく、殺され、埋められたイレーネ・リオスの冗談。彼女への手紙に、代筆で返事を書いていたら、変な罠に嵌りました。過去を思い出し、悪い冗談を書いてしまって。あなたが手紙など下さったからですよ。一体、何が望みなのです?二度と手紙しないで。返事が辛すぎます。時間とは容赦ないものですね。年はとっても、今でも、夜は怖くなります」(ほぼ全文)

この長い手紙のあと、エストレリャは、「夜、父が黙って家を出たのは、この時が初めてでした」(モノローグ)と回想する。

無論、彼女に、この時点で、父とラウラの手紙のやり取りと、その文面など知る由もない。

「父が戻った時は、誰も気づきませんでした。こっそり裏口から入ったのでしょう」(モノローグ

父の秘密を知るエストレリャ
父に対するエストレリャのイメージが変化し始めたの、父の家出の頃からだった。

振り子を使わなくなった父。

私はある日、家の中の重苦しい空気に抗議するために、ベッドの下に隠れることにしました。母とカシルダが心配して、を探しています。私は隠れたまま、沈黙で挑戦します。母たちは、あちこち探している様子でした。夜が近づいてきました。父は家にいたのです。私を探しに来てくれるのを待ったのに、私の沈黙に、父は沈黙で応えたのでした。突然、私は気づきました。父は私の挑戦に対して、沈黙のゲームで、私より悩みの深いことを知らせているのだと」(モノローグ

父との心理的距離を既に感じてしまっている少女は、嗚咽するしかなかった。




2  「私は興奮を抑え切れませんでした。初めて、南(エル・スール)を知るのです」





「私は何とか、早く大人になって、遠くへ逃げたいと思っていました」(モノローグ

そして、エストレリャの回想シーンが、「大人」の入り口である思春期後期に繋がっていく。

「私も人並みに成長しました。一人でいることにも、幸福を考えぬことにも慣れました」(モノローグ

壁に「愛してる」という落書きするボーイフレンドもできるが、エストレリャはどうしても、恋に積極的になれない。

病気がちの母と父との関係がうまくいかず、何より、あれほど大きな存在だった父との心理的距離が乖離していっても、孤独の陰翳(いんえい)を深めるばかりの父への思いが断ち切れないのである。

「学校の帰りに、夕陽の残照に街の灯が灯り始める頃、私は一人で街を歩くのが好きでした。イレーネ・リオスの名は、ポスターを見る度に探しましたが、見られなくなりました。地球のどこかに吸い込まれたかのように」(モノローグ

その街の一角で父を視認したエストレリャは、アルコールに耽溺し、為すべき何ものもないような孤独に沈みがちな父を思い、それを日記に綴っていく。

「あの頃のページを読み返してみると、私は、父の悩みを当たり前のこととしか感じていないようです。あの後の出来事を予見するようなことは書いていませんが、父はある日、珍しいことに学校に来て、私を昼食に誘ってくれたのです。グランド・ホテルです。秋の午後、広間では結婚の宴が賑やかでした」

そのグランド・ホテルで、父と娘は対面し、会話を繋いでいく。

自宅の塀の落書きを見る父
自宅の塀の落書きを見た父が、娘のボーイフレンドのカリオコのエピソードから話題を振っていく。

「しつこいの」
「落書きは本気?」
「さあ、私の気を引きたいだけでしょ」
「いいことさ。思ったまま、何でも言えることが」
「場合によるわ」
「私もそうしたい」
「できない?」
「私はカリオコと違う」
「まじめに話してよ」
「パパがいけない?」
「たぶんね。なぜ飲むの?」
「非難か?」
「訊いてるだけ。なぜ、私を食事に?」
「それは…お前が喜ぶと思って」
「嬉しいけど。なぜ?」
「仲直りさ。喧嘩はしてないが、いつだったか、お前が夜遅く帰ってきた時に、機嫌よく迎えなかった」
「何か訊きたいのね?私の方は、訊きたいことがあるわ…バカみたいな質問なんだけど、前から誰だか訊きたかったの。イレーネ・リオス。女優よ。知ってるでしょ?」
「いや、似た人は知ってたが…」
「がっかりだわ。なぜ、彼女の名を何度も書いたの?覚えてない?いつか、パパの封筒を見たら、彼女の名がいっぱい書いてあって、変だと思ったの。映画のポスターで分ったのよ。“日陰の花”」
「終わる前に出た」
「あの日、映画館の前に、パパのバイクがあったわ。だから、中にいると思って待ったの。隠れてね。寒かった。パパは出て来ると、そのまま、カフェ・オリエンタルに入ったわ。手紙を書いたでしょ。私が窓をノックしたのを覚えてない?」
「そうだった。思い出した」

そう言って、洗面所に入っていく父。

明らかに、触れられたくない過去の出来事の一端を、最愛の娘に知られていた事実への動揺を隠すためである。

洗面所から戻る父。

「行かなくちゃ。授業よ」
「何の授業?」
「フランス語」
「さぼれないか?」
「本気で言ってるの?パパが分らない」
「こんな小さかった時は、パパが分ったかい?」
「比べられないわ」

その時だった。

賑やかな結婚パーティーが行われている隣室から、「エン・エル・ムンド」のメロディが聴こえてきた。 

「あの曲だよ。忘れたかい?“エン・エル・ムンド”。一緒に踊った」
「ええ、初聖体拝受の日ね…行くわ」

「過去」に縛られていて、父の内面が抱え込んでいる記憶の重さに触れられ、動揺を隠せず、なお本音を隠し込んでいる「一人の男」の人生の現実を見せつけられて、その父に対する冷めた視線が、思春期後期の娘の冷厳な行為に結ばれるのだ。

娘は席を立ち、あまりに対比的な隣室の結婚パーティーを覗き、そして、名残惜しそうな表情を見せる父に向って手を振り、部屋を後にした。

「窓辺の席に一人残った父は、あの曲を聞き、わが身を寂しく思い返したのでしょう。私があの時、どうすればよかったか…そればかり考えます。父と話したのは、この時が最後でした」(モノローグ

ここで映像は、父が最後の家出をしたファーストシーンに円環する。

父の自殺
父が猟銃自殺をしたのは、それから間もない頃(因みに、原作では翌朝)だった。

頬を涙で濡らし、父の「振り子」が枕の下に置かれ、それを、じっと見続けるエストレリャ。

「父は所持品を全部おいて、家を出たのです。引き出しの中を見たら、長距離電話の領収書がありました。死ぬ前の晩に、父は南の地に電話したのです。知らない番号でした。私は、その領収証を隠して持っています。…私は病気になりました。一人で寝ていると、時間は無限に流れるようでした。南からミラグロスが見舞いの電話をくれて、私の様子を知るや、私をしばらく、南で静養させるように、母を説き伏せました。確かに、私には転地が必要でしたし、お婆様とも長い間、会っていませんでした。出発の前の夜は、寝付けませんでした。私は興奮を抑え切れませんでした。初めて、南(エル・スール)を知るのです」

成人期に回想するエストレリャの、最後のモノローグである。




3  が失った振り子を繋ぎ、それを自我の確立に変換させ、昇華し、社会的自立ていくの物語





光と陰の対比の効果によって詩的・絵画的な映像美を、スクリーンいっぱいに立体的に表現し、「静謐の魔術師」とも評される、極端に寡作の映画作家・ビクトル・エリセ監督が紡ぎ出す物語は、振り子を駆使してダウジングに向かうモチーフが根柢から崩された父と、その父が失ったダウジングの振り子を繋ぎ、それを自我の確立に変換させ、昇華し、社会的自立ていく娘が、父と信愛・共有・疎遠・乖離し合ってきた時間を、複雑で繊細な人間心理の綾のうちに拾い上げ、切り取っていく。

そうしなければ、「未来」に移行していく娘の、「自由」の使い方で迷い、立ち竦んでしまっている「現在」が動いていかないのだ。

父との心理的距離を適切化すること。

これが、思春期後期に呼吸を繋ぐエストレリャの喫緊の課題だった。

それほどまでに、の人格の形成に、父・アグスティンの存在の大きさは決定的だった。

「過去」に囚われている男が、「最愛の娘」・エストレリャの「現在」を縛っているという関係構造は、決して異常ではないが、エストレリャの自我形成に大きく関与した父との、根源的な関係性の総括なしに済まない辺りにまで膨れ上がった、有形無形の「財産」とも言える「影響力」の正体に対峙し、それを止揚することで、前向きに克服していく心的過程を不可避なものにしてしまったのである。

幸いにして、既成の体制や物事の矛盾に目覚める、思春期後期という時期に踏み込んでいたエストレリャの自我が、父母の愛情によって健全な様態を確保し得たので、自分をインボルブしている複雑な事象を客観的に捉え、「一人でいることにも、幸福を考えぬことにも慣れました」と言うほどに、自己を相対化し、様々に思いを巡らせていく能力を相応に備えていた。

だから、思春期後期に踏み込むことで、父に対するエストレリャのイメージが変化していくのは、至極当然の現象である。

児童期にあっても、朧(おぼろ)げながら、父の煩悶の一端が理解できていたエストレリャ

振り子を使わなくなった父。

この現象が内包する意味は、あまりに象徴的である。

「私の沈黙に、父は沈黙で応えたのでした。突然、私は気づきました。父は私の挑戦に対して、沈黙のゲームで、私より悩みの深いことを知らせているのだと」

成人期に回想するエストレリャのモノローグだが、児童期の渦中にあっても、父の煩悶の一端を感じることが可能な豊かな感性を有していた少女には、不確かでありながらも、杖を使って、「悩みの深いことを知らせている」父のメッセージに揺動し、嗚咽するしか術がなかった。

その父を雁字搦め(がんじがらめ)に縛っている、「過去」の重圧という頸木(くびき)から逃れられない「現在性」など、児童期の少女には知りようがないのだ。

しかし、児童期の豊かな感性が思春期後期に移行し、複雑な事象を客観的に捉える能力を具備ことで、「最愛の父」というイメージが変化し、両者の間に仕切りを作ってしまう

思春期後期特有の攻撃性が発現してしまうのだ。

「行かなくちゃ。授業よ」
「さぼれないか?」
「本気で言ってるの?パパが分らない」

父との最後の別れ
余剰の含みにおいて、グランド・ホテルでの父と娘の会話の、あまりの重々しさに絶句する。

観ていて涙が止まらないシーンだった。

このとき、父は娘に、何もかも告白してしまおうと咄嗟に思ったのだろうか。

そのことで、少しでも、精神的に楽になろうと考えたのか。

忘れようとしても忘れられない重い「過去」が、一気に噴き上がり、動顛(どうてん)する中年男。

「思ったまま、何でも言えることが」できない男が、すっかり成長した娘に、重い口を開こうとである。

考えてみるに、娘が父の煩悶の大きさにまで届き得ないのは、父が負った「過去」の重さが、恵まれた環境に育った自分の能力の範疇を超えていたからである。

「時間」までも「国境」にしてしまう父にとって、その国境超えの意志の発現は、自らの命を懸ける禁断の行為の危うさに最近接する何かだった。

それでも、「時間」という国境超えに踏み込んでしまうアグスティン。

「二度と手紙しないで。返事が辛すぎます」というラウラからの返信で、決定的に追い詰められるアグスティン。

家出後、死ぬ前の晩に、南の地に電話した父の相手は、恐らくラウラだろう。

「最愛の娘」と共有した「時間」によって、少しでも楽になりたいと願っても、結果的に、「思ったまま、何でも言えることが」できない男は、もう、自分の居場所すら確保し得ず、ラウラへの禁断の国境超えに自らの命を懸けてったのか。

父が負った「過去」の重さ。

思うに、それは、この国の歴史の重さでもあった。

ここで、簡単にスペイン内戦を簡単に俯瞰しておく。

スペイン内戦とは、要約すれば、1936年2月、共和派・社会主義者、アナーキストなどから構成される「スペイン人民戦線派」(ソ連と国際義勇軍の支援あり)の勝利によって、人民戦線内閣が成立する。

スペイン内戦
1936年7月、この人民戦線内閣に反発する軍部・右翼勢力は、参謀総長を解任されたフランコ将軍を反人民戦線側の最高指導者に立ち上げ、ナチス・ドイツやイタリアのムッソリーニの支援を受け、1939年にマドリードを陥落させたことで、人民戦線政府は崩壊するに至る。

以降、1975フランコ将軍の死によって終焉するまで、長期に及ぶ独裁体制が成立・継続していく。

この内戦で重要な視座は、当時、「コミンテルン」(モスクワに創設された共産主義政党による国際組織=第三インターナショナル)の統制下にあったスペイン共産党に集合する、スターリン主義者による粛清に象徴される内ゲバを利して、反乱軍を指揮したフランコ独裁政権の確立を容易にしたという事実である。

フランコ将軍
言うまでもなく、共和派だった本作のアグスティンがカトリック教会を忌避したのは、従来の王党派と共に、カトリック教会が人民戦線政府の敵対勢力であったからである。

父が負った「過去」の重さは、親子を分断し、恋人と培った愛を裂き、彼の自我をアイデンティティクライシスの陥穽(かんせい)にまで窮追(きゅうつい)していく。

「恋人を裏切った男」

この自己像が、アグスティンの自我に張り付いている。

遥か昔の恋人・ラウラに、「あなたへの夢」とまで呼ばせたアグスティンの存在価値は、アグスティンの「裏切り」によって、とうに自壊したと思われる。

自壊したはずの「一世一代の恋」の残り香が、なお、捨てられずに漂わせている男にとって、ラウラからの返信の破壊力は決定的だった。

「あなたは私より大切な人々がいました」とまで書かれてしまったら、もう、男のネガティブな自己像は、いよいよ膨れ上がったしまうだろう。

アグスティンの家出は、彼が被弾したものの大きさを能弁に物語っているの

「南を捨てた男」

この自己像も、厳然とある。

乳母・ミラグロスから、「フランコが勝ってから、お爺様は聖人に、パパは悪魔になった」と説明されるスペイン内戦は、家族を引き裂くほどに呪縛力を持つ、厄介極まりない国内分断戦争だった。

投獄され、弾圧の憂き目に遭い、「悪魔になったアグスティンは、「聖人になった父との和解など望むべきもなく、南を捨て、追われるように、冬に雪が降る北部に行き着いた。

その際、ラウラの想いを断ち切って、二人は別れたのだろう

言うまでもなく、二つの自己像は同質の構造を持つ。

アグスティンが負った「過去」の重さを知り得ずに、家族を引き裂き、アルコールに溺れるだらしない父を、「人生の敗北者」というイメージのうちに押し込んでしまったエストレリャは、父の死によって精神的外傷を負うに至り、今度は、自らがアイデンティティクライシスの深いトラップに嵌ってしまうの

「私があの時、どうすればよかったか…そればかり考えます」

エストレリャの心象風景もまた、自我の根源的な立ち上げが求められていたのである。

自分にとって、「父とは何であったのか」。

「最愛の娘」というイメージを甘受することに違和感を持たず、ありのままに受け入れてきた自己史を総括する知的過程を通らずして、もはや、未来像を描くことなど叶わなくなってしまったの

父は魔法使いでも何でもなく、一人の「悩める男」でしかなかった。

そんな当然の現実を、今更ながら噛み締め、父との関係を見直していく。

しかし、一人の「悩める男」の悩みを知らなければならない。

それは、義務ですらある。

グランド・ホテルで、父は自分に何を語りたかったのか。

その父を拒絶した行為が、父の自死の後押しをしたのではないかという負のイメージを払拭できず、エストレリャの精神的外傷は、彼女をして、病いに臥(ふ)せらせ

エストレリャの危機意識が、彼女を動かしていく。

何より、父のルーツを知らねばならない。

だから今、「南(エル・スール)を知る」ための旅に打って出る。

その旅の本質は、単なる「骨休め」の旅ではなく、「定着からの戦略的離脱」である。

「南(エル・スール)」という、未知の文化である「異文化との交叉」によって自己を相対化し切って、「自己の存在確認と再構築」を果たす旅なの

この「青春一人旅」に、一切を懸ける。

父を知ことで、その父に完全依存していた自己を知る。

エストレリャの「青春一人旅」の本質、「定着からの戦略的離脱」である所以である。


【ブログ「私の愛して止まない映画たち」から多くの画像を転載しました。感謝します】

(2016年8月)





2 件のコメント:

  1. こんにちは。
    本当に映画って何なんでしょうか。
    何百億円もかけてたくさんの人が集まって作った映画が全く心を打たず、本当に低予算で作られている作品がこんなにも長い間世界中の人の心を動かし続けるって、本当に一つの作品の持つ力ってすごいと思います。
    作品の中の人物や世界が、一人歩きして、人々の心の中に住み着いている感じです。

    「カリオコに気をつけて」と指を立てて斜めに構え、娘に精一杯触れ合おうとした父の心の揺らめきが、世界共通言語のように映画好きの心に響く事にうれしさを感じたりもします。

    なかなか見る機会のない作品ですが、この作品より少し前の1975年に撮られた同じスペイン映画「カラスの飼育」が私にとっては非常に思い出深い作品で、皆さんにお勧めしています。大御所監督作ですが、きっとエリセの前作を意識しての作品です。VHSでは持っていたんですが、見られなくなってしまいましたね。残念です。

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    1. 「カラスの飼育」は全く知りませんでした。検索してみたら観る気をそそりますが、手に入らないかも知れません。

      >低予算で作られている作品がこんなにも長い間世界中の人の心を動かし続けるって、本当に一つの作品の持つ力ってすごいと思います。

      全く同感です。
      私には、父と娘のグランドホテルでの会話が脳裏に焼き付いていて、多分、一生忘れることはないでしょう。
      このような人間の心理の奥底まで抉り出し、それを観るものに強烈に印象付ける心理描写の凄みにおいて、ビクトル・エリセ監督は、紛れもなく、一級のアーティストであると評価しています。

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